3.少年の危機
さて、結果から言うとユアは起きた。
既にユアの寝起きの悪さを十分に目の当たりにしている三人は驚きを表したが、眠気と戦うユアはそれどころではない。
寝惚けたユアはリズに寄りかかって頬擦りをする。
「……ねえ。本当に起こさなきゃ駄目なの?」
「別に起こさなくてもいいけど。それだとユアは拗ねるんじゃない?」
苦渋の選択というように目を固く瞑りながら、リズはユアを揺すり起こす。
「……ほら、起きたよ」
呂律の回らないままに得意気な顔をするユアだったが、過程を知っているこちら側としては褒めていいものかわからない。
ちなみにリズはべた褒めしていた。そして、喜んだユアがリズに抱きつくという何だかよくわからない図が完成。
微笑ましいのだろうが、ユウヤはよくわからないという感想をもって考えることを放棄する。
そうして訪れた休息。
「俺たちもくっついて寝る?」
ふざけ半分に手を広げるタクヤの提案は丁重にお断りし、ユウヤは一瞬で眠りに落ちていった。
◆◇◆◇◆
再び交代の時。
振動を感じて目を開く。
「わ、起きるの早いね」
覚醒と同時に、こちらを覗き込んでいたユアと目が合った。
ユアはユウヤを物珍しげに見つめている。珍獣を見るような目をしていたことは気になったが、それはいいとしよう。
タクヤよりも先に起床したユウヤ。寝起きに思い出した眠りの際のタクヤの言葉が妙に癪に触り、起こし方が雑になったことは秘密だ。
後に気づいたことだが、ユアの足元に土で何かを作ろうとした形跡がある。
ユウヤはそこから推測し、さらに肉付けしていくことに時間を費やしたのだった。
「ユウヤー。もう朝」
日が昇っていることに気がついたのは、タクヤの言葉があってのことだ。
顔を上げると、昇りつつあった朝日が目に刺さる。思わず顔を顰めたユウヤの耳に低い声が届いた。
「ちゃんと見張りしてた?」
タクヤは頬杖をつきながらじとっとした視線をこちらによこす。
疑問形でありながら明らかに疑いの強いその声音に、ユウヤは反論した。
「気配を感じたら動ける準備はしてた。ただ遊んでたわけじゃねぇよ」
「それならいいけど。それより、どうすんのこれ。壊すのもったいないよ」
タクヤは呆れたようにユウヤの足元を指差す。
「何言ってんだ、ただの土だぞ。さっさと壊しちまえ」
ユアのものを除き、地面を平らにしてしまおうと立ち上がりながら足を動かす。
「おっと、待って待って。せめて二人に見せてから壊して」
途中で中断された動きによってバランスを崩しながらも、何とか静止。その動きを見て薄く笑ったタクヤを睨みつける。
「これ、見たいか?」
「俺だったら見たい。壊すのは後でもいいでしょ?」
誤魔化すように口笛を吹くタクヤに意見を求めると、思った以上にまともな答えが返ってきた。
確かに、いつ壊そうが変わらないだろう。
「まあ、それもそうだな。……もうメシ作るか」
「あ、やった。何作んのー?」
向かい側から移動するタクヤを目視しながら座り直し、朝食の準備に取り掛かる。
◆◇◆◇◆
毎朝恒例、ユアを起こすという任務も済ませてその場を後にする。
今朝は珍しく早く覚醒したユア。朝食の匂いにつられたとも言える。そんな現金なユアに、三人は平和を感じた。
のそのそと動き出すと同時にユウヤの作品に気がつき、目を輝かせていた点も面白かった。
いくらでも作れるようなものに喜ぶユアを不思議に思ったが、タクヤの言う通り、壊すのを待って正解だった。
そんなこんなで片付けを終え、道なりに進んで行く四人。
「あれ、何?」
ふいにユアが指した方向へ、一行は顔を向けた。
「綺麗ね」
「これ、エストランドの植物だね。こんなところに珍しいな……」
リズの感嘆の息に、タクヤの驚きの声。
桃色の花が咲き乱れるその樹木。
見た者を無条件に和ませていくそれには魔力でもあるのではないかと妙な考えさえ浮かんだ。
風に攫われ、散っていく花びらを見ていると、どこか胸が疼く。
ちり、と脳が焼き付くような暴力的な美しさ。それはどうしようもなく、ユウヤの視界を埋め尽くす。
目を奪われていたユウヤは、周囲の確認が疎かになっていた。
「いっ……!」
「どうした?」
鋭く走った熱。何かが滴り落ちる感覚を覚え、目をやる。
「手、切った……」
「うわ、痛そう」
地面に根する一際大きな植物に手の平を引っ掛けたらしい。
かなり深い傷のようで、血は溢れていく一方だ。
幸い利き手ではなかったために支障はないが、見ていて気分のいいものではない。
「唾つけておけば治るって聞いたことあるよ」
かなり雑な治療法を提案するタクヤを押しのけ、ユアがやって来る。
「ユウヤ、治療するからーー」
「待って。あそこ、何か……倒れてる?」
止めたのはリズだった。
真剣な声音、そしてその内容にユウヤの頭の中で警鐘が鳴り響く。
しかし視線をやった次の瞬間には、ユウヤはそこに向かって歩き出していた。
「ちょっと、ユウヤ」
ユウヤは制止を聞かずにその正体へと近づく。
「おい、大丈夫か?」
それはうつ伏せで倒れるーー人、だった。
紺青色の髪、そして頬を土で汚し、苦しげに瞳を閉じている。
その髪色に応じたかのように真っ青な顔色だ。
頬を叩くと少年が身じろぎ。その目が薄く開かれる。
綺麗な瑠璃色がユウヤの瞳を捉えた。視線が交わり、留まる。
気づけば、ユウヤは手を伸ばしていた。
「う……」
「……意識は、あるな。なあ、こいつ具合悪そうだからどこかでーー」
はっと意識を戻したユウヤは微かな唸り声に安堵しつつ少年を助け起こし、振り返ってタクヤに声をかけるーーが。
ユウヤの手には再び痛みが走った。
「ーーひっ!? やめろ!」
ユウヤは思わず少年を突き飛ばし、大きく距離を取る。
「何してんの!?」
ユウヤの言葉に距離を縮めていたタクヤも驚愕に目を見開いている。
ーー手を舐められた。
ぱっくりと開いていた傷口に鋭い痛みと温かな感触を感じたその理由は、少年が今さっき生み出された裂傷に舌を這わせたからだ。
全く意図がつかめない。何の理由があって、こんな行動に出る。
本能的に強まる警戒心によって、ユウヤの神経は研ぎ澄まされていった。
一行を緊張状態に導いた少年が次に取った行動。
「の……喉、かわ、いた……」
唇を赤で濡らしつつ、一言残した少年。その瑠璃色が閉ざされる。
「……こ、これ、まずいんじゃないの?」
リズの声が、徐々に焦りを孕んだものに変化していく。
慌てて抱き起こしたユウヤは手に湿った感触を覚えた。
あまり心地の良いものではないそれを確認したユウヤは愕然とする。
「……血だ」
少年の服を超えてべっとりと染みる血が、ユウヤの手を濡らしていた。
温かなそれは勢いこそ失われているものの、どこからかいまだに流れ続けているようだ。
「ちょっといい?」
タクヤは少年の服をまくり、怪我を確認する。
「こりゃあ、ひどいな。脇腹ざっくりいってる。刃物……いや、それにしては傷口が荒いな。どこかにひっかけてーーうん、取り敢えず治療しようか。ユア、いける?」
「う、うん。無よ、我が意志に従え。ーーヒール!」
冷静に分析をするタクヤの指示でユアが魔術を発動。
相当に深い傷のようで効果を発揮しておらず、傷口が塞がったと思った直後に再び出血が始まる。
「ど、どうしよう。全然効かない……」
「いや、効いてるよ。ただ、傷が大きすぎるんだ。ちょっとずつ繋がってはいるんだけど……」
依然、少年の顔色は変わらない。浅い呼吸は絶え間なく、しかし弱くなる一方だ。
「駄目か。止血だけでもしておこう」
タクヤは手慣れたように少年の腹部を圧迫し、布で締め上げた。
「ど、どうすればいい?」
「うん、どうしようかな……時に、リズ」
混乱に声を上擦らせるユアの横、タクヤは落ち着きながら思考する。
何を思いついたのか、リズの耳元で何やら話し始めた。ーーと思った瞬間、リズの拳が炸裂。
鈍い音が響き、タクヤは頭を押さえる。
「駄目に決まってるでしょう! よりによってこの子たちの前で!」
「ええ、駄目? ……やっぱそうかぁ。でも取り敢えずめちゃくちゃ痛い」
不満の声を上げるタクヤに、リズは目を吊り上げたまま怒りの視線をぶつけていた。
「な、何やってんだ……?」
「こっちの話よ、気にしないで」
場違いに発生する怯えだったが、答えは得られそうにない。
ーーその時だった。
「あの……わっ!」
勢いよく顔を上げた四人に驚き、一歩後ずさる少女。緩く束ねられた淡い桃色の長髪が大きく揺れた。
視線を一身に浴び、居心地が悪そうに足を動かしている。
現れた少女は不思議の塊だった。
身につけているのは、一枚の布を重ね合わせて縫製したような奇妙な服。薄赤の花柄は彼女の容姿にぴったりと合っている。
そして、履き物。動きが制限されそうなものだったが、少女は慣れたように動かし、その度に涼しげな音を立てる。
「君、この近くに住んでる人?」
「は、はい、そうですけど……その方、どうかしたんですか?」
タクヤの確認に首肯した少女はおずおずとこちらの状況を尋ねた。
「怪我してるみたいなんだ。結構、危ない状態」
「怪我、ですか。……少し失礼しますね」
少年の状態を見た少女は息を呑む。僅かな躊躇の後に、少年へ手を伸ばした。
「……ひどい怪我。それに熱もありますね。私にはとても……」
一通り見た後に首を振る少女だったが、すぐに顔を上げ、こちらを振り向く。
「どこかで休ませた方がいいです。当てはありますか?」
「いや、全くない。そもそも知らない人なんだよ」
タクヤの答えを受け、少女は無言で考え込んだ。
考え込む、ということは、この少女は解決に足り得るものを持っているのか。
僅かな沈黙に答えを見出そうとしてしまうほど、事態は切迫している。
「それなら……私についてきてください。……入れるといいんですけど」
どこか自信なさげに呟いた少女は四人を連れ、来た道を戻った。
◆◇◆◇◆
いくらか歩き、数分後。
少女と一行が立っていたのは巨大な門の前だった。
圧倒される四人を置いて、少女は門前を守るように立つ男二人に近づいていく。
「スズリ様。随分とお早いお戻りですが……」
「この方、怪我をしているみたいで……治療が必要なので、門を開けてもらってもいいですか」
門の開放を要求する少女に、門番は首を振った。
「外部の人間を入れることは許されておりません。それは貴方様も十分におわかりのはず」
「で、でも、命に関わる怪我なんです。出血もひどくて……」
「ですがーー」
少女の訴えはなかなか聞き入れられない。
繰り広げられるのは終わりの見えない押し問答。
怪我人を前にしてこの状況、腹に据えかねたユウヤが口を挟もうと一歩進み出る。
しかし、ユウヤが声を荒げる機会は訪れなかった。
「何を騒いでいる」
ユウヤの抗議は、ゆっくりと開け放たれる門の軋んだ音と共に響いた男の声に遮られる。
その声の持ち主、壮年の男は若々しさを残しながらも威厳に溢れており、声だけで場にいる者の動きを止めた。
門番は焦りを含んだ声で返答する。
「ソウタ様! スズリ様がこの者たちを里の中に入れてもよいかと……」
「……スズリ。どういうことか説明しなさい」
少女と向き合った男。厳しい声音は変わらず、今度は静かに問いかけた。
「えっと、道で人が倒れていました。ひどい怪我で、熱もあります。このまま放っておくのは、その、どうかと思って……」
少女が及び腰になりつつも危険な状況であることを伝えると、男は視線をこちらに移しながら口を開く。
「ふむ。……あなたたちは、この方のお知り合いですか」
「いや、全く。倒れていたところにちょうどこの子が通りかかったんだ」
タクヤは自分の背中にいる少年、次に少女を指差して回答。
「……それは、大変でしたな」
男の目が細く、こちらを舐めるように動かされる。
労うような言葉とは裏腹に、それは疑いの眼差しに近いものだった。
下手をすれば、このまま門前払いとなるのではないか。
そんなことになれば、もはや呼吸の音も細くなった少年はこのままーー。
悪い予感が頭をよぎるユウヤだったが、男の熟考の末、少年の怪我のひどさが勝ったのだろう。
「……家に運んで、アイリに治療させなさい。ーー見張りを立てておけ」
「はっ」
返事をした門番の内、一人は門の中へと駆けて行く。
少女と門番に指示を出した男はくるりと背を向けた。
かと思うと、振り返ってこちらを二度見。
そして諦めたように首を振り、どこかへ立ち去っていった。
少女は長く息を吐き、こちらを振り返る。
「行きましょう」
少女の後に続き、門番の強い視線を受けながら門の中へと足を踏み入れる。
ユウヤの胸中に渦巻くは、不安ばかり。




