第十四話
用務員さんから借りた傘は、やはりコンビニなどで売られているような何の変哲もない代物で、司は肩が触れそうで触れないようなギリギリの位置を保ちながら忍の隣を歩いていた。
二人とも、歩きながらほとんど言葉を交わさない。
ぼつぼつと傘を叩く雨の音と足元で跳ねる水溜りの音が、二人の間の沈黙を余計に引き立たせているような気がする。
何か、話すべきなのだろうか。
それとも忍の言葉を待つべきか。
いっそ――何も言わず、このまま黙って歩き続けるべきか。
「……どうした? 傘を持つの、代わろうか?」
「いいよ、別に」
司が渋面を作って歩いているのは別に傘が重たいだとかそんな軟弱な理由ではなく、一つの傘に男女というこの状況の所為である。
桜夜の言葉を思い出してしまったというのもあるが、とかく恋愛面に置いて色々と煩い高校生が下校時に相合傘などしようものなら否応なしに目立ってしまう。
……アイツ、桜夜ってコと付き合ってるんじゃなかったのか?
……あれって桐嶋センパイ!? ウソうそ、じゃ、隣にいるのってカレシ!?
そんなコトを言っているのか真偽は不明だが、通り過ぎる同級生の好奇や嫉妬の入り混じったような視線が司の全身に容赦なくグサグサと突き刺さっていく。
根も葉もない噂がこれでまた一つ増え、自分の知らないところで広まっていくと思うとたまらなく不愉快である。
悪あがきとばかりに、出来得る限り忍から体を離そうとすれば、当然忍も雨に濡れまいと動くため結果としては無駄に終わる。それどころか、肩がぶつかってしまうせいで余計な意識を生じてしまう羽目に。
「何だ、落ち着きがないな。傘ぐらい私だって持てるんだから貸せば――」
「大丈夫だって」
意識しているくせに、いや、意識しているからこそそういう体裁だけは維持しようと意地になって傘を握りしめる。
男の自分が女の子に傘を持たせて相合傘してたなんて広まったら、完全に立つ瀬が無くなってしまう。
「……おい、そこ左だぞ司」
「あ? ……あぁ、悪い」
司はカスミハイツと反対方向に向かって歩いている。今までの道のりから鑑みるに、忍の家は昔と変わっていないらしい。ここに至るまでの道路や交差点のほとんどにおぼろげにではあるが見覚えがあるような気がして奇妙な懐かしさが頭を過ぎる。以前、司が住んでいた家もこの先にあるはずだ。
「……」
昔、昔、昔。
今の司と忍とを結び付けているのは、全て過去から始まった出来事。
あの時の司の後悔は今もなお“呪い”のように心を締め付けてくる。逃げようものなら絡みつき、触れまいとすれば向こうから伸びてくる鎖。
自分は、本当はどうしたいのだろうか。
逃げたいのか、逃げたくないのか。
どうも最近、自分でも整理がつかなくなってきているような気がする。
「……なぁ」
上の空だった意識が忍の声に引っ張られて振り向くと上目遣いな視線にぶつかった。
雨に濡れた前髪がはらりと揺れ、しっとりとした色気を醸し出している。遠目で見るならともかく、相合傘の中の至近距離というシチュエーションのせいで、心臓が胸を貫いて飛び出すのではないかと危惧するぐらいに大きく跳ねる。
下手な言葉無しに、本当に美しい表情をしていた。
「な……ん、だよ」
幼馴染相手に緊張してしまった司はそれだけ返すのがやっとだった。
忍は自分のバッグに手を伸ばし――やがて取り出したのは司も覚えのある小さな紙切れが二枚。それは以前、桜夜がデートしようと叫んでいた時に見た某レジャーランドの入場チケットだ。
「せっかく頂いたモノを粗末にするわけにはいかないだろ。だから……一緒に、行かないか?」
「…………」
以前の司なら差し出されたチケットを問答無用に突き返して断れたはずなのに、何故か今日に限ってそれが出来なかった。
湿った風に吹かれて揺れるチケットが司の瞳に映る。
「桜夜が何を考えてコレを渡したのかは分からないけど私は……私は、良い機会なんじゃないかって思ってる」
「……良い、機会って?」
「お前の本心を知る機会だ」
凛とした眼差しに射すくめられ言葉に詰まる。
答えなんて、二つに一つしかない。
行くか、行かないかの二者択一。
いつものように選んでしまえばいい選択肢が目に見えているのに、何故か、今になってそれを躊躇っている自分が不思議でならない。
「…………」
ピタリと止まる二人の足。
雨も風も、周りの時間までもが静止してしまったかのような長い沈黙と奇妙な錯覚。
何となく司は、ここが自分の人生の分岐点だと悟ったような気がした。
単純な二者択一。
一緒に行くか、行かないか。
行かなかったら、また後悔するかもしれない。
ならば、一緒に行ったら、また後悔しなくて済むのだろうか。
「司……?」
どうしてしまったんだろう、自分は。
司は黙って、チケットの端を指でつまんで取り上げる。
「……“デート”じゃなくて、普通に遊びに行く分になら別に……異論、ないですよ」
土壇場に出た敬語で、しかも男の方がこういう態度なのは如何なものだろう。
案の定忍に「そうか」とクスクス笑われてしまい、司はそっぽ向きながら水溜りを踏みつけた。
※
「あぁー……うぅーん……もうちょっとこう……くっ付かないもんですかねぇ……」
そんな二人の姿を、とあるマンションの屋上から見つめる少女が一人がいた。
桜色の布地に金の刺繍があしらわれた、一目見ただけでも高級品と分かる羽衣。
雨が降っているのにも拘らず傘など持たず、亜麻色の髪はすでにたっぷりと雨を吸い込んでいてぺしゃんこになっている。
「……くっ付きそうでくっ付かない……もう、見ててこっちがイライラしますね全く」
あれから数日が経過して。
司自身が気付いているのか覚えているのかはともかく、桜夜の施した“おまじない”の効果は確実に現れていて、彼の縁は地面に植えた種が芽吹くような速度で少しずつ修復されつつあった。
桜夜の目には、彼の小指から漏れる小さな小さな菌糸のような“縁”が見えていた。
「何言ってんだい。君、ホントはあの二人にくっ付いてほしくないんじゃなかったっけ?」
「……あ」
しゃりん――という音と同時に雨が止み、見上げてみるとそこには赤い番傘の裏地。
気がつくと桜夜の背後には黒髪の少女が立っていて、彼女と同じ方向――司と忍が歩く路地を見つめていた。
「橋 那ちゃん……来てたんだ」
「ボクだって仕事があるから。君と、正反対のお仕事だけどさ」
背の丈は桜夜とそう大して変わらない。
烏の濡れ羽色といった具合の色合いの羽衣に、所々に彼岸花の花弁のような赤く細い刺繍が曲線を描いている。何処となく中性的な横顔に紅を差し、髪はかんざしで留められている。
最も目を引くのが、少女の腰に吊る下がった小さな――刀。
歴史の教科書か、それこそテレビゲームの中でしかお目に掛かれないような、七つに枝分かれした刃を持つ奇妙な形状の刀。抜き身の刃は雨粒を滴らせながら静かな光を放っている。然る立場の人間に見つかれば確実に呼び止められることだろう。
「縁を結ぶ仕事は楽しいかい?」
「じゃあ、縁を切るお仕事は楽しいの?」
「質問に質問で返さないでほしいな。ボクが先に聞いたのに。……答えは、イエスともノーとも言えないかな」
刀の唾に結びつけた鈴が小さく揺れて鳴り響く。
橋那と呼ばれた少女は番傘を桜夜に預け、雨に濡れるのも厭わず相合傘の中の二人を眺めた。
「でも、もしあの二人が結ばれて悔しい思いをするようならボクを呼べばいい。さっきも言ったけど、ボクの仕事は君の真逆――縁を断つ仕事だ。どんなに相思相愛の人間だろうと、ボクがこの刀でその“縁”を断てば一瞬のうちに嫌い合って」
「だ、ダメ! そんなこと、絶対にしないで!」
「……冗談だよ。そんなことをしたら、君のお仕事を妨害することになっちゃうし、君を悲しませちゃうからね」
そう微笑った橋那は張り巡らされたフェンスの上に腰を掛けると再び司達の傘へと視線を落とす。
「……けどさ、君も難儀だよね。今でもあの人のこと、好きなんでしょ?」
「へ? や、いやいやいや! そそ、そーんな訳ないじゃないですか! だって私は神様で、司君は普通の男の子ですよ? お付き合いとかそういう次元のお話は」
「君だって元々は普通の女の子……いや、今だってまだ人間側だ。ボクみたいに完全な神霊体じゃない。君の身体と意志はまだ完全にボクたち側じゃない」
「それは……えと、まだ私が新米だから」
「……ボクに嘘吐いてもムダだよ?」
「う……ぅ……」
橋那の双眸に映った桜夜はたじろぎ、やがて観念したと言った様子で大きく溜息を吐いた。
「橋那ちゃんは、誰かを好きになったことってある?」
「君の想う意味でなら、無いかな」
「……私も最近気付いたんだけどね。“好き”って気持ちはそう簡単には消えないんだ。例え自分が死んでも、神様になっても……ね」
番傘を畳み、桜夜はフェンスの上に腰掛ける橋那の隣に立つ。
雨は、止まない。
降りしきる雨粒は桜夜の髪をしっとりと滴らせているが、よく見ると橋那の身体には一滴も触れていなかった。
「未練って言うんだよね、こういうの。せっかく縁結びの神様になったのに、自分の未練に縛られてるって凄く嫌なんだけど……消えないんだ、全然。初めて会った時のこととか、一緒に遊んだこととか、そういう思い出全部覚えちゃってて、顔を見る度思い出しちゃって……」
「……」
「変だよね? これじゃ神様じゃなくて幽霊みたい。自分の気持ちに縛られてる神様なんて変。だからこそ、この気持ちは消さなきゃいけないのに……」
「だけど、その気持ちはそう簡単には消えない……ね」
「今なら幽霊の気持ちがよく分かる。こんな気持ち抱えたまんま成仏なんて絶対出来ない。気持ちに縛られて、縛られ続けて、ずっと苦しいもの。……まぁ、私は幽霊じゃないから成仏なんてしないけどさ」
「……じゃあ、君のその気持ちが叶ったら、君はどうなるんだい?」
「…………」
何も言わず、桜夜は灰色の空を見上げる。
何処も彼処も雲に覆われていて、太陽が差し込む余地は無い。
光が見えない、今の桜夜の心と少し似ているような気がして、知れず力の無い笑みがこぼれた。
「さぁ……どうなるのかな。叶ったら叶ったで、全部忘れちゃうのかな。そもそも実るわけないでしょう? もうこの世にいない人間との恋なんてさ」
もう、私は普通の女の子ではないのだから。
お久しぶりな更新。
中途半端だったため、今の今になって書き直しました。
次話から新しい章なんですが……それはまたお待ちくださいまし。




