決戦の時
カジノ屋上。
並んで立つ僕とザーラが見据える先に、片膝立ちで盾を構えたリルが立つ。
見張り役のピルスキーとソブランが、それぞれ手を上げて合図を出した。
「行くよ!」
「わたくしのリズムに合わせるのですわ、クオウさん!」
ザーラと並び、助走で勢いをつける。
僕たちはリルの手前で思い切り飛び上がった。
「〈大盾〉!」
リルが斜めに展開した魔法の盾へ、全体重をかけて飛び乗る。
「……〈大盾撃/ワイドガード・バッシュ〉ッ!」
ものすごい力で、僕たちは上空まで跳ね上げられた。
さあ、ここからだ。
「いくのですわ! 〈晶壁〉!」
「〈アイテムボックス〉」
ザーラの展開する壁へと敏捷性強化ポーションを投擲。
バフ効果を受けながら、二人で同時に壁を蹴って動き出す。
わずかに遅れる僕の腕を、ザーラが引いた。
「まだまだ! 〈晶壁〉!」
これを繰り返し、壁から壁へ飛び渡って高度を上げる。
現在、稼いだ高度と距離はせいぜい三十メートル。
カジノの四階からホテルの三十階までの高度差は八十メートル。
水平距離は百メートルだ。
まだまだ足りない。
「次! 〈晶壁〉っ!」
「あっ!」
あからさまに遅れた僕を、ザーラが無理やり引き上げる。
くそっ、全力だってのに……!
何とか立て直して、次の壁が生まれる寸前でポーションを投擲する。
「〈晶壁〉……!」
四回目。五回目。飛び渡るうちに、ザーラの顔が苦しくなっていく。
僕を引っ張りながら、最適なタイミングで技能の連続発動を続けているんだ。
並大抵の負担じゃない。
「ま、まだまだっ! 〈晶壁〉!」
六回目。ザーラは”気張っても六回目が限界”だと言っていた。
壁を蹴り、次の段階へ移る心構えをする。到達高度は……まだ五十メートル未満。
「んがァーッ! 〈晶壁〉ッ!!」
お嬢様らしさの欠片すらない、喉の奥から振り絞るような声。
七回目……!?
「〈晶壁〉ゥァアーッ!!!!」
八回目!
「大悪党を! わたくしに変わって! ぶちのめすのですわァーッ!」
ザーラが空中で僕を投げ飛ばし、落ちていく。
地面に落ちるより前に、再び〈晶壁〉が使えるはずだ。
……それでも、限界を超えてしまった彼女が怪我することは避けられない。
その覚悟を無駄にしてなるものかっ!
『〈氷柱〉。五、四、次弾発射……』
フェイナを中継し、通信機からスノウの声が聞こえた。
はるか下方の地面から氷の柱が飛んでくる。
僕は〈風撃の指輪〉を使い、反動で姿勢を修正してタイミングを合わせた。
『ニ、一、今』
飛んできた氷柱を足で受け止める。
その勢いでわずかに高度を稼ぎつつ、氷を蹴って前へ。
『ニ、一、今。ニ、一、今』
三秒ごとに的確なタイミングで飛来する氷柱を、大きな歩幅で渡る。
どんどんとホテルの屋上が近づいてくる。
残りは目算で……高度十五メートル、水平距離四十メートル。
屋上に柵が見えた。鉤爪ロープを引っ掛けられる。
『今。ニ、一、今』
氷の柱を踏みしめて蹴り進む。滑らない。
小器用なことに、完全に乾いた氷を生み出している。
ホテルが近い。あと少し!
『ニ……突風!?』
氷柱が足元とズレている。
スノウが軌道を修正できる範囲から出てしまった。
風撃の指輪で範囲内に……いや。この距離なら。
「届けェェェッ!」
反動で加速しながら、アイテムボックスを開く。
持ちうるかぎりの全力で、僕は鉤爪付きのロープを投擲した。
- - -
〈ポーター〉が空を飛んでいる。
ありえない光景を見上げているソブランは、顎が外れる一歩手前だった。
完全に頭がおかしい。発想も、実行する度胸も、実行できてしまう技術力も。
何もかもがおかしい。クオウもリルもザーラもスノウも。
「は、は……!」
思わず笑い声が漏れる。
俺なんかとは格が違う、とソブランは思った。
あれがきっと、”英雄”と呼ばれるような人間なんだ。
憧れてしまうのを止められない。
自分には無理だと分かっていても、夢を抱いてしまう。
ああはなれない。ソブランは分かっている。伸び悩み引退を考えていた身だ。
それでも体が疼く。
だって当然じゃないか。
あんな英雄を見てしまったら、夢を見てしまうじゃないか。
他人に夢を見せてしまうのが、”英雄”という存在なんだから。
「行けっ!」
氷柱から外れたクオウが、加速しながらロープを放つ。
届くか。ギリギリだ。
「行けぇーっ!」
ソブランは、彼の英雄へと叫ぶ。
- - -
鉤爪が柵を掴む。
近づいてくる壁に足からぶつかり、衝撃を吸収。
ロープを登る。強い風が吹き、体が揺られた。
「……よし……」
登りきった。
ここは地上百メートル。迷宮都市が一望できる高み。
柵を乗り越えた僕は、一瞬だけその景色を目に焼き付けた。
複雑にねじれ積み重なった、全世界中の建築様式をぶちまけたような混沌の街。
そこからは熱気と生命力が立ちのぼっている。
……いい街だ。
ゲインズが手に入れたくなるのも、理解はできる。
室内へ通じるドアを開き、音を殺して慎重に降りる。
「状況は」
『変わらないよ。気付いてない』
当然だ。屋上から入ってくるのを警戒するはずがない。
一気に奇襲で仕留める。
降りた先で、物陰に隠れて様子を伺う。
全面ガラス張りのレストランに無理やり機材を置いたような部屋だ。
残った幹部陣……チンピラのペンチと太ったリーマの二人が手前。
奥のほうに、ゲインズと転写石版や水晶の操作要員がいる。
椅子や机の配置を覚え、〈音響弾〉を取り出す。
最後の大詰めだ。……気合を入れろ。
やるぞ。
物陰から〈音響弾〉を投擲する。
部屋の中央に落ちて、かつんと金属の音。
「なんだ? ……来たか!」
耳を塞ぎ目を閉じる。閃光と爆音。
同時にポーションを使いつつ物陰から飛び出し、狙いを定める。
一番近いのはチンピラの男。ペンチから。
作戦会議用に地図が置かれた大机を飛び越える。
そこに刺さったピンや駒が吹き飛ばされ、ばらばらと落ちていく。
「てめえっ……!」
耳から血を流したペンチが、拳を固めて殴りかかってくる。
〈無銘剣〉を掴み、〈風撃の指輪〉で反動を……?
……発動しない!? 指輪の魔力が切れた!
「だらあっ!」
勢いの弱い無銘剣と、ペンチの拳がぶつかり合う。
……固めた拳が、真正面から僕の剣を弾き飛ばした。
「なっ!?」
「雑魚がよぉ!」
彼の手が赤く光り輝いている。〈赤手〉だ。
文字通り赤手空拳で戦うための、〈ブラウラー〉クラス専用技能。
「っおらぁっ!」
追撃の一撃を剣で受け止める。
向こうも勢いが弱い。〈音響弾〉が効いている。
余裕がないから、いきなり技能を使ってきたんだ。
手札は分かった。対処できる。
「死ねやあっ!」
「……ここだ!」
無銘剣をアイテムボックスに放り込み、〈マギ・インバーター〉を掴む。
激突。剣身が輝いた。硬いはずの拳が、何の抵抗もなく切り裂かれる。
〈赤手〉は局所的に強力なバフを与えるスキルだ。
バフを反転させる〈マギ・インバーター〉とは、致命的に相性が悪い。
「んだよっ!? 俺の拳が……拳がぁ!?」
立て直しが遅い。二撃目で仕留めに行く。
「躊躇するな! まとめて撃て、リーマ!」
「ふ、ふへっ、死ねばもろともなんだな!」
トドメの一撃を入れながら、声の元へ視線を向ける。
太った男が杖を構え、〈束炎〉を放った。
炎が四方八方へ炸裂し、空間を覆い尽くす。
逃げ場がない。僕だけじゃない。
ゲインズを含めた全員を巻き込んで、部屋が爆発した。
……。
……飛び起きる。脚に鋭く痛みが走る。倒れた机の陰に隠れる。
回復薬を飲む。死にかけた時の行動は体に染み付いている。
耳鳴り。霞む視界。爆発で滅茶苦茶になった部屋。
爆発で巻き上がった書類が宙を舞い踊っている。
気絶した。一瞬だ。時間は経っていない。
「……もう一発だ!」
叫び声が頭に響く。
……もう一発?
「僕より! そいつのほうが! 防具が安い! やれ!」
「い、痛いんだな……やっぱり自爆なんて嫌なんだな……」
「死にたいか!?」
指が鳴る。空中の一点が爆発する。
……僕の頭を吹き飛ばさないのか。
制限がある。射線か。射程か。
「で、でもお……ボクが死んだら、ゲインズ様も困るんだぞう……死霊術が……」
「もう一発ごときで死ぬか! やれっ!」
「うぐ……〈束炎〉……!」
二回目の爆発。窓ガラスが一斉に割れた。
隠れている机が爆風でひっくり返る。
そして吹き戻す。
逆走する風に乗って、飛散したガラス破片が室内に降り注ぐ。
身を守るものがない。
「……!」
咄嗟にアイテムボックスを展開する。
普段なら、あまり防御には役立たない。
空間の裂け目は力が掛かると一瞬で消滅する。
だが、ガラスの破片をアイテムボックス内に逃すぐらいなら。
「そこか」
指が鳴る。防御を諦めて、咄嗟に地面へ転がった。
至近で爆発。皮肉にも、その爆風がガラスの破片を弾く。
……避けられた。ほんのわずかにラグがある。
問答無用の即死技ではない。
”指を鳴らすと頭が爆発する”印象より、弱い。
すぐさま立ち上がり、転がった机の背後へ飛び込む。
ゲインズからの追撃はない。あまり連続で使うこともできないらしい。
制限が多そうだ。おそらく技能でもない。
もしこれが技能だったなら、遠隔で魔法を扱うクラス用だろう。
そういうクラスは体が弱い。暗殺対策を考えれば、得策ではない。
ゲインズは近距離用のクラスを刻んでいるはずだ。
自爆まがいの策も、防御力を生かした作戦だろう。
やはり、あの爆発は技能じゃない。アイテムに頼っているはず。
……もしかすると、強力なアイテムですらないのかもしれない。
マジックアイテムを身につけると、いくらかの魔力を消費する。
魔法の掛かった防具も同じだ。
魔力を防御に振っていれば、攻撃に割ける分は少なくなる。
「その爆発。こけおどしだね」
障害物の陰から、僕は言った。
「実戦用じゃない。部下を見える形で脅すための武器だ」
レアで高価で強力なアイテムなのは間違いない。
任意で遠距離に爆発を起こせるのは飛び抜けている。
百億単位の値がつくだろう。こういうものは要人が護身用に買う需要もある。
……けれど、カネに物を言わせているだけだ。
五海商会の商館長と同じで、実戦経験が足りない。
「だったとしたら? 話して時間でも稼ぐつもりかい?」
「ゲインズ。お前、そんなに強くないんだろ。高価なインナーでも着込んでるんだろうけど、その機能を維持するだけでも魔力が限界に近いんじゃないか」
「……はは! だったら何だっていうんだ!?」
ゲインズはわざとらしく笑った。
「個人の強さに何の意味がある!? あれだけ強いラクートですら、誰かの下につく傭兵稼業から逃げられないんだ! そんなものに意味はない!」
じゃり、とガラスを踏みしめる音がした。移動している。
僕の時間稼ぎに乗ったわけじゃない。
話して油断させながら、向こうも何かを狙っている。
「この街で最も力を持っているのは誰か! 冒険者でも英雄でもない! 駒を動かす側こそが……金を動かす側こそが、力を持つんだ!」
じゃり。足音は一つしか聞こえてこない。
「じゃあ、どうして僕に追い詰められてるわけ?」
「……追い詰められてるのは、お前だ! 撃て!」
「うぐぐ……〈束炎〉!」
僕は机を動かし、壁を背にして爆発から身を守る。
だが、直上で炸裂した魔法が机を叩き割った。
吹き飛ばされる。視界が暗転する。
……。
……飛び起きれない。
回復薬を煽る。フェイナ印の強烈な味。
ぼやけた意識が戻る。
死にかけている。
珍しいことじゃない。冒険者はいつも死にかけるものだ。
そして、何十回何百回と迷宮の中で死ぬものだ。
人間は適応能力が高い。繰り返せば何にでも慣れる。
繰り返し死ねば、死ぬことにも慣れる。
結局は訓練の問題だ。
冷静さを保て。死にかけているときこそ。
「何も感じないのか!?」
ゲインズの叫び声が熱を帯びている。
本気で何かを伝えたがっているかのようだ。
「君が抱く夢は無価値だ! 君の執念も、努力も! ただ金の力によって潰される! そこに何も感じないのか!?」
必死だ。僕に何かを重ねている。
「ゲインズ、お前……本当は、冒険者として大成するのが夢だったわけ?」
「……ふふ。昔の僕は、それが夢だったさ。無意味な夢だった。そんなものに夢を見るのは間違っていた。……最初から、正しい目標を目指すべきだった!」
割れた窓の彼方から、長く尾を引く大爆発の衝撃波が届いてきた。
「ふふふっ! 聞こえるだろう! 僕の稼いだ金で動く傭兵と、五海商会の金で動く兵隊が戦う音だ!」
衝撃波が空へと届き、晴れた空に忽然と雲が湧き出してくる。
魔力の余波が超常の現象を引き起こしている。
僕が届かない領域の、人外の戦いが起こっている。
「これが力だ! これこそが価値あるものだ! このホテルを見よ、カジノを見よ! 無力な冒険者だった男が、世界に刻んだ爪痕を見よ! 迷宮都市は夢と欲望の街だ! ありあまる金銭こそが、夢と欲望を満たすためのチケットなんだ!」
机の陰から頭を出す。
ゲインズが窓の外へ両手を広げている。
まるで迷宮都市を抱きしめるかのように。
再び、爆音と共に衝撃波が街へ広がる。
そこに宿る魔力が、魔力式の照明を猛烈に輝かせていった。
街灯と部屋のライトからなる光の波が迷宮都市を渡る。
薄暗い空の下、忽然と夜景の幻が浮かび上がり、消えた。
「まだ終わってない、終われない! 稼ぐんだ、この街の全てを手に入れるまで! これが僕の夢だ、この景色が僕を肯定する!」
隙だらけだ。しかし攻撃の手段がない。
近寄る必要がある。だが、近寄ろうとすれば僕は無防備になる。
その瞬間に〈束炎〉を喰らえば全てが終わる。
「どうして分からないんだ!? 無価値な物にしがみついて、僕の邪魔をするな! お前の抱く無意味な夢に、何の意味がある!?」
「ゲインズ。夢と欲望の違いは、何だと思う?」
「夢は欲望で、欲望は夢だ!」
「……お前と話してて分かったよ。人を見返りのために行動させるのが、欲望だ」
アイテムボックスを開く。閉じる。開閉速度も精度も異常はない。
一回なら、〈束炎〉を防げるかもしれない。
炸裂の炎を〈アイテムボックス〉内に収めれば、ダメージを抑えることができる。
これは曲芸だ。”足の指でナイフを飛ばして遠くのリンゴを撃ち抜く”ような。
成功してもアイテムボックスの術式が崩れ、僕に反動で負荷がかかる上に、安定するまでは一時的にアイテムボックスが使えなくなる。
誰もそんなことを実戦で成功させられないし、やろうとも思わないだろう。
「夢っていうものは、見返りがなくとも人を動かしてしまうものなんだよ」
「何を……」
無謀な夢を見続けてきた僕だけが、世界で唯一の例外だ。
足掻け。たとえ、それが無駄だったとしても。
「僕には夢がある。英雄になるんだ。他人に夢を与えられるような冒険者に! それだけが生きる希望だった。……例え人生をかけて挑んだ末に、夢を実現できなくたって! 何も見返りがなくたって、後悔はない!」
回復薬を煽る。ポーションを使う。
〈クラスブースター〉は?
駄目だ。この状況であんな薬を使えば、自分で自分にトドメを刺してしまう。
高ぶる感情を、頭の奥底でだけは鎮める。
感情では戦いに勝てない。
「だって僕は、そうせずにはいられないんだ!」
「バカバカしい! 人の抱く夢など、そんな小綺麗なものではない……!」
「黙れ! お前みたいなやつが! 手段を選ばず他人を犠牲に金を稼ぐようなクソ外道が! 軽々しい気持ちで! 夢なんて言葉を使うな……!」
机の影から飛び出し、駆け出す。
ゲインズが口元を歪めた。僕が挑発に乗ったと思ったか。
違う。僕は冷静に、太った魔術師のリーマから狙っている。
「お前が無価値だと断じたものが、本当に無価値かどうか! その身で受けて、確かめてみろ……っ!」
「できるものならやってみろ! リーマ、撃てっ!」
ふらふらのリーマが杖を構えた。
来る。炎が放たれる。
……こいつに自爆覚悟で仕留めに来るような根性はない。
僕の速度を予測して、ぎりぎりまで爆発は遅らせるはずだ。
地面を踏みしめ、迫る炎へ走る。
炸裂前だろうと直撃すれば僕は木っ端微塵だ。
その恐れを経験で封じ込め、致命的な攻撃へと突撃する。
アイテムボックスで攻撃を受け止めるタイミングは、ほんの一瞬。
早すぎても遅すぎても駄目だ。
時間を計る。ポーションの投擲やバフデバフの管理と同じように。
まだ〈束炎〉は纏まったまま。
敵の予測を上回ることだけが僕に残された勝ち筋だ。
つまり根性の問題だ。
負けるか。……こんなやつらに、僕が根性で負けてるはずがあるか!
「……ぉおおおっ!」
走りながら〈無銘剣〉を掴み、ゲインズへ投擲する。
その行方を目で追うことすらせず、続けて〈バイター〉をリーマへ。
回転しながら飛んでいく〈バイター〉の軌道は、わずかに外れている。
あの魔術師が剣を目で追ったとき、僕が視線から外れる。
「うぐ!?」
驚いたリーマが飛んでいく剣を見つめている。
ここだ。
全身に走る痛みを無視して、更に力を込め加速する。
「おおおオオオっ!」
迫る炎。
空間が裂ける。異空間の〈アイテムボックス〉へと通じる穴が開く。
その中へ〈束炎〉が飛び込み、破裂した。
小細工と根性が、敵の予測を僅かにずらした。
「づっ!?」
アドレナリンすら貫通するほどの痛み。
炎が吹き出し、穴が潰れ、周囲の空間に亀裂が広がる。
衝撃で〈アイテムボックス〉の術式が暴走している。
無数の裂け目が雷のように広がった。右手が熱を帯びる。
「……づあぁっ!」
割れた空間を置き去りにして駆け抜ける。
僕の経験が導く最適な戦術を、根性で実行する。
もうアイテムボックスは使えない。剣の一本で戦うのみ。
「く、来るなっ!?」
太った魔術師は杖を向け、苦し紛れの弱々しい炎を飛ばす。
赤熱した右手で、炎を払う。落ちた〈バイター〉を拾う。管を腕へ刺す。
横から指の鳴る音。姿勢を下げて爆発をかわす。踏み込み、魔術師を斬る。
刃が脂肪の層を通り抜け、骨を断つ。刃が魔力を吸う。
〈バイター〉が力を吸う快楽が、麻薬代わりに右手の痛みを消す。
「あぐ……」
リーマが後ろ向きに倒れ、その首が遠ざかる。
二撃目の狙いを首から脚へと切り替え、追撃を入れながら回転。
吹き上がる鮮血を背に、ゲインズとの距離を一気に詰める。
「……く」
ゲインズの瞳が、壁に刺さった〈無銘剣〉へ向いた。
彼の右手が空を彷徨う。剣を掴むべきか否か、迷いが見えた。
その間にも、一歩、また一歩と距離を詰める。
魔剣〈バイター〉を大上段へ。
ゲインズの指が鳴った。転がる机に飛び乗り軌道を変える。
爆発がない。フェイント。
二度、指が鳴った。足場が悪い。かわしきれない。
爆発……が、背中側から!
吹き飛ばされる。割れた窓の方向へ。
窓の向こう側には、はるか百メートル下の地面まで遮るものはなにもない。
足が空を泳ぐ。制動が効かない。
不完全な空間の裂け目が、右手から伸びた。
無意識に〈アイテムボックス〉を開こうとした結果だ。
アイテムボックス。投擲。軌道。
脳内で瞬く連想。自らの描く軌道が、感覚で分かる。普段の投擲と同じだ。
あとゼロコンマ五秒後に、僕はゲインズの横を通る。剣を当てられる。
それは相打ちだ。経験が直感を告げる。僕の勢いを殺すには足りない。
良くて二人で落ちるだけ。だが他に打てる手はない。なら実行する。
迷宮で繰り返した死と何も代わりはしない。
惑わない。僕は冒険者だ。
「……!!」
体を広げ、腰をねじり、空中で剣を振りかぶる。
再び指を鳴らそうとしているゲインズが、僕の動作に気付く。
その瞳に恐怖が浮かんだ。ゲインズが〈無銘剣〉に手を伸ばす。
失策。迎撃は間に合わない。
大きな軌道を描く魔剣が、アルギロス・ゲインズの胴へ入った。
肉の感触がない。彼の悪趣味な白スーツの下に、不可思議な魔法の層がある。
刃が弾かれそうになる。攻撃力が足りない。
明らかに高位の装備。
だが、勢いを殺すことはできない。ゲインズの足が浮いた。
彼は壁に刺さった〈無銘剣〉を握りしめた。
……それが間接的に、僕の勢いをも殺している。ならば、止まる。
静止。
着地。
二つの剣閃が衝突し、主導権を争う。
剣の擦れる音と、間合いを制御するステップの音だけが耳に届く。
腕と意地を比べ合うような、真っ向からのぶつかりあい。
互いに一歩も引かない。
剣のぶつかりあう地点が、徐々にゲインズに近づいていく。
わずかな綻びが見えた。剣を絡ませ、巻き取る。
〈無銘剣〉が吹き飛ばされて飛んでいった。
間髪入れずに、ゲインズの無防備な胴を薙ぐ。高価な魔法防御がそれを受け止める。
高位の装備。……それは高位にすぎる装備だ。
〈バイター〉が魔力を吸い上げていく。
ゲインズは才能に見合わないほど高位の防具を身に着けている。
魔力が吸われれば、魔力消費に供給が追いつかなくなる。
刃が魔法防御を侵食していく。
暗い朱色の魔剣〈バイター〉が、その顎にゲインズを捉える。
「……ぐがっ!」
吹き出す鮮血を、魔剣が飲む。
致命傷だ。
「お前にも協力者がいれば、結果は違った」
返す刀で、ゲインズの指を落とす。鳴らさせはしない。
「お前の夢に共感して、専用の装備を仕上げるような鍛冶師がいれば。金だけに物を言わせたその魔法防御より、はるかに硬かったはず。いや。そもそも」
「……うぐ……嘘だ……こんなはずが……!」
「なぜ剣を握ろうとした?」
蝋燭の溶けるがごとく血を垂らすゲインズが、よろめきながら僕から逃げようとする。
「金の力で手に入れた装備の力を信じて、至近距離で指を鳴らして自爆をすれば、防御力の差で決着がついた。どうして剣を握ろうとして、迷った?」
「……!」
彼が振り返り、目を見開いた。
「未練があったからじゃないのか。冒険者に。かつての夢に」
「……ふふ……」
「まだ言えるのか、ゲインズ。心の底から。僕の夢は無価値だって」
「僕が半端者だって言いたいのかい……自分の夢すら心の底では信じていない、哀れな存在だとでも……」
「そうだ。それが勝敗を分けた決定的な要因だ」
「……馬鹿にするな!」
瀕死のゲインズが、命を燃やして声を張り上げる。
「信じている! 信じているとも! 命を賭ける価値がある挑戦だった!」
彼は足を引きずり、割れた窓のそばへ立った。
「夢が破れたとしても! 後悔は、ないッ……!」
ラクートと五海商会の戦いで再び起きた爆発が、遠雷のように周囲を照らす。
厚く立ち込める雲の下、迷宮都市の灯が蜃気楼のように揺らめいた。
アルギロス・ゲインズはその幻へ手を伸ばす。
殉教を見届けて、僕は踵を返した。
「……クソ野郎のくせに、死に際だけは潔いんだね。そのうち地獄で会おう」
ゲインズは死んだ。五海商会は勝った。
……けれど、僕はまだ目的を果たしていない。
まだ終わっていない。
ここからが本番だ。
ぐちゃぐちゃになった指揮所の跡地から、再び屋上へ登る。
右手は痛むが、〈クラスブースター〉を使ったあとに比べれば状態はいい。
回路が焼けたときですら数時間ぐらいで元に戻るんだ。
壊されて反動を食らった程度なら、直るまでにそれほど時間は必要ない。
騒がしい戦闘の騒音は鳴りを潜めた。鳥のさえずる声すら聞こえてくる。
戦闘は終わりだ。僕の味方に死人はいない。
五海商会が出した死人の数も、かなり少ない。終わってみれば完勝だ。
見上げると、今にも雨の降り出しそうな黒く分厚い雲が見える。
右手をかざし、〈アイテムボックス〉を開こうとした。
ほんの一瞬だけ穴が開きそうにはなるが、すぐに消えてしまう。
まるで調子の悪いライターだ。
「おいおい」
女の声がした。
「怪我して戦えない、なんて言うなよ? 冗談じゃねえ」
「カエイ」
昔と変わらずに強気な表情の彼女は、しかし顔色が悪い。
〈魂縛術式〉の術者が死んだということは、彼女も道連れだ。時間はない。
「オレが何のためにここまで来てやったと思う? 才能が無いってのに、まだしがみついてる哀れなお荷物を解放してやるためさ」
「そういう演技はいい」
「……そうか」
彼女はため息をついた。
「オレは、憎むべき敵になれなかったか」
「僕を追放したのは、借金を一人で被るためでしょ? 僕は”共同設立者”だったから。他のメンバーと違って、どうしても責任が残る」
「それに、借金が返せなければ設立者はゲインズに引き渡される契約だった」
「だから、僕の追放を自然に見せるために関係の悪化を演出した」
「まあな。たぶん成功したんだろ。本来、ゲインズはお前も欲しがってたからな」
「……そこまで財政が悪化してたのに、どうして僕に相談してくれなかったわけ?」
「〈ミストチェイサー〉の稼ぎは、お前がいない時のほうが良かったからだ」
カエイは言った。
「お前が居ると、アイテムの消費数が跳ね上がる。パーティは強くなるが、結果的にはコストが増えすぎて、純粋な稼ぎは減ってたんだ」
「……え?」
「金稼ぎ、という一点において、当時のお前は本当に”お荷物”だった。……それをお前に悟らせるわけにはいかなかったんだよ、クオウ……ぐ!」
カエイが血を吐いた。
話している時間はない。僕はアイテムボックスを開こうとした。
相変わらずだ。まだ治りきっていない。まだ戦えない……。
「それだけは駄目だったんだ……それを悟れば、お前は身を引いただろ?」
「……かもしれない」
今の僕ならまだしも。
〈ミストチェイサー〉に居た時の僕なら、諦めてしまったかもしれない。
僕を奮い立たせるきっかけは、間違いなくあの追放だった。
「なあ、クオウ。オレの夢を覚えてるか?」
「二人で高名な冒険者になって、夢幻迷宮を踏破するんだったよね」
「違う」
カエイは首を振った。
「お前の夢が、オレの夢だ。お前に夢があったから、オレは生き延びられたんだ。お前を英雄に、あのボロボロの本に出てくるような冒険者にしてやるんだ」
「……!」
察してはいた。”倒すべき敵”になろうとしているんだろう、とは。
けれど、腹に大砲でも食らった気分だ。
そんなのってありかよ。
「お前のためだ。お前を冒険者として大成させるためなら、〈ミストチェイサー〉もオレも潰してやる!」
叫んだカエイの口から、更に血が垂れた。
そんなのって、ありかよ!
「か……勝手だ! 勝手すぎる! 僕の気持ちも考えてくれよ!」
「なら、どうすればよかった? オレたち二人で馴れ合って、半端で幸せな冒険者生活をずっと続ければよかったか? 冗談じゃないぜ、そんなもん願い下げだ」
「にしたって……!」
「気に入らないか? なら、オレを殺してみろよ」
カエイは笑った。
「オレは覚えてるぜ、クオウ! ”僕の実力を証明してやる”って言ってたろうが! なら、示してみせろ! 今の実力を! オレの全てが無駄じゃなかったことを!」
「っ!」
アイテムボックスを開く。閉じてしまう。
維持できない。回路へと魔力が収束しきらない。
アイテムボックスなしでカエイと戦うのは無理だ。直るのを待つ時間もない。
「くそっ! くそォッ!」
暴れる魔力を、普段と同じ形へ整流しようとする。
集中する。全神経を右手の魔力へ注ぐ。
回路が壊れたとか、回路なしで人間は魔法を扱えないとか、そんなことは頭から放り出して、カエイが勝手に命まで賭けて僕を育てようとしやがったことも忘れて、ただ魔力の操作だけを行う。
「お前の活躍は聞いてるぜ! 間違いなく強くなった! 〈ミストチェイサー〉に居たままじゃ、絶対に今のお前は生まれなかったはずなんだ! だから、見せてくれ……!」
「うるさい! 集中させてくれ!」
行えない。出来るか。ちくしょう。
「嫌だね! オレの人生の終幕ぐらい、オレの好きにさせてもらう!」
「お前ってやつは……自分のことばっかり……!」
「人のことが言えたもんかよ! お前だってエゴの塊だろ、クオウ!」
「一緒にするなよ! 僕は自分の死で親友を呪うような真似はしない!」
「呪いか! そいつはいいや! ハーハッハ!」
カエイが大笑いした。
「地獄に降りたら、故郷の連中をもう一度ぶっ殺したあとで、お前をずっと呪い続けてやるよ! 夢を叶えろ、ってな! キッツい呪いだぜ、こりゃあ!」
「分かってるならそんなことするなよ……!」
「いいぞクオウ、怒れ! もっと怒って、怒りのままにオレを殺しに来い! それからオレの死体に”ざまあみろ”とでも言い捨てて、どこへでも行っちまえ!」
「お前さあ……!」
こういうヤツだ。こいつは。
僕らはどっちもこういうやつらだ。素直じゃないんだ。
そうだよな。しんみり別れるなんてガラじゃない。
叫びあって殺しあって、それで終わり。それでいい。
せめてもの手向けに、全力を出し切ってこいつを殺す。
吹っ切れた。神経の全てを魔力操作へ注ぐ。
暴れている魔力に魔力をぶつけ、強引に鷲掴みにして整える。
「開けッ!」
その瞬間、二つのアイテムボックスが同時に開きかけて、同時に消えた。
整流された魔力と、それを掴んで整流させている魔力が、どちらも消費された。
「おいおい、なんだよそりゃあ……!?」
「知るか!」
もう一度。開きかけて消える。
集中を深く。まぶたを閉じて、二つの魔力を重ねる。
至近距離で二つの穴が開きかけて、干渉して消えた。
近すぎるのか。二つの魔力を微妙に変えて、開く場所をコントロールすれば。
……体がどっと疲れる。冷静になれ。
二重で技能が発動するなんて聞いたことがない。何かが変だ。
ひとまず、片方の魔力を止めて、普通に。
す、と暴れていた魔力が収まった。何故かコントロールが効く。
何かのコツを掴んだ。
「開け!」
普通にアイテムボックスを開く。
現れた空間の裂け目が瞬時に拡大する。
持ってきた〈無銘剣〉と〈バイター〉を、居合加速の”銃身”へ収める。
閉じて、魔力を調整し、角度を変えてまた開く。
中にはアイテムを収める棚が見える。
〈収炎が飛び込んだせいでめちゃくちゃだ。
残った回復薬を掴み飲み干し、用意してある高価な魔石を使って〈風撃の指輪〉へ魔力を充填し、奇跡的に無事だったポーション瓶を手前側へ並べる。
準備万端。
「行くぞ!」
「ああ、来い!」
カエイが魔剣〈ミストチェイサー〉を抜き放つ。
その白く輝く剣身めがけ斬り込む。
全体重の載った二振りが正面衝突し、火花を散らす。
鍔迫り合いの形から、剣を持ち替えての反動加速居合。
「こんなもんか!?」
「まだだ!」
さらに居合と見せかけての蹴り。ポーションを併用した急加速。
ありとあらゆる小技を振り絞りラッシュをかける。
その全てが、受けを間違えた瞬間に即死する技だ。
カエイの顔から余裕が消えた。彼女はそもそも、”受けて勝つ”スタイルじゃない。
「……こっちからも、いくぜ!」
苦境を噛みしめる彼女の瞳が、嬉しそうに輝いた。
「〈夜霧――」
黒い霧が周囲を覆う。
魔剣〈ミストチェイサー〉が来る。
精神を集中させる。霧を斬って加速し輝くあの剣は、目立つ。
背後を取らせないよう後退しながら、その前触れを待つ。
前触れなく蹴りが飛んできた。
歯が折れた。反撃に振るった剣は虚空を斬る。
「――一閃するとでも思ったか!?」
この野郎。汚い手まで含めて、本気で戦おうってわけか。
上等だ。
いまだ漂う黒い霧に紛れ、アイテムボックスを開く。
繋げた先は、〈ブラックマッチ〉専用の格納容器。
静かに地面へと設置し、待つ。
「当ててやろうか、クオウ? 例の地雷みたいな魔剣を置いたろ?」
「……!」
「準備してるのがお前だけと思ってるなら、大間違いだぜ」
風が吹いた。霧が晴れる。
短剣を掴んだカエイが投擲のモーションに入っていた。
「おっと。バレたか」
〈ブラックマッチ〉へと飛来する短剣を弾き、ゆっくり距離を取る。
……風が吹いていなければ、危なかった。
「ラッキーなやつめ!」
カエイが突撃してくる。わずかに左右へ進路を揺すっている。
〈ブラックマッチ〉の爆発範囲に入る寸前で、再び〈夜霧〉が放たれた。
左か、右か。
上。直感で迎撃の一撃を放つ。
切り上げた剣が短剣と衝突した。
くるりと軽業師じみた動きでカエイが頭上を飛び越えていく。
全力で横へと飛ぶ。短剣が腕を掠めて地面に突き立つ。
振り返り一閃。着地点には誰も居ない。
直感で肌が逆立つ。来る。
僕の背後に〈ブラックマッチ〉を背負わせる方向から。
いや違う。
〈無銘剣〉の反動加速居合を闇の中へ放つ。
空振り。闇に白い輝きが浮かぶ。だが、僕に攻撃後の隙はない。
すぐさま〈マギ・インバーター〉へと持ち替え二撃目。
眩い輝きが、霧を真っ二つに割る。
反動加速の勢いが、圧倒的な力で押し戻される。
足元の地面が割れた。靴がめり込む。
〈マギ・インバーター〉の刀身が明滅する。
……魔剣〈ミストチェイサー〉が発揮している効果も、バフの一種だ。
読み通り。
最適なタイミングで手を離す。
〈マギ・インバーター〉が空中で吹き飛んだ。
あまりの過負荷に耐えかねて、真っ二つに折れながら。
ちょうどカエイへと向かう方向へ。
肉の裂かれる音が、二つ同時に鳴った。
〈ミストチェイサー〉を振り抜いたカエイの肩には折れた魔剣。
僕の腹には斜め一文字の傷。だが浅い。
構うことなく、僕たちは二撃目を放つ。
同時に、なけなしの攻撃力と敏捷性向上ポーションを投擲。
カエイの肩に刺さったままの〈マギ・インバーター〉がわずかに明滅した。
最後の仕事を終えて、折れた魔剣の輝きが消える。
衝突。押し負けない。
鍔迫り合いに移行する。
「いいぜっ……楽しいぜ、こいつは……!」
「……同意見だよ……!」
単純な押し合いにはしない。
わずかな重心移動を混ぜて、押し引きの駆け引きを繰り返す。
一方のカエイは大きめの動きで意表を突こうとする。
極小の空間をめぐる主導権争い。
次の手と次の次の手と更にその次までの分岐を読み、有利な方向へ寄せる。
その読みを上回る応手が来る。更に上回る答えを返す。
発散していく選択肢の世界に没頭し、無数の読み筋を泳ぐ。
頭がくらくらする。余計なことを考えている余裕は一ミリもない。
全力の先にある世界で、細い綱渡りのような線を全力で疾走する。
ただ数秒間の応酬が何時間にも感じられる。
そして読み筋が収束した。
押し、離れながらの一撃へのカウンターに対応する防御を崩す奇手への正答への……。
互いが最適解だと信じる一連の攻防の濁流。
それは互いの殺意が込められた致命撃の応酬でもあり、また演舞でもある。
一撃ごとに読みの正しさが証明されていく。
僕たちは相手を知っている。戦わなければ知り得ない領域まで、深く。
バフとデバフの切れるタイミングで、圧縮された一瞬の攻防が終わる。
僕は離れる。カエイの魔剣が手首を狙う。
アイテムボックスへ剣を放り投げ、手を引いてかわす。
さらに追撃が……来ない。予想外の一手。
カエイが横に飛びながら短剣を投擲する。
狙いは外れている。僕の背後に飛んでいった。
ミス? そんなわけがない。
敵への信頼が、僕へと咄嗟の回避行動を取らせた。
「……!」
背後で爆発。
激しく回転する〈ブラックマッチ〉が足元を通り抜けていく。
危険な魔剣は地上へと消えていった。
飛び道具代わりに使ってくるなんて。
「思いつかなかった……!」
〈マギ・インバーター〉を過負荷で飛ばしたのを見て応用したんだろう。
見せられてみれば納得できる。確かに同じような使い方ができる。
……けれど、それを戦闘中に閃くのか? なんてやつだ。
その隙をめがけて斬り込んでくるカエイへポーションを投擲。
さらにもう一つ。ポーション……ではなく、拾った短剣だ。
「っと、危ねえ!」
カエイが短剣を弾く。反応されたか。
「拾ってたのかよ! 油断も隙もねえな!」
「お前にだけは言われたくないね!」
距離が開く。一段落。
楽しい。こんな戦いが出来るとは思わなかった。
この時間が終わらなければいいのに。
「ごばっ!?」
カエイの体がくの字に折れた。
吐き出された血が地面に広がる。止まらない。
彼女の口からとめどなく血が溢れている。
死人のような顔色だ。
「……次で最後だ」
カエイが構える。ぽつ、と僕の手を水滴が叩いた。
上空を覆う分厚い雲から、静かに霧雨が降りてくる。
〈ミストチェイサー〉が淡く輝きを放っている。
「ありったけの力をぶつけてこい……!」
「……そうだね。切り札を切らせてもらう」
禍々しい液体の入った注射器を、腕に突き立てる。
世界がぼやける。カエイが二人に見えた。
痛みとも何ともつかない、曖昧な信号が体を巡る。
意識を手放そうとする本能を根性で抑え込む。
力が戻ってくる。視界がクリアになった。
ぼろぼろの状態で打ったわりには副作用がない。また改良されている。
「……ありがとう……」
湧き上がる力を噛みしめる。
誰が欠けても、僕はここまで来れなかった。
僕は幸せ者だ。
「行くよ」
「ああ」
あとニ合だ。
直感で分かった。カエイに残された体力はもはやない。
一撃目で寿命は尽きて、二撃目を放ちながら彼女は死ぬ。
……それを受け止めるだけじゃ、駄目だ。
上回らなければ。示さなければ。
全てに価値があったと、証明しなければ!
大きく地面を踏みしめ、低く駆ける。
カエイが応じた。
加速。加速。加速。
剣閃がすれ違う。流れるカエイの顔は、柔らかく優しげだった。
こすれる剣が火花を散らし、視界の外へカエイの姿が消える。
反転する。
カエイがどこにも居ない。咄嗟に背後を確認する。居ない。
「……!?」
ホテル屋上にある柵の向こう側で、カエイが空を飛んでいる!?
いや……僕が残した鉤爪付きのロープを握って、柵を支点に回っている!
屋上から飛び降りてロープを掴んだのか。
反転する体力すら節約するために!
……上空から、正真正銘、最後にして最大の一撃が来る……!
「らああああああアアアアァァァッ!」
打ち合っては勝てない。
分かっている。カエイもそんなことは分かっている。
何かしてみろ、と言っているんだ。
僕の可能性を示してみろと。
「やってやる」
無茶で馬鹿げたアイデアが浮かんだ。
そんなことをするのは絶対に無理だ。
「やってやる!」
けれど、そんな無茶が出来たなら、カエイは笑いながら死んでいけるはずだ。
やってやる。無茶で馬鹿げたアイデアぐらい、今日は何度も成功させてきた。
右手に魔力を集め、集めた魔力を掴む。
感覚が鋭い。〈クラスブースター〉が効いている。
魔力そのものの流量も、さっきまでとは比べ物にならない。
〈アイテムボックス〉の大きさは魔力と比例する。
今の僕は、普段より大きなアイテムボックスを開くことができる。
鋼鉄製の収納システムの外側にある、何もない空間へと繋げられる。
魔力を制御する。その魔力で魔力を掴む。
魔力へ魔力を押し込み、暴れる流れを制御し整える。
重ねた二つの魔力。二つの術式。
〈アイテムボックス〉へと通じる空間の裂け目を二つ同時に生成する魔術。
イメージする。経路を。
入り口から、剣を収めている部分の横を通り、出口へ。
魔力を調整し、両方が正しい座標と向きになるよう術式を調整する。
まったく安定しない。片方を合わせればもう片方が乱れる。
針と糸を同時に放り投げ、空中で針に糸を通すような、それぐらいの無茶。
もし失敗すれば……。穴の生成に失敗するだけならいい。
入り口だけが開き、出口が開かなかったなら。
自分の〈アイテムボックス〉へ閉じ込められ、自力脱出は絶望的になる。
それでもいい。
やってやる。やってやるんだ。
それぐらいの無茶が通せないなら!
英雄になるなんて、口が裂けても言えない!
「開けえええエエエエエェェェッ!」
右手を突き出す。助走を付ける。
「〈異空穿孔〉ッ!」
右手の魔力回路が真っ赤に赤熱し、蒸気と化した魔力を吹き上げながら、魔術を撃つ。
裂けた空間へ飛び込む。
アイテムボックス内で〈バイター〉を掴む。
そして、正面に開いた出口から空中へと飛び出す。
カエイが笑った。歯をむき出しにして、呆れと感嘆の混ざった笑顔で。
「アアアァァァァッ!」
「オオオォォォォッ!」
生命力の限界を超えた全力と全力の一撃が衝突する。
異空間を経由して縮めた距離が、彼女の不意をついて姿勢を崩す。
それでもなお、ぶつかりあう剣から伝わる衝撃は重い。
だが……ゆっくりと少しづつ。
魔剣〈バイター〉が魔剣〈ミストチェイサー〉を押し込む。
魔力と術式を吸ったバイターが、霧雨を斬って淡く輝く。
そして……ついに、押し切った。
「信じてたぜ」
カエイの体を斬り裂いた〈バイター〉が、更に魔力を吸った。
腕に刺さった管から流れ込んでくる魔力。
そこには記憶や感情までもが混ざっているように感じられた。
カエイが人形のように事切れる。
そのすぐそばで、〈ミストチェイサー〉が音を立てて転がった。
地面に突き立つ力すら、その魔剣には残されていないようだった。
終わった。
いや、違う。
ここから始まるんだ。
「貰うよ、カエイ」
〈ミストチェイサー〉を握りしめる。
決して忘れはしない。こうして今の僕が在るのは、君のおかげだ。
進もう。君のために。僕のために。
僕らの夢のために。




