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今日も元気だ怪異が美味い  作者: 所 花紅
怨獣の出汁入り味噌汁

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1/2

野辺陸生という男

ひねもす亭と同じ世界が舞台です。よろしくお願いしますー( *´艸`)

 ――あぁ


 (たお)やかな腕が、ぬぅ……と闇に浮かんだ。

 月光を塗りつけたように、しらじらと光っている。


 ――なぁ


 両腕の間から、額が滲み出るように浮かんだ。

 水の中から浮かび上がるように緩慢に、鼻筋が。右に黒子のある鼻先が。唇が。ぬぅっ……ぬぅ……と浮かんでくる。その輪郭は仄白く、肌に色は無い。


 ――たぁ


 白い唇の中の白い舌が動く。

 闇に隠れた目元は見えないのに、凝視されているのを感じる。


 ――ぎゃおう


 耳障りな鳴き声が闇に轟く。


 ――あぁなぁたぁ

 ――ぎゃおう みゃぉう


 色の無い両手がこちらに伸びてくる。

 腕の間にある顔がこちらを見据えている。

 闇に浮かび上がる、無数の赤い視線。視線。視線。視線――


 ――たぁすぅけぇてぇ

 ――ぎゃおう みゃぉう ちゅうぅ


 視界一杯に広がる両手。間近に迫る指先。整えられた爪と指の隙間にびっちりと詰まった、肉の欠片。それだけが鮮やかな色で目を突き刺す。

 しゃがれてざらついた声。狂ったように鳴きしきる獣の声。



 ――はッ、と目が覚めた。


〇 ● 〇


 目が覚めても視界は暗かった。まるで夢が続いているかのようで、野辺陸生(のべりくお)は小さな悲鳴を上げ、飛び起きた。髪の生え際から流れる汗が、目に入って沁みた。 寝汗でしっとり湿った夜着が肌に張り付いて、冷たい。

 薄っぺらい敷布の上、(せわ)しない呼吸を繰り返しながら周囲を見渡す。


 とうふぅ、がんもどきぃ、しじみぃ。


 早朝独特の薄青い気配漂う室内に、物売りの声が入り込んできた。

 陸生の家の裏手には、長屋が建ち並んでいる。そこの住人目当ての物売りが張り上げる通りの良い声が、瞼の裏に焼き付く白と赤を吹き飛ばした。


「なんだ……また、あの夢、か」


 大きく息を吐き、自分に言い聞かせるように呟く。そうしないと部屋の隅に残る暗がりに、赤い視線が瞬くような気がしたからだ。

 起きるにはいささか早いが、寝るとまたあの夢を見るかと思うと、寝直す気も起きない。

 じわじわと白んでいく部屋の中、隣に視線を向ける。


「……さやか」


 もう一つ敷かれた布団はぺたんこで、陸生の呟きに答えを返してはくれなかった。



 落ち着いてから、障子を開けて濡れ縁に出る。

 寝不足の目に刺さる陽光が痛い。くぁ、と出かけた欠伸が、竹垣の向こうから響く声で引っ込んだ。


「やれやれ。朝から賑やかだね、向こうは」


 うんざりと、低い竹垣の方へ目を向ける。

 温泉を求める湯治客や遊山客によって、赤津国(あかつのくに)の温泉宿はいつも賑やかだ。それが国都(くにみやこ)となれば、なおさら。賑やかなのは繁盛の証だと言うが、今は少し(わずら)わしい。

 寝不足で重たい頭を一つ振り、濡れ縁を速足で進む。角を曲がると、庭が見えた。昨日の雨で、庭はしっとりと湿っていた。濡れた地面の匂いは嫌いだが、花びらや葉に雨粒がまとっているのを見るのは、好きだ。

 陸生の家はこの辺では珍しく平屋で、小さいながらも庭がある。背の低い石灯籠を囲むように季節の花々が植えられ、水無月の今は大ぶりの紫陽花(あじさい)がぽん、ぽん、ぽん――と水玉模様のように庭に散っていた。

 雑草に負けず、空を映したような色の花が力強く咲いているのを見ていると、眠気が多少は晴れた気がする。


 ――ねえ、陸生さん。見て。お義母(かあ)さんと一緒に育てた紫陽花、こんなに大きくなったのよ。え、土が付いてる? どこ、ここ?


 黒曜石のような瞳をきらめかせ、紫陽花の影からさやかが顔を出して笑う。頬に付いていると教えてやっても、汚れた手で拭くものだから、鼻にも土が付いていた。

 あの時は二人しておかしくなって、笑ってしまったっけ。


「……」


 隣の宿から漂ってきた湯気が、石灯籠にまといつく。

 朝日を吸い込んで薄橙色に染まった煙が眩しくて、陸生は静かに目を細めた。……誰もいない。手入れをする者がいない庭は、雑草が侵略を始めている。

 庭から視線を無理やり外し、濡れ縁を裸足で歩いて(かわや)へ向かう。寝起きの身体にまといつくような、むわりとした悪臭が漂って陸生は顔をしかめた。厠の近くは流石に臭う。どういうわけか、我が家の厠は他家のそれと比べて臭いがきつい。

 さやかもこの臭いが苦手で、少しでも改善しようと香を置いたりこまめに掃除をしたりしていた。そんな事を思い返しながら用を足し、濡れ縁に足を踏み出す。

 ()()()()

 足袋を履いていない、むき出しの足裏にざらついた感触。

 陸生の喉から、声にならない悲鳴が上がった。反射的に跳ね飛び、すぐ後ろの厠の戸に思い切り後頭部を打ち付けてしまう。


「あっ、いたたたた……」


 ずるりとその場にへたり込み、頭を押さえる。視界に散らばる火花の奥で、呆れたように腰に手を当てるさやかの姿が浮かんだ。


 ――三十過ぎにもなって、陸生さんは落ち着きがありませんよ。驚いて頭をぶつけるなんて、三つ四つの子どもじゃないんですから。


 紫陽花のように力強い声がふぅと浮かぶ。喉の奥が、きゅうと熱くなった。

 半月前、妻のさやかが行方不明になった。

 店の片付けを終えた陸生が野良犬を構っている内に、姿を消していたのである。履物も財布も、家の中に丸ごと残されていた。

 財布はともかく、明かりも持たず素足で家を出るなんて絶対におかしい。しかも夜に。


 ――あぁなぁたぁ たぁすぅけぇてぇ


 しゃがれた声が、耳奥に蘇った。

 痛む後ろ頭を手で押さえながら、瞳を歪める。


「どうしてあんな夢ばかり毎日……本当に、気味が悪い……」


 さやかがいなくなってから、あの夢ばかり見る。

 白い顔はひどく薄気味悪いが、夢に出てくるあれは、陸生の愛しい妻の顔だ。

 しゃがれた掠れ声も、いつもの少し低い声とは全く違うが、陸生が妻の声を間違えるはずもない。

 こちらを見つめ、縋るように手を伸ばしてくる、妻。一体、何を陸生に訴えているのだろう。そして、背後に輝く無数の獣の目。響き渡る鳴き声。あれは、一体何なのだろう。


「うう……」


 痛みがようやく引いて、陸生は自分が踏みつけたものの正体を確認した。

 獣の毛だ。

 茶色で、ぴんと真っすぐ伸びている。犬のものだろうか。

 どこからか飛んできた……ではないだろう。まず量が多い。十本、二十本ではきかない。ぶちりとまとめて(むし)ったものを、ぽんっと置いたかのようだ。

 重い溜息を吐き、毛を地面に払い落とす。手に伝わる硬い感触に、腕に浮いた鳥肌がうなじの辺りまでぞわぞわと広がった。


「またか……どうしてこんな、いつも……」


 これも、さやかがいなくなった次の日から始まった。気が付くと家の中に、様々な獣毛が落ちている。掃除をしたばかりの所に小さな山になっていた日もあれば、布団の上に散らばっていた日もある。

 直接、危害を加えられたわけではない。ただ、悪夢を見るだけ。毛が落ちているだけ。

 それでも、妻が消えた陸生の気分を沈ませるには十分なもので、朝飯の煮びたしが濡れた紙でも噛んでいるかのようだった。



 半分以上朝飯を残し、陸生は厨房の勝手口に向かった。土間に置いた水と餌を捨て、新しいものに変える。近所の犬猫が、餌をよく食べに来るのだ。勝手口を少し開けてから、今度は表通りに面した店内へ向かう。

 陸生の家は団扇(うちわ)屋だ。奉公人も小僧もいない、こぢんまりとした店である。

 父母が生きていた時は家族三人で、さやかが行方不明になる前は二人で、今は一人でやっている。

 店を開けるのは、少し遅めの昼八つ半(十五時)から。なので、余裕をもって準備できるのが良い。

 毎日の習慣でいの一番に帳簿をめくり、陸生は思わず溜息を吐いてしまった。ここ半月の出費が多い。探し人の広告や、さやかを探す為に人を使ったので、仕方が無い。

 金をかけると決めたのは自分だ。だから、金が足りないと愚痴を言うつもりなど毛頭無いが……このままでは蓄えが尽きてしまう。

 算盤(そろばん)や筆を帳場に用意しながら、眉間の皺を揉んだ。


「奉行所の同心は、もっと親身になってくれると思ったのに……」


 思い余って陸生は三日前、町奉行所に訴え出た。どうか、さやかを探してほしいと。見回りの際に、ちらと人の顔を確認するだけでもいいと。

 だが陸生の訴えを聞いた同心が向けたのは、温かい同情の言葉とは正反対の、熱の無い瞳と言葉だった。


 ――その方の訴えも分かるが、こちらも暇ではない。女一人行方不明になったのを一々探すほど、人員は()けん。番所に訴えているのならそれでいいだろう。


 それだけならまだしも、その同心は最後に笑いながら言い放ったのだ。こちらの話を本気で聞く気も見せず、あまつさえ耳掃除をしながら。


 ――それに、お前の奥方は誰ぞとねんごろになって、逐電(ちくでん)したのかもしれんぞ。だったらわざわざ探すのも野暮というものだ。


 さやかはそんな女じゃない、勝手な憶測でものを言うな、と言い返してやりたかった。

 しかし相手は十手持ち。庶民の陸生が食ってかかることなどできない。横柄な同心相手に楯突けば、逆に自分が牢に入れられるかもしれず、唇を噛んで引き下がることしかできなかった。

 あの時の事を思い返すと、また胸を焼き焦がされるような怒りに襲われる。


「……掃除するか」


 袖に(たすき)をかけて、なんとか気持ちを切り替えた。窓を開けて風と光を入れ、壁際の棚を拭く。毎日欠かさず掃除をしているから、埃は少ない。


「あ、そうだ。さやか、戸を開けて土間の方を掃いておいてくれないか?」


 返答は無い。


「さやか、どうし――」


 土間に顔を向けるが、誰もいない。空中を斜めに走る光の筋があるばかりだ。


「あ……」


 光の中を泳ぐ埃をしばし眺め、陸生は肩を落とした。

 またやってしまった。虚空に話しかけても、虚しいだけなのに。

 閉めた戸の隙間から、色々な音が忍び入ってくる。行き交う人のざわめきと、物売りの伸びやかな声。朝も早くから芸を始める辻芸人が鳴らす笛の音。

 戸一枚を隔てた向こうはまるで、違う世界のようにも感じた。……どうして自分の隣に、さやかがいないのだろう。

 下唇を噛み、雑巾を動かした。ぎゅい、ぎゅい、と棚が鳴く。

 外の音をかき消すように、強く強く棚を拭いていると。

 玄関の戸が、ことこと叩かれた。

次話は20時前後に投稿予定です!

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