二十三 迅雷 その五
ブラウエ・ゾンネ新宿セミナー会場の屋上では、四人の鬼たちが虺と対峙していた。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」
良蔵が九字を切って虺へと放つ。
宙に描かれた紋様がぶつかり、弾けると、虺が苦しげに体をくねらせた。
それを見た怜治と冴月の目が見開く。
「どういうことですか?」
「見ての通り、こいつらには弱点があんだよ」
「弱点…?」
怪訝な表情で怜治が問い返した。
「額を狙え。そこが弱点だ」
「額が弱点…? そんな話、聞いたこともありませんよ」
怜治が、怪訝な表情のまま首を横に振る。
「俺だって聞いたことねえよ。けど事実だ」
そう言って再び良蔵が九字を切った。
虺の額で爆発を起こすと、再び虺が苦しげに体をくねらせる。
その様子を見て怜治が目を細めた。
「どうやら本当のようですね」
「そういうことだ。とにかく、さっさとこいつを片付けるぞ」
先ほどよりも動きの鈍った虺を、四人が取り囲む。
すると虺が、良蔵めがけて尾をふるった。良蔵は、その攻撃をかわす。
冴月が刀印を結んで五芒星を描いた。
「バン ウン タラク キリク アク」
冴月の放った五芒星が、額に当たり爆発を起こすと、虺は雲散霧消する。
浄化を終えると、すぐに怜治が冴月を見やった。
「冴月さん、本部への連絡は――――」
「わかっている」
冴月は、硬い表情で怜治の言葉を遮るように答える。雨から逃れて、一人屋根のある場所へと移動した。
そんな冴月の姿を、残った三人は見送る。
良蔵は、何かもの問いたげな様子で冴月の背中を見ていた。
怜治は視線をヘリに戻す。機影は、すでに遠く離れていた。
「是が非でも、あのヘリコプターの行き先を突き止めなければ…」
怜治が、小さくなった機影を睨みつけて呟いたその時のことだ。
不意に、地面が揺れだした。
良蔵が足元に視線を落とす。
「さっきも小さな地震があったよな。今日は、ずいぶんと多いな」
良蔵が、眉根を寄せて言った。
「そうですね。こうも頻発すると、何やら気味が悪い」
怜治もまた頷く。
地震の揺れは、なかなか収まらなかった。小刻みな揺れが、断続的に襲う。
「移動は少し様子を見ましょう。地震の最中に階段を使うのは危な――――!?」
怜治が言いかけたその時のことだ。
ゴゴゴという地鳴りの後に、急に地面が突き上げるように揺れだした。
瞬時に良蔵が土岐を見る。
「おい土岐! そこのタンクから離れておけ!」
屋上には貯水タンクが設置されているが、細い鉄骨の上に設置されているため、揺れでギシギシと音をたてていた。
土岐が指示に従ってタンクから離れると、さらに激しい揺れが襲い掛かる。
東京の街全体が、うねるように揺れていた。周囲のビル群がミシミシと音をたてながら不気味にくねる。
揺れが強まるとともに、どんどんと街の灯が消えだし、次々にビルの窓が割れていった。
ガラスの割れる音や看板の落ちる音、家具が倒れる音や建物の壁が崩れ落ちる音、様々な破壊音が聞こえ、そこに人々の悲鳴が加わる。街は阿鼻叫喚と化していた。
やがて貯水タンクの足が折れ、地面に落下する。
地鳴りと一緒に、耳を覆いたくなるような轟音が響きわたった。
四人には、なす術もない。張りつめた表情で、ただじっと揺れがおさまるのを待った。
やがて地震がおさまると、四人は屋上から呆然と周囲を見回した。
そこには、巨大地震の大きな爪痕が、生々しく刻まれていた。
そのはるか上空――――ヘリコプターの中から、ヨアヒム・ベーレントは地上を見下ろしていた。
東京の夜景は、一瞬にして様変わりしている。
宇宙からも見ることができるといわれる、百万都市の眩い夜景は、今や跡形もなく消えうせていた。
そこにあるのは、立ち往生している車のヘッドライトや、自家発電によってかろうじて残る小さな灯ばかりだ。
突然襲った巨大地震に、地上は騒然としていた。
ただ呆然と立ち尽くす者、誰かを助けようと必死で瓦礫をどかす者、恐怖に怯える者――――様々な人間が、街の残骸の合間に入り乱れている。
『おおむね予定通りといったところか…。上空から見ると、想定よりも被害が少ないような気がするが…その辺りはどうなっている』
新井が背筋を伸ばし、かすかに頭を下げた。
『地上の状況をすぐ確認いたします』
新井は、すぐに乗務員に指図し、どこかに連絡をとらせはじめる。
ヨアヒムが見下ろす視線の先では、豪雨の中、ところどころで火の手が上がりはじめていた。
ヨアヒムは、微笑を浮かべたまま眼下の景色を見つめている。
『それにしても、あの年若い石神の戦士が、あんなにもロマンチストな男だったとはな。『虫』からの報告では、もっと違った人物像であったはずだが…』
『そうでございますね』
そう言って新井は手元の書類をめくりはじめた。
『報告書によると、物部冴月は、今でこそ物部宗家の嫡男の座に収まっておりますが、本来の出自は脇腹です。十歳になるまでは、母方の実家のある長野で育てられていました。しかし現当主が、本妻との間に男子が生まれなかったため、十歳になった年に本腹との籍に入れたようです。引き取られた当初から養母との関係は冷え切っており、実父である当主とも疎遠であるとのことです。現在は、茨城県にある石神の拠点に仮住まいをしており、これらの生い立ちを総合して、新たな『虫』として適任であるとの報告でした』
『だが結果は違ったがな…』
ヨアヒムは、そこで一度言葉を切ってから、二イッと邪悪な笑みを浮かべる。
『しかし、収穫もあった。あの男の弱点は女のようだ。その女を押さえれば、容易く手足とすることができよう』
言いながらヨアヒムは顎をさすった。
新井は、再び背筋を伸ばして会釈をする。
『かしこまりました。至急『虫』と連絡を取りまして、その女の身柄を確保いたします』
ヨアヒムは、新井の返事に鷹揚にうなずいた。
窓の外では、再び稲妻が走る。
雷光が、明かりの消えた大都会を、一瞬だけ照らしだした。
眼下では、あちこちで緊急車両のランプがともり、サイレンがけたたましく鳴り響いている。
豪雨の降り注ぐ東京は、今宵、未曽有の災害に直面していた。




