後編
王立学園を卒業して二年、アルとドラコと出会ってから一年が経った。
ここ半年で、更に大きな変化があった。
◇◇◇◇◇
「聖女様のご恩情に感謝いたします」
ドラコを連れたアルが、セドリック様の隣に立つ私の前に跪いた。
アルは、丈夫で上質な布地に、刺繍がふんだんに刺され、多くの人間を束ねる立場であることを示すような上質な騎士服を着ている。そして、後ろには、トタバルス皇国で騎士を務めていた時からの仲というアルの大勢の部下が、アル同様、私に頭を下げた。
食堂で働いていた時から隠せてはいなかったが、今のアルの姿は、本来の高貴な生まれをより強く感じさせるものだった。
半年前、街で、皇国で竜が暴れているという噂を聞いてから、どうするつもりなのかとアルに聞いた。
アルは、国境の混乱を嫌う伯爵にも、一度、皇国に帰ることを勧められたらしい。でも、王子と聖女一行に亡き者にされかけたことで、アルはかなり思うところがあるようで、渋い顔をするばかりだった。
裏切られたアルが王子や聖女一行を許さない気持ちは分かる。でも、エトワール王国の隣にあるトタバルス皇国の人々は困っているみたいだし、ドラコの親もドラコに会いたいだろう。
考えた末、私がドラコをドラコの親のところに連れて行くと提案した。半年かけて、アルほどではなくても、ドラコとは私も仲を深めたはずだし、クロがいればそれなりに身は守れる気がする。今の私の身分は平民だから、比較的、国同士のしがらみはないはずだ。
ドラコを連れている理由を聞かれたら、「聖女だから!」で乗り切ればいいだろうか。悪役令嬢にヒロインの座は取られたのに、今更、聖女とかヒロインっぽいな。でも、何の力もないのに、自称聖女とか胡散臭い……。
そんなことを考えていると、渋い顔をしたアルが言った。
「……俺が行く」
そして、アルはドラコを連れて、トタバルス皇国へ出発した。まあ、街で注目を集めた姿を思い出すと、一市民として暮らすのは無理がありそうだから、隠遁生活も潮時なのかもしれない。
アルとドラコで皇国に戻った結果、やはり、皇国では、ドラコを殺されたと思い、ドラコの両親の竜がキレて、暴れまくっていたらしい。そして、竜を抑えられない王子と聖女一行は不信の念を持たれていた。
アルがドラコを連れ、ドラコの両親に会いに行ったところ、元気な子に再会でき、ドラコの両親は怒りを鎮めたということだった。当然、王子と聖女一行の面目は丸潰れ。
今日は、そんな数か月のゴタゴタを経て、アルがようやく一区切りがついたという報告に来てくれたのだった。
猫を被り、厳かにアルに言った。
「こちらへ」
神妙な顔をしたアルが、私と部下に言った。
「はい。私は、聖女様の庵に入る。皆はここで待機するように」
「はっ!」
アルに命じられ、皇国の騎士達は姿勢を更に正した。伯爵領の騎士と国境警備隊の人々は、黙ってその様を見ている。国境警備隊の人々の一部に、笑いをこらえている人がいなくもないような気がするが。
何故、アルが皇国の公爵令息であることが衆目の事実となったのに、こうして私に跪いているかというと、私は英雄と竜を癒した聖女ということになっているからだ。
アルが皇国に戻ると、どうしても、これまで何処にいたかという話は避けられそうになかった。
でも、この国の伯爵家を後ろ盾とすると、皇国はこの国から干渉を受けることになるのではないかと警戒する可能性が高い。更に、アルの存在を報告しなかったことに、この国の王家から伯爵家が咎められる可能性までありそうだった。エトワール王国とトタバルス皇国、そして、この国の王家と伯爵家のいざこざを厭った伯爵が、私が聖女とし、英雄と竜を癒したことにすればいいのでは、と思いついたのだった。
私は伯爵家に便利に使われた形だ。伯爵様にもセドリック様にもお世話になっているし、いいけどね。
アルと共に、聖女様の庵、もとい、食堂の店主である私の住処に入った。セドリック様と女神様から遣わされた妖精のクロも一緒だ。家に入れないので、ドラコはすぐ外で待機している。
セドリック様が楽しそうに笑った。
「聖女様になった感想はどうだ?」
「肩が凝りそうです」
「はは。街はもちろん、国中で噂になっているぞ。辺境の地に聖女が降り立ったと。聖女は清貧に生き、密やかに休息所を営み、病に悩む人々を癒し、時に英雄と聖獣も立ち寄るとか」
隣にいるアルと竜を見上げた。
「カフェじゃなくて食堂なんですけど。あと、英雄と聖獣は従業員だし」
「遠からずじゃないか。先般、アルと共に、王宮に報告に行ったが、王宮の皆々もそう理解していたぞ」
『王宮』という単語を聞いて、面倒くさいことになっている……という感想より先に浮かんだのは、学生時代に見知った金の髪に緑の瞳をし、美しい迫力のある美貌なのに、自らを鼓舞するようにふんぞり返る悪役令嬢の姿だった。
私が何を思い出したのか、目敏く気付いたらしいセドリック様が聞いた。
「懐かしいか?」
「……別に。もう縁もない相手でしょう」
もう王太子と結婚もして、王太子妃となったスカーレットは、私などいなくても、王宮の中心で周囲を明るく照らしているのだろう。これまでも、そうだったように。その姿は簡単に想像できた。
「ミラ、今の話は誰のことだ?」
聞いたのはアルだった。
「何でもないわよ」
「話してくれ」
寡黙なアルが珍しく食い下がった。少し焦れているようにも見える。
――でも、王太子妃と学園時代に顔見知りだったから何だというのか。敢えて説明するほどのことを思いつかず、言葉に迷っていると、セドリック様が話を変えた。
「そういえば、聖女の噂に加え、この食堂では、謎の半固形の茶色の調味料を使った料理を出しているということも噂になっている」
これ以上、面倒なことにはなりたくなくて、セドリック様の話に乗ってみた。
「あ、そっちは本当です。食べてみますか?」
家の食物庫から味噌を取り出し、スプーンに入れて、セドリック様に差し出した。
「これです」
セドリック様は、味噌を口に入れると、興味深そうな表情を浮かべた。
「これは癖になる味だな。どうやって作るんだ?」
「いい感じの菌が繁殖したふかした米に、潰した大豆と塩を混ぜて、熟成させました」
クロを抱き上げて、胸を張ったが、セドリック様とついでにアルが訝しんだ。
「……何で、そんなことをしようと思った?」
「美味しくなるかなと思って」
「国境警備隊の面々は無事だろうな?」
「すこぶる良好です」
皇国から戻って来たアルは、これから伯爵家の皆々と共に、この国の王家に挨拶に行く予定となっているが、その前にこの家に数日滞在したいと言った。伯爵家にいた方が美味しいご飯を食べられると思うが、怒涛の日々だっただろうし、人気の少ないところで、一息つきたいのだろう。お疲れ様!
これまでの苦労を労うためにも、ご馳走を出すため、買い出しに行くことにした。
「楽ちん。景色がいい。最高ー!」
アルは、私が助けたことに恩を感じているらしく、何かお礼をしたいと言い出した。もうアルの素性もドラコの存在もバレたので、ドラコの背中に乗せてもらい、アルとドラコに、一緒に買い出しの荷物運びをしてもらうことにした。
クロは私の言葉を聞いて、「どうせ俺は空を飛べへんし」と小さく拗ねたように言って、私の手首を引っ搔いた。ご機嫌を取るように、クロのあごの下を撫でていると、後ろで私を支えるアルが聞いた。
「礼がこれでいいのか?」
「十分よ」
「私にとっては、まだ足りていない」
「もう十分」と言おうと振り返ろうとしたところで、バランスを崩してしまった。体が斜めに傾きそうになったところを、アルが受け止めてくれたが、その体の大きさと硬さに狼狽した。
一瞬だけ、ギュッと目を閉じて、心を落ち着かせて、アルの方を向いた。
「支えてくれて、ありがとう。では、もう少し考えてみるわね」
「ああ」
振り返った先にいたアルは、初めて会った時とは打って変わって、優しい表情をしていた。
伯爵領の中心街の市場で沢山のご馳走と食材を買い込み、帰り道、ドラコの背中に二人とクロで乗った。
竜のドラコは人目を集めるので、気付いた市場の人々がこちらに手を振ってくれた。竜への好奇心が大きいと思っていたけれど、アルに熱い視線を送る女性も多いことに気が付いた。それは、そうか。一国の公爵家の令息で、竜を引き連れた英雄なのだから。
一時的に食堂の従業員として働いていたけれど、お貴族様として再び表舞台に立ったアルの今後がふと気になった。
「そういえば、アルはこれからどうするの? 皇国に戻るとか?」
「一区切りついたら、一度、自分自身の幸せを求めてみたいと思っている」
「へえ、いいじゃない。具体的には?」
「好きな女性に好意を伝えたい」
「えっ……!」
「周囲にも伝えてある。あとは、相手の気持ち次第だな」
割と一緒にいた気がしていたけれど、アルがそんな希望を持っていたとは知らなかった。何だかドギマギしてしまう。
「そ、そう。アルの気持ちを知ったら、あちこちから悲鳴が上がりそうね。アルの国の人たちだけでなく、この国にも、アルのファンは多そうだもの。特に女性……」
「いや。割と応援されている」
「どういうこと?」
「私が思う相手は、多くの男の心を奪い、混乱をもたらしている。多くの女性は、私でも誰でも良いから、彼女が誰かと結ばれ、落ち着いてくれることを望んでいる」
「……なんか、すごい人を好きになったのね。騙されていない? 大丈夫?」
アルは力強く黙って頷いたけれど、本当だろうか……。恋は盲目ともいうし……。
訝しむ私の視線に気付いたアルが笑みを浮かべた。
「誰か、教えようか?」
罠に掛けようとでもするような、何か企んでいるような表情だった。初めて見るその表情に、防衛本能が働いたように反射的に答えた。
「遠慮します」
「残念だ」
◇◇◇◇◇
私の家にやって来たアルは、久し振りの気軽な暮らしにはしゃいでいるのか、やたらと友好的な態度で親しみを込めて、私に近付いてきた。
喜ぶべきことなのかもしれないけれど、その度に、今更、アルが魅力的な男性であることに気付き、動悸は激しくなりっぱなしだった。経験値ゼロの乙女ゲームヒロインなのだから、手加減してほしい。
「好きな人がいるんじゃなかったの。誤解されるわよ!」とは言ったものの、「大丈夫だ」の一点張りで効果なし……。もう次は絶対に泊めない……!
そして、私の家に滞在するのも最終日となった。アルは、皇国に戻る前に、伯爵家に立ち寄る予定だ。私もセドリック様に呼ばれて、同行した。
伯爵家の屋敷に行くと、伯爵家の侍女に囲まれ、白いレースがふんだんに使われたワンピースを渡され、着せられた。本来、私はこの世界のヒロインだし、可愛くて似合う。けれど、この格好、なんというか――
「聖女っぽい……」
「よく似合っているよ」
伯爵家の応接室に連れてこられた私を見て、セドリック様はニヤニヤ笑っている。
「こんなことして詐欺になりません? 私、聖女じゃないんですけど。ねえ、アル?」
助けを求めてアルを見たが、アルは頬を染めたまま、何も言わない。
「えっ……。ちょっとどうしたのよ?」
私が聞くと、ハッと我に返ったような表情をしてから、アルは少し言葉に迷う様子を見せた後、言った。
「……その、美しいな」
「ありがとう?」
珍しいアルの様子につい目を引かれたが、現状が分からないままであることにハッと気付き、再び、セドリック様に向き直った。
「セドリック様、誰が来るのか、教えてくださいよ。ねえ、私、何でこんな格好しているんですか? 聖女の演技をした方がいい相手なんですか? 教えてくれないとこっちも対応できないんですけど!」
「はは、時間切れ。でも、ミラもよく知る相手で、気は遣わなくて大丈夫だ」
セドリック様の言葉と共に、伯爵家の応接室の重厚なドアが開いた。誰が入ってくるのかは分からなかったけれど、黙って、上位の相手を迎えるため、頭を下げた。
そして、伯爵に先導され、部屋に入って来たのは、金髪に緑の瞳に、気の強そうな顔立ちの女性だった。
「うそでしょ……」
そこにいたのは、悪役令嬢で元公爵令嬢で現王太子妃のスカーレットだった。
伯爵、セドリック様は元より、アルも王宮に行ったからか、スカーレットと面識があるらしく、皆で和やかに話した。そして、セドリック様がにこやかに私を紹介した。
「妃殿下、聖女と評判のミラでございます。アレックス卿と竜はもとより、我が領でも多くの者が癒されました」
「噂はかねがね。お会いしたく、無理を言って申し訳ないことでしたわ」
スカーレットが近付いてきて、私に握手を求め、手を出したところで、私にしか聞こえないような小声で言った。
「久し振りですわね、ミラ。来ましてよ!!」
「旦那が立太子して、王太子妃になったんじゃなかったっけ……。何でこんなところに来ているのよ……」
「あら。理由なら、分かっていると思いますけれど。はっきり私の口から聞きたいですか?」
「……結構よ」
「数年前、ミラは、私と今生の別れを済ませたつもりだったようですが、私はそうではありませんわよ」
少し興奮した様子のスカーレットは得意げに笑って、私の手を一際強く握り締めた後、伯爵家の面々やアルに向き直った。
そういえば、今日はアルの見送りに来たのだった。
伯爵家主催の昼食会に、英雄と竜を癒した『聖女』として、私も招かれた。でも、当然、全く聖女なんてものではないので、ボロが出ないように、静かに楚々と食べることに集中した。ま、スカーレットは私が聖女でなくても気にしないだろうけれど。
王太子妃であるスカーレットがアルに聞いた。
「トタバルス皇国には、明日、出発だったでしょうか」
「はい」
「そうですか。この度は大儀でしたね。何か困ったことがあれば相談してらっしゃいませ」
アルは、私と出会った頃の仏頂面ではなく、外交用であろう威厳はありつつも穏やかな笑みを浮かべ、スカーレットに答えた。
「有難いことです。妃殿下はいつまで伯爵領に?」
「私も、明日、王都に戻るつもりですわ」
二人の会話を聞いて、明日には帰るのか、と何処か名残惜しく感じている自分に気が付いた。
でも、すぐに、当然だと思い直した。アルが隣国の公爵家の息子であったとしても、国境沿いの伯爵領まで見送りなんて、王太子妃がする必要があった案件だろうか。もしかすると、スカーレットはこの領土の聖女の噂を聞いて、私のことだと察して、ここに来たのは、私に会うためもあったかもしれないなんて。考え過ぎだろうか――
昼食会も終わり、一番身分の高いスカーレットが、まずは部屋から去ることになった。皆で立ち上がり、スカーレットを見送った。
私の前を通る時、スカーレットは少し寂しそうな表情をした。そんなスカーレットに、ほんの少し顔を上げると口の動きだけで伝えた。
『後で行くから』
◇◇◇◇◇
「お邪魔するわよ」
「本当に来たのですね……」
伯爵家の客間に現れた私とクロを、スカーレットが呆然と見た。
私の手元には、出会った時にアルが身に纏っていた隠身のコートがある。助けてくれたお礼と迷惑を掛けたお詫びをしたいと言うアルから、これを借りた。着ると、周囲は私の姿を認識できなくなるという便利アイテムであり、これを羽織って、スカーレットの滞在する部屋までやって来た。
スカーレットには、護衛に就寝を告げ、部屋に一人になったところで、突然、私が現れたように映っているはずだ。
「堅苦しいのは苦手だから、忍び込んできちゃった。許してくれるわよね?」
「はい……。でも、どうされたのですか?」
「あんたとお喋りをしてみたくて」
スカーレットは目を丸くした。それはそうだろう。だって、学院に一緒に通っていたときは、何度も私の元に来てくれたのに、ずっとすげなくしていたのは私なのだから。
今更だと思われるだろうか? 本当は話してみたかったなんてどう思うだろうか? 恥ずかしさと照れを紛らわせるように、言葉を続けた。
「あんたなら付き合ってくれるんじゃないかなと思って、来ちゃった。もし付き合ってくれるなら、これをあげる」
そして、懐から小さな籠を取り出し、蓋を開けた。中には、煎餅のように米を潰し、味噌を塗って焼いたものが入っている。
どんな反応をするかとドキドキしていたが、味噌の香りが漂うと、スカーレットは目を輝かせ、そわそわした。その反応にホッとした。
「良さそうね。では、ちょっと話しましょうよ」
スカーレットがベッドに腰掛け、私がその前の椅子に座った。伯爵家の客間の椅子は、艶やかに光る革を使っているが、丁度いい弾力の柔らかな座り心地だった。
今か今かと待ち遠しそうにするスカーレットに味噌煎餅を出した。いつもの気品ある態度を捨て、さっと味噌煎餅を手に取り、口に運び、スカーレットは感極まったように言った。
「ああ、懐かしい……!」
その言葉に、こちらまでじんわりと暖かい気持ちが広がる。ちょっと泣きたくもなる。
食堂で味噌を出して、味噌を好きになった人もいるけれど、「滋養がありそう」とか「癖になる」とかそんな表現をする。
でも、スカーレットは、この味を「懐かしい」と言う。改めて、こことは違う世界の記憶を持った人間なのだと実感する。それは、もしかすると、この世界で唯一の。
夢中で味わうスカーレットをしばらく眺め、スカーレットが少し落ち着いてから、聞いた。
「あんたは、いつから私が伯爵領にいるって知っていたの?」
「『伯爵領に愛らしい桃色の髪の聖女様がいる』と噂を聞いて、もしやと思っていました。でも、今日、ここに来るまで、本当にミラがいるのか、確信はありませんでしたわ」
思ったよりいい加減な勘を頼りに、王太子妃自らこんなところまで来たというのに呆れた。本気になればちゃんと調べられただろうに。
「私がいなかったらどうしたのよ」
呆れを滲ませた私の問いに、スカーレットはあっけらかんと答えた。
「それはそれで結構ですわ。私が王太子妃としてすることに変わりはありません」
スカーレットの言葉に、ちょっと拍子抜けした。まあ、それはそうかもしれないけれど……。
でも、優しい笑顔と共にスカーレットが続けたのは、私が思っていたこととちょっと違った。
「ミラは私にとっての象徴ですの。ミラが、この国の何処にいたって、幸せに暮らしてほしい。この国から離れていたとしても、戻って来たときや話を聞いたときに、いい国になっているんだなと思ってほしい。
自分の負う責務の重さに挫けそうな時に、ミラを思うことで、耐えられる。私にとって、ミラはそういう存在ですわ」
……はい、出た。まっすぐな正統派ヒロイン。そして、卒業して以来、会っていなかったというのに、私に向ける感情、めちゃくちゃ重いじゃない。
そう言った後、スカーレットは悪戯な表情になった。
「なんて。それはそれで本当ですけれど、ずっとミラに会いたい気持ちはありましたわ。実際にミラに再び会えて、更に、ミラから私に会いに来てくれたなんて、はしゃいでしまいますわ!」
その様は、無邪気で可愛い愛されヒロインそのものだった。迫力のある美人なのに、こういう表情も見せるから、スカーレットはずるい。
同時に、王立学院に通っていて、本来なら、乙女ゲーム開始で私がヒロインをしているはずの頃も、スカーレットを見て、こんなのを押し退けてまで、この世界でヒロインを演じてやろうなんて思わなかったことを思い出した。
スカーレットに誘われ、伯爵家の客間のベッドの上に二人で上った。ついでにクロも。クロは初めて味わうフカフカのベッドにご満悦だった。
それにしても、お泊り会みたいだ。私は前世も今世でも初めてだ。スカーレットは、スカーレットの友人達としたことがあるのだろうか。
まともにスカーレットと話すのは初めてだから、忍び込むまでしたのに、話が途切れて気まずくなってしまったりしないかなと心配したけれど、結果としては、話は尽きず、小さな声で、時にクスクスと笑いながら、二人で話をした。
「王都の皆様は元気かしら?」
「ええ。それは勿論」
「旦那、悋気深そうだったけれど、よく一人でこんな国の端まで来られたわね」
「それは、ちょっとは苦労しましたけれど……」
スカーレットはここに来るまでの顛末を思い出したのか、少し言い淀んだ後、金の髪を靡かせ、ふんぞり返って、高らかに宣言した。
「でも、ここは私の国ですわ。私が行ってはいけない場所なんて、あるはずないでしょう!」
その様子に、ヤンデレ気質が垣間見え、押しの強そうな王太子殿下が結婚相手だが、臆することなく主張することは主張して、自らの希望を通していることに安心した。
高貴な美貌のスカーレットがふんぞり返ると高慢さが目に付くはずなのに、どこかおかしく見えて、笑いが漏れた。
「卒業して以降だから、五年ぶり? 何で、そんなに変わっていないのよ」
「光栄ですわ」
「褒めてない」
その後もお喋りは続いた。クロは柔らかなベッドでもう寝ている。
「そういえば、隠身のコートとか竜とか、この世界って結構ファンタジーよね。隣国には、本物の聖女がいるらしいし。もう失脚したみたいだけど」
「噂には聞いていますわ。ミラは会われたことが?」
「ないわよ。会いたくもない。性悪なんて、キャラも被るし」
「まあ、ミラは性悪じゃないです! ツンデレじゃないですか!!」
「ツンデレじゃないわよ! 性悪よ!!」
恥ずかしいことを言い出したスカーレットに、むきになって反論した。でも、スカーレットは私を見て、ふふと笑った。
「照れてしまわれて。ほら可愛い」
スカーレットは止まらない。そんなこと言うなら、私だって言いたいことがある。
「やめなさいって言っているでしょう。心の綺麗な正統派ヒロインが!」
「なんですか、それぇっ!」
今度はスカーレットが布団を被り、悲鳴のような声を出した。
明け方になった。疲れて、眠くなっているはずなのに、話し続けてしまう。お互い、この時間を名残惜しく思っているのが分かる。でも、眠い。そう、眠い。だから、口を滑らせても仕方ない――
あくびをしたスカーレットに言った。
「味噌煎餅、美味しかったでしょう」
「ええ、それはもう! 涙が出るくらい美味しかったですわ」
その続きを言うのは少し緊張する。でも、今日こそ言うと決めていた。
「そうでしょう。渾身の作の味噌を使っているんだから。それを持ってきた。だから、叶えてほしいことがあるんだけど」
「何でしょうか?」
スカーレットが珍しそうに私を見た。それはそうだろう。同じ前世の世界の記憶を持つといっても、スカーレットが私を頼ることも、私からスカーレットを頼ることもなかった。
決心が怯まないよう、間を空けず、聞いた。
「友達になってくれない?」
「えっ……」
「学園では、何度も会いに来てくれて、ありがとう。でも、あんたの気持ちを信じられなかったし、あの時の私は何もなくて、あんたと対等ではいられなかったから……って」
スカーレットはポロポロと涙を流した。
「何を今更。友達になりたいなんて、私がこれまでずっと望んでいたことですわ。知っていたはずでしょう!」
その可能性を考えたこともあった。でも、自信がなかった。悪役令嬢とヒロインなんて、水と油だし。あんたは眩し過ぎて、私には何もなかったし。友達になりたいなんて、望むこともできなかった。
信じられないように涙を零すスカーレットは、本気で、こちらの気持ちに全く気が付いていなかったのかもしれない。こちらの気持ちに気付いていなくても、良いけどね。鈍感はヒロインの特権だし。
それにしても、私と友達になるとか、こんなことで泣けるなんて。そして、その姿だけで、これまでの人生全て報われた気持ちになるなんて。やっぱり心の綺麗な正統派ヒロインには勝てないなあ。
スカーレットをじっと見た。スカーレットの大きな瞳から流れ落ちる涙がクソ綺麗だった。
グッときて、貰い泣きしてしまいそうになったけど、続けて言われたスカーレットの言葉に、涙は引っ込んだ。
「勿論、喜んでですわ! 人に頼るのが苦手で、負けん気が強くて、一本気なツンデレヒロインさん!」
「〜〜っ! な、何なのよ、それは!!」
「『私が友達になってあげてもいいんだから!』って言ってみてくださいまし。絶対に似合いますわ!」
「似合うわけないでしょうが!!!」
しばらく小声で言い争ったが、埒も明かなかった。議論は諦め、スカーレットに言った。
「次はあんたが人払いの準備しなさいよ」
「え……」
「今度は私が会いに行ってあげるわよ」
「お待ちしておりますわ!」
夜明け前に、スカーレットに別れを告げ、アルから借りた外套を羽織り、伯爵家の客間から去った。クロはまだ眠そうに、私の腕の中にいる。
スカーレットがいる伯爵家の屋敷に背を向けながら、スカーレットに次に会う時、土産に何を持っていこうかと考えた。
醤油を土産にすれば、確実に喜ばれるだろうだけど、作り方が分からないな。甘酒なら、米と麹は手に入れることができるようになったし、お酒の作り方を学べば、何とかなるだろうか。食べ物でなくてもいいのかも。いっそ、コタツとか。いや、どうやって持ち込むのよ……――
自分で考えたことにツッコミながら、ああでもない、こうでもないと考えながら、家に向かう足取りは軽かった。そして、ふと、前世のおばあちゃんの言葉を思い出した。
『おばあちゃんは、あんたがいて幸せだよ』
『いつか、あんたにもそんな相手ができるといいね』
おばあちゃんが私に望んでいたのは、こうして、思うことで幸せになる相手ができることだったのではないだろうか。
伯爵家の中心街から国境の我が家に向かう街道の入口に来ると、アルとドラコがいた。周囲を見回し、外套を外し、姿を現してから、アルに声を掛けた。
「アル、外套を貸してくれてありがとう。出発を遅らせてしまってごめんね」
「構わない。家まで送る」
ドラコの背に乗せてもらい、家に向かって、空を飛んだ。
「心配で待っていたの?」
冗談だったけれど、アルが珍しく素直に頷いた。それに苦笑する。
「失礼するわね。外套を持ち去ったりしないわよ」
「……だから、心配しているのは、外套じゃない。」
ドラコの背に二人で乗りながら、アルが聞いた。
「この国の王太子妃殿下には会えたのか?」
アルには、王太子妃に会いに行くことを伝えていた。
「ええ」
「王太子妃とはどういう仲なんだ?」
「同級生、いいえ、違うわね。唯一無二の友人よ」
「一体、ミラはどうなっているんだ……」
意味が分からない様子のアルに、「内緒」と笑った。
アルは、拗ねたような表情を見せた後、私に聞いた。
「ミラはこれからどうするんだ?」
問われて、自分自身に意識が向いた。さて、どうしようか?
「うーん。今の仕事は気に入っていて、食堂を離れ難い気持ちもあるけれど、『聖女』の噂なんて広まっちゃったから、これまでのように働けないかもしれないわね。そうであれば、全然、違うことを始めるのもいいかもしれない」
話しながら、今日、スカーレットと再会して、一区切りついている自分に気が付いた。無意識のうちに、この国を出ると、スカーレットとの縁が完全に切れてしまうような気がしていたけれど、そんなこともないようだ。何処に誰といたって、きっと会える。だって、友達だし――
であれば、例えば、醤油や甘酒作りのために、異国に学びに行くとか。いや、クロがすごい力を持っているのだから、医療の勉強をすれば、ヒロインでなくても、この世界の役に立つことができるかもしれない――
考え込んでいると、目の前のアルが優しくこちらを見ていることに気が付いた。
「何?」
「いや、楽しそうだなと思って」
「いいでしょう」
ふふんと笑ってみせると、アルがつられたように笑った。初めて見る無防備な表情に、目を奪われた。
ひとしきり笑った後、アルが言った。
「世界を飛び回るなら、ドラコの翼が欲しくないか?」
「え……。それは、あれば有難いけれど、アルは?」
「勿論、俺も一緒だ」
アルが何を言おうとしているのか、意図が分からない。
「ええと、でも、アルには好きな人がいるのよね? その、そこまでしてもらうと誤解されるのでは――」
「誤解じゃない」
「え……」
それでは、まるで私のことが好きみたいで、混乱する。追い打ちをかけるようにアルは口を開いた。
「ミラが好きだよ。一緒にいたい」
間近に、アルの顔がある。こちらまで緊張するくらい、真剣な顔をしていた。冗談でしょうと笑えない。ゴクリと唾を飲む。
「いや、そ、そんな馬鹿な。だって、この世界を攻略したのは、悪役令嬢で、私はヒロインじゃないし……」
鼓動を早くしながら狼狽える私に、クロがニヤリと笑った。
「おいおい、何かお前の中に思い込みがあるみたいだけど、こんなルートがあってもいいやろ。これも一つのハッピーエンドだな。おめでとう」