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塞の守り人  作者: 里桜
第四章
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二十五 大手町 その八

 亮は、眠る日向の頭を膝にのせ、濡れたその髪を手で梳いていた。

 火織はすぐそばに座り、口を真一文字に引き結んでいる。

 雨はすでに止んでいたが、三人の体は濡れそぼり、絞れば水が出る程のありさまだった。

 亮は、黙ったままじっと日向を見下ろしている。

 眠る日向の眉間には、しわが刻まれていた。その皺を、亮は指先で撫でる。

 不意に雲の切れ間から朝日が差し込みはじめた。亮は眩しげに眼を細める。

 見上げると、空のほとんどは厚い雲に覆われたままだったが、かすかに開いた雲の切れ間から白々とした朝日が差し込んでいた。

 それは、夏の強烈な暑さを予感させるような強い日差しだった。

「なあ…」

 火織がためらいがちに口を開く。

 亮は答えることはなく、視線だけを火織に向けた。

「さっきの話だけど…日向の親の入国を大物忌が手伝ったって本当なのか?」

 亮はすぐに視線を日向に戻す。日向の頭を撫でつつ口を開いた。

「大物忌と直接話したわけじゃないけど、事実だと思うよ」

「じゃあ、さっきあんたは石神に都合がいいだけの話を鵜呑みにするなって言ってたけど、日向の両親の追放には何か事情があるのか? そうじゃなきゃ石神を追放された人間の入国に、大物忌が手を貸すことなんてないはずだよな?」

 亮は再び視線を火織に戻す。

 口元はほほ笑むように弧を描いていたが、その視線は嘲るかのように冷たいものだった。

「どうだろうね。もしお前が石神の側に立つなら姉さんたちのしたことは罪深い。しかし、僕たちの側に立つなら…大物忌の配慮にも頷けるんじゃないのか?」

「どういう…意味だよ…」

「そのまんまの意味だよ」

 これ以上の話は終わりだとばかりに、亮は投げやりに答える。

 火織は、開きかけた口を閉じた。亮の拒絶の意志を感じ取ったからだ。

 やがて亮がぽつりとつぶやく。

「僕たちは、異分子なんだよ。石神の中ではね」

 そう言った亮の言葉には、どこか自虐的な空気が混じっていた。それは、何かを諦めているかのようにも見える。

 火織は、軽く目を見開いて亮を見た。やがて視線を伏せる。

「ま、異分子なのは俺も一緒だけどな…」

 火織は自分の耳に触れた。ピアスだらけの派手な外見は、反抗の証でもあるのだ。

 火織は壁に背中をもたせ掛ける。そのままじっと宙をにらみつけた。

「正しいことって、いったいなんなんだろうな」

 火織が、ひとり言のように小さく言葉を漏らす。

「立ち位置が変われば正しいものなんて簡単に変わっちまう。俺たちが正しいと信じているものも、本当は正しいものなんかじゃねえのかもしれねえ」

 その呟きに、亮は答えなかった。

 冷めた表情で、震災の爪痕の残る景色を見やる。その視線は、何も捉えてはいないかのようだった。

 しかし、そんな亮の表情が不意に変わった。

 気付いた火織は、表情を厳しく変えすぐさま背中を壁から離す。亮の視線を辿ると意外そうに目を見開いた。

「冴月!?」

 驚きの声をあげる。

 そこには、冴月と良蔵、怜治、沙織の四人の姿が在った。

 火織たちに気付いた冴月は、はじめこそ無表情だったが、しかしある人物の姿を捉えるとその表情を一変させて突然走り出す。

「冴月様!?」

 急に走り出した冴月の後を、沙織が慌てて追った。

 冴月は、まっすぐ亮の元へと走り寄ると、片膝をついて横たわる日向を見下ろす。

「日向はどうした!? 怪我をしてるのか!?」

 鋭い問いかけに、亮はわざとらしいため息を吐いて見せた。

「怪我なんかさせるわけないでしょ。疲れて寝てるだけだよ」

 言いながら、そっと日向の髪を梳く。

 冴月は、ほっと安堵の息を吐いた。

 その様子を、沙織が忌々しげに見ている。

 しばし遅れて、良蔵と怜治が到着した。

 良蔵は驚いた表情で日向をのぞき込んだ。

「なんで日向がこんなところにいんだよ」

 亮は肩をすくめて見せた。

「成り行きでここにくることになったみたい」

 良蔵は視線を亮に向ける。

「成り行き? なんだよそれ。つーか亮、てめえちゃんと仕事してるんだろうな」

 亮は心外だとばかりに良蔵を見返した。

「ちゃんとしてるし。というか、そんなこと良蔵君には言われたくないんだけどね」

「あんだと? そりゃこっちのセリフだ。てめえ、常日頃から全くやる気のねえ野郎だからな。またいつもみたいに適当にサボってやがんだろう」

「あのね、偏見でものを言うのやめてくれる? 今回ばかりはちゃんとやってるの。ったく、人の苦労も知らないで…ごちゃごちゃうるさいんだよ」

 亮はあっちに行けとばかりに手で追い払う動作をする。

 するとその時、亮の膝で日向が身じろぎした。

 亮は小さく舌打ちをする。

「良蔵君、日向が起きちゃったじゃないか。この落とし前、どうつけてくれるつもり?」

 良蔵はというと、しまったとばかりの表情をした。目を開けた日向をのぞき込んで、小さく声をかける。

「悪かったな起こしちまって」

 罪悪感いっぱいの表情で告げると、ぼんやりとしていた日向の視線が焦点を結んだ。

「百目鬼…先生…?」

「だいぶ疲れてそうだな。もう少し休んどけよ」

「いいえ…もう大丈夫で――――」

 日向は眠そうに目を擦っていたが、やがて意識が覚醒し、良蔵の隣にいた冴月の姿を視界にとらえると、目を見開いて飛び起きた。

「冴月様! ご無事だったのですか!」

「ああ大丈夫だ」

 そう答えた冴月の眼差しは、どこまでも優しい。

「よかった…」

 安堵に表情をゆがめながら冴月を見上げた。

 冴月も穏やかに目を細める。口元には、めったに浮かぶことのない微笑みまでもが浮かんでいた。

 冴月が手をのばして日向の頬にそっと触れる。

「お前も無事で何よりだ。もし疲れているのなら、百目鬼の言うように休んだ方がいい」

 日向は弾かれたように首を横に振った。

「いいえ! 大丈夫です!」

 日向は、すぐに立ち上がろうとしたが、しかし冴月が日向の肩に手を置き、首を横に振る。

「日向、睡眠時間が足りてないのだろう。無理をするな」

「いいえ無理なんてしていませ――――」

 日向は必死で首を横に振って言いかけたが、その言葉を冷たく遮る人間がいた。

「あいかわらず騒々しいのね。少しは静かにできないのかしら」

 沙織が、肩にかかった髪を払いのけつつ、日向を見下ろす。

 火織は沙織と距離を置くべく、じりじりと後じさっていた。沙織に対して苦手意識があるらしく、全身で拒絶の意思を表している。

 日向はというと、驚いて沙織に視線を移し、強張った表情でその視線を見返した。

「沙織様…」

「馴れ馴れしく名前を呼ばないでちょうだい!」

 怒ったような口調で言われ、日向はさらに表情をこわばらせる。

「申し訳…ありません…」

 すると亮が、日向を背にかばうようにして体を割り込ませた。

「日向、お前が謝ることなんて何もないよ。というか、この中でいったい誰が一番騒々しいんだろうねぇ」

 口元に冷たい微笑みを浮かべ、亮が沙織を冷たく見つめる。

 すると、怜治が頷いて口を挟んだ。

「全くその通りですね。己を客観的に見ることのできない愚か者は、いったい誰なのでしょう」

 両腕を組み、無表情に沙織を見つめている。

 沙織はわなわなと肩を震わせ、怒りを込めて怜治を見返した。

 敵意をむき出しにした怜治の言葉に、日向は驚いた表情をする。

 良蔵は渋面を作って、こっそりと日向に耳打ちをした。

「怜治の奴、今機嫌が悪いんだよ。お前、なんとかしてくれねえか?」

 日向は困惑した表情で問い返す。

「僕がですか?」

「そうだ。このメンツじゃ、お前くらいにしか期待できねえ。このままじゃ、やりづらくてしょうがねえんだ。何とかしてくれ」

「でも…」

 日向は困惑した表情のまま怜治と沙織に視線を移した。

 沙織は眦を釣り上げ、昂った激情のままに口を開く。

「愚か者とは誰の事ですのっ!?」

 怜治はあざ笑うかのように片方の口角を持ち上げた。

「おや、はっきりと言わねば、わかりませんか?」

 怜治の挑戦的な言葉に、亮が口笛を吹く。

「言うねえ、怜治君。どうしたの? めずらしいね」

 すると良蔵は慌てて亮を肘でつついた。

「お前は黙ってろ。お前は触んな」

「なんだよ良蔵君」

「馬鹿野郎、これ以上怜治を怒らせんじゃねえよ」

「別に怒らせるつもりなんてないけど」

「嘘つけ! 俺は知ってるんだからな。お前は自ら率先して、嬉々として起爆スイッチを押す男だろうが! いいから絶対に黙ってろ!」

「酷い言われようだね。じゃあ黙ってるけど、でも、僕が押さなくてもあのオジョウサマが押しちゃうんじゃないの?」

 亮はくすりと笑い、冷めた視線を沙織に投げかける。

 沙織と怜治の間には、これ以上ないほどの険悪な空気が流れていた。

 良蔵は息をのむ。

 すると、冴月が長い息を吐き出して立ち上がった。

「卜部、それくらいにしておけ」

 怜治は、無表情のまま冴月に視線を移す。

「いつまでこの人を連れて歩くつもりですか?」

 怜治の言葉に、沙織の表情がさらに怒りに染まった。

「沙織は冴月様の婚約者ですのよ!? お傍にいることは当然。お前ごときが差し出がましい口をはさむことではないわ!」

 すると怜治は、鬱陶しげに眉をひそめる。

 良蔵もやれやれとばかりにため息を吐き出した。

 その言葉に、日向は表情を凍り付かせる。

「婚…約者…?」

 呆然と小さく声を漏らした。


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