第62話「黄金の迷走と猫の団子」
第62話「黄金の迷走と猫の団子」
【東暦一五七三年 八月下旬・非営業日の喫茶厨房本能寺】
厨房の最奥に鎮座する、堅牢な暗幕に閉ざされた金碧の特殊区画。
心からの【喜び】に呼応し、部屋や指定した品を眩い黄金色に染め上げる本能寺の祝祭設備――『黄金茶室』。
その威容を前に、長秀が手帳にペンを滑らせ、最終議題を告げた。
「……では、究極モーニングセットの掉尾を飾る【喜】の枠――黄金茶室で演出するデザート候補の選定に入ります」
「おうッ!」
信長が腕組みをして仁王立ちになった。
「フレンチトーストの洋の甘み、平蜘蛛角煮の塩気、珈琲の深い苦味、そして燻製ゆで卵のスモーキーなコク……。この重厚極まりない朝餉を美しく締めくくるにふさわしい、至高の和のスイーツを黄金茶室の光で演出するぞッ!」
だが、その号令に対し、厨房組の成政と一益が冷静に顔を見合わせた。
「……信長社長。身も蓋もない現実を申し上げますが」
成政が腕を組んで眉を寄せる。 「黄金茶室はそもそも【調理機械】ではありません。客の真の喜びに呼応して黄金色に輝く『感情エネルギー設備』です。茶室の中で火を使ったり、粉を練ったりして一から菓子を焼き上げるなど、物理的に不可能です」
「然り」
一益も手帳を叩いて頷いた。
「黄金茶室の光で照らすことができるのは、すでに完成しているスイーツのみ。熱源や攪拌機を伴う複雑な製菓工程は組み込めません」
「む……そうであったな」
信長が腕を組み、唸る。 そこへ、ホール担当の前田利家がひょいと手を挙げた。
「なら社長! うちの看板メニューである『黄金色に輝くソフトクリーム』でいいんじゃないッスか? 既存のソフトクリームに黄金茶室の発光チューニングを合わせれば、見た目もド派手で写真映え間違いなしッスよ!」
「おお、それだ!」
秀吉も膝を打つ。
「ソフトならサーバーから抽出して運ぶだけ、オペレーションも秒速です!」
平蜘蛛の六十連発で白目を剥きかけていた光秀も、その提案にすがりつくように息を呑んだ。
(そ、そうだ……! 既存のソフトクリームで決まってくれ……! 新しい調理機械なんて導入されたら、また私の哀愁や誰かの胃袋が犠牲になる……ッ!)
スタッフ一同が「これで手打ちにしよう」と安堵の空気を共有しかけた――その瞬間。
「――否ッ!! 断じて否でありますッ!!」
ドッゴォォォォォンッ!!
長机を両の拳で粉砕せんばかりに叩きつけ、猛然と立ち上がったのは――やはり柴田勝家であった。
「し、柴田殿ぉぉぉッ!? またあなたですかッ!?」
光秀が椅子から飛び退いて悲鳴を上げる。
勝家は筋骨隆々の胸板をドカドカと叩き、フロアを揺るがす重低音を響かせた。
「利家、貴様はそれでも本能寺の漢かッ! ソフトクリームなど、どこのサービスエリアや観光地の喫茶店でも食えるではないかッ! 天下の織田信長が朝餉の天下を獲ろうという場に、ありふれたソフトをそのまま流用して恥ずかしくないのかッ!!」
「うぐっ……!?」
利家が怯む。
勝家はギラギラと目を輝かせ、直立不動で信長へ進言した。
「社長ッ! 某に妙案がございます! 他の喫茶店や洋菓子店で使われているワッフルベーカー、クレープ焼き器、チュロス揚げ機……ありとあらゆる製菓マシンを一気に厨房へ導入するのですッ!! そして生み出された多種多様なデザートを黄金茶室の光で照らし出せば、他店には絶対に真似できぬ唯一無二の黄金デザート十種盛りが完成いたしますッ!!」
「……!」
信長の瞳が、カッと見開かれた。
「黄金茶室で輝かせるスイーツの母数を、機械を買い揃えて片っ端から増やすだと……? ほう……! それは思いつかなかったぞ勝家ッ!」
「め、め、滅相もないッッ!!」
一益と成政、利家の顔から血の気がサーッと引いた。
(アカン……! 勝家さんの言ってること、理屈としてはめちゃくちゃ筋が通ってしまっとる……ッ!)
製菓機械を導入して多種多様なデザートを作り、黄金茶室の光で照らせば、確かに「本能寺でしか食えないド派手なデザート」が成立してしまう。
だが、そんなものを朝のラッシュ時に導入すればどうなるか。
ワッフルを焼き、クレープを巻き、油でチュロスを揚げながら、ソフトを巻き、黄金茶室の照明に合わせる――厨房とホールのオペレーションは一瞬で爆発炎上、物理的な地獄絵図と化すのは火を見るより明らかだった。
しかし、料理狂の信長が「面白そうだ」と食いついてしまった以上、頭ごなしに「忙しくなるから嫌です」などと言えば即座に却下される。
反論の言葉が見つからず、全員が絶望に息を呑んだ――その時。
(……嫌だ。絶対に嫌だ……!)
床に這いつくばっていた明智光秀の脳裏に、凄まじい防衛本能がスパークした。
(ここで新しい機械を何台も入れられたら、その設置スペースのために私の居場所が奪われる……! それどころか、また深夜の試作と調律で過労死してしまう……ッ! 何か……何か信長社長の目を逸らし、かつオペレーションを増やさない決定打はないのか……!?)
必死の形相で店内を見回した光秀の視線が――レジ横の特等席にピタリと止まった。
そこには、金色の座布団の上にちょこんと座り、右手を挙げて愛らしく微笑む、あの本能寺の大恩人――『にゃん丸君招き猫』が鎮座していた。
(……これだッ!!)
光秀はガバッと跳ね起き、信長と勝家の間に決死のスライディングで割り込んだ。
「社長ッ! 勝家殿の提案には、重大な見落としがございますッ!!」
「なに? 見落としだと、光秀?」
信長が眉を吊り上げる。
光秀は脂汗を流しながら、レジ横の猫をビシッと指差した。
「今の我が本能寺において、圧倒的な人気を誇り、客を呼び寄せている最大のシンボルは何ですか!? ソフトでもワッフルでもありません……あちらに鎮座まします『にゃん丸君招き猫』ですッ!!」
「……にゃん丸君だと?」
「然りです! モーニングの最後を飾るべきは、どこにでもある洋菓子の寄せ集めなどではない! お客様がひと目見て歓声を上げ、本能寺に来たと実感できる――『にゃん丸君招き猫の姿をあしらったデザート』こそが、真に求められている至高の一品ではありませんかッ!!」
光秀の渾身のハッタリ。
しかし「にゃん丸君招き猫の姿」と具体的に言ったものの、それをどうやってオペレーションを増やさずに作るのかまでは光秀の頭にもなかった。
(し、しまった……勢いで言ったはいいが、どうやって猫を再現するんだ……!?)
光秀が冷や汗を吹き出させた、まさにその瞬間。
その意図を神速で察知した羽柴秀吉が、電光石火の勢いで飛び込んできた!
「社長ッ! 光秀店長の発言、まさに慧眼ですよ!」
「秀吉? 貴様、何か思いついたのか?」
「はい! 先日、寧々ちゃんと犬山城下町へデート……ではなく市場調査へ行った際、城下町で飛ぶように売れていた名物の『恋小町団子』を食べたんです!」
秀吉は満面の笑みで身振り手振りを交え、捲し立てた。
「色鮮やかな餡を乗せた可愛らしい串団子なんですが、あれを見た時に閃きました! 三連の串団子をベースにするんです! 一番上の団子に特製餡で『顔』、真ん中の団子に『胴体と招く右手』、そして一番下に『足元と座布団』を模った細工を施し、一本の串団子全体でにゃん丸君招き猫を表現して提供するんですよ!」
「む……! 単に顔を借りるのではなく、三連の団子でにゃん丸君招き猫そのものを描き分けるだと……?」
信長の目がピクリと動く。
秀吉はさらにニヤリと策士の笑みを深め、畳み掛けた。
「その通りです! 団子なら事前に仕込んでおけるため、朝の厨房で粉をこねる必要も、新しい機械を何台も回す必要もありません! しかも社長、結婚式の折、本能寺の変で清須市中を黄金の光で染め上げて有名になった際、引き出物として使わせていただいた犬山市の特産品や、公式キャラクターである『にゃん丸君』の招き猫までもが神々しく黄金に染まったことで、犬山市や観光協会からは絶大な感謝と信頼を寄せられています! 犬山の恋小町団子を参考にした、にゃん丸君招き猫団子の企画を持ち込めば、二つ返事で快諾してもらえますよ!」
「な……なにィッ!?」
信長が目を見張り、膝を打った。
犬山との縁と、にゃん丸君の圧倒的人気。
そして、事前に仕込める串団子というオペレーションの軽さ。
そこへ、黄金茶室の前で腕を組んでいた長秀が、電卓をパチリと鳴らして冷ややかに告げた。
「……秀吉殿の提案、極めて合理的です。新たな機械投資はゼロ。事前仕込みが可能なので、朝の提供工程への負荷も最小限に抑えられます。犬山、にゃん丸君、黄金茶室の三要素が揃えば、SNSでの話題性も従来のソフトクリーム以上が期待できます」
「……よし! ならば実際に試してみようではないか!」
信長が腕をまくり、厨房の冷蔵庫から仕込み済みの三連団子を取り出してきた。
成政と一益が手際よく、信長の指示通りに白餡と練り餡を絞り分け、一番上に愛らしい猫耳と笑顔、二段目に招く右手、三段目にふくよかな足元を瞬く間にあしらっていく。
皿の上に現れたのは、見事なまでに愛らしい『三連にゃん丸君招き猫団子』であった。
「……おお、見事な仕上がりだ。これを黄金茶室へ運べ!」
信長の号令で、利家が恭しく小皿を暗幕の奥――黄金茶室の中央に据えられた金碧の台座へと置いた。
一同が息を呑み、静まり返る個室を見守る。
その時だった。
「わぁ……! すごい、めちゃくちゃ可愛いッスよこれ!」
利家が思わず屈託のない満面の笑みをこぼした。
その心からの【喜び】に呼応するように――。
カチッ……キーーーン……。
ふわっ……!
黄金茶室の真鍮製ランプが、黄金の光を宿すように一斉に灯り、柔らかな琥珀色の光が個室全体へと静かに広がった。
スポット照射が三連団子をピンポイントで捉えると、串の上のにゃん丸君招き猫が、まるで神々しい後光をまとったかのように眩い黄金色に浮かび上がったのだ!
「「「おおおおおおッ……!!」」」
誰からともなく感嘆の溜息が漏れた。
黄金の光に照らされたにゃん丸君招き猫は、ただの菓子を超え、見る者すべての心を温かく震わせる「福の神」そのものの輝きを放っていた。
信長はゆっくりと視線を下ろし、黄金に輝くその姿を見つめ――やがて、ニヤリと凶悪なまでの笑みを浮かべた。
「ガハハハハハ! 見事だッ! どこぞの機械で作った洋菓子なんぞより、本能寺の福の神たるにゃん丸君を黄金の光で照らし出す方が、遥かに天下人の朝餉にふさわしいわッ!!」
信長は作業台をドカンと叩き、全軍へ向けて高らかに宣言した。
「決まりだァッ!! 【喜】の枠は、犬山の美意識とにゃん丸君の愛らしさを黄金茶室の光で演出する――『黄金に輝くにゃん丸君恋小町団子』とするッ!!」
「「「おおおおおおッッ!!」」」
厨房に歓喜の怒号が響き渡った。
勝家は「ぐぬぬ……にゃん丸君殿が相手では致し方なしッ!」と腕を組んで豪快に笑い、利家と成政は胸を撫で下ろしてハイタッチを交わした。
そして、床に膝をついた光秀は、震える手で自らの胸を押さえ、熱い涙を流した。
(か、勝った……! 奇跡的に勝ったぞ……! 機械の導入も、深夜の新たな試作地獄も、すべて完全に防ぎきった……ッ! 秀吉殿、本当にありがとう……ッ!!)
長秀が手帳をパチンと閉じ、全員を見渡して厳かに告げた。
「これにて、すべての感情エネルギー設備を網羅した『本能寺・究極モーニングセット』の陣容が完全に確定いたしました」
【喫茶厨房本能寺・究極モーニングセット】
一、主食:極薄キャラメリゼの『至高のフレンチトースト』
二、肉料理【哀】:平蜘蛛超高圧・豚の角煮(選べる五大野菜ソース)
三、珈琲【哀】:平蜘蛛抽出『漆黒の涙』(五つの銘より選択)
四、燻製【楽】:浅井農園直送『楽市楽座・極上燻製ゆで卵』
五、甘味【喜】:黄金茶室演出『黄金に輝くにゃん丸君恋小町団子』
「よし貴様らッ!」
信長が仁王立ちになり、熾火の瞳を燃え上がらせて厨房中に号令を下した。
「陣容はすべて整った! 明後日の朝一番、この究極モーニングを一斉に解禁し、尾張名古屋の朝の胃袋を完全に掌握するぞッ!!」
「「「オオオオオッッ!!」」」
幾重もの炎上と、狂気の哀愁調律、そして知略が交錯した『清洲会議』を乗り越え――。
本能寺の日常は、いよいよ未曾有の熱狂を呼ぶ「新モーニング初日」へと突入しようとしていた。




