第5話 無価値な私にさよならを
ふと目を覚ますと自室にいた。眠りは重要と奮発して買ったベットにスマートTV、ゲーム機の前に積まれていたのは乙女ゲー含めたゲームの数々。本棚には様々なジャンルの漫画が並んでいる。完全に趣味全開の部屋だが、その中で一つ違っているのは机の上に置かれているのは両親の写真だ。
久々に見る二人の顔に私は安堵のため息をつく。両親の真ん中で満面の笑みを浮かべる幼き私、色褪せぬ思い出がそこにはある。そこまで来て私はようやく変な事になっていると気が付いた。
この部屋はキャロラインの部屋じゃない。私の前世、藤沢千咲の部屋だ。懐かしさと違和感で私の頭は混乱する。
私は長い夢を見ていたのだろうか? ゲームの世界にいった夢なんてそれこそ定番だ。
だが私はそれを信じるわけには行かなかった。夢と断定するにはキャロラインとしての記憶が鮮明過ぎて。新たに得た大切な家族が夢の存在なんて信じたくなくて。もちろん藤沢千咲の家族も大切だ。でも私が愛した両親はここにはいない。今更ここに戻ってきて私に何をしろと言うのか。
もしもあの世界の出来事が全てが夢であったのなら……
いっそ死んでしまいたい。
その考えが頭によぎった瞬間、私はとある事実に気が付いた。
「あれ? そもそも私ってどうして死んだんだっけ?」
改めて考えてみたら私と言う存在は酷く矛盾している。懐かしの自分の部屋を見ていると暗さはなく、死とは無縁に思える。転生した私が何で乙女ゲームの事を良く知っているか、その答えは単純、自分でプレイしていたからで、物語としても読んでいたからだ。
つまり藤沢千咲であった頃の私は趣味を謳歌するくらいには余裕があったし、ちゃんと社会人として生活もしていた。無気力な時期は確かにあった。でもこのままじゃいけないってそこから頑張ってきたんだ。過去は過去、そう割り切っていたはず。それが一体なぜ?
いよいよもって怪しくなってきた事から、私は真剣に過去を思い返す。あの日、私は何をしていた?
私は確か、普通に仕事を終えて、普通に晩御飯の事を考えていたはずだ。夜は動画見るか、ゲームやるかで迷っていた何も特別な事はないはずの日。となると帰り道で何かあったのだ。私は帰り道で何をした? ……いいや、したのではない。
何かを……見た?
「あ……」
瞬間閉ざされた記憶が溢れ出す。私が帰り道で見たもの、それは交通事故であった。
「あああああああ!!」
奇しくもそれはかつて私の家族に起きた悲劇と同じ、トラックと軽自動車の事故であった。私は再度見せつけられたのだ。お前が必死に取り返そうとしているものは一瞬で消え去るって。
事故にあった人達がどうなったかは分からない。救急車で運ばれたからには少なからず大怪我を負ったのだろう。警察への連絡や救急車の手配は私以外の見ていた人がやってくれたわけだが、その中で私は呆然と見ている事しか出来なかった。
家に帰ってからも事故の様子が頭から離れず、過去のトラウマがフラッシュバックする。
私から全てを奪い去った悪魔がまたやってきた。私だけではない。私以外の誰かの幸せを奪いにやってきた。
だってそうでしょ? 人生において交通事故にあう確率なんてそうそうない。さらに同じシチュエーションなんて一体どれくらいレアな確率か。あの人達も私達のようなどん底を味わうのだろうか? 何も悪い事していないのに?
考えれば考えるほど世の理不尽さが嫌になり、置いてけぼりにされていた心の中の小さな私が悲鳴を上げる。私はもはや正常ではいられなかった。いいや、違う。私は正常に見える仮面をかぶっていただけ。
だから私は昔使っていた精神安定剤に手を伸ばした。それでも不安は全然消えてくれなくて、逃れたい一心でさらに規定を超えた量を摂取してしまった。
その後の事は覚えていない。でもキャロラインとして生きる事になったというのは……つまりはそういう事なのだろう。
「何とも運のない人生を歩んできたものよね私も。私が、父さん母さんが何をしたって言うのさ。前世の業とかでも言うつもりなのかしら?」
親戚の叔父さん夫妻はしっかり私の面倒を見てくれたし、友人だってそこそこいた。でも距離が離れているため、皆とのやり取りはテキストか通話がメインとなる。遠くに離れていても気軽に話しが出来る事自体は良い事に違いない。
しかしどうしようもない孤独を抱えた時、その気軽さはかえって仇となる事もある。もしも私が地元を離れていなければ、叔父さんのところにかけこんでいたかもしれないし、友人に会いたいって言えたかもしれない。
自立して独立しなきゃと考えた末に地元を離れたわけだが、その選択がむしろ裏目ってしまった。言うなれば『魔が差した』のだろう。心の隙間をピンポイントで撃ちぬかれて私はいとも簡単に壊れてしまった。思わず後悔の言葉が出る。
「……皆に申し訳ない事したな。誰も悲しませたくなかったのに」
それでも、もう起こってしまった事はなかった事にはできない。例え記憶が残っていようとも藤沢千咲の物語は終わってしまった。今の私はあくまでキャロラインだ。
私はこの空間を徐々に理解し始めていた。ここは本当の私の部屋じゃない。キャロラインの世界が夢などではなく、この部屋こそが私の記憶が生み出した夢の世界だ。失っていた最後の記憶の欠片、それを取り戻すために用意された舞台だったのだろう。
「あれ、これって……」
夢である事に気づく事がトリガーだったのだろうか? 私の部屋は段々とあやふやになり、形を失っていく。どうやら目覚めるときが来たようだ。
終わりを予感した私は両親の写真を手に取り、胸へと押し当てる。
「ごめん父さん母さん、私頑張ったけど駄目だったんだ。でもね? そんな私だけど、別の世界でもう一度やり直すチャンスをもらえたの。ようやく運が向いてきたのかな? 死んでからなんて遅すぎるよね本当に。でもさ? 現金な事にそれでも喜んじゃっている自分がいるんだ。二人も言っていたよね? 過去よりも今が大切なんだって。だから私、もう一度生きてみるよ。全力で踏ん張ってみる。新しい家族と一緒に」
光の奔流が私を包む。その時、微かだけど光の中でもういないはずの両親が微笑んだような気がした。
「……暑い。何で、こんなに暑いの?」
本当の目覚めは熱と共に。別に昨晩は寝苦しい夜ではなかったはずなのに、どうしてこんなに暑く感じるのか。その答えは……
「うみぃ」
「マリー……どうして私のベッドにいるのさ」
暑さの正体、それはマリーが私を抱き枕にしていたからであった。十中八九、夜中に起きてトイレを済ませた後、自分のベッドに帰ろうとしたものの、間違って私のベッドに入ってきたのだろう。
「ふふふ」
でもこんな締まらない朝こそが、思い通りにならない現実という実感が持て、私は笑ってしまう。藤沢千咲の頃にマリーのような妹がいたら、藤沢千咲はあの出来事も乗り越えられたのかな? その答えはもはや分からないが、仮定の話をしている時点で私はマリーの事が好きなのだなと強く実感した。
「ほら、マリー起きて。もう朝だよ」
「んんー、お姉ちゃん? あれ? 私どうしてお姉ちゃんと一緒に寝てるの?」
「寝ぼけてあなたが私のベッドに入ってきたのよ」
「そうなんだ。ごめんね」
「別にいいわ。ちょっと暑かったくらいよ。でも珍しいわね?」
普段のマリーは寝ぼける事なんてなく、朝もむしろ私よりも早く起きている事も多い。私の疑問に対し、マリーは考えるようなしぐさをすると、ぼそっと理由を呟いた。
「んー、私何だかんだで怖かったのかな?」
「……っ!? そう」
普段飄々としているマリーであるが、怖いという感情はもちろんあるわけで。ブラッドウルフを父と一緒に撃退したマリーは、その時きっとなけなしの勇気を振り絞ったのだろう。そして緊張がなくなった今、押さえつけていたものがぶり返してきたのだ。
そこで頼ってきたのが父や母でなく、私というのがちょっと嬉しい。私はマリーの頭を撫でてあげると、嬉しそうに目を細めた。
「マリーは私の自慢の妹よ。あの時は本当によく頑張ったわね」
「お姉ちゃん……ありがと!」
それにしても何とまあ可愛い妹だ事。
二人で仲良く起きた後、私はいつもの日常に埋没する。父と母と妹、ついでにサユリ2世とエーコ2世、家族揃って朝食を取った後、両親は仕事、私とマリーは学校、各々の場所で励む事となる。
妹との登校中、ふと考えたのはあの時の夢の事だ。あの時の夢を私は鮮明に覚えている。何故私はそれまで記憶の一部を失っていたのか。きっとそれは心のセーフティーがかかっていたからに違いない。
もしも転生に気づいた時に藤沢千咲の全ての記憶を持っていたのなら、せっかく転生したにもかかわらず、私の心は壊れたままで再起不能になっていたかもしれない。
だから一度記憶の底に封印し、耐えられるくらいに回復するまで待つ事にした。それが夢として現れたという事は、もう思い出として昇華できると判断されたのだろう。人の体と言うのは実に良くで出来ていると思う。
夢を経て何か変わったとか、特別な事は何もない。ただ薄れかけていた前世の両親の顔をはっきりと思い出せた事は嬉しい。今の両親と同じくらい前の両親も大好きだったから。単純に私の中で心の整理が出来ただけ。
今になって思えば、藤沢千咲に必要だったのは成功体験だったのだろう。幸か不幸か、前世の日本の世界では命の危機を感じる事件なんて早々起こらない。だから私は何時まで経ってもトラウマを払しょくする機会を得られなかった。あの理不尽さを超える方法が分からなかったから、悲観的な自分を変える事が出来なかったのだ。
誤解なきよう言えば、平和な事は絶対良い事だ。でも私個人に限って言えば辛かったのだ。何故よりにもよって自分の家族がと言う思いは消えなかったし、幸せそうな友人家族を見て怒りが沸いた自分に対して自己嫌悪した。
唯一恨んでもいい相手であるはずだったトラックの運転手は心筋梗塞だった。だから過失ではなく本当に突発的な事故だったのだ。普段の体調とか関わっていたのは少なからずあるだろうが、それでも突然起こる病気はどうにもならないのは理解出来てしまった。
となると事件の原因はただ運がなかっただけとなってしまう。運なんていうどうしようもない部分が理由とされたら解決なんてしようがない。
キャロラインとなった私はそんな理不尽を乗り越えた。
私が一番大嫌いだった運によって。
確かに父ハルトの深淵の森の猛獣の経験や、マリーの徹底した対策が功を奏したのは間違いない。でも二人のそれまでに私は関与していない。マリーに関しては若干あるかもしれないが、それも微々たるもの。
聖騎士になったのは父の意志だし、いざと言う時にために対策を学んでいたのはマリーの意志だ。二人がたまたまプロフェッショナルだっただけなのだ。備えあれば患いなしをやったのは二人であって、二人が偉いだけの話なのである。
頼りになるオルカおじさんや兵士長さんがたまたまノートン村にいたのも、私からすればただの幸運だ。父がオルカおじさんと親友であり、父と母がノートン村を選んだから兵士長さんとも縁が出来た。この偶然を引き当てたのも両親の選択の結果に過ぎない。
あの時私が役に立ったのは、兵士長さんの言ってくれた想いの力っていうスピリチュアル的なものだけ。あの時の村総出で準備した熱量は本物だったし、今更それを疑うほどひねくれちゃいないが、客観的に見た場合、ブラッドウルフ退治に関して私が何もしていないってのは事実なわけで。
だから結局のところ、私としては運が良かったとしか言いようがない。
でも……
むしろそれが良かった。
それこそ私が望んでいたものだから。
私視点では純粋な運だったからこそ、藤沢千咲は救われた。あの交通事故の時、何も役に立てなかった私が救われるには、役に立てなかった私の成功体験こそが必要だったのだ。私自身対策をしてどうにか出来た事ならこんなに悩んでいなかった。どうにもならなかったからこそずっと悩み続けていたのだ。
悪い時もあれば良い時もある。それがようやく2度目の生にて実感出来た。言葉にすれば実に単純だけど、でもとても大切な事。
世界ってのはとことん最低で、どうしようもなく最高だ。
「マリー」
「なぁにお姉ちゃん?」
「私を救ってくれてありがとね」
「え? え? 一体どうしたの急に?」
マリーが戸惑うのも当たり前であったが、私はどうしてもお礼が言いたかった。
「マリーが思っている以上に私はマリーがいてくれて嬉しいって話」
私がそう言うとマリーは不満げな声をあげる。
「むう、なんか聞いてると私がお姉ちゃん事あまり好きじゃないみたいじゃない。私だってお姉ちゃん好きなんだから! 優しいし、私の趣味にも付き合ってくれるし。お姉ちゃんが一緒になって考えてくれるから私も色々新しいアイディアを考えられるんだ!」
「それは光栄ね。姉冥利に尽きるわ」
「本当にそう思ってる? お姉ちゃんだって凄いんだよ?」
「そうなのかしら?」
「やっぱり! お姉ちゃんはもっと自信もって良いと思う!!」
急に私の事を褒めまくる方へシフトした妹に面食らうも、嘘を言っている様子もなく、段々とむず痒くなってくる。何か妹の中の地雷を私は踏んでしまったらしかった。
ひたすら姉である私を褒めまくるというマリーの攻撃は厄介で、防御に徹していた私であったが、そうこうしている内に学校に到着し、私はようやく解放されて一息付けた。
その日、珍しく教室には誰もいなく私が一番乗りらしかった。
「こんな日もあるのねぇ」
どっかのおばさんみたいな口調で呟いてしまった私であったが、誰もいないから問題ないだろう。一人席に座ると先ほどのマリーの姉賛美ラッシュを思い出してしまい、思わず赤面してしまう。恥ずかしいったらなかった。でも悪い気がしないのは私が前向きになっている証拠だ。
結局この世界が何の世界かは分からない。でも今の私のとってそれは心底どうでもいい事だ。だからこそ夢の中で私の部屋が現れた時、私はゲームや本棚にあるラノベを確認しなかった。必要ないと思ったから。
考えてみてほしい。仮にこの世界が過去にプレイしたゲーム、あるいは過去に読んだ小説の世界だったとして、それが分かったからって一体どうなるって言うのか。
ゲームには主人公やその仲間達、そして敵役など主要人物の人生は描かれている。一方で物語として必要ない人達の人生は描かれてはいない。皆それぞれ主人公って言うくらい濃い人生を送っている人達なのに。
つまり結局のところ、ゲームや物語で描かれる場面と言うのはその世界の一場面でしかないのだ。ただ面白そうって部分にスポットライトを当てられただけ。それが世界に定められた逃れられない宿命だなんて片腹痛い。
私は生きる。空想ではない現実のアルビオン国で。
私は一人、朝日が差し込む窓の方へと向かう。外から差し込む風が心地良かった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。今作は前作の短編、『だから私は私を殺す』の対のお話として書き始めたものです。登場人物に転生してしまったが故に原作に縛られてしまった人のお話と、登場人物ではない人物に転生し、さらには原作知識もない人が自分を見つけるまでのお話。
前作のエレオノーラは才気あるれる女性でしたが、今作のキャロラインは主人公のくせに本当に特殊な何かを持っていません。ただ一生懸命に今を生きる人間として描きました。事件を解決する能力もないので、主人公としては物足りないと思うかもしれませんが、その分ひた向きさを重視して書いたつもりです。
むしろ転生後に凄い能力があった場合、きっと彼女は闇落ちしていたかもしれません。作中に書いてあった通り、運によって奪われた幸せは運によって返されなければ正しくありませんから。
彼女の人生はここからが本番ですが、一区切り着いたという事で完結という形にさせていただきたいと思います。もしも興味を持っていただけましたら前作の『だから私は私を殺す』も読んでいただけましたら幸いです。