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追放〈下〉

 迷宮。それは世界の狭間へ無数に漂う”異世界”だ。

 何故そんなものがあるのか、という原因ははっきりとしない。

 様々な説が並び立っている。かつて大量に世界の狭間へと追放されたマジックアイテムが、その魔力でもって小さな世界を作り出している、とか。

 実は現実の裏側にあるもう一つの世界だとか、魔王が作り出しているとか。

 単なる自然現象だとか、実は迷宮なんて人間社会に紛れ込んだ竜人の陰謀で存在しないとか、ピラミッドの力だとか宇宙人だとか世界の終わりだとか……。

 学者の調査結果に基づいた説から荒唐無稽な陰謀論にいたるまで、どれも同じぐらいに説得力がないので、きっと全部が間違っているんだろう。


 そんなことはどうだっていい。

 とにかく人間は転移門を使い、迷宮に転移して中を探索する。

 もっとも僕たちの住む世界と違い、迷宮は未完成な世界であり、不安定だ。

 そのせいか、迷宮の中で死亡しても完全には死にきらないらしい。

 仮に迷宮の中で死んだとしても僕たちは元の世界に戻ってくることができる。


 しかし……戻ってくることができるのは、肉体と魂だけだ。

 死んでしまえば装備は戻ってこない。

 それだけでなく、〈幻痛〉という痛み止めの効かない魂の苦痛を味わうことになる。

 寝ても覚めても苦しみ続けて、ああ冒険者なんかにならなければよかった、と誰もが思う時間だ。これでトラウマを背負ったり悪化させたりして引退する人間も珍しくない。


 僕もまた、ドン底だった時代の幻に襲われてトラウマを強制的に追体験させられた。

 ……仕方がないことだ。これだけ弱い僕が冒険者を続ければ、必然的に死は増える。


 そして翌日、やっと苦しみの引いたころ。


「あの後。撤退が間に合わずに、数人がやられた」


 顔に影を落としたカエイが告げる。

 僕は病室のベッドから身を起こし、どこへ視線を向ければいいのかもわからずに、窓の外を見た。

 そこには無秩序で混沌とした、しかし生命力あふれる極彩色の迷宮都市が広がる。

 ……そんな街並みですら色あせて感じられた。


「その中にモウルダーも居た。損害額の総計は三十ニ億イェンだ」

「三十ニ億」


 大きすぎて実体のない数字を、僕は舌の上で転がした。

 人生を何回も何回も遊んで暮らせるだけの額が、一回の敗北で失われたんだ。

 ……僕のせいで。


「ああ。……お前みたいな純〈ポーター〉を戦力に組み入れたオレの責任だ。オレは焦りすぎた。そこまでして上に挑むべきじゃなかった」


 何も言えなかった。

 確かにその通りだ。僕は戦力に数えられるべきじゃなかった。

 ポーターとしても半端な僕が半端に支援役をやっていたせいで明確な弱点が生まれて、そこから全てが破綻した。

 ……そもそも、範囲攻撃の余波で僕が死んだのはこれが最初じゃないし。


「……やっぱりさ。所詮、純ポーターの身だろ。お前が戦うのは無理なんだ」


 その通りだ。その通り……だけれど。


「で、でも。僕がもっといい防具を……」

「お前が良い防具を使ったら魔力の負担が大きすぎて倒れる。無茶だ」

「なら、魔石を使って……」

「冒険者の魔力に頼らず魔石だけで装備を維持すると、一日で何百万かかる計算になる? だいたい、お前のポーターとしての運搬能力は、魔石を運べるほど高いのか?」

「……ああ。確かに」

「お前を戦力に組み入れるのはもう無理だ。……オレたちは遠くまで来すぎた」


 カエイも僕と同じように、窓の外に広がる迷宮都市を眺めた。


「はっきり言って、お前は……」


 彼女は言葉を切って、窓の外へと視線を逸らした。


「お前は?」

「お荷物だ」


 分かっていたことだけれど、言われてみると衝撃があった。

 もう、今までのように”仲間同士”という関係のままではいられない。


「……うん」

「ヘッ。言ってみたら、すっきりするもんだな」


 彼女は僕の顔へ目線を戻した。

 言葉とは裏腹に、カエイの顔は疲労感に溢れていた。


「じゃあな。下のパーティで荷物運びでもやっててくれ」


 彼女は病室から消えた。

 ……これが〈ミストチェイサー〉の仲間として彼女と交わした最後の会話だった。



- - -



 〈ミストチェイサー〉は比較的ガラの悪いクランだ。

 トップのカエイがああいうタイプだから、似たような人間が集まる。

 それでも、上の一軍パーティはまだ良いほうだった。


「あー、道が長くてめんどくせえな! オラ荷物持ちっ、酒出せよ酒!」

「は?」

「持ってきてんだろ?」

「……いや」

「つっかえねえなあ! そんなんだから下に落ちてくんだよ!」


 〈ミストチェイサー〉内にはパーティが五組ほど所属している。

 そして、今の僕が組み込まれているのは実力的に一番下のパーティだ。


「わかってねえなあ! お前、なあにが楽しくてシラフで迷宮なんざ潜らなきゃいけねえんだっての!」


 何も言う気にならない。

 ……少数精鋭のクランならともかく、大人数の所属するクランになると、やる気も能力もないクズが混ざってくるものだ。

 そんなクズでも迷宮に送れば多少の黒字は出せるので、クランの経営上は蹴り出す意味がない。


「あーあァ! やんなるぜ。一軍の連中、お前みてえな荷物を抱えてようやってたわ」


 僕に不満をぶつけているコイツの名は、バリス。

 若い頃には才能のある有望株としてチヤホヤされていたらしいが、訓練嫌いと素行不良が祟ってどんどん下に転げ落ちた。

 今では〈ミストチェイサー〉内のザコを率いる冴えないパーティリーダーだ。


「……っと、お出ましかァ! 行くぞお前ら! 荷物はそこで待っとけ!」


 安い装備の荒くれ者にしか見えない集団が、雑に敵へ突っ込んでいく。

 危険度の高い迷宮でこんなことをすれば即全滅だろう。


「オラアッ!」


 彼は獲物の短槍を振り回した。技術はある。

 かつて将来を期待されていた才能の残骸だ。

 けれど戦術的な連携は皆無で、仲間を気にする様子すらない。

 まるで憂さ晴らしに人形でも殴っているかのような、そういう戦い方だ。


「ヘヘッ! 負ける気がしねえな!」


 カエイのパーティの誰と戦っても一瞬で負けるだろうに。


「嫌になるな……」


 僕は〈アイテムボックス〉を開き、中のポーションを確かめた。

 クランの倉庫から安い低級ポーションを持ってきたが、支援する気にもならない。


「……もう、ただの荷物運びでいいか」


 そう思った瞬間、肩にかかっていた重荷が降りた。

 僕の夢は。強くなって迷宮の未知を拓きたいという目標は、もう実現不可能だ。

 いや……ポーター以外のクラスを取れないと分かった瞬間から、ずっとそうだった。

 この十年間、僕は何の希望もない残骸にしがみついていたのかもしれない。

 ある意味で、このバリスとかいうろくでなしと僕は似たようなものかも。


 まあ……。


「高ランクのクランで専属契約だし、金はたんまり稼げたよな……」


 僕は迷宮から意識を逸らして、銀行口座の桁数に思いを馳せた。

 貯金は二億イェン。中流市民の生涯年収より多い。

 ”お荷物”の僕には不相応な額だ。

 適当なところで引退して、後は趣味にでも打ち込めばいいか。


 それは幸福な未来のはずなのに、なんだか空虚に思えた。

 けれど、全力を尽くして迷宮に潜ろうという気もまた起きなかった。


 その後、僕は半分ぐらい本当にお荷物と化した。

 そもそも〈アイテムボックス〉のサイズが小さすぎて、ポーターとしての運搬能力は低い。

 迷宮都市の転移門付近でうろうろしてる日雇いポーターのほうがマシだ。

 たまにパーティが崩れる危険があるときだけは的確に支援をしたけれど、バリスのパーティは支援の価値が分かるほどの戦術眼がないので、感謝されることもない。

 僕に対する風当たりは強くなり続けた。


 どのぐらい強いかと言えば、例えばこんなことがあった。


「おい! 見てみろよ、この記事!」


 バリスの仲間たちが、何かの雑誌を読んで含み笑いを漏らしている。

 それは「冒険者名鑑」という月刊雑誌だ。

 名前の通り様々な冒険者の情報を集めた、迷宮全般を扱う雑誌である。

 迷宮から出土する魔法の印刷機が広まったおかげで、こういう庶民に向けた出版物も珍しくない。


「なに? 〈ミストチェイサー〉の特集?」


 このクランの記事が乗るのは珍しいことじゃない。

 僕とカエイが二人で名を上げはじめた時ですら、隅っこに小さく名前が乗っていたぐらいだ。

 もう名前の定着したCランクのクランなんだから、特集ぐらい組まれる。

 ……スノウが来た時とかはかなり凄かった。

 色んなクランで取り合いになっていた若い才能が、どういうわけかSとかAじゃなくてCランクのクランを選んだから、色んな飛ばし記事が出たりして。


「……”五里霧中”?」


 そんなタイトルをつけられた記事の冒頭に、最近のミストチェイサー一軍パーティの成績が載っていた。

 成績、といっても、探索に使った費用と利益の推測が主だ。

 迷宮探索はビジネスであり、カネを投資して回収する場である。

 なので、どうしてもカネの話題はついてまわる。


 そして、成績の方はというと……探索に失敗したり、他のパーティに先を越されたりする事が続いて、推測で三千万近い赤字……だと書かれている。

 加えて、しばらく前にあった三十億近い損失の話も。

 記事内ではカエイの判断能力について疑問、というよりは悪口に近い指摘が繰り返されている。「占いで決めたほうがマシ」とか「正気を疑う」とか。


 ……正直言って、僕もあの火竜の一件は、あんなところに挑んだカエイの判断に問題があると思わなくもないけれど……。

 記事を読み飛ばし、左側のページにあった名鑑を見た。

 一言コメントが添えられているが、全体的に辛辣だ。

 後衛は実力不足だの練習不足だのボコボコ言われているし。

 スノウのところなんか、「唯一の有望株。移籍しましょう」で終わっているし。

 ……あ。一番下に、クオウ・ノールの名前がある。


”純ポーターにして支援役。その実験的な役割は一部で話題になったが、実験は大失敗であったと言わざるを得ない。関係者の話によれば、三十億の損失は彼の責任だ。彼が一番下に落とされて、なお”お荷物”だという噂もある。おそらく、事実だろう”


「お前だったんだなァ。でっかい損を出したのは」


 バリスが言った。にやにや笑いに悪意が混ざっている。


「なあ。どんな気分だよ。俺たち皆の生活を苦しくしといて、自分はのうのうと足を引っ張り続けてるってのは」


 彼は僕のすぐそばにまで近づいてきた。


「どうしてくれるんだよ、なあ。もしもこのクランが借金で潰れたら、俺達はどうなるんだよ。俺たちみんな奴隷に落とされちまうぞ。どこかの商会に競り落とされて、タダで迷宮に潜らされて……」


 言っているうちに、彼の顔から笑いが消える。

 弱肉強食の迷宮都市で破産するほど恐ろしいことはない。

 裏社会の奴らに寄ってたかって家族や友人ごと食い物にされる。


「クソッ、すぐに潰れはしねえだろうが。冗談じゃねェ。それもこれも、全部お前が足を引っ張ってるせいだ。分かったら、少しは俺たちの役に立てよ」

「……僕がお前らの足を引っ張ってるとは思えないな」

「んだとクソ野郎が。今この場で殺されてえかァ?」


 僕と彼は真正面から睨み合った。

 こいつはクズだが、流石にこの場で剣を抜くほどクズではない。

 彼はツバを吐き、仲間を引き連れてどこかへ消えた。


 この一件の前から僕はお荷物扱いだったけれど、扱いは更に悪化した。

 もう人間扱いですらない。荷物を運んでる荷台の下についてる車輪ぐらい扱いが低い。

 ……それでもクランを辞めなかったのは、自分でも不思議だ。

 迷宮への情熱なんか消えてしまったはずなのに。


「クオウさん。お話があります。応接間までどうぞ」

「……はい?」


 数週間後の夜、クランの顧問弁護士が僕を呼び止めた。

 僕はすぐに用件を察した。


「〈ミストチェイサー〉はクオウ・ノールとの間に結んだ契約を解除します。今日この瞬間をもって」

「この瞬間をもって?」


 追放だ。

 カエイが僕を追い出しにかかった。

 ……それも、本人からの一言すらもなく。


「あれ……僕も一応、クランの共同設立者だったはずじゃ……」

「契約を結んだ際の条項に、契約解除に関する例外規定を記した約款が存在しています。この通り」


 弁護士が、魔法的な印の押された契約書を指差した。

 読む気にもならない。

 そうか。そんな契約書の細かい文言を使ってまで、急に追い出したかったか。

 カエイ。僕らの二十年近い付き合いは、君にとってそんなに軽いものだったのか?

 迷宮都市に来る前も、来た後も、ずっと二人で頑張ってきたっていうのに。

 その絆を、こうも簡単に切り捨てるのか?


「そうですか」

「はい。ですから、今すぐにクランの所有物を返還してください」

「……ああ。ポーションは倉庫に戻しておきますよ。あと、部屋に荷物を取りに帰っても……」

「それはできません。あなたは既に解雇されています。あなたは部外者であり、クランハウスに立ち入る権限はありません」

「……は?」

「今この場で、この部屋に、全ての所有物を返還してください。あなたの部屋の荷物は、後日にまとめて郵送します」

「郵送って、僕はここに住んでるんだから、どこに……」


 ……言い争っても無理だろう。仕方がない。

 僕は〈アイテムボックス〉を開き、中のポーションを並べる。


「じゃあ、これで」

「いえ。まだクランの所有物が残っています」


 弁護士は特に感情も見せず、つまらなさそうに言った。


「あなたの防具はクランの所有物です。今すぐに返還してください」

「……はあ!? いや、じゃあ、部屋の着替えを……!」

「あなたにその権限はありません」

「なに!? 僕に下着一枚で出てけっての!?」

「そういうことになりますね」


 ……そして、僕は本当に、下着一枚だけしか身につけていない状態で、クランハウスの外に放り出された。


「……カエイ……ッ! お前! いくらなんでも、こんな嫌がらせまでしてタダで済むと思うなよ……!」


 冷たい夜の外気に晒されながら、〈ミストチェイサー〉のクランハウスへ叫ぶ。


「裸で何言ってんだ?」


 最上階の窓が開いた。


「何ができるってんだよ? やる気もねえくせに。引退して田舎に引きこもろうってやつが、オレを脅せるってか! 冗談はステータスだけにしろよ! お前に何が出来る!?」

「……!」


 ぷつっ、という音が聞こえた。

 それはどこかの血管が切れた音だったのかもしれない。

 しかし僕にとっては、いまだ残っていた幼馴染との絆が断ち切れた音だった。


「ふ……ふざけるなよッ! こんなことされて、黙って引退してやるかッ! 迷宮で会ったら覚悟しろよカエイィィッ!」

「ハッハッハ! そりゃいいや、荷物を運ばれる覚悟でもすりゃあいいのか! 楽しみにしてるぜ!」

「ああ、楽しみにしてろよ! 絶対に……絶対に、僕の実力を証明してやる!」

「……出来るもんなら、やってみな!」


 カエイがにやりと笑い、窓を勢いよく閉じた。

 僕は通行人から好奇の視線を浴びながら、アテもなく通りを進んだ。

 畜生。絶対に引退なんかしてやるもんか。

 こうなったら、僕一人だろうが迷宮に挑んでやる。

 あいつより稼いでやる。直接殺し合って勝ってやる。鼻をあかしてやる。


 僕だって。僕だって、戦えるはずだ。

 少ない〈アイテムボックス〉の容量を攻撃用のアイテムに割けば、きっと。

 そう思っていても、自分を殺して支援役に徹してきたのに。

 この仕打ちか。


「許さないからな……!」


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