第二話
一人暮らしをするにあたって“1k”という間取りは非常にちょうどいいと司は思っている。
玄関を越えてすぐ左手には簡易なキッチン。優に築二十年以上は経っているという話だがその状態は良好。トイレも風呂場も清潔でこれといった不自由はない。
居間と寝室を兼ねる洋室にベッドを配置し、角にテレビと棚でも並べてやれば小さなリビングの出来上がり。真ん中に置かれた折り畳み式のテーブルも、一人分の食事であれば容易に広げられる。
「こ、これが司君のお部屋……はわわ……!」
……と、それはあくまで一人暮らしの時の話。
一人で使うにあたって不自由ない広さということは、つまり一人以上で使うには不自由があると同義であり、現に司の部屋は桜夜を入れただけでずいぶんと窮屈になってしまっていた。
「なんでお前がここにいるんだよ……」
片手で顔を覆いながら司は嘆く。
それは、ほんの数分前の出来ごと。
司は目の前で呆ける少女――此比良桜夜と河川敷で劇的な出会いを果たした。しかし、出会ったまではともかくとして彼女をここまで招待したつもりは一切ない。
あの後、司は圧し掛かる桜夜を撥ね退け「人違いだ。他を当たれ」とだけ言い残し、逃げるようにして自宅であるこの『カスミハイツ』へと帰ってきた。
それなのに、いざ玄関を開けて気が付けば先ほどの少女がご丁寧に座布団の上で正座しながら司の部屋の中を、それこそ穴が空いてしまうんじゃないかとばかりに見回しているではないか。
「だから言ったじゃないですか! 私は、司君の“縁”を直しに来たんですって!」
「……」
はぁ、と知れず漏れた重いため息。
司も靴を脱いで上がり、埃の所為で少々滑るフローリングの床を越えて備え付けの電話の受話器を取った。桜夜はそれを不思議そうに眺めている。
「お電話……あ、もしかして私のために出前取ってくれるんですか? いやいやそんなお気遣いは無用ですよぉ。私と司君の仲じゃ……えぇと、こほん。それに私、今はお腹は空いてないのでそういうのは」
「すみません、あの、部屋に不法侵入者が」
「はぅうわぁああああッ!?」
ガッタンッ!
まるで上からハンマーで叩きつけられたかのような豪快な勢いで受話器が定位置へと収まる。見れば、司の手の平に重ねるようにして桜夜の手が覆いかぶさっていた。
「ま、ままま待ってくださいよ! いやあの、確かに勝手に入っちゃったのは悪いかなぁと思いましたけども、あの、だからっていきなり女の子を通報しますか!?」
「当たり前だろ」
ゼェハァと肩で息する桜夜に、司は至極当然の反応とでも言わんばかりに怪訝な視線を返す。
「あのなぁ。自分の家に帰ってきていきなり知らない人間がいたら、お前ならどうする?」
「もちろん、然るべき方に通報いたします」
「つまりそれだ。わかったら今すぐ受話器から手を退けろ」
「は、はいすみませ……じゃなくて!? だから、私さっき名乗ったじゃないですか! 私は司君の縁を直すために参上した縁結びの神様で」
隣でギャーギャー喚き散らす鬱陶しい神様(自称)とやらに司は少々頭痛を覚え始めた。
何なんだコイツは。
いきなり勝手に家に入り込んでいるわ、ちょっと痛いでは済まないような発言のオンパレード。相手にしている自分が酷くバカらしく思えてきて、このまま警察に連絡しても無駄……あるいは逆に迷惑を掛けるかもしれない。
となれば、然るべき施設へと連絡するのが妥当か。念のため、受話器は未だ握りしめている。
「……わかったよ。お前がそこまで言うなら警察へは通報しないでおく」
「ほ、ホントですかぁ? いやぁ、誤解が解けて嬉しいです♪ ではでは、奥で詳しいお話を」
途端にパッと春の日差しかのような笑顔を取り戻す桜夜。手の自由を取り戻した隙を見計らい、司はプッシュホンに空いていた左手を伸ばす。
「黄色い救急車の番号ってのはいくつだっけな……」
「わわわわわ!? ごご、誤解解けてないです! むしろ逆方向に拗れてませんか!?」
「警察じゃ手に負えないと判断したまでだ。後は精神科なり何なり行って更生してこい」
「そ、そんな……ひどい…………」
すると桜夜は突然その場でへたりと崩れ落ち、次いで羽衣の袖口で顔を覆いさめざめと泣き始める。
「わ、私怪しい者じゃありません……私は、私は司君のために……それなのに……」
「…………」
流石に目の前で女の子に泣かれるとどうにも対処し辛い。
受話器を定位置に戻し、司はもう一度、今度はもっと大きく強めにハァッと溜息を吐き出した。
……なんでこんなことになってるんだろ。これだから他人と関わるのはめんどくさい。
「……あー、なんだ。オレの縁? だっけか。いったいどういうコトだよ」
「はぁい! よくぞ聞いてくれました!」
瞬時に笑顔を作るところ見る限り、どうやら今のは嘘泣きだったらしい。一発ぶん殴ってやろうかとも思ったが本当に泣かれたら余計に面倒なので我慢しておく。
話す場所を居間へと移してから、桜夜は前置きにコホンとひとつ咳払いをした。
「はい、では改めまして。私は縁結びを司る現人神、此比良桜夜と申します。此度は、司君の失われた縁を修復すべく参上いたしました」
「……は? 失われた縁ってのは、どういう意味だ?」
適当に話を合わせるだけのつもりだったが、桜夜の意味深な発言に妙な引っ掛かりを感じ横槍を挟むような形で訊ねる。桜夜はコクリと小さく首肯すると話を再開した。
「えと、はい。順番に説明させていただきますね。そもそも、司君は“縁”という言葉はご存知ですか?」
「袖振り合うのも多少のってヤツだろ。あとは、そうだな……」
ご縁がありますようにと賽銭箱に五円玉を放り込むとかだろうか。そんなコトワザや迷信程度なら日本中の誰でも知ってそうではあるが。
「まぁ、それだけ知っていれば十分です。
“縁”とは、古来よりこの日本という国で重んじられている運命の巡り合わせ、特に人との出会いに関することを言います。
“袖振り合うのも他生の縁”と云われている通り、道すがらで袖が触れ合ったことにも、実は二人の過去や前世からの深い因縁に起因している、つまり人と人は単なる偶然だけで出会いや別れを繰り返しているわけではないんですよ、という意味ですね」
「で? それが失われたってのはどういう意味なんだよ? ……そもそも、簡単に失くしたりするもんなのか?」
「それは、えと……」
少し目を伏せがちに言い淀む桜夜に司は訝しむ。肝心なところだろうに、何故そこで言い淀むのだろうか。
声のトーンをいくらか落とし、続けて桜夜は口を開く。
「司君の“縁”が失われたのは、幼少期に起こったある事件に起因しているんです。それは、覚えていませんか?」
「……さぁてね。記憶にない」
ぶっきらぼうな司の返答。
桜夜の態度も依然として変わらないまま平行線を辿る。
「そう……ですか。では、少し話を進めます。この事件を機に、司君の縁はずっと希薄なままで今現在にまで至ります。縁を失った人がどうなるかは、ご存じかとも思いますが」
「いや知らねえよ」
「あ……す、すみません。えっと……端的に言えば対人関係が希薄になってしまい、友達や知人といった類の関係が出来なくなってしまいます。だから、その……言いにくいことなのですが、今の司君は、その……」
そこまで聞いた司は何となく察しがついて口を挟む。
「今の俺には“友達がいない”って言いたいのか?」
こくり、と今度は小さく遠慮がちに頷く。
上目遣いな桜夜の視線が、僅かに潤んでいるように見えるのは気のせいだろうか。
そんな荒唐無稽で無茶苦茶な説明を受けた司はといえば……くつくつと笑いがこみ上げていた。
「……ぷ、くッ――はははは! 何だそれ? つまりお前が言いたいのはアレか、今のオレは小さい頃の事件とやらが原因で友達がいないってことか?」
「あ、あの…………はい、そうです」
おずおずと見上げてくる視線を受け、ついに司は我慢の限界が来た。
一瞬で笑みを消し去り、凍えるような冷淡な瞳で桜夜を睨み据える。背筋が瞬時に凍りつきそうなほど底冷えした双眸に、桜夜は思わず「ヒッ」と小さな悲鳴をこぼした。
「……馬鹿じゃねえの。縁だか何だか知らないけど、そんなのオレには関係無い。話はそれだけか? じゃあ用は済んだな。さっさと出ていけ」
「ま、まだ終わってません! 私は、司君の縁を直すためにここまで――」
「いい加減にしろよ!」
張り上げた怒声に桜夜の肩がビクッと跳ねる。
黙って聞いていれば最初から訳のわからないことばかり並び立てて、終いにはあなたには友達が出来ていない? 何処から突っ込むべきか、いっそ全てに突っ込むべきなのか。そもそも初対面の相手に対して失礼過ぎやしないか。見た目といい言動といいその全てが胡散臭さの塊のような、そんな相手の話を真面目に聞いてやろうと一瞬でも思った自分が心底恥ずかしい。いったい何を考えていたのだろうか。面白くもない。
「話はそれで終わりだろ。用が無いならとっとと出てけ。二度と顔を見せるな」
「で、でも私……ッ」
何か言いたげな視線だが司はもう耳を傾けるつもりは一切なかった。
桜夜は二度三度司の顔色を窺うようにしていたが、やがて諦めたらしく大きく肩を落とすと、とぼとぼと玄関の方へと向かって歩き出す。
去り際、一度だけ司へ振り向いて一言。
「……司君は、そんな冷たい人じゃないはずです」
「初対面の癖に、オレの何が分かるってんだよ」
「……ッ」
ガタン! と乱暴に玄関が音を立てて閉まる。階段を駆け降りる音が遠ざかっていくのを確認してから、司はやれやれと本日三度目の溜息をついた。
「何だったんだ、アイツ……?」
むしゃくしゃする気分を変えるため司は窓を開け放つ。黄昏色の風に当てられたお陰か、いくらか落ち着きを取り戻せたような感じはする。乱れた髪を乱暴に掻きながら、ふとらしくないと思った。
「嫌なコト、思い出させやがって……」
頭が冷めたついでに今晩の夕食を買い忘れたことも思い出す。一応冷蔵庫を見てみるが、飲みかけの炭酸飲料とマーガリンしか入っていない。これは流石に買い出しに行く必要があった。
振り返って外に目をやるとすっかり夜の帳が落ちていて、空にいくつか小さな輝きが見える。スーパーまで行こうかとも思ったが何だか気分が乗らない。今日はコンビニで適当に済まそう。買い出しは明日の帰りでいい。
とりあえず制服から適当な普段着に着替え、司は玄関扉を開け放った。
黄色い救急車ってのは都市伝説のアレですね。
実在する救急車じゃないです、はい。
というわけでの第二話。
次話はこちらも同じく来週辺りかな。
こっちは、少し遅れる可能性もあるけど、応援いただけたら嬉しいです。
『図書室の幽霊は占星術師』もヨロシク!
では、待て次回。