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一時の平穏

 閃光が爆発した瞬間、貴夜は自分の身体が宙に浮いた感覚を覚えた。そして戦場から遠退いて行くことを知り、激しく身を捩る。


(まだだ! まだアイツを殺していない! アイツはぼくが殺さなければ!)


そんなどす黒い、怒りと憎悪の感情が満ちている。右手に握ったままの短剣が、貴夜の感情に反応してか、ギラギラとした輝きを放っている。


 心の中で誰かが叫ぶ。


(殺せ! 戦え! 破壊しろ! )


 視界が真っ赤になった。怒りと憎しみが膨れ上がり、頭の中が爆発しそうな感じがした。凄まじいほどの闘争心が、圧倒的な暴力への渇望が込み上げてくる。


 ふわりと地面に着地すると、リーゼロッテは貴夜の腰に回していた細い腕を解き、貴夜を地面にぞんざいな形で投げ出した。


 地面に激突した瞬間、胸の中に湧き上がっていた黒い感情が霧散した。


「痛っ! な、なんだよ、着地にしては荒っぽ過ぎるんじゃないか?」


 貴夜が痛打した腰を押さえ、そう文句をつけると、

「すこしは頭を冷やしないさいよ」と、リーゼロッテはにべもなく返す。


「多少封印が解けたからと言って、なんでそんなに戦闘的になっちゃうの? 争いごとは嫌いなはずじゃなかった?」


「そ、それは……」


 そう言われて急に頭が冷えた。そして貴夜は、苦虫を噛み潰したような顔で、

「これがぼくの本性なのか……?」と独り言のように呟く。


 やはりそうなのだろうか? 『(ロード)』と言うものは、やはり邪で争いを好むモノなのだろうか? そして自分もそう言った存在なのだろうか?


 貴夜は自分自身の心の奥深くに潜んでいる、凄まじいまでの闘争心に怖れを抱いた。そして本能的に争いを欲している『(ロード)』と言う存在を呪った。


 このままでは自分が自分ではなくなってしまう。人一倍、暴力や他人との争いを嫌う貴夜は、まるで息をするかの如く、自然に他の命を奪おうと考えているもう一人の自分を恐れていた。


「あなたが戦いを欲するのは仕方ないわ。なんて言ってもあなたは『(ロード)』なんだから。でも、ただその欲求に盲目的に従うのはダメよ。本質は変わらないかも知れないけれど、あなたがヒトとして生きて来た、いままでの信念と感情は、決して失くしちゃダメよ」


 リーゼロッテがいままでにない優しげな声でそう言って、俯いたままの貴夜の肩に、そっと小さな手を置いた。そのリーゼロッテの手からは、穏やかで、そして温かいものが流れ込んできた。それと同時に、全身からなにかが抜けていくような気がした。


 胸の奥でまだ燻っていた怒りと、無軌道な破壊衝動は完全に消え去った。急に頭の中がすっきりと澄み渡る。


 貴夜はすぐさま理解した。リーゼロッテが貴夜に対してなにをしたのか。


「ああ──君はぼくを救ってくれたんだね? ありがとう……」


 貴夜はいつもの自分に戻り、素直な気持ちで微笑んだ。


「べ、別にあなたの為だけではないのよ! わたしは『闇の(ダーク・ロード)』なんてモノにあなたを変えたくなかっただけ。でもそれは、わたしの独善でもあるわ……」


 リーゼロッテの言葉は、最後の方はただの呟きとなって消える。


「良くわからないけど……。でもやっぱり、君がぼくの中に生まれようとした悪意を消してくれたのは間違いないだろ?」


「そ、それはそうだけど……」


「だったらやっぱり、君には感謝しないとならないな。ぼくがぼくでなくなる前に、君はそれを戻してくれたんだから」


 貴夜がそう言って微笑むと、リーゼロッテは微かに頬を朱に染め、視線を逸らした。


「それにしても、なぜ逃げ出したんだい? 君の身体は──その、傷も治っていたんだろうし、それに消費し尽くした魔力は回復したんだろう。ぼくから──」


「そうね。あなたの力を分けて貰ったわ。あ、でも誤解しないでよ。あんなこと、わたしだって初めてなんだから!」


「あんなこと?」


 真っ赤な顔をしているリーゼロッテを見て、貴夜はすぐにそれがなにを意味しているのか理解した。


「や、で、でも、ぼくだって初めてだったよ」


 貴夜は自分でも訳のわからないことを言っていると気づいた。そして自身の顔も熱くなっているのを感じ、きっとリーゼロッテと同様、ゆだったように赤くなっているだろうと思った。


 どこか気まずい沈黙が訪れた。だがすぐに貴夜は噴出し、声を上げながら笑い出した。


 リーゼロッテは訝しげに貴夜の顔を見上げた。やがて頬を膨れさせて、「なにが可笑しいって言うのよ!」と、拗ねたような声を出した。


 なにを恐れていたのだろう? 彼女はこんなにも人間らしい、愛情も人を労わる心も持っているではないか。『七主』とか言う、類稀なる力を持つ『闇の(ダーク・ロード)』だと言うのに……。


 貴夜はいままで、『(ロード)』と言うものは人外の化け物のような存在であると考えていた。魔力などと言う得体の知れない力を手にしている、その代償として人としての心を失くした、いわゆる悪魔のようなモノであると……。


 でもそうではないのかも知れない。すくなくとも目の前のこの少女は、そんなモノではない。貴夜はそう信じている。ならば自分も……。


「──君がぼくの師匠で本当に良かったよ」


 貴夜が心の底からそう呟くと、リーゼロッテは目を丸くして貴夜を凝視した。


「あ、あたりまえでしょ! わたし以上のマスターなんてどこにも居ないわ」


 テレを隠すかのように、リーゼロッテは胸を張り、どこか居丈高に答えた。だがその顔はいまだに赤く、無理に平静を取り繕っているようだった。


「はいはい。でも、それほど強い魔術師の君が、どうしてあの場から逃げ出したんだい? 君の魔力は全快したんだから、充分あいつと戦えたんじゃないか?」


「仕方ないでしょ! いくら魔力が回復したと言っても、あいつに魔術は効かないんだもの! 対『異端処理官(クルセイダー)』用の武器でもなければ、あいつのチェインメイルを貫くことはできないのよ。なんと言っても『異端処理官(クルセイダー)』と言う存在は、魔術や妖力を武器とするわたし達のような敵に対する、教会の最強の切り札なんだもの。彼らはその為だけに造られた、ある意味、わたし達『闇の(ダーク・ロード)』なんかよりよっぽど『異端』な存在よ」


 リーゼロッテは忌々しげに、そしてどこか傷ついたような口調で吐き捨てた。


「それじゃあ、あの人もやっぱり人間じゃないんだね?」


「──元々はヒトよ。でも、それを言うのなら『血族』だって『従者』だってそうだわ。

 あなたもヒトであるかヒトではないかなんて考え方は止めるのね。そんなことより、ヒトであろうとするかどうかを考えなさい」


 リーゼロッテは言い聞かせるように貴夜を見つめる。


 その通りなのだろう。実感が湧かないとは言え、いまや貴夜とて『闇の(ダーク・ロード)』とか言う存在なのだ。ヒトではない存在なのだ。だとしても、貴夜は自分をヒトだと思っている。すくなくともその心は人間のままだと信じている。


「それにしても、予定が完全に狂ってしまったわ。これじゃあ、わたし達がさっさとあの『オーガ』を始末しなければ、どうにも治まらないわね」


 リーゼロッテはうんざりと言った表情を浮かべ、大きく息を吐いた。


「え? なんでさ? ぼく達がなぜそんなことをしなければならないんだい?」


「あの『異端処理官(クルセイダー)』が本来の任務を放棄しているからよ。きっと彼は『オーガ』を処理する為にこの地に送られて来たはずなの。でもわたしを偶然──いえ、いまとなっては必然かしら? とにかくわたしを見つけてしまったあの『異端処理官(クルセイダー)』は、任務を後回しにしてまで、神の戦士としてより上位の『闇の眷族』を処理しようと考えたのよ。

 だからわたしが彼の任務である『オーガ』の処理をしてしまえば、彼もこの国からローマへ戻らざるを得ないわ。任務終了後には即時帰還。それが教会のルールですもの」


「なるほど……。でも、もし彼の新しい任務が君を追うことになったらどうするんだい? 教会が君の存在を知ったなら、新しい指令が下されるんじゃないのかい?」


「ああ、それはないわ」


 リーゼロッテは一瞬、どこか懐かしそうな、そして悔やんでいるような表情を見せた。


「教会は『(ロード)』に対して積極的には行動しないわ。リスクが大き過ぎるし、それに目立った脅威ではないから。潜在的には最大の脅威であろうとも、実質被害が少なければ一切の排除行動には移ろうとしないはずよ。こんな極東の地では、実行部隊だって揃えられないでしょうしね。それに、この国には教会とは別系統の組織もあるのよ。だから教会の新たな部隊が勝手にうろつき回ることもできないでしょうしね」


 リーゼロッテは冷静に分析しているようだ。


「それじゃあ──やっぱりぼくらがあの黒尽くめの男を倒さなければ……」


 貴夜は気乗りしなかった。口調にもそれが顕われていたのだろう。リーゼロッテは苛立たしげに「だからそう言っているでしょ」と答える。


 貴夜は小さな溜め息を吐いて俯いた。そんな貴夜の様子を見て、リーゼロッテもまた小さな吐息を漏らす。


「──まぁ、いいわ。どちらにしろ、いますぐと言う訳でもないんだから、取りあえず家に帰りましょう。色々と準備だってあるのだから、これから忙しくなるわ」


「準備? あの男は『血族』なんだろ? 『(ロード)』である君の力ならば、あの時みたいに簡単に倒せるんじゃないのか?」


 疑問を口にした貴夜は、初めてリーゼロッテと出会ったあの場景を思い出していた。あの時、『オーガ』と呼ばれたあの男は、リーゼロッテの魔術になす術もなく逃げ出したのではなかっただろうか?


「そう簡単なものじゃないの。確かにアイツは『血族』だわ。でもね、『(ロード)』と『血族』の能力差なんて言うのは魔力の総量ぐらいななのよ。身体能力はそう差はないし、しかも、あの男の血脈はあの方のもの。そして厄介なことに、あの男は『血族』に変化する以前、『聖戦士』だった経歴を持つのよ」


 リーゼロッテの言葉は、貴夜の心に暗雲をもたらすのに十分なものだった。

 






「お帰りなさいませ。予定よりも少々遅かったですね」


 玄関のドアを開けると同時に、ホールで待ち構えていたシェラがいきなりそう口を開いた。批難する訳でもなく、ただ事実を事実として述べていると言った口調で。


「ちょっと予定外の邪魔があったのよ」


 リーゼロッテは面倒そうな口調で靴を脱ぎ捨てて上框に爪先を乗せる。そんなリーゼロッテをシェラはちらりと見て、驚いた様子も見せずに呟いた。


「──ドレスが酷い有様になっていますよ。なにがあったと言うのです?」


 シェラの口調はまったく変わらない。だがその目には、どこか批難するような色が見えた。


「仕方ないでしょ! 『聖戦士』と戦ってきたんだから!」


 リーゼロッテはムッとした表情をして答えた。


「なぜ『聖戦士』などと戦闘になったのです? またミレディが要らぬちょっかいを──」


「な、なに言ってんのよ! わたしがなんであんなものにちょっかいを掛けなきゃならないって言うのよ! 向こうから仕掛けてきたのよ! ねぇ、そうよね、タカヤ」


「あ、ああ、そうだよ。あいつがいきなりリーゼロッテに挑んできたんだ」


 いきなり振られた貴夜であったが、疲れ果てた声でそう答える。


「それでお身体は? 傷はすでに治癒しているようですが……?」


「問題ないわ。だって貴夜に魔力を分けてもらったんだもの」


 なぜか得意げな表情でリーゼロッテが答えると、シェラは探るような目つきで貴夜を凝視した。そしてわずかに目を見開き、「そんなはずは……」と呟きを漏らす。


 だが一転して普段の落ち着いた表情に戻り、

「それではとにかくお休みください。あなたも魔力をそうとう失っているはずですから。ミレディはすぐにシャワーを。代えのお召し物は用意しておきます」

 と、貴夜達を促した。






 居間に入ると、姉の初音は慌てて貴夜に駆け寄った。そして抱きつかんばかりに貴夜の肩を両手で掴むと、じっとその目を凝視した。そんな姉の行動に貴夜は驚いていたが、特に抵抗することもなくなすがままにされていた。


「──大丈夫なのね? あなたは貴夜のままなのね?」


 しばらくして、初音は絞り出すような声で問い掛けてきた。その心配そうな声に、貴夜はなぜか胸が痛んだ。


「な、なんだい? ぼくはぼくだよ。なにも変わりはないよ」


 貴夜が慌てて答えると、目に見えてホッとしたように、初音は貴夜を抱き締めた。


「よかった……。もうあなたが違うものになってしまったかと思っていたのよ……」


 母が死んで以来、初音の涙を貴夜は見たことがなかった。だがいま、初音の眦から大粒の涙が盛り上がり、零れ落ちている。


 初音には『(ロード)』だの『闇の(ダーク・ロード)』だのとか言う話はしていない。そんなことを説明しても、信じてくれる訳がないと思っていたからだ。それなのに、姉はすべてを知っているかのような言葉を発した。


「ど、どうしたって言うんだよ。ぼくがなにに変わってしまったと言うんだよ?」

 貴夜がそう答えると、初音はほうと息を吐き、さらに力を込めて抱き締めてきた。


「ね、姉さん……」


 姉の思っても見なかった行動に、貴夜は途方に暮れてしまった。だが、姉から流れ込んで来る温かいエネルギーに気づき、訝しむと同時に心地良さを感じていた。自分がどれほど姉の初音に愛されていたか、初めて気づいたのだった。


「ちょっと、なにしているのよ、ハツネ! 早くタカヤから離れなさい!」


 しばらくの間、すすり泣く初音に抱き締められたままだったが、いきなり背後から悲鳴に近いリーゼロッテの叫び声が響き渡った。


 首を捻じ曲げて後ろを見ると、長い金色の髪からまだ水を滴らせ、バスタオル一枚を体に巻いただけのリーゼロッテが眦を吊り上げて立っているのが見えた。


「あら、姉が弟を心配して、そして無事を確認して安心しているのが悪いのかしら?」


 わずかに顔を上げ、姉がそう答えるのを聞き、貴夜は驚きの表情を浮かべた。明らかに初音の声に、挑発するような響きがあったのに気がついたからだ。


「だめよ! タカヤはもう、わたしのものなんだから! ね、そうでしょタカヤ!」


 リーゼロッテはいきなり貴夜の左腕にしがみついてきた。厚いタオルの生地越しとはいえ、柔らかな感触が腕に伝わる。


「わたしのもの? どういう意味なのかしらネェ、それは」


 初音が唇だけを吊り上げた笑みを浮かべ、貴夜とリーゼロッテを交互に見つめる。 


「タカヤはわたしと生きていくって言ったんだもの! だからわたしのものなのよ!」


「な! なんですって!」


 初音が悲鳴のような声を発する。完全に気が動転したような叫びだった。


「ちょ、ちょっと! それは確かにそう言ったけど──」


 慌てて貴夜がそう口を挟むと、初音とリーゼロッテが同時に貴夜を睨みつける。


「なによ、アレは嘘だったと言うの!」


「なんて軽はずみな約束をしたの!」


 二人からステレオで叫ばれ、貴夜は耳がキーンとなった。


「なにをしているのです、あなた達は」


 平板な声がいつの間にか姿を現わしたシェラから発せられた。どこか呆れたような調子が宿っているように聞える。小さな両手には、リーゼロッテのものであろう畳まれた衣服が捧げられるように載っていた。


 慌てて二人は貴夜から離れた。初音は恥ずかしそうに赤く頬を染め、リーゼロッテは膨れっ面をして横を向いた。


「いつまでもはしたない格好でうろつかないで下さいミレディ。タカヤだって困っているではないですか」


 シェラの言葉に、リーゼロッテはすぐさま反応し、

「なぜよ? タカヤがなんで困っているっていうのよ?」と、言い返した。


 そりゃ困るさ。貴夜はそう言いたかったが、リーゼロッテは本当に不思議そうな顔をしているのに気づき、その言葉を飲み込んだ。


「わからなければそれでもいいでしょう。さぁ、早く着がえてきてくださいな」


 シェラは両手を突き出し、その上の着替えをリーゼロッテに手渡した。まだリーゼロッテはなにか言い返そうとしていたが、真っ直ぐに見つめるシェラの視線に屈して、「わかったわよ」と言ってその場から立ち去った。なにか罵るような呟きが聞えたが、シェラはもちろん、そんな言葉を無視していた。 


「あなたもお着替えになったらどうですか? その間にお茶でも淹れておきましょう」


 シェラは澄んだ空の色の瞳を、じっと貴夜に向ける。


「あ、ああ、そうさせて貰うよ」


 貴夜はそう答えて自室に向かって歩きだした。急に疲労を思い出したかのように、その足は鉛のように重かった。


(ああ、そう言えば──なぜ姉さんはぼくのことを……?)


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