一 天璽瑞宝(あまつしるしのみずたから)
物部氏とは、古代の有力氏族の一つである。
祖神はニギハヤヒ命とされているが、古事記や日本書紀において、ニギハヤヒ命は神武天皇の東征以前に大和に土着していた天つ神であることが記されている。
ニギハヤヒ命は、高天原から天降るときに、天神の御祖から十種の神宝を授けられたとされ、それら神宝の詳細は、先代旧事本紀の巻第三天神本紀に記される。
神宝は文字通り十存在しており、澳津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、死返玉、足玉、道返玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼と呼ばれ、この宝をもってすれば、死んだ人間をも甦らせることができるとさえ言われていた。
これらの神宝は、はるか昔に失われ、現在ではその消息は不明とされている。
がしかし歴史の裏側で、石神はひそかに十種の神宝を守り続け、現在まで伝えていた。
十種の神宝は、それぞれ十の塞に祀られ、日本の地下に封印されているとされる『荒ぶる龍』を鎮める祭具の役目を果たしているのだ。
長野県茅野市某所――――。
「そうか…常陸、駿河、越後、武蔵の神宝が狙われたか…」
初老の男が腕を組み、厳しい表情で言葉を漏らす。男は、信濃の守長であり、かつ石神本部の実質的な頭領でもある金刺清春である。
金刺の言葉を最後に、沈黙がおりた。
皆一様に、難しい顔で黙り込む。
広い座敷には数人の鬼が居並び、その中には、越後の守長阿閉桂月、駿河の守長志貴浩嗣の姿も見えた。
座敷の上座には、小柄な老女の姿も見える。大物忌である金子スイだ。
スイは、穏やかな表情のまま沈黙し、先程から一言も言葉を漏らさない。
身じろぎすらせず、じっと男たちの会話に耳を傾けていた。
「本物の神宝が奪われたのは武蔵と常陸のみで、越後と駿河は、用意しておいたダミーの方が持ち去られました」
鬼の一人がそう告げると、阿閉が口を開く。
「では…やはり、あの者が内通者ということで確定ですね」
金刺は腕を組んだまま頷いた。
「おそらくは」
「ならば、早急に身柄を確保しましょう」
阿閉の言葉に、金刺は首を横に振る。
「いや、それにはまだ早い」
その言葉に、阿閉と志貴の目が驚愕に見開かれた。
「この期に及んで、何をおっしゃるのですか、金刺さん!」
志貴が、非難するような声をあげる。
しかし金刺は表情を変えずに、淡々と続けた。
「他にも共謀者がいるはずだ。その者もつきとめなければ――――」
「そんな悠長なことを言っている場合ですか!? あなたは正気ですか!?」
志貴が、金刺の言葉を遮り、声を荒げる。
「志貴さん、お言葉を慎みなされ」
鬼の一人が声をかけたが、しかし志貴の怒りは収まらなかった。
「これが黙ってなどいられるものか!」
志貴は片膝で立ち上がり、金刺ににじり寄る。
「これまで我々は、あなたの采配に従い続けてきました。ですが、今回ばかりは従うことはできませぬ」
志貴は、烈火のごとき激しい視線を金刺に向けた。
「我々は、怪しき外国人たちが、塞を破壊して回っているという報告を、一月ほど前に受けておりました。ですが、内通者の存在を聞かされたのはつい先日のことです。信太さんが、直接諏訪を訪れなければ、我々には、まだその事実を知らされてはいなかったはずだ。確かに事が事だけに、情報の共有は少人数にするべきだったのでしょう。ですがそれは、つまりあなたは、我々すらも疑っていたことに他ならない。違いますか?」
金刺は、志貴の激しい言葉にも、微塵も動揺を見せない。
志貴はさらに続けた。
「守長である我々にすら情報を秘匿していたことは、実に由々しき問題です。事は、あなた一人の責任でどうにかなるような問題ではないはずだ。石神を束ねるお立場であるとはいえ、独断専行が過ぎますぞ」
その言葉に、阿閉も頷く。
阿閉自身も、金刺に厳しい視線を送っていた。
「我々はこれまで、思うところを飲み込み、小出しにされる情報にも異を唱えることなく、ずっとあなたの判断に従ってきました。しかしその結果はどうですか!? 今や東京の塞は、ほぼ壊滅状態です。にもかかわらず、あなたはまだ我々に何かを隠し続け、さらには待てとおっしゃる。私は、あなたのご判断に疑問を感じる。このままでは、十の塞の封印がいつ破られてもおかしくはない。これ以上待つことはできませぬ。私は、今のあなたに不信感すら抱いているのですよ」
「お言葉が過ぎますぞ、志貴さん」
志貴は、言葉をかけてきた鬼を振り返った。
「では聞くが、あなたも内通者の存在を把握しておきながら、この状況で、まだ野放しに泳がせることが得策だとでもいうつもりですか!?」
志貴は、諌めてきた鬼に食って掛かる。
言われた鬼は黙り込んだ。
志貴は、視線を金刺に戻す。
「金刺さん、もはや猶予はありません。すぐに身柄を拘束するべきです」
しかし、志貴の怒りのこもった声にも、金刺は表情を変えなかった。
金刺は、静かな動作でその顔をスイに向ける。
「大物忌は、如何お考えです」
金刺に問われ、スイはかすかに首を横に振った。
「さて、この老いぼれに、そのような答えを求めるとは愚問じゃな」
スイの言葉に、ある者は息をのみ、一同皆が口を閉じる。
実のところ、スイの言葉には、これ以上ないほどの皮肉が込められていたのだ。
金刺は、そんなスイの姿をじっと見つめていた。
スイもその目を見返す。
どちらも視線を外すことはなく、互いの本心を見透かすような眼差しで交わっていた。
しかし――――。
不意に、スイが静かな動作で立ち上がった。まるで年齢を感じさせない、滑らかな立ち振る舞いである。
「大物忌、どちらへ」
かけられた言葉に、スイはかすかにほほ笑んだ。
「己が本分を全うしに行くのじゃ」
そう告げたスイの眼差しには、凛とした決意が宿っていた。
「しがらみの中でもがくのは、ぬしらの仕事じゃろうて」
皮肉の込められた言葉に、再び辺りに沈黙が落ちる。
スイは、障子に手をかけると開け放った。
縁側の外は、夜の闇に呑まれている。
「これより鎮魂の儀を執り行う。荒ぶる御霊を鎮めること――――それがわしの為すべき本分ゆえに」
背中越しに放たれたスイの言葉に、部屋に残された鬼たちは唇を引き結んだ。
スイは、振り返ることなく部屋を出ていった。




