櫛川明 業務開始
第3章、2話。
アルバイトに合格した櫛川ですが、業務内容の様子がおかしく……?
「あっ、はい。ありがとうございます」
現実感がなく、間抜けな返事しかできなかった。
「可能であれば、明日から業務をお願いしたいのですがいかがでしょうか?」
「……大丈夫です。よろしくお願いします」
オレが幽霊を見たことがないから採用になったのか? そのことを聞くのは憚られた。どちらにせよ考える必要はないだろう。
戸倉——もとい雇用元であるベンチャー企業(名前は忘れた)が指定した勤務先は、意外にもA市内の小さな民家だった。
面接会場はA市外であったが、勤務先は地元であることに心の中でガッツポーズをする。
「ここは社長が購入した中古の一戸建てでして、我が社の事業のために使用することになったのです」
聞かれてもいないのに、オレに民家の案内をする戸倉は自慢げにそう語った。
家全体を見て回る。二階に部屋が三つあり、一階にトイレや風呂などの水回り、リビングがあるというありふれた間取りだ。
基本的に二階の部屋は使わないという説明を聞かされたのち、一階のリビングに入る。部屋の中央には、テーブルと椅子が二脚置かれている。
「本業務開始の前に、毎回必ず行ってほしいことがあるのですが」
部屋の奥を手で示した戸倉が説明を始める。
「この部屋の冷蔵庫の中に茶色い水の入った土のペットボトルが保管してあります。それから、そのそばのキッチンシンクにフタのついた陶製の容器がありますので、それにボトルの中身を入れて八足に置いてください」
「……はあ」
——宗教染みてきたな。
そう思わざるを得なかった。
戸倉が示した先、テーブルの奥にそれは置かれていた。一見したときは足置きかと思ったが、そんなものではなかった。
神棚だ。子供の頃の夏休み、今は亡き父方の祖父母の家で見たことがある。
祖父母の部屋の天井近くに置かれていた神棚と似たようなものが、リビングの床に置かれている。神棚の前にはお供え物を置く小さいテーブル——八足がぽつんと置いてある。
——何だ、この部屋。
じとっとした目を戸倉に向けてしまっていたのか、オレの考えに勘づいた戸倉が片眉を上げ、話し出す。
「今から行っていただくことが必要なのかお考えになっているかもしれませんね。とても必要なことなのです——いわば、業務を円滑に進めるための縁担ぎやおまじないと言ってもいい」
戸倉は「アスリートも試合前には縁担ぎなどを行っている」などと語り始めた。オレは足元の神棚らしきものをチラ見しながら、話半分に聞いていた。
「——ですから、今回の短期アルバイトを行っていただく以上、事業推進にとって非常に重要なものとして必ずお願いしたいのです」
ご理解いただけたでしょうか?
作り笑いを向けた戸倉に「大丈夫です」と答えておく。
かなり胡散臭くなってきたが、ここでやめようとは思わない。
「では、早速お願いします」
一つ頷いたオレは、言われた通りに動く。
キッチンシンクに置かれた白い陶器(水玉というらしい)に、ペットボトルの茶色い中身を入れ、神棚の前の八足に置いた。
そのときにまた新たな指示があった。
「八足にお水のお供えをしたときは、お辞儀を一回、拍手を一回、お辞儀を二回するようにお願いします」
これも言われた通りやった。似たような動きをどこかでやった覚えがあったが、どこでやったのかは忘れた。
「完璧です。業務開始前は必ずお忘れなきようにお願いしますね——それでは、業務の説明に移らせていただきます」
戸倉は汚れ一つないテーブルとチェアのセットにオレを座らせると、携帯していた大きなリュックから道具を出し始めた。
「櫛川さんには、これらを使って作業を行っていただきます」
戸倉が引っ張り出した物を見て、思わずオレは「あの、すみません」と手を挙げてしまう。
「どうしました?」
「……その、データ入力、なんですよね? 自分の仕事は」
「そうです、データ入力を行っていただきます」
戸倉は「何を今更?」と言いたそうな顔で言った。
「じゃあ、これは一体……」
目の前のテーブルに並べられたものを見下ろす。
大量のA4サイズの半紙、太筆と細筆、硯、黒い液体が入った謎のボトル。
これから書道の授業でも始まるのか、とさえ思えてくるセットだ。
「業務をしていただくための道具ですが」
何でもないことのように戸倉が言った。
「パソコンでやるんじゃないんですか」
「ああ、すみません。詳細な説明をしておくべきでしたね——櫛川さんには、毛筆による手書きで文字というデータの入力を行っていただきます」
詐欺にあった気分だった。
それは「データ入力」というより、「文字の書写」と言った方が正しいのではないか?
オレが何か言い返そうとする前に、戸倉は「パソコンでの入力は不可です」と有無を言わせぬ口ぶりで続けた。
「もし難しいようでしたら大変恐縮ですが、辞退していただく形になりますが……」
「——いえ、やります」
もう何を使い、何をしようとどうでもいい。
毛筆の手書きが何だ? 40万円がもらえる美味しいバイトを「予想していた業務と違った」で手放すことなどできない。
「では、お願い致します。櫛川様にはこのボトルの中身——墨汁と筆を使って書いていただきます。半紙一面を埋め尽くすようにして、なるべく一枚に大量の文字を書けるようにしてください」
「わかりました、頑張ります」
「紙に書いていただく言葉には指定がございますので、こちらの一覧をご確認ください」
戸倉がリュックサックから、薄いものを寄越してくる。
それは広げるとA3サイズになる、小学生向けの漢字教材で手に入りそうな漢字一覧表だった。
だが、絶対に義務教育を受ける児童には配られないだろう。
「呪」「殺」「恨」「怨」「死」「屍」「屠」
見ただけでも背中が冷えるぐらい、禍々しい漢字だけが羅列されている。
「なぜこんな文字を書くのか、とお思いでしょうね」
考えが顔に出ていたのか、即座にオレの考えを読んだ戸倉が不敵な笑みを見せる。
「企業秘密となりますので詳しくは語れませんが、会社を守るための魔除けの術とだけ考えていただければ結構です」
戸倉はもう語らず、オレはただ「わかりました」と頷いた。
それ以上知りたがればこの仕事をクビになるであろうことは勘の鈍いオレでもわかった。
「終業時間になりましたら、書き終わった半紙と道具をテーブルに置いた状態でお帰りいただいて結構です。合鍵をお渡ししますので、施錠はお願い致します」
満足そうに笑った戸倉は、青いタグのキーホルダーのついた鍵をオレに渡して民家を出て行った。
——こえーな。
会社を守るためだそうだが、おまじないだとか呪いみたいなことをやっている。躍進を続ける企業の裏を見た気分だった。
だが、これが案外普通のことなのかもしれない。信じられない話だが、政治家や企業経営者などは呪術師を雇い、同業者やライバルを平気で呪うこともあったという。これもその一環なのかもしれない。
——やるか。
どちらにせよ、ここの会社が裏で何をやっていようがオレにはどうでもいい。確かなことは、ここで半紙に禍々しい漢字を書いていれば金になるということだ。
十年も使っていなかった硯に墨汁を垂らし、太い筆につける。たっぷりと黒い液を吸った筆先を動かし、真っ白い半紙に禍々しい文字で書いていく。面倒臭いので、「呪」とか「死」とかなるべく画数の少ない漢字から書き始めた。
「……こんなもんかな」
三十分も筆を走らせた頃、近づけていた紙面から顔を離し、紙一面を見つめる。
半紙のほとんどが墨色の縁起の悪い文字で埋め尽くされ、もうすぐ真っ黒になりそうだった。
首や肩のストレッチをする必要はあるが、何も考えなくていいので悪くない作業だ。書いている中身はあれだが、なかなかに達成感がある。オレには適職かもしれない。
どんっ、どんっ
硬い床を殴るような音が上から降ってきた。




