21.イコール
興奮したウメに握られたリズの手は激しく上下に振られている。
あまりに長く続くためにソウタが止めに入り、リズと二言三言交わした後にこちらへ送り出された。
「いやあ……見間違い、じゃないんだよね」
「違うだろうな」
ゆっくり、と言うよりはふらつきながら歩くリズを見て、タクヤは発する。
言葉だけで疑いの色は薄く、単に現状を受け入れる作業のようだった。
「いまいち理解できてなかったんだけど、血統が重要なのは本当らしいね」
タクヤは自身で咀嚼するかの如く、目を閉じて納得の唸りを上げる。
「……すごい」
呟いたのは、これまで沈黙を守っていたユアだ。
四人の中で最も魔術の扱いに長けている彼女には、その目に映る事象がユウヤたち以上に不可思議に思えるのかもしれない。
そしてようやく、足取りが若干不安定ながらも戻ってきたリズは、信じられないものでも目にしたかのような驚愕を張り付けていた。
「ど、どうして……」
そこには驚きを生み出した張本人でありながら、強く困惑を発している彼女がいる。
「本当に使えるんだな」
「同感よ」
「いや、君のことだからね?」
ユウヤの感心にどこか他人事のように相槌を返すリズ。
タクヤの言葉を受け、その眉が微かに歪む。
「仕方ないじゃない。実感が湧かないんだもの」
む、と口を寄せて小さく反論するも、すぐに表情を崩し、ため息を吐いた。
「……落ち着いたら、どっと疲れたわ」
そう言って緩く握られていた拳を開き、小さな何かを一つ摘む。
ユウヤはその淡く色づいた欠片の正体、及び出所を尋ねた。
「ソウタさん。呪術を使うと疲れるからって渡されたの」
糖分を取ると楽になるらしいわ、とリズは小さな砂糖菓子を口へ放る。
じっと様子を伺っていたユウヤの眼前に、菓子が乗った手の平が差し出された。
ちら、と視線を向けると、リズの手が軽く揺れる。その拍子に積み上がっていた菓子が転がり、小さな山を崩した。
「たくさんもらったから、いいわよ」
告げずとも伝わってしまったか、許可が下りた。
強請るつもりはなかったのだが、言葉に甘えて貰うとする。
目についた水色を一粒取り、口に含んだ。
品の良い甘みが口内に広がり、軽い音を立てて優しく溶けていく。
彼女の手はユウヤの眼前から移動し、ユアへと向けられた。
少女が一つ手に取り、自分も、と目で訴える男にも無事に渡り、全員が一つの味わいを共有する。
「……あの時と、同じなの」
舌に絡まるざらついた欠片を味わっていた時、リズが小さく呟いた。
「前に、私の気分が悪くなった時があったでしょう」
歯切れを悪く言葉を紡ぐリズ。彼女が指しているのは、恐らく。
「アーデスの詠唱、だね」
肩を竦めつつ、タクヤははっきりと口に出す。
「虹が呪術を使ってるってことか?」
「そう、だと思うわ」
ユウヤの質問に対し、歯切れを悪く、曖昧に頷いたリズは目を伏せた。
「それまでは、嫌な雰囲気はあっても何ともなかったはずなの。あの時は、本当に酷かった」
はあ、とリズは大きなため息を一つ。
「使えるって知って、ようやく気づいたわ」
それを最後に、リズは口を閉じた。しかし、話し終えたにしては煮え切らない様子だ。続きを促す視線を送ると、彼女は黙考。やがて、あまり重要ではないかもしれないけど、と前置きし、リズは息を吸う。
「この里と虹では、種類……と言っていいのかしら。どうも違うみたいなの」
付け加えられたその一言から、リズは話を再開させた。
「気配自体は同じ。発動されてたらすぐにわかるわ。違うのは、虹の方はすごく気持ち悪いってこと」
「気持ち悪い?」
ユウヤの問いに頷き、状況を回顧したのか顔を顰めつつ、指を立てた。
「あらゆる不快なものを何倍にも凝縮させたって感じかしら。具体的には寒気と吐き気とめまいと手足の震えが止まらなくなるわ」
症状を告げるごとに立ち上がる指が片手の過半数を超え、その想像を絶する重さに息を呑む。
リズは、満身創痍と言える状態であのような気丈な振る舞いを見せていたのか。
「相当だね。俺は、『何かやばそう』としか思わなかったんだけど」
それはユウヤも同様だった。
身の毛もよだつ雰囲気が溢れ、充満する。
嫌な予感が総動員で働き、当然のように恐ろしい結果が招かれる。
二度とあのような環境には身を置きたく無いものだが、目の前の男はそうは考えていないらしい、というのは以前聞いた話だ。
「今は大丈夫?」
「ええ、もうすっかり。それに、症状も動けないほどではないから」
難しい顔をするタクヤの背後、心配そうに容体を伺うユアに対して、リズは笑顔を答えに返した。
「文言は違えど、呪術であることに変わりないってことか」
タクヤの呟きは小さく、考えをまとめるように吐かれていく。
「それじゃあ、虹は魔術師でも呪術師でもなく……何だろうね。魔法師、とか?」
「……魔法使いだ」
唐突に口を挟んだユウヤ、その訂正が具体的なものだったことから、タクヤの瞳に疑問が宿る。
「魔法使い? 魔術師、呪術師ときて、なんで急に?」
その考え方は至極当然なものである。
これまでの法則を無視した呼称を、基本的な知識の不足から話についていけないことが多々あるユウヤが明言したのだ。それも、その傾向が特に顕著な魔術に近しい分野において。
「前に、本で読んだことがある……と言っても、魔法使いって言葉しか見たことないが」
「ふーん、なるほど。……あのタクナバルトと同じ肩書きなんて、嫌な話だねぇ」
内容に反してさほど重さを持たない声音で、タクヤは小さく笑った。
その息を最後に、場に静寂が満ちる。彼に向けられるのは、三つの怪訝な眼差しだ。
「え、違うの?」
「……言われてみれば、確かにそうだ」
戸惑うタクヤを置き、ユウヤは独りごちて思考に移る。
この世界の歴史にまつわる本にかけてはかなりの蔵書数を誇る、というのがタナバの談だ。実際、有り余るほどあった。
その上で、これまで読んだ本の中に『タクナバルトが魔法使いである』という記述がされたものはない。
タクナバルトに関する本は一通り揃っていたため、その点に関しての不足は考えられない。そして、もしも記述があったのなら、タクナバルトという英雄の話を好むユウヤが覚えていないはずがないのだ。
しかし、これまでの記憶にソウタの話を加えると、タクナバルトはーー。
「……魔法使い、だな」
かたや魔法の生みの親、かたや大国を滅ぼした罪人だ。
善と悪に置き換えるとするならば互いに背を向け対岸に立っているであろう存在。それが同じ名を冠することになろうとは、何とも皮肉な話である。
「……長老の言ったこと、わからなくもないの」
静かに、しかしこれまでの流れからすると唐突にリズは切り出す。
何の話だ、と眉を動かしたユウヤと目を合わせ、リズは薄く笑みを形作った。
「覚えてる? ……リードの話」
ウメが口にしたリードの話と言えば、怨嗟だ。
リードさえいなければ、と話すあの表情は、苦しみや憎しみがないまぜになったものだった。
その感情相応の経験があっての発言だったのだろうと容易く推測ができるほど、苦々し気に、という表現が生易しいほど、顔を歪ませていたのだから。
「これだけの力が認められていれば、隠れて暮らす必要はないわ。もちろん、リードが直接関与したってことはないんでしょうけど」
言葉を切り、小さく息が吐かれてから、リズの口が再び開く。
「私の家は、リードが有名になるにつれて、目に見えて廃れていったわ。ヒュールへの当たりが強くなったのもそこからよ」
ユウヤに説明するような口調で、リズは静かに言った。
「もしも、リードがいなかったらって考えると……あと少しくらいは、裕福でいられたかもしれないわね」
諦念に薄く笑むリズに、ユウヤは返すことができなかった。
タクナバルトと並んでよく聞く名であるそれを、ユウヤはあまり知らない。
ただ、ユウヤが聞く時には負の意味合いの場合が多いように思える。
リズの家、アーデスの研究、そして、呪術。
ヒュールへの当たりが強いという話はいまいち実感したことがない。
知識としては得ており、面倒事から遠ざかるために避けていたという理由もある。
何より、ユウヤの交友関係が極端に狭かった。
アレンは元より、今となっては唯一知るタナバも、ヒュールはおろか魔術について話すことはほぼなかったのだ。
それが気遣いだったのか、はたまた興味が薄かったのか。
これまでに触れる機会の無かった現実を前にして、ユウヤは尋ねた。
「リズは、リードを恨んでるのか」
その一言に、リズは目を見開いて黙り込んでしまう。
生活に馴染み切った故に待遇の差が激しい魔術という分野において、圧倒的存在とされるらしいその人物。
行使する資格すら与えられなかったヒュールは冷遇され、その存在価値を見出されることはない。
リードはとても恵まれた人物なのだろう。何と言っても、生まれながらにしての勝者だ。
何を為そうとも成功の道を進むことを定められた、圧倒的な勝者。
生まれながらにして敗者とされるユウヤとは対極的であり、生涯関わることも無いであろう縁遠い存在である。
リードが及ぼす影響は計り知れない。それが、リズ個人にも当てはまっている。
ウメと同様、憎悪の念を膨らませても仕方の無い話だ。
問いかけてしまった以上、怒りをぶつけられようとーー、
「別に恨んでないわよ」
ある程度決まっていたユウヤの覚悟をすり抜け、答えはあっけらかんとしたリズから返って来た。
「いずれ、体術なんて表舞台から姿を消すことは決まっていたのよ。それが、あの日だったというだけ」
リズは感情を昂らせることなく淡々と告げる。
それは強がりでも何でもなく、過ぎ去った過去、単なる事実として述べられた。
「……そう、か」
そう割り切れるようになるまでに、一体どれだけの思考があったのだろう。
悲劇の記憶は、望むと望まざるとに関わらず、脳内で繰り返し再生される。突然に訪れたそれは、なおさらだ。
それを乗り越え、彼女はこうして立っている。
変わらぬ日々を続け、考える時間はいくらでもあったはずのユウヤは、いまだに全てを消化しきれていないというのに。
「まあ、そんなところ。きっと運が悪かったのよ」
返答に困ることをわかっていたのか明るく調子を上げ、リズは誤魔化すように最後の一粒を噛み砕いた。
その行為で話の終わりを示し、彼女の視線は別方向へと向けられる。
「リズベットさん!」
「あんまり走ると転ぶわよ」
こちらに駆けるアイリを、言葉とは裏腹に優しい声音で一歩踏み出して迎える。
思わぬ近距離に、アイリはリズを見上げた。ぽかんと口を開けた後、嬉し気に音を鳴らして笑む。
「もう一人、姉様がいるみたい」
「ね、姉様って……」
リズが僅かに目を見張るが、その瞳はすぐに緩やかな弓なりへと形を変えた。
「まあ、あなたとは従姉妹なわけだし、あながち間違いでもないわね」
そっか、と呟き、アイリは何やら考え始める。
その真剣な表情を不思議そうに見守るリズに向け、一つの答えが出された。
「……リズベット姉様?」
小首を傾げたアイリが放った言葉に二度三度と瞬きをした後、リズはふわりと柔らかな笑みをこぼす。
「リズでいいわ」
その言葉を受けたアイリは顔を綻ばせ、彼女を支えるように差し出されていたリズの手を包んだ。
「リズ姉様! ね、一緒にご飯食べに行こ!」
「ええ。……だから、転ぶわよ?」
リズは小走りに手を引くアイリを再度変わらぬ温度で諫めながら、されるがままに屋敷へと向かっていく。
「ユア、お姉さん取られちゃうよ?」
タクヤは悪戯な声で言い、ユアの肩を叩いた。
びく、と大きく体を揺らし、ユアは大袈裟とも言える様子で驚きを示す。
「な、何が?」
「オレたちも行くぞ」
ユアを揶揄うようなタクヤの言葉を背中に流し、ユウヤは微笑ましげな二人の後へ続く。




