送火(前)
八月十三日は、ペルセウス座流星群がいちばん多くの流星を降らせる日だ。
学校も世間も夏休み中だからか、星空教室には二十人ほどの子どもたちとその両親が集まった。今年でいちばん盛況だった。
一時間に十個くらいの明るい流れ星があるから、楽しみにしてください。そう説明してから、夜空を見上げる。天気予報では晴れだったが、雲が広くかかっていて、その隙間からいくつかの星が見える程度だった。
真優理が、ため息を落とした。
「これやと、あんまり見えへんかもなぁ」
四月の月食もそうだったが、自然が相手のことだからしかたがない、と思うしかなかった。
それでもいくつかの流れ星を見ることができて、夜が更けないうちに星空教室は解散した。
そのあと、僕たちだけで観望を続けようかとも思ったが……。
「今夜はこれでおしまいやな……」
高橋先輩が、早々に終了を宣言した。
「……なんせ、俺も天水も、明日は朝から採用試験やからな」
「ごめんね」と、春花も頭を下げる。
真優理が、ふんと鼻を鳴らして春花を一瞥した。
「ウチはべつに、星河と二人でやっててもええねんで。ふたご座流星群の告白の続き、きっちり聞かせてもらいたいしな」
僕は飲みかけのアイスティーにむせた。高橋先輩は顔色ひとつ変えなかったが、春花は眉を寄せた。やはりここで切り上げた方が良さそうだ。
「今夜はこれまでにして、代わりに明々後日、送り火を見に行きましょう。試験の慰労会も兼ねて、どうですか」
僕の提案に、「ほう」と高橋先輩が相好を崩した。
「星河も、気の利いたことが言えるようになったやん。俺はもちろん、賛成や。真優理も天水も、行くやろ?」
真優理は「ええで」と口の端を上げ、春花は「うん」と大きく頷いた。
送り火の夜、春花と真優理は、宵山と同じ浴衣姿だった。
僕は、去年のことを思い出す。夕方から鴨川デルタに場所をとって、酒盛りをしながら点火を待ったのだが、時間が経つにつれてどんどん人が増えて、送り火は雑踏の頭越しに見るという、風情のない結果になってしまった。
今年はその反省から、秘策を使うことにした。
大文字が点火される時刻の午後八時に合わせて、僕たちは加茂街道を北上し、出町柳駅に通じる道に出た。
大勢の見物客の彼方に、「大」の火文字がくっきりと浮かび上がって見えた。
道路は歩行者天国で人があふれているが、警察官の誘導に合わせて群衆はゆっくりと東に向かって進む。
賀茂川にかかる出町橋にさしかかると、吹き抜ける川風が立ち込めた熱気を払って涼を運んできた。そのまま人の流れにまかせて高野川にかかる河合橋に出ると、右手には「大」の火文字を、左手の遠くに「妙法」のうちの「法」の火文字を、同時に眺められるスポットに着く。
警察官が「立ち止まらないでください」と繰り返す声を聞き流しながら、僕たちはのんびりと写真を撮り合って、二つの送り火を楽しんだ。
雑踏のなかで、僕は春花と手をつないだ。
それを見た真優理は、「ほなウチはこっちやな」と言って、高橋先輩の手を掴んだ。真優理の浴衣の袖が翻り、柑橘系の甘い香りがした。僕は、宵山で高橋先輩が買い求めていた香水だろうと当たりをつけた。
すん、と鼻を鳴らしたのが聞こえたのか、真優理が振り返った。
「マンダリンの香りや。夏の宵にはぴったりやろ。ウチ、気に入ったわ……」
そう言って、浴衣の胸を張る。
「……親父がびっくりしよってな。ウチ、香水なんかつけたことなかったから。なんや神妙な顔して、やっぱり男親はあかんな、とか言いよって」
「真優理……先輩のお父さんって、ほんとうにいい人ですよね」
仲のいい父娘の姿が目に浮かんで、僕は何の気なしにそう答えた。
真優理が目を細める。
「そやろ、ほんまに親父には感謝してるんや。自分の子でもないのに、ここまで育ててくれたんやからな」
真優理の口ぶりがさらりとしていたから、言葉は耳に入ったのに、その意味を脳が理解するのに時間がかかった。
やや間があってから、「え」と当人以外の三人が声を揃えた。
高橋先輩が、誰よりも早く、真優理を正面から問い詰めた。
「いまの話、どういうことや」
真優理は、苦笑を浮かべた。
「あれ、言うてなかったっけ。ウチ、養子やねん」
「それ、はじめて聞いたんですけど」
僕の指摘を、真優理は「まあ、ええやん」と受け流した。なんだか、無性に腹立たしかった。
高橋先輩が、真剣な面持ちで真優理に詰め寄る。
「いやいや、ええで済むわけないやろ」
はあっと深い息をして、真優理は立ち止まる。
歩みを止めた僕たちのまわりを、雑踏が通り過ぎていく。
「ウチはいわゆる、私生児っちゅうやつでな。ほんまの父親は、ウチが生まれてすぐに今の親父に預けて、修行するとか言うてインドに行ってしもうたんやて。そのまま行方不明で、今はもう死んだことになってるねん。ウチは一族の汚点みたいなもんやから、引き取ろうという親戚もおらんかったらしいねん。で、結局、菩提寺の住職やったいまの親父が手を挙げてくれたんやて」
真優理の生い立ちには驚かされたが、それでも最後はいい話だと思った。無責任な実の親や親戚たちよりも、養父の方がはるかにましというものだ。
「だから、お寺を継ぎたいんですね。お父さんも喜ぶんじゃないですか」
僕の言葉に、真優理はゆっくりと頭を振った。
「そうやったら、ええんやけどな……。なんかお腹すいたわ。ぱあっと晩御飯いこか」
真優理がなかば強引に話を締めくくったそのとき、春花のスマホが震えて着信を知らせた。
スマホを耳に当ててすぐ、春花の顔色が変わった。
「……わかりました。明日の朝、いちばんのサンダーバードで帰ります」
消え入りそうな声でそう答えた春花は、震える指でなんどかスマホの画面をスワイプして、ようやく通話を切った。
「ごめんなさい、わたし、もう帰ります」
「どうしたの、誰からの電話?」
僕の問いに、春花はぽろぽろと涙を零した。
「父が……倒れて。いま、ICUに入ってるって……」
あとは、涙声で「どうしよう」と繰り返すばかりだった。




