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闇夜の開幕

 あまりにも迂闊だった。そう考え沙樹は歯噛みした。


 中根一人ならどうとでもなる。それにいざとなればケイタイを使えば、警察なり顕人なりを呼べるのだと信じていた。そしてそれを甘い考えだとは思っていなかった。


 なんと自分は愚かだったのだろう。ケイタイの電波がここで通じないとは、まったく持って思っていなかった。それに中根以外に、こんな化け物が待構えていたなんて……。


 化け物──漆黒のマントに身を包み、紅い輝きを発する眼を持つその男は、低い声で中根になにかを命じた。中根はニヤつきながら沙樹と愛莉を一瞥すると、足音も立てずにこの暗い部屋から出て行った。


 沙樹は辛うじて動く首を大きく動かし、部屋の全体を眺めてみた。場末のスナック──あくまでもイメージとしてだが──らしい室内は、まるで墨を流したかのような闇に覆われている。小さな窓には黒いカーテンが引かれ、一切の光が入らぬようになっていた。


 愛莉は腰が抜けてしまったように、床に座り込んで呆然としている。沙樹のようにここから逃げ出そうとする気配がないからだろう、愛莉は沙樹のように身体の自由を奪われていないようだった。


 沙樹は石のように強張っている自分の肉体を、床の上に横たわるだけになっている身体を、目だけを動かして見回した。特に変わった様子はないが、相変わらず自分の意思で動かすことはできそうになかった。


「──ふむ。どうもこの娘はなんとか『堕とす』ことが可能か……。いまとなれば手駒は多いほど良いからな。だが……。

 娘よ。そなたはどうにもならぬな。尊い血筋を受け継ぐ器がなさ過ぎる。人間の中では至極珍しい心の持ち主だ。だがそれが禍したとも言えるが……」


 赤い髪と目を持つ男は、沙樹と愛莉を見下ろしながら、平板な声でそう呟く。そしていまだに呆然としたままの愛莉に近づき、床に膝を着くと愛莉の体を引き寄せた。厭な予感が胸に湧き起り、沙樹は大声で叫んだが、その声は囁き声のように小さく、擦れていた。


 愛莉はようやく男の姿に気づき、抗うように身悶えしたが、一瞬でその抵抗を止めてしまった。そして魅入られたような表情で、男の紅い目を見つめている。


 男は無表情のまま、愛莉の白い首に牙を突き立てた。蕩けるような表情で、愛莉は何度か体を痙攣させる。沙樹は声にならない叫びを張り上げたが、無論その行為は中断されることはなかった。


 やがて紅い目の男は愛莉から離れた。愛莉は陶然とした表情で座り込んでいたが、男がなにやら命じると、ゆっくりとした動作で立ち上がった。



「愛莉……?」



 愛莉に態度に胸をざわめかせた沙樹は、擦れた声で呟いた。


 わずかに俯いていた愛莉は、囁き声よりも小さな沙樹の声に反応し、沙樹に向かって顔を上げる。



 ──ぞっとした。そして凄まじい喪失感に全身から力が抜けていった。



 冷ややかに、そして淫蕩に微笑む愛莉の顔は美しかったが、それはあの穏やかで純真な微笑みではなくなっていた。



 ──愛莉は違うモノに変わってしまったのだと、沙樹は本能的にそれを認めた。

そして絶望のあまり、最後の気力が根こそぎ失われてしまった。


(あたしがバカだった……。なぜ愛莉をこんな所まで……)


 激しい後悔に身を震わせ、沙樹は涙を溢れさせる。その目にぼんやりと映ったのは、二対の紅い、熾き火のような輝きだった。







 初音が運転するブルー・メタリックのセダンは、過給機(ターボ)の過給音を響かせながら速度を上げて行く。二車線の道路の幅を一杯に使い、次々と他の車を追い越しながら……。


 夜のしじまに爆音を響かせ、初音がハンドルを握るその車は、十分も経たぬ内に目的の雑居ビルに到着した。冴えたブルーの車体を、誰も居ない歩道に半分ほど乗り上げると、初音はすぐさま運転席のドアを開いた。


 それよりも先に、助手席の貴夜が飛び出していた。一目散に玄関ロビーに飛び込もうとするその背に向かい、「早まらないで!」と、初音は厳しく叫んだ。


「なんでだよ! 早くなんとかしないと──」


 立止まり、貴夜は険しい表情で振り返る。


「すこしは頭を冷やしたらどう? ここは罠だらけなのよ。わざわざあなたを呼び寄せた意味を、ちゃんと理解しているの?」


「──わかっているよ。でも、沙樹がアイツに捕まっているのはぼくの所為なんだ。黙っていられる訳ないじゃないか」


「それほど大きな声で叫び合っていたのなら、すでに私達の存在は知られてしまっているでしょうね」


 落ち着いたと言うよりも、関心のない平板な声の主を初音は振り返った。


「もっとも、彼らは最初から私達の存在を知っていたでしょうが……」


 シェラは腕を組み、小さな顎に小さな拳を当て、わずかに眉を顰めてビルを見上げる。その水色の瞳に、なにが映っているのだろうか……?


 初音は左手に下げた日本刀──無銘の新刀であるが切れ味は抜群だ。しかし退魔刀と言う特殊な刀ではない。あくまでも初音の能力が『鬼』を斬るのだ──をいつでも引き抜けるように構えていた。それが頭上から圧力を掛けてくる妖気の為であるのはわかっていた。きっとシェラもそれを感じ取っているのだろう。


 だが、貴夜にはそんなプレッシャーのような妖気を感じている素振りはない。


『闇の主』であるとリーゼロッテに断定されていながら、なぜこれほどに濁ったおぞましい気を感じないのだろう? やはり、まだ封印は完全には解かれていないのだろうか?


 それは初音にとって喜ばしいことであったが、この状況の場合、致命的なものでもあった。


 初音が内心、そんな矛盾した焦燥に駆られていると、ようやくリーゼロッテが車から降りてきた。相変わらず拗ねたような、詰まらなそうな表情を隠そうともしていない。


「なにか作戦みたいなものはないのかい?」


 貴夜はリーゼロッテに縋るように問い掛ける。それは初音にとっては苛立たしい態度であったが、この中でもっとも実戦経験の多いリーゼロッテこそが、この即席のチームのリーダーに相応しいのは事実だ。


「作戦? そんなものある訳ないでしょ」


 憮然とした表情のまま、リーゼロッテは貴夜に言い捨てる。


「あの『オーガ』に小細工なんて通じないわ。ここは奴が選んだ戦場よ。周到な罠と戦力が備えられているに違いないわ。しかも人質まで捕られている。これほどの不利な状況を、多少の戦略で覆せるものではないわ。それに、作戦を立てる暇なんかなかったでしょ?」


 初音はリーゼロッテの忌々しげな言葉に、わずかだけ驚きを禁じえなかった。


(ロード)』ともあろう者が、あまりにも素直に己の不利を口にしたのだ。


『闇の種族』にして最強の生命体である、傲岸不遜で冷酷な『(ロード)』ともあろう者が……。





「とにかく行きましょ。あなたの大事な『お友達』を救う為にね。多少の『護衛(ガーディアン)』は用意されているにしても、それぐらいは初音にだって任せられるでしょ?」


 リーゼロッテが急に話を振ってきたので、初音は一瞬だけ言葉を失い貴夜に視線を向けた。だがすぐに、すでにここまでの車中で、簡単ながら自分とその一族についての説明を終えていたのを思い出し、「ええ、もちろんよ」と落ち着いて答えた。



 貴夜は微妙な表情で、リーゼロッテと初音を交互に見ると軽い溜め息を吐いた。


「まぁ、それほど『護衛(ガーディアン)』の数は多くないでしょうから、このメンバーであれば『オーガ』に辿り着くのも難しいことじゃないでしょ」


 リーゼロッテは軽い口調でそう言いながら、初音の脇を通って進んで行った。


「──わかった。それじゃあ、力任せに中央突破と言うのが君の戦術だと言うんだね? でもぼくの力は、もう完全に封印を解かれているのか? ぼくは戦力になりうると言うのか?」


 自分の隣まで進んできた、澄ました表情のリーゼロッテに、貴夜は噛み付くようにして訊ねた。


「あなたの封印は解けているわ。完全ではないにしてもね。でもそれでいいのよ。もし完全に封印が解けたとしたのなら、あなたはあなたではなくなってしまうんだから……」


 リーゼロッテはどこか哀しげな微笑みを見せてそう答えた。貴夜は訝しげな表情でリーゼロッテを見つめる。


 初音にはわかっていた。貴夜がすでに『鬼種』としての能力に目覚めていることを。そしてその力が、初音が考えていたものより遥かに強大なものであることを……。




 リーゼロッテはなぜかそれを憂いてる。




 その力こそ貴夜が、彼女の仲間である『闇の主』であると言う証だと言うのに……。



「なんだかわかったようなわからないような……」貴夜は小さく息を吐いた。


「──まぁいいよ。取りあえずぼくは戦力に数えられるんだね? それで『オーガ』に──元『聖戦士』対抗する為の武器は用意できたのかい?」


「それは──」言葉を途切れさせ、リーゼロッテはちらりと貴夜の腰辺りを見ると、


「あの短剣は持ってきているのよね?」と、訊ねた。


「え? ああ、もちろんあれは持って来てるよ。大事な御守りなんだからね」


「そう──それならいいわ」リーゼロッテはなにか考えるような表情でに呟く。


(短剣……? それは──なんのことなの?)


初音はなんとなくリーゼロッテの言葉に引っ掛かるものを感じた。だがそれについて問う前に、リーゼロッテは胸を突き出すように睥睨すると、


「それでは行きましょう。このビルの中に居るのはすべて敵。そう考えてちょうだい。立ちはだかるすべて殲滅するのよ」


 と、高らかに宣言して歩き出した。


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