第四章 魔女(5)
その沈黙を打ち破る様にヴァネロペの側近の一人であるクラーラが口を開く。
「ヴァ、ヴァネロペ様。この女の言うことなど気にしないで、早くかの少年を連れてこの場を去りましょう。ここは人臭くて堪りませぬし、貴女様の足の具合にも差し障りますし」
彼女はヴァネロペの傍まで駆け寄ると、ヴァレンシアから守る様に彼女の前に立ち塞がった。
ヴァレンシアは眼前に立つクラーラを冷めた瞳で見据え、
「……お前は、あの“泣き虫クラーラ”ね。その蒼き双眸には見覚えがあるわ」
「その名前で呼ぶな、“売女”。私はあの頃の私ではない。ヴァネロペ様の為に過去の弱き自分を変えたのよ」
ギリッと歯を食いしばったクラーラはヴァレンシアの一言を聞き、実に忌々しそうに顔を憤怒に歪ませつつ、手にした装飾付きのレイピアを突き付ける。
レイピアの切っ先は微塵もぶれずにヴァレンシアへと向けられており、その刀身には薄紫色の魔力の帯が渦を巻くように纏わっていた。
どうやらこのレイピアは、彼女の呪文を発動させる“杖”のような物なのだろう。杖は魔女たちによって代物は違うので、別にクラーラの獲物がレイピアだからといって不思議ではない。
もっとも魔女の中でも無理に杖を必要としない人物が約5人いて、ここにいる中でも3人ほどが当てはまる。
その人物はヴァネロペ、ヴァレンシア、ルーシアである。
彼女たちは杖も使わずに己が魔力を行使できるが、他の魔女たちは杖を使用しないと己が身に秘める魔力を行使できない(杖を携帯していれば魔力を纏うことは出来るが、その魔力を媒介して魔法を放つことは出来ない)。
この差にさほど大きな違いは見受けられないが、こと魔女たちにとっては大きな違いなのである。それはまさにそう魔女としての“格”を問われるほどなどである。
故に杖を装備しないことは魔女としての憧れであるのと同時に、魔女としての“最高峰”に立つといっても過言ではないのだ。
故にみな“杖なし”を崇拝する。
しかし、“杖なし”の多くは――――――、裏切り者と化した。
数多の魔女の上に立つ者は、ヴァネロペただ一人を残して“人間派”に回った。
その瞬間から、一つの集まりだった魔女たちは二つの派閥に別れ、ここ数百年ほど関係は改善されないまま今日まで至るというわけだ。
特にヴァネロペの側近の多くはルーシアたちの事を慕っていたこともあって、彼女たちの裏切りにひどく狼狽し深い絶望を味わった。最初は信じられなかったが、時が経つにつれて敬愛は憎しみへと変わった。
“人間派”の魔女たちを始末するために必死に腕を磨いた。昔に比べて魔法の威力も格段に上がった。
これで怖いものは何もない、と意気込んでいたのに――――――。
「……どうしたの、クラーラ。切っ先が震えているわよ」
「!?」
指摘されるまで分からなかったが、突き付けたレイピアの切っ先が僅かにだが震えていた。それは恐怖によるものなのか、それとも別の感情からくるものなのか、今のクラーラにはその答えを冷静に分析できる余裕はなかった。
「……前にも教えたはずよ。魔法を放つときは一時も気を緩めてはいけないと」
動転するクラーラの隙を見逃さなかったヴァレンシアは、流れるような動作で彼女の額に人差し指をソッと押しつけ、
「……あっ」
「――――――――“そこをどきなさい(ルー・ヴァンレンシアス・ゼーラ)”」
たったその一言だけで。
クラーラの体はまるで見えない拳に殴りつけられたかの様に、後方へと数mほどぶっ飛び家屋の壁に激突した。
「――――――かはっ!!」
石壁に背中を強打したクラーラは声なき悲鳴を挙げ、ズルズルと壁伝いに力なくずり下がり尻餅をついたままピクリともしなくなった。
その様子を見ていたヴァネロペたちは顔色を変えて、クラーラに手を出したヴァレンシアへと敵意むき出しの視線を向ける。
「――――――ヴァレンシア、まさか貴女の弟子だったクラーラにまで手を出すとは!!」
「関係ない。私がお前たちから背を向けたその時から、クラーラとは袂を別った。最早その女は弟子でも何でもないのよ」
気を失ったクラーラを見る目は何の感情も映していなかった。まるでそこら辺の道端に転がっている石ころを見下ろす様に。
彼女の放つ禍々しい雰囲気に、かつてヴァレンシアをヴァネロペ同様に慕っていた魔女派の魔女たちは、恐怖に全身を震わせて手繰り寄せるようにして腰や背中に下げた己が“杖”へと手を伸ばす。
「―――――さぁ、次は誰? アンナ? リリシア? それとも我が愚妹であるヴァネロペ? 我が“人間派”に手を出した事を後悔させてあげる」
謳うようにそう宣告したヴァレンシアは、スッと流れるような動作で手のひらをヴァネロペたちの方へと構え、
「――――――“さぁ、遊びましょう(クルージア・ダガ―ラス)”」
一詠唱。
呪文らしい呪文ではないのに、彼女の口から言葉が紡がれると同時に、ヴァレンシアを中心に拳大ほどの火球が数十個ほど浮遊し始めた。その火球はどれもが意志を持っているかのようにいろんな形に姿を変えて、ヴァネロペたちを翻弄し続けていた。
浮遊している火球の何体かは地に降り立つと、その姿を炎狼に変えてヴァレンシアを護るかのように四方を囲い威嚇し始める。
特に命じてもないのにただの火球を狼の姿に変えるのは、ユートピアに存命する魔女たちの中でもごく限られた魔女しか扱えぬ魔法であり、その魔法を扱える者でも流石に無詠唱では使用はできない。
しかし、その高等魔法を詠唱無しに使用できる者がたった一人だけ存在する。
そう、それは今実際に事も無げに繰り出して見せたヴァレンシア本人である。
仲間だったころのヴァレンシアからは想像できないほどの、禍々しささえ感じられる魔力を糧にした炎狼たちは低い唸り声を発しながら、少しずつヴァネロペたちの方へと距離を詰めていく。
黒く揺らめく炎の揺らめきからは、こちらに対する敵意と殺意に満ち満ちており、ヴァネロペの背後に控える魔女たちは、恐怖心からくる焦燥感を和まそうと何度も生唾を嚥下しながら、そんな自分たちを鼓舞するかのように手にした杖を構え始める。
しかし、構えたといってもほんの気休め程度にしかならず、とてもじゃないがヴァレンシアとまともにやり合える状態ではなかった。そもそも“魔女派”の魔女の中でもトップクラスの実力を持つクラーラさえも、あっさりと瞬殺にしてのけた彼女に勝てる見込みなどゼロに等しかった。
それでもあまり魔法を使用することが出来ないヴァネロペの為に、ここは自分たちがヴァレンシアの相手を務めあげなければ彼女の臣下としての面目が立たないのも事実だ。
ヴァネロペはあまり表情に出さないが、先ほどのルーシアに放った魔法で体力の半分を持っていかれているはず。魔法を唱える際には全身の筋力をフルに使用する必要があるので、半身不随のヴァネロペは上半身のみの筋力しか使えないため、普通の魔女より疲労感が半端ないのだ。
仮に魔法詠唱による体力or精神力の疲労具合をヴァネロペとその他の魔女で比較してみると、一詠唱における疲労感はヴァネロペが6割、その他の魔女たちは2割といったところか(勿論、数値を100と仮定した上での推測だが)。
その為、一魔女の平均詠唱数は7~8回ほどだが、ヴァネロペはその日の体調面にもよるが多くて4回、少なくて2回ほどなのだ。
今日はいつもより体調も良さそうなので、流石に1回ということはないだろうが、それでもあと良くて2回ほどであろう。
だから、今この状態で“あの”ヴァレンシアの相手を努めさせるのは酷すぎる。
主の危機を察知した忠実なる臣下である魔女たちは、ヴァネロペを護衛するかのように、その周りをグルリと取り囲む。
自分たちの行く先の阻まれた炎狼たちは激しく牙をむきながら吠えたて、その吠え声に呼応するかのように炎狼の周りを浮遊していた、いくつもの火球が炎の勢いを上げ始める。
その様子はさながら意志をもっているかのようで……、改めてヴァレンシアとの格の違いを思い知らされた魔女たちは半ば半泣きの表情を浮かべるも、それでも己が主を護るべく気丈に睨みつける。
その様子をつまらなさそうに見ていたヴァレンシアは、フンと鼻息を漏らすと同時に指をパチンと鳴らす。
「美しき忠誠心ね。だけど、それが“私”にとっては目障りなだけ」
ブォワ、とヴァレンシアを取り囲んでいた炎狼たちが周りの火球を取り込み、次第に大きな炎の渦となって激しく燃え上がる。
「お前たちの忠誠心は所詮馴れ合いに過ぎない。同等の相手としかつるめない、偽りの関係。私はね、ヴァネロペ。お前の“夢”を壊すために“人間派”を設立したのよ」
イマイチ要領を得ないヴァレンシアに、痺れを切らしたようにヴァネロペが続きを促す。
「……で? 結局何が言いたいのかしら? ヴァレンシア」
「ここまで言っても伝わらないとは、愚妹にも程があるわね。いいわ、はっきりと言ってあげる」
ヴァレンシアが言葉を一旦区切るのを合図に、彼女の周りで渦巻いていた炎の渦がまるで何かの形を模る様にヴァレンシアの左腕に集結し、炎の渦の勢いが弱まる頃にはその手には一振りの豪奢な飾りのついた炎を纏うレイピアが握られた。
ヴァレンシアは“杖なし”ではあるが、よく戦闘の見目にこだわって杖を装備して魔法を使用することも多々あった。
奇しくもそのレイピアはクラーラが愛用する“杖”と対になっており、クラーラの持つレイピアも元々はヴァレンシアの物であったのだが、ヴァレンシアがクラーラの弟子入りの際に片方のレイピアを師弟の“証”として渡したのだ。
クラーラのレイピアには水の力、ヴァレンシアの持つレイピアには炎の力が宿っており、それぞれ強力な代物であるが、使い手の魔力の質によって威力も変わるので、現時点ではヴァレンシアの持つレイピアが最強といっても過言ではないだろう。
ヴァレンシアは手慣れた手捌きでレイピアを振るうと、その剣筋に色を添えるかのように煌びやかに光る炎が空中を踊る。
腕が鈍っていないことを確認したヴァレンシアは、今までとは比較にならないくらいの敵意をその身に宿しつつ、眼前に居並ぶヴァネロペへと視線をやる。
「――――――ヴァネロペ、お前の事が嫌いだからよ」




