19.花嫁衣装
冬。
まだ初雪こそ降っていないものの、朝の吐息は白く、街路樹もすっかり葉を落としていた。
仕立て屋『チャイコフスキー』では、暖炉の火が朝から絶え間なく燃えている。
作業場の中央。
アンナは一着の純白のドレスと向き合っていた。
何枚もの型紙。繊細なレース。真珠色の糸。
一針、一針。息を合わせるように縫い進めていく。
「焦るな。」
親方が静かに声を掛けた。
「花嫁衣装は、着る人の人生を縫う仕事だ。」
「はい。」
アンナは小さく頷く。
このような大仕事は、本来は親方自らが仕立ててもおかしくない。
それほど大切な依頼だった。
それでも親方は言ってくれた。
「今回は、お前に任せる。」
その言葉が、今も胸の支えになっている。
−−−−−−−−−−−−−
数日前。
ロットバルト邸を訪れ、オディールの花嫁衣装の採寸が行われた。
店主と女将が付き添い、採寸は和やかに進んだ。
「少し腕を上げていただけますか。」
「このくらいでしょうか。」
「ありがとうございます。」
柔らかな物腰。丁寧な言葉遣い。
噂どおりの美しい令嬢だったが、少し親しみを覚える顔立ちだとも思った。
隣には婚約者であるジークフリートも立っている。
アンナは視線を合わせないよう、採寸の記録だけに集中していた。
それなのに。
(……気のせいかな。)
何度か視線を感じた。
振り向くたび、ジークフリートはこちらを見ているような気がした。
(自意識過剰ね。)
心の中で苦笑する。
今の自分は、ただの仕立て屋だ。
ほんの数度、お相手を務めただけのお客様だ。
自分を気に掛ける理由などない。
そう思うことにした。
−−−−−−−−−−−−−
作業へ意識を戻す。
裾へ流れる刺繍。胸元の細かな飾り。
腰の曲線が美しく見えるよう、生地の張り具合を何度も調整する。
白鳥の羽根のように軽やかで。
けれど冬の空気にも負けない凛とした気品を宿す一着。
親方は黙って見守るだけだった。
余計な口出しはしない。
任せると決めたからだ。
時間だけが静かに過ぎていく。
−−−−−−−−−−−−−
数日後。
最後の一針を縫い終え、アンナはゆっくりと針を置いた。
ドレスをトルソーに着せ、布で覆い隠す。
「……できました。」
親方が立ち上がる。
女将も弟子たちも集まってきた。
小さく息を吸う。
布を外した。
純白のドレスが姿を現す。
暖炉の火を受け、幾重にも重なる布地が静かに輝いていた。
幾重もの鋭い職人の視線が集まる。
最初に口を開いたのは親方だった。
「……見事だ。」
短い一言だった。
だが、それ以上の褒め言葉はなかった。
女将は目を潤ませる。
「本当に綺麗……。」
マイヤが目を輝かせる。
「お姫様みたい!」
スヴェトラーナは縫い目を覗き込み、感心したように頷いた。
「ここまで細かく合わせたんですね。」
ウリヤーナは思わず拍手する。
「これなら絶対に喜んでもらえます!」
アンナは照れくさそうに笑った。
「みんなに認めて貰えてほっとしました。」
親方は腕を組む。
「謙遜するな。」
静かにドレスへ目を向ける。
「これで、俺が任せた理由も分かっただろ。」
アンナは胸の奥が温かくなるのを感じた。
自分の技術が認められた。
仕立て屋になって、初めて心からそう思えた瞬間だった。
しかし、その胸の片隅には、小さな不安が今も残っている。
(どうか……。心から喜んでいただけますように。)
その願いを込めながら、アンナは純白のドレスをそっと撫でた。




