第九話 ルシフェルの涙
「すまない。私が与えられる力は知識だけだというのに、この程度のことしか出来なくて。過度に期待させるような言い方をしたのも悪かった」
「……いえ、心臓を貫かれた人を救うんですから、条件はかなり厳しいことは初めから承知の上です。俺の魔力量と光属性の適性で二人の内どちらかでも救える可能性があると知れただけでも十分ありがたいです」
ソフィーさんは悲しげな表情で謝ったきたが、あのままだと二人とも死ぬ状態から一人は助けられるかもしれない可能性が見えてきたのだ、文句など言う訳がない。
しかし……命の選択。
ミシェルとフローラさん、どちらを助けるか。
こんなの、選べるわけがない。
俺がこの世界に転生してまだたったの二年。
ミシェルとフローラさんとの関りはそれより短い。実際に会って話している時間ともなれば、ごく僅かであろう。
でもそんなことは関係ない。俺はもうこの二人と関わってしまった。
知らない国にいる、知らない誰かが困っているのを助けようとは思わない。
どこかで戦争が起こっていても、それを止めようとは思わない。
俺はそれくらいには薄情だし、知らない人には無関心だ。
だけど。
だけど、一度関わってしまったらもう駄目だ。
関わってしまったら、もう知らないふりは出来ない。
片方を見捨てるなんて……できない。
俺は二人とも助けたい。
「ここの時間が止まっているなら、治癒魔法が一流レベルになるまでずっとここで練習することはできないんですか?」
時間が止まっているならそういうこともできるはずだ。
俺は二人を助ける為なら何年もかけてここで練習し続けることも厭わない。
「ここは肉体の入れない、魂や私たち神のような非物質しかいられない空間だ。君や私の姿は、魂で感じ取っているものをイメージで視覚化しただけのものにすぎない。練習するにも治癒させるものがないのだよ。それに、君の魔力はこっちではなく向こうに置いたままだから、そもそもここで魔法は使えない。精神世界みたいなものだしな。そして、もしここで魔法の練習ができたとしても、時が止まっている以上魔力は回復しない。だからその方法は使えない」
ソフィーさんが次々と否定意見を出してくる。
この方法では駄目なのか。
何年も練習し続ける覚悟があればなんとかできると思ったのだが……。
「ソフィーさん。二つ目の方法は何ですか?さっき魔法を一つ目の方法、と言ったってことは、最低でももう一つはあるんでしょう?」
だがまだ可能性は残っている。
二人を救う方法を探すのを俺は諦めない。
ソフィーさんのさっきの口ぶりだと、他にもまだ方法があるはずだ。
「……二つ目の方法は神術だ。だがこれは魔法より現実的ではない。少なくともあの状況下ではな」
「神術?」
神術。名前だけは聞いたことがある。
供物を捧げたり儀式を行うことによって神に力を行使してもらうこと、だったな。
ソフィーさんの祝福を使って検索してみるとさらに細かく知ることができたが、理解は大体そんな感じで合っていた。
「そう、神術だ。対価を払うか神具を用いた儀式を行うことなどによって、神に何らかの願いを実現してもらうことさ。神具っていうのは、さっき君が見たと言う契約のインクのような、神の力で染められた道具のことを言う。あのインクは秩序神の力が籠められていて、あれを用いて契約書を書いた場合その内容に違反することができなくなり、強制的に契約内容が実行される【契約】という神術が発動する。これは一例だが、神術というのはそういった形で神の権能を行使することというわけだよ」
なるほど。
ソフィーさんの祝福による検索と実際の説明を聞いて、二つ目の方法というものがどういうものかが予想できた。
「つまり二つ目の方法とは、対価を払うなり儀式を行うなりして、治癒の神や命の神の力を借りる神術を発動させることですか」
「そうだ。だが当然あの場に神具はないし、対価を用意することも難しいだろう。屋敷の中になら神具か対価となり得る物もあるだろうが、あの状況でそれを取りに行けるか、そしてその準備をするまでに二人がもつかという問題がある。同様の理由で三つ目の方法、彼女らを治せるレベルの最高級の回復薬や他の治療に使える道具を屋敷の中から取ってくるという方法も難点がある」
「そう……ですね」
どの方法も二人を助けるための積極的手段ではあるが、時間的に間に合う可能性が低い。
リンネさんの祝福による延命を行ってもどれだけの時間もつかわからないのだ、確実に助けるならもっとちゃんとした手段が欲しい。
道具を取ってくるのは時間的に厳しいが、神術の方はなんとかできないか。
そうだ……あれを使えば……。
「ソフィーさん。契約のインクを使って、治癒の神や命の神と、対価を後で払うから前借で神術を行うという【契約】はできないですか?」
そういう内容を書くだけなら時間もそんなにかからないはずだ。
必ず履行される契約なら、神様は後払いでもその権能を行使してくれるんじゃないだろうか?
「……無理だな。どうやって神に契約書を書いてもらうつもりだ?」
「あ」
そっか、契約するからには当然向こうにも書いてもらわないといけない。
神との契約は事実上不可能か……。
「紙に書く【契約】の神術は無理だが、神との契約というもの自体は存在する」
「え!それじゃあ……」
「だがそれは、今まで治癒の神や命の神と関わりなく、特に信仰するわけでもなかった君には使えない手だ。あの場にいる他の人もそうだろうな。私が最初、理由なく君に知識を与えることができなかったように、神との契約も誰とでもそう簡単にできるものではない。もし簡単にそんなことが行えるのなら、誰でも死にそうになったときには神との契約で生き延びれることになるからな。対価や神具があれば誰でもできる神術と違って、神との契約にはきちんとした資格が必要だ」
神との契約自体は存在しても、そうやすやすと結べるものではないのか……。
ソフィーさんには知識の探求、未知の開拓を行う姿勢を見せて祝福を受ける資格を貰ったが、治癒の神や命の神の場合も同じように行くとは思えない。
「今回私が君に祝福を与えたのはかなり特殊な例であって、普通はそういうふうに神の力を借りるのには信仰や実績が必要だからな」
「それはわかってますよ」
世の中では毎日人は死んでいく。
その全てが毎回神と契約して延命などしてたら大変なことになるだろう。
「だから一番可能性があるのは君の魔法なんだ。君にしか彼女らは救えないんだよ」
「ソフィーさんの見込みだと、上手くいっても片方しか救えないんでしょ?」
「……現実的に考えてそうなる可能性が高いが、一人も救えないよりマシだろう?」
「俺は両方助けたい」
まだ可能性はあるはずだ。
考える時間ならある。思いつくまでここで考え続けてもいい。
絶対諦めたくない。
二人に目の前で死なれるなんて嫌だ。
他に何か見落としはないか?
しかし、これ以上使えそうな手段が無い。
あの場にあるもので何かできないか……でも薬も無いし神術の対価になる物も無い。
閃光弾は治療には役に立たないし、【契約】の神術も神との契約には使えないから意味がない…………いや、待てよ。
「ソフィーさん、【契約】の神術は契約内容を強制化するって言いましたよね」
「ああ、言ったな。だがさっきも言ったが、【契約】で他の神の力を借りることはできないから本来の用途としてしてしか使えない。そしてあの神術には人を治療する力など無いぞ」
「ええ、ですから別の方法を考えているんですが……契約内容を強制化するって、実際どんな感じなんですか?」
「どうも何も、そのままの解釈でいいと思うが?」
「えーと、契約をした瞬間から体が勝手に動いたりするわけではないですよね?」
「ああ、契約を実行するのに余裕がある間は強制化は起こらない。逆に言えば、契約をした瞬間から動き始めてギリギリ達成できるかどうかという内容だった場合は初めから強制化が起こる」
「やるのには三日かかるけど期限は十日後っていう仕事をする【契約】したとして、七日目まで何もしなかったとしても強制化は起こらなくて、これ以上サボると確実に履行されないってときになって初めて強制化が起こるってことでいい?」
「ああ、そうだな」
これは一応予想通り。
契約を明らかに違反する、あるいはこのままだと契約が実行されないってなると強制化が起こる。
そうじゃないと【契約】をした瞬間からその内容を履行することだけを最優先で行い、他のことができなくなる融通の利かない神術になるからな。
「じゃあさ、その強制力の強さってどのくらいなの?契約内容を必ず履行させるって言うけど、結局できなかった例とかは無いの?」
「できなかった例はあるぞ。例えば【契約】中に死んだ場合は強制のしようがないし、元々無理のある【契約】内容だった場合もどうしようもないな。だから、論理的に不可能な【契約】はできないようになっている。強制力は絶対ではない。できないことは強制できない」
「できることは強制できるんですね?」
「?……それは当たり前だろう?しかし、好奇心があるのはいいが、【契約】の神術についてばかり聞いてどうするんだ?」
「多分次の質問でわかると思います」
【契約】の力がどれ程なのか。
次の質問の答え次第で一つの可能性が見えてくる。
今のやり取りがただの無意味な問答になるかもしれない、賭けの要素も強いが……。
「俺、前世では50メートル走るの最速で6秒8くらいだったんですよ。高校のときですけど。その当時の俺が50メートル先まで1秒で走るって【契約】したらどうなります?」
「……当然無理だな。物理的に不可能だ」
「じゃあ6秒8なら?」
「確実にできるな」
「じゃあ6秒4とかなら?」
「それは…………あああぁ!!!!!」
俺の質問に答えようとしたソフィーさんが、いきなり大声を上げた。
この反応、どうやら俺は賭けに勝ったようだ。
「【契約】の強制力の強さは、理論上可能な範囲まで実行させる、でいいですね?」
「あぁ!叡智神たるこの私が!気付かなかったなんて!」
「えっ、ちょっと、いきなりどうしたんですか?なんで叡智神はこうなっているんですか?ルシフェルさん」
俺は一応確認するために質問してみたのだが、なんだこれは。いきなりソフィーさんがおかしくなったぞ。
この状況を俺に聞かれても困るぜ、リンネさん。
多分、叡智の神を名乗っているにもかかわらず、さっきいくつか方法を挙げたときにこの方法を思いつかなかったのが悔しいんだろうけど……。
「50メートルを6秒4で走る【契約】は履行される!0.4秒は大きな差ではあるが、体を最適な動きで動かし全ての筋肉を最大限働かすことができれば縮められなくはないからな!脳のリミッターを解除するだとかゾーンだとかもある。要するに、本気の全力でやれば理論上可能という程度のことならば、強制して実行させることができる!」
ソフィーさんが興奮したように語っている。
まさにそれ。俺が思いついた四つ目の方法……いや、一つ目の方法を100%にする方法。
【ミシェルとフローラさんを助ける】という【契約】。
俺の魔力量は理論上は二人を助けるのに足りている。
そして、魔力は慣れとコツを掴む程度のことでロスを抑えて変換できようになる。
口で言うよりは遥かに難しいが、絶対にできないわけではない。
どうやっても不可能というわけじゃないなら、それができることであるならば、【契約】通りに実行させ、みすみす違反などさせない。これはそういう神術。
「契約内容を必ず履行させる為の神術を、自分の潜在能力の全てを引き出すのに使うなんて……」
正直そこまで自信はなかった。
強制力がもっと弱くて、普通にいつもやっている程度でしか実行されない可能性もあった。
でも、神の力によって確実にそれを履行させるというのなら、限界まで強制されてもおかしくないと思ったのだ。
「【契約】をすれば、今の俺でも治癒魔法の精度が限界まで伸びる。【契約】の神術に必要なのは、あのインクを使ってその内容を書くことだけなんですよね?」
「ああ、そうだ。ついでに言えば、契約内容は一方が何かをするだけで、交換条件になってなくてもいい。相手の署名は必要になるが……それは誰が相手でも問題ないだろう。ああそれと、インクを使って書くのは別に紙じゃなくてもいいが、あの道具箱に紙も一緒に入っていた。【契約】として正式に神術を発動させるならその紙にでも【ルシフェルはミシェルとフローラを助ける】と書いて自分の署名をし、契約相手にも署名してもらえ。これくらいは書けるだろう?」
「はい」
ソフィーさんが言った【契約】内容が主語、述語、目的語を入れたうえで最も短い。
これくらいなら俺でも書けるし、書くのに時間もかからない。
さらに彼女は続ける。
「【契約】内容は秩序神が解釈することになるが、彼女は安寧を重んじる性格だから恣意的な解釈はせず、ちゃんと両者が思い描いているような形で【契約】を行う。だから、最低限の文章でも今回みたいにその意味が明らかな場合はきちんと発動するから安心していい」
それはよかった。
もし【契約】をするのに何条にもわたって細かな部分まできっちり明確にしないといけないなら、とても時間的に間に合わないからな。
「つまり……向こうに戻って俺がすべきことは、まずバドルさんが持ってるインクと紙を貰い誰かと【契約】し、リンネさんの祝福の力で二人の魂を体に留めて延命して、治癒魔法で治すということですね?」
「いえ、ルシフェルさん。魔法と違って私の祝福の力に距離は関係ありません。ですから、私の祝福の力の方を最初に使ってください。祝福の力は使おうと意識するだけで発動しますが、イメージしづらいなら【鎮魂】と心の中で唱えるだけでもいいですよ」
「そうなんですか?じゃあ最初に祝福の力を使います」
リンネさんの説明に合わせて行動方針を修正する。
【鎮魂】と唱えるだけなら一瞬で終わるだろう。
「問題は彼らが簡単に神具のインクや紙をくれて【契約】をしてくれるかということと、治癒魔法を行うには君が彼女らのいる所まで行かないといけないが、君が治癒魔法を使っている間あの魔人が攻撃してこないかということだが……」
ああ、確かにそういう問題もあるな。
二人を助けることだけ考えていたが、ソフィーさんの言う通り、普通は子供に神具を与えたり【契約】をしたりしないよな。
俺が二人に近づいたら、あの赤髪の魔人がまた攻撃してくる可能性もある。
助ける手段は見つけたが、依然厳しいのは変わりないか?
「私の名前を出せば【契約】はスムーズに行くと思う。祝福を受けてない者にはその名前は聞き取れないが、神の名前を言っていることだけは伝わるからな。『叡智神ソフィー様が私に授けた、二人を救う唯一の方法なんです』とでも言えば、言う通りにしてくれるはずだ」
おお!そんな方法があったとは。
俺が叡智神の祝福を受けていることがこんな形でも役に立つとは、思ってもみなかった。
「光属性には守護魔法という魔法がある。障壁を作り出す魔法だ。それを使えば数回はあの魔人の攻撃も防げると思うが、治癒魔法をするのにも魔力が必要だから何度も使っていい手ではない。だがまあ、護衛と君の母親も応戦しているし、向こうもこれ以上は余計に魔力を使いたくないだろうから、魔人の魔法はもう飛んでこないと思う。それにもし来ても、鬼人族の護衛もある程度守ってくれるはずだ。だからそっちも大丈夫だろう」
守護魔法、障壁を出す魔法か。
光属性だから【契約】の強制力があれば治癒魔法と同様に発動は可能なはずだ。
母さんたちがいるからそう連続では魔法は飛んでこないだろうし、万が一飛んできたとしてもソフィーさんの口ぶりからして一、二度なら治癒魔法が使えなくなる程の致命的な消費にはならないはず。
これなら赤髪の魔人の攻撃の方もなんとかなりそうだ。
「ちなみに、魔法を発動させるのに名前を言う必要はないが、イメージがしやすいように大抵の魔法には名前がついている。今回使う治癒魔法は【治癒】で、守護魔法の障壁の方は【守護盾】。一応頭に入れておけ」
「わかりました」
魔法の名前ってやっぱり言わなくてもよかったのね。
まあイメージしやすいってのはわかるけど。
「これで二人を助けられますよね?」
「ああ、正直私は無理だと思っていたんだがな」
「私は感動しました!諦めずにこんな方法を思いつくなんて、ルシフェルさんは凄いです!絶対に上手く行きますよ!」
「いえ、リンネさんとソフィーさんのおかげですよ」
リンネさんがいなかったら、そもそもここでこうして考える時間も無かった。
ソフィーさんがいなかったら、俺は何も思いつかないまま途方に暮れるしかなかっただろう。
「謙遜するな。これは誰にでもできたようなことじゃない」
「あとは実行するだけです。応援してますよ」
「ありがとうございます」
改めて二人に感謝を述べる。
「では、もう魂を体に戻しますよ。視界が切り替わるので気を付けてください」
「わかりました」
リンネさんに言われた通り、視界の切り替えに備える。
「「いってらっしゃい」」
「……いってきます」
命を救いに。
「フローラ!ミシェル!」
「フローラ様!ミシェルお嬢様!」
意識が肉体に戻ってくると、視線の先の二人は俺が最後に見たときと全く同じ姿をしていた。
周りの人が二人の名前を叫んでいるが、俺は直ちに行動する。
──【鎮魂】
そう念じるのと同時に、ミシェルとフローラさんの心臓部近くを淡い青色の魔力が覆う。
それを確認した瞬間、俺は今度はバドルさんの方に向き直り、その手から契約のインクが入っている道具箱を奪い取る。
「っ!な、何を……」
「叡智神ソフィー様から二人を救う方法を教えられました。僕を信じてください」
今は一秒でも時間が惜しい。
道具箱を開きながらバドルさんに事情を説明する。
「そんなこと……いや、今のは神名!?本当に叡智神様のお知恵をいただけたのですか!?」
「なっ!叡智神様だと!?」
ソフィーさんに言われた通りにその名前を出すと、以前の俺のように■■■■というふうに聞こえたのだろう。周りがざわつく。
その間も俺の手は動いており、紙とインクを使って既に文字を書き始めている。
「ええ、ですから皆さんはここから飛び出さないでください。二人は私が助けます」
フローラさんの旦那さんや侍女のサイラさんが今にも飛び出しそうにしていたが、防御手段もなくここから離れて赤髪の魔人の魔法を受けたら事態はさらに悪化するため、ここにいるよう釘を刺す。
「鬼人の護衛さん、僕は今から向こうに行きますが、守ることは可能ですか?」
「……俺はここにいるまともに動けない奴らも守らないといけないからボウズについて行って守ることはできないが、飛んでくる岩くらいは全部撃ち落としてやる。だが、炎は守り切れないぞ」
「十分です」
ならば岩はこの人に任せて、炎が来たら守護魔法を使おう。
「バドルさん、署名をお願いします。今すぐです」
数秒で書き上げた契約書に、一番近くにいたバドルさんの署名を求める。内容はもちろんソフィーさんの言ってたことをそのまま書いてある。
時間が無いことは彼もわかっているようで、俺の書いた内容をよく見ることすらせずにすぐ名前を書き込む。神の名前のおかげで全面的に信用されているらしい。
そして彼が名前を書き終えた次の瞬間、紙に書いてある文字が光り出す。
気付いたら走り出していた。
俺の体が勝手に動いている。
これが強制化か!
ミシェルとフローラさんがいる所に向けて走りながらそれを自覚する。
一刻を争うこの状態であれば、違反をさせないためには最初から強制化が起こって当然である。それが狙いだったわけだし。
だが、思っていたよりきつい。
体が軋む程の力が限界まで引き出されている。
こりゃ【契約】が切れた後は筋肉痛で動けないかも……。
視界の隅にとらえた映像では、赤髪の魔人と母さんたちはまだ交戦している。
よかった。これならしばらく魔法は飛んでこない。
そのまま一度も攻撃を受けることなくミシェルとフローラさんのもとへたどり着く。
フローラさんがミシェルを抱くような体勢で倒れており、二人の体の心臓部近くには直径が10センチ以上ありそうな鋭く尖った岩が刺さっている。
これがもっと塊状に近ければ貫通することもなく、ミシェルの方は無事だったかもしれないのに……。
ただ、不幸中の幸いというか、岩は完全に貫通しておらず刺さった状態だったため、胸のど真ん中に穴が空いているという割には溢れるほどの出血は無かった。それでもかなりの量ではあるが。
それと当然というべきか、二人に意識は無いようだ。
一瞬で二人の状態を把握した後、俺はすぐさま魔法に取りかかろうとした。
が、岩が刺さったままでは当然治療ができない。
──【破壊】
その岩を体から抜くために、俺はまず母さんが使っていた闇属性と思われる黒い球体の魔法の縮小版を岩の二人の体の間にある部分にだけ使い、フローラさんに刺さった部分とミシェルに刺さった部分に真っ二つにした。
予定には無かった行動であったが、俺にはそれこそが最適な方法であるという確信とそれができるという自信があり、体が自然とそう動く。
──強制化の影響か。
体を貫く岩で繋がっていた二人は、それが切断されたことによって離れる。
そして俺は、二人の内体の小さいミシェルの方から先に治療すべきだと判断。
ミシェルの胸から岩を一瞬で引き抜く。
二歳児の力であるにもかかわらずそれはあっさりと抜けた。どうも魔力によるアシストを若干受けているようだ。これも魔法なのだろうか。
そんなことを考えている間にも勝手に俺の体は動き、一瞬で噴出する血を抑えるようにミシェルの空いた胸に手を当て、
──【治癒】
ソフィーさんの言っていた治癒魔法を発動させた。
ミシェルが完治している姿がはっきりとしたビジョンとして頭に浮かぶ。
体中に巡る魔力が淀みなく流れるように手のひらに集まり、それがほとんど無駄なくほぼ完璧に変換されているのがわかる。
頭は過去最高に冴えていて、ゾーンのような集中力が途切れることなく続いている。
凄い。
さっきの魔法は一瞬だったから実感を伴っていなかったが、大量の魔力を使って治癒魔法を行うことで、理論上の最高精度に限りなく近いレベルの魔法を扱う技術の凄さというのが理解される。
それでも流石に一瞬で元通り、とはいかなかったものの、ミシェルの体から溢れ出していた血はすぐに止まっていき、胸の傷口も徐々に塞がっていく。
数秒間そうして治癒魔法を続けていると、胸に空いていた穴は完全に塞がった。
しかし、それほどの事象を起こすのにはやはりかなりの魔力が必要だったようで、俺の体内にあった魔力は大量に消費されていた。
フローラさんも同じように完治させるだけの魔力は確実に残っているのはわかるが、あと二、三人この二人と同じような即死レベルの人がいたら確実に魔力は足りてなかっただろう。
岩を引き抜いてわずか数秒の素早い処置であったにもかかわらず、ミシェルの体からは大量の血が流れていた。
……こりゃあ、岩を二つに分けて片方ずつ治す方法にして正解だったな。
今の俺にできる理論上の最高値でも一瞬で治すのは無理だったんだ、二人の体から同時に岩を抜いて同時に治癒魔法をかける方法をとってたら普通に考えて治る時間は二倍だから、出血で死んでたかもしれん。
リンネさんの祝福の力があるから通常の致死量よりは長く持っただろうが、負担にもなっただろうし、無駄な危険は冒したくないよな。
強制化によって勝手に行われた選択ではあったが、あの一瞬の間で俺の持つ知識から無意識にそう判断したのだろう。
ミシェルが完治したのを確認した後、俺はすぐにフローラさんの治療に取り掛かる。
体に刺さった岩を一瞬で引き抜き、治癒魔法をかける。
体の大きさから相対的に考えるとミシェルの方が重傷だったが、単に胸に空いている穴の大きさで言えばフローラさんの方が酷かった。
が、それも俺の魔法によって数秒かけて元通りに治っていく。
二人の意識はまだ当然戻っていないが、呼吸に合わせるようにして胸が上下していることからちゃんと生きていることがわかる。
あんな目に遭ったにもかかわらず、ミシェルとフローラさんの顔には安らかな表情が浮かんでいた。
「……あれ?」
そんな二人を見ているうちに、気付いたら俺は泣いていた。
悲しいわけではない。
でも何故だか俺の両目からはボロボロと涙が溢れ出してくる。
前世の最期では、殺されそうだった親子の内、子供の方しか救えなかった。
それを知って以降、俺の心の隅に密かに存在し続けていた闇。
結局俺には、目の前にいるたった二人の人間を救うことすら満足にできないんだという無力感が消えていく。
そっか。
俺、今度はちゃんと助けられたんだ。
今度はちゃんと、俺の手の届く範囲にいた人を救えたんだ。
一度溢れ出した涙は自分では止められなかった。
二人を助けられたことが、ただただ嬉しかった。
「ふ、二人は、無事、ぐすっ、た、助かりましたぁ!」
縋るような表情でこちらを見ていたバルバロン家の人たちに二人の無事を伝えると、それを聞いた皆の表情が歓喜に包まれる。
俺がやったんだ。
俺が、この光景を……。
『ルシフェルさんは無力なんかではありません。あの日、目の前にいた親子の内の片方を助けられなかったことを本気で悔やんだあなただから、今の光景があるのです。私はそれを知っています』
『神である私が諦めたにもかかわらず、君は諦めなかった。この結果は君自身が掴み取ったものだよ』
ここにはいないはずの二人の声が聞こえた。
……ありがとう、リンネさん、ソフィーさん。
【契約】の強制力の強さを利用して無理やり力を引き出す方法は普通誰かが思いついているんじゃないかという疑問もあると思いますが、神具は量産が可能なものではなく本当に重要な取引でしか使われないこと、神の力に逆らえると思うものはいないためにほとんどの人が余裕をもって【契約】を履行すること、そもそも無茶だと思われる【契約】をやろうとは誰も思わないこともあり、強制化が起こること自体が稀です。
神が関わってくることになると人は理解を放棄しがちになる傾向もありますし。なんとなくでしか把握してないわけです。
それと、叡智神は何でも知っているわけではありません。未だ誰も試していないことや人の心といったことはわかりません。
現在の、あるいはこれまでの信者たちの知識の集合体みたいな感じです。人の(神の)形をした本、的な。
【破壊】の魔法は母親が使っていた【破壊球】を参考にルシフェルが即興のイメージで考えたものですが、ほぼ同じ魔法が同じ名前で存在します。名前は偶然の一致ですが、そのままの名前なのである意味必然の一致でもありますね。




