第23話:王命
王宮の空気は、重かった。
通されたのは、謁見の間ではない。
王家の者と、ごく限られた重臣のみが入ることを許された部屋。
飾り気は少なく、ただ静かに張り詰めている。
そこにいるのは――王と、数名の側近。
そして、公爵である父と。
……私。
「よく来てくれた、シャルロット嬢」
王の声は、落ち着いていた。
だが、その奥にある疲労は隠しきれていない。
「陛下の呼び掛けとあらば」
私は淀みなく礼を取る。
視線は下げたまま。
それ以上も、それ以下もない。
王は短く頷いた。
「単刀直入に申す」
間は、なかった。
「此度の戦、我が国は敗北した」
言葉が、静かに落ちる。
予想していなかった訳ではない。
それでも――確定した事実として突きつけられると、空気が変わる。
「第一王子は捕らえられている」
続く言葉。
重さが増す。
「敵国は、身柄の引き渡しと引き換えに条件を提示してきた」
私は顔を上げない。
だが、耳はすべてを捉えている。
「王女を一人、差し出せ、と」
静寂。
衣擦れの音すらしない。
誰も、すぐには言葉を発しない。
何より、この国に王女はいない。
それは、ここにいる全員が知っている事実。
「……そこで」
王の声が、わずかに低くなる。
「公爵家の令嬢、シャルロット嬢」
名を呼ばれる。
ゆっくりと顔を上げる。
「そなたを、王女の代わりとして差し出したい」
真っ直ぐな視線だった。
逃げも、濁しもない。
決定事項であることを示す声音。
室内の空気が、さらに重く沈む。
お父様は、何も言わない。
言えないのか、言わないのか。
……どちらでも同じこと。
私は、静かに息を吸う。
――そういうことでしたのね。
頭の中で、すべてが繋がる。
戦争。
敗北。
王子。
そして――王国で姫と言える立場の私。
ほんのわずかに、思考が巡る。
拒否は可能か。
……不可能。
公爵家としても、王家としても。
ここで私が首を振るという選択肢は存在しない。
ならば。
どうするべきか。
結論は、すぐに出た。
「……承知いたしました」
静かに告げる。
その一言で、場の空気がわずかに揺れた。
予想よりも早い返答だったのだろう。
だが、私は続ける。
「ただし」
顔を上げたまま、王を見据える。
初めて、視線を真正面から合わせた。
「一つ、条件がございます」
側近の一人が、わずかに眉を動かす。
当然の反応。
だが、私は止まらない。
「申してみよ」
王の声。
試すような響き。
私は、わずかに口元を緩めた。
――試験の時間ですわね。
「私はこれまで、婚約者を選ぶための試験を行ってまいりました」
静かに、言葉を紡ぐ。
「相手が誰であろうと、それは変わりません」
室内の空気が、明確に揺れる。
「敵国の王族であろうと」
誰かが息を呑む音がした。
「例外とはいたしません」
それが国を滅ぼす選択であっても。
理解が追いつかない者もいる。
だが、王は違った。
その目が、わずかに細くなる。
「……続けよ」
「私が向かう以上、形式は婚姻となるのでしょう」
事実を並べる。
「であれば、その相手が――」
言葉を区切る。
ほんの一瞬。
けれど、確かに。
「相応しいかどうか」
視線を逸らさず、言い切る。
「見極める必要がございます」
誰も、口を挟まない。
「不適と判断した場合」
静かに、続ける。
「私は、応じません」
それは、明確な拒絶の意思だった。
王の側近が、息を呑む中で王と宰相だけは私を見据える。
王に代わり、宰相が口を開いた。
「……それは、王命に背くということか」
低い声。
圧を含んでいる。
だが――
「いいえ」
私は、首を横に振る。
「王命には従います」
その上で。
「“相応しい相手と婚姻する”という形で」
静かに、言い切る。
理屈は通っている。
完全ではないが、崩せない。
王はしばらく、私を見ていた。
沈黙が落ちる。
重く、長い。
やがて――
「……よかろう」
その一言で、すべてが決まった。
「そなたの条件を認める」
宰相が何か言いかける。
だが王は手で制した。
「ただし」
王の視線が、鋭くなる。
「それが通用するかは、相手次第だ」
「承知しております」
私は一礼する。
十分だった。
これで――
私は、ただ差し出されるだけの存在ではなくなった。
役割は同じ。
だが、立場が違う。
――選ぶ側。
ほんのわずかに。
それだけで、世界は変わる。
「準備を進めよ」
王の声が、部屋に響く。
会話は終わった。
私はもう一度、礼を取る。
顔を上げることなく、踵を返す。
扉へ向かう。
その途中。
ふと、手がわずかに動いた。
何かを掴もうとして――
止まる。
……そうでしたわね。
私は、そのまま歩き続ける。
振り返らずに。
王宮の外へと向かう。
その先にあるものが何であれ。
もう、立ち止まる理由はなかった。




