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女神(アイドル)たち舞い歌いて、邪を祓う  作者: 暇崎ルア
第5章 眠れる金は、輝きを秘め

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美亜 カフェにて

 カウンターで注文したホットティーのトレーを手に席を探していると、一人掛けの席を見つけた。

 アイドルとはいえ、休憩は必要だ。ライブを一週間前に控えたその日、美亜は歌唱レッスンの帰りにカフェへ寄っていた。

 カフェ店内の席は混んでいたが、外のテラス席は空いている。

 店の裏口から少し離れた席に腰をかけたとき、隣の席から何かがこちらに向かって落ちるのが見えた。それは一本のスプーンだった。

 かがんで「どうぞ」と渡す。


「あー、えらいすみません。ありがとうございます」


 有名な洋ロックバンドのロゴがついた長袖Tシャツを着たその男性は、関西訛りで美亜に礼を言った。話はそれで終わるかと思ったが、そうはならなかった。


「——すみません、つかぬことを聞くんですけどもしかして『ばんかみ』の金剛寺美亜さんちゃいます?」


 男性は少しだけ声のトーンを落としながらも、朗らかに続けた。


「あっ、はい、そうです。ご存じなんですか?」

「知ってはりますよ、有名やないですか。僕の奥さんもファンやし——こういうの迷惑ですかね、サインとかいただけます? ……ええと、これに」


 そういうと男性は足元に置いていたショルダーバッグから手帳とペンを取り出した。


「はい、喜んで!」


 開かれた手帳のノートのページにサインを書く。アイドルになってからサインを求められるのは初めてであり、心が躍った。


「……ありがとうございます。一生大切にしますね」


 そうはにかむように笑った男性の顔は、美亜には見覚えがあった。

 ——見たことあるな、この人。

 どこで見たことがあるのかはわからないが、頭を巡らせる。


「——あの、私こそ変なこと聞くんですけど、『ホワイトチーズ』っていうバンドの方じゃないですか? すみません、人違いだったら」


 ためらいがちに言うと、男性はぎくりと顔をこわばらせた。


「……知っとるんですか、僕のこと」

「母の部屋に『ホワイトチーズ』のメンバーの方全員が写ってるポスターがあったんです。その中にいた男性と似てるなあ、と思って……」


 美亜の目の前にいる男性は少々年を取っていて髪も黒いが、少し若くして髪の色を金髪にすればあとは同じ顔だった。


「なるほどなあ、お母さんの影響ですか。それなら納得やわ」

「だけど、それぐらいしか知らなくて——あっ、あと高天原さんと同じバンドでしたよね?」


 何を隠そう「ばんかみ」のプロデューサー、高天原光明がギターとして所属していたバンドだ。


「そうですねえ——あいつとは古い仲ですけど、まさかアイドルプロデューサー始めるとは思いませんでしたわ」


 高天原の名前を出すと、蛭川は照れたように苦笑した。


「すみません、それぐらいしか知らなくて」

「ええんですよ、もう何年も前に解散したバンドですし——いやあ、それにしても時が経つのは早いですねえ」


 目を細めて苦笑する蛭川。


「あの、私の方こそサインとかいただいてもいいですか?」

「ははっ、ええですよ——僕みたいなおっさんので良ければ」


 蛭川のサインは、テーブルの上にあった紙ナプキンへと書いてもらった。


「ありがとうございます! 母に見せますね!」


 特別なものになった紙ナプキンを美亜が、カバンの中のクリアファイルに入れたときだった。


「おい、何やってんだあんた!」


 店の外である路上から、数名分の悲鳴が上がるのが聞こえた。

 ——何だろう?

 声のした方を見ると、人と人の争う声が聞こえる。


「急に何するんですか、離してっ」


 男女数人が遠巻きにしてざわついている向こうには、争う人影があった。


「うるさいっ! どいつもこいつも俺のこと出来損ないっていう目で見やがってっ!」


 年は美亜ぐらい、二十代だろうか。リュックサックを背負った青年が、サラリーマンと思しき男性につかみかかっている。瞼に隈ができたその目は、どんよりと濁っていた。どうやら喧嘩らしいが、聞こえてくる罵声と人々の悲鳴を聞いていると身がすくむ。


「ちょっと、何ですか急に! やめてくださいよっ」


 掴みかかられているサラリーマンは顔を引きつらせながら、青年を剥がそうともがいていた。足元には彼が持っていたと思われるカバンが無造作に落ちている。


「離せっ、離せよっ」


 男性に掴みかかっていた青年は、勇気ある二人の通行人にとうとう引きはがされたが、じたばたと暴れ続けている。

 ——警察呼ばないと。

 美亜が震える手で携帯を取り出したときだった。


「……あかんな。ありゃ、ついとるわ」


 自分の席から騒ぎを諦観していた蛭川がすっくと立ち上がった。


「えっ?」

「ちょっと行ってきます。ここでおとなしくしといた方がええで」

「あの、ちょっと……」


 危ないですよ! と美亜が止める間もなく、蛭川は騒ぎの中心地へとずんずん近づいていく。

 案の情というべきか、騒ぎを遠まわしで見ている野次馬の中には、蛭川に怪訝な視線を投げかける者もいた。


「すみませんね、失礼しますよ」


 それに構わず、蛭川は暴れる青年の前に立ちはだかる。


「何だよ、お前はっ」


 蛭川も襲われてしまうのではと、目を瞑りたくなる。

 次の瞬間、蛭川の手が素早く動き、ポケットの中から何かを取り出した。

 美亜の目には暴れている暗い目の青年に向かって、彼が白い何かを振りかけるのが見えた。


「あっ……」


 白いものをかけられた青年は一瞬目を見開いたかと思うと、ぴたりと動きを止めた。


「もう大丈夫やと思いますけど、気分はどうです?」


 蛭川は特に驚くことなく、のんびりと青年に話しかけている。


「……大丈夫です。あの、僕、何してました?」


 嘘のようにおとなしくなった青年の口からは、そんな言葉が聞こえた。そして申し訳なさそうな顔で辺りを見回す。

 それから蛭川と青年が言葉を交わしたり、暴れていた青年が掴みかかられていたサラリーマンに謝罪し始めるのを美亜はよくわからない気分で見ていた。


「いやはや、飛んだ事態に出会ってしもうたね」

「……今、何したんですか」


 何食わぬ顔で戻ってきた蛭川に、そう問いただすしかなかった。

 カップを置いた蛭川は片眉を上げ、言った。


「いやね、ちょっとした悪霊退治です——これを使ってね」


 蛭川は右手で白い包みを美亜に差し出した。


「まだ少し中身が残ってるかと思いますが」


 白い包みを開くと、白くつぶつぶとしたものがいくつか入っている。


「何かわかります? 塩です」

「塩?」

「塩っちゅーもんには、悪いもの祓う力がありますからな。昔から言われとることですよ」

「もしかして、あの男性には悪い霊が憑いていたってことですか?」


 騒ぎのあった歩道を見る。

 少し前まで怒号が聞こえていた先では、すっかり正気を取り戻した様子の青年がサラリーマンに向かって何度も頭を下げていた。


「それほど強いもんやなかったから、あっさり離れてくれましたわ。不幸中の幸いっちゅーやつやね」


 涼しい声で言った蛭川は、カップの中のコーヒーを一気に飲み干した。


「それは何ですか?」


 カップを持っていない蛭川の片方の手の中に、何かが握られているのを見つける。

 気づいた蛭川が「ああ、これか」と手を広げる。


「さっきの若い人のズボンの中から、ポロリと落ちたんです」


 彼が手にしているのは、さっきの包みよりも少し大きい錠剤を入れるようなブリスターパックだ。二錠並んだカプセル型のプラスチックのケースがついているが、いずれも中身はない。


「えっ、それって返さなくてよかったんですか?」

「ええんやないですか、肝心の中身ないですし——まっ、マネはしないでほしいですけどね」


 あっけらかんとする蛭川。


「……それ、何の薬なんでしょうか?」

「さあね、薬剤師でない僕にはわかりまへん」


 蛭川は、大事そうに空のパックをカバンにしまった。


「僕はそろそろ失礼しますわ、騒ぎに巻き込まれても面倒なんで——アイドル活動頑張ってくださいね、ひっそり応援しとりますわ」


 未だ呆然としている美亜を置いて、荷物を手早くまとめた蛭川は颯爽とカフェテラスから去って行った。

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