一 みーたん☆
翌日、少年の姿に変わった日向は、修也の運転する黒いエクスプレスに乗っていた。そこには水箏も同乗している。
大きなワゴンタイプの車だというのに、乗っているのは三人だけ。皆、口を閉ざし、車内は静まり返っていた。
「ヒナ…元気出して?」
水箏が気遣うように声をかける。
すると日向は、力なく笑った。
「水箏さん、ありがとうございます」
しかし日向は、短くそう答えたきり、窓の外を眺めて黙り込んだ。
水箏は、眉根を寄せてそんな日向を見つめる。
車は今、首都高湾岸線を抜け、東関東自動車道を東へと向かっていた。一行は一路茨城県鹿嶋市を目指している。
空には、もくもくと迫り出す、真っ白な入道雲が揺蕩っていた。
真っ青な空に、ギラギラと輝く真夏の太陽は、焼けつくような日差しを、容赦なく道路へと降り注いでいる。
真夏の炎天下に車を走らせていた修也は、不意にバックミラー越しに二人へと視線を向けた。
「どうする? 途中でパーキングに寄るか?」
しかし二人は首を横に振る。
修也は、わずかに肩を落とした。明らかに元気のない二人を、気遣うような視線を向ける。
「じゃあ、お腹は空いていないか? 二人とも、あまり朝食に手を付けていなかっただろ。良蔵が随分と気にしてて、出がけに持たせてくれた食事が袋の中に入っているから、食べたらどうだ? 成長期なのに、そんなことじゃ体に良くないぞ?」
修也が、医者らしい言葉をかけるが、二人は無言だった。
修也は、困ったような表情を浮かべる。
しかしその時のことだ。
窓の外に視線を向けていた日向の表情が、驚きに変わった。
「守部先生、隣…」
そう言ったきり日向は言葉を失う。
水箏が、不思議そうに日向の視線をたどると、ぎょっとした表情に変わった。「げっ」と不快気な声をあげる。
修也は、サイドミラーで左車線を確認した。
すると、そこには一台のバイクが並走している。
「もしかしてあのバイク…火織か…?」
修也が、怪訝な表情のまま小さく言葉を漏らした。
バイクでエクスプレスの横を並走していたのは、越後の鬼である商長火織であった。年は、水箏と同じ高校三年生の、年若い鬼である。
火織は、ゼスチャーで看板を指さした。
看板には、酒々井パーキングの文字が書かれている。どうやら、パーキングに寄れと言っているようだ。
「パーキングに寄れと言っているみたいだな」
「しゅーちゃん先生、あんな奴のことなんかシカトいていいわよ」
水箏が吐き捨てるように言い放つ。
水箏は、窓越しに冷たいまなざしを向けたまま、しっしと追い払うような動作をしてみせた。
するとバイクは加速して、修也の車の前に出る。
今度は修也の前で左を指さし、パーキングに寄るようにとアピールをしだした。
修也が苦笑する。
「どうしても寄ってほしいようだぞ。事故でもしたら大変だ。パーキングに寄るぞ」
「ぎゃー! しゅーちゃん先生、やめてってば! 私がアイツの事嫌いなの、知ってるでしょ! 私、あいつとは、絶対に絡みたくないの!!」
「けどなあ、あれじゃ危ないだろう」
火織は、修也の車の前で、左方向を猛アピールしている。
「いいのよ、あんな奴、事故したってそんなの自業自得でしょ!」
修也は、困り顔のまま肩をすくめた。
「水箏には悪いけど、そうもいかないだろ」
言いながら、修也がウィンカーを出して左車線に移動する。
「しゅーちゃん先生! ひどい! 薄情者! オニ! アクマ! この仕打ち、絶~対に覚えてるからね!」
水箏は猛抗議をしてから、隣の日向の手を取った。
「ヒナ~、助けて」
涙目で日向を見上げる。
二人の経緯を知っている日向も、困ったような表情を浮かべた。空いている手をのばし、元気づけるように水箏の頭を撫でる。
すると水箏が、感激したような表情を浮かべた。
「ヒナ! 愛してるっ!」
水箏は目じりに感動の涙をにじませ、シートベルトをしたまま、器用に日向に抱きついた。
車がパーキングに入ると、水箏は急いでシートベルトを外す。
ドアの側に移動して、ロックを確かめた。
「しゅーちゃん先生、鍵開けたら許さないからね」
まさしくギロリという表現がぴったりの目つきで、水箏が修也を睨みつける。
修也は苦笑を浮かべていた。
「了解」
修也が車を止めると、バイクから降りた火織がヘルメットを脱ぎ、車に駆け寄ってくる。
火織は、薄い素材のミリタリーブルゾンを羽織り、ボトムはジーンズ、インナーは白ベースのプリントTシャツといった、ありきたりなライダーファッションだったが、しかし、かなり人目を引いていた。
何故なら、火織の髪は、みごとに脱色されたブリーチなのだ。
それだけではない。耳にはたくさんのシルバーピアスをつけており、鼻、眉、口元、舌にもピアスがついていた。余談ではあるが、服の下に隠れている臍の部分にもピアスがついている。
水箏は、そんな火織を見ると表情をしかめた。
「相変わらず頭の悪そうな男ね」
水箏は、近寄る火織に冷たい目を向けたまま、ばっさりと切り捨てる。
日向が、困ったように微笑んだ。
火織は、まっすぐに水箏の乗る後部座席のドアをめざすと、ノブに手をかける。
顔には、満面の笑顔を浮かべていた。
「みーたん☆」
窓越しに目があった水箏に向けて、そう声をかける。
『みーたん☆』と呼ばれた水箏は、寒気を覚えたのか、自分の両手で自分の体を抱きしめた。
「キモ…」
水箏は小さくつぶやく。
火織は、ドアの鍵が閉まっていることに気付くと、表情を一変させた。唐突に不機嫌な表情に変わり、バンと窓を叩く。
「なんだよ、修也センセ、ドア開けろよ」
火織は、車の外で怒鳴った。
すると通行人たちが、火織を避けるように移動しはじめる。
修也は軽くため息をつき、助手席の窓を薄く開けて火織に声をかけた。
「火織、どうしてここに居るんだ? こんなところでなにしてるんだ?」
火織は、ガシッと助手席の窓に手をかけ、力を入れる。
どうやら力づくで窓を開けようとしているようだが、しかし無理だった。
「何してる? そんなのみーたんに会いに来たに決まってるだろ。なあセンセ開けてくれよ」
水箏は、気色悪げに火織を見た。
「気持ち悪い呼び方しないでよ! 早くどっか行ってよヘンタイ!」
火織は、叱られた犬のように眉尻を下げる。
「みーたん酷い。俺は、ただみーたんをぎゅーってしたいだけなのに」
水箏は、またまた寒気を覚えたのか、今度は日向に抱きついた。
「キモい! キモすぎるっ! 早く消えろドヘンタイ! ヒナ、助けて!」
水箏は、本当に怯えた様子で日向にしがみついている。
日向は困ったような表情を浮かべていた。怯える水箏の背中を撫でてやる。
すると、それを見た火織が激怒した。
「おいクソ日向、てめえ、俺のみーたんに気安く触るんじゃねえ! ぶっ殺すぞ!」
しかし、その怒鳴り声に反応したのは水箏だった。
「フザケンナ、『俺の』ってどういう意味よ! 私はヒナのものなんだからね!」
叫んだ水箏を、日向がなだめる。
「水箏さん、落ち着いてください」
「だってヒナ! あいつがキモいこと言うから」
水箏は涙目になって日向を見上げた。
「あのクソウザいヘンタイが、キモいこと言うのが悪いのよ」
水箏は、再び日向の胸に頬をうずめる。
「私はヒナのものなの。私はヒナのお嫁さんになるんだから」
水箏は目を閉じて日向の胸に寄りかかった。
すると、火織の表情が憤怒に変わる。
「クソ日向、てめえマジでコロス。みーたん! みーたんは俺の嫁になるんだろ!? な?」
必死で訴えかけるが、水箏は無視をした。
すると火織の眼差しが鋭くとがり、射抜くように日向を睨みつける。
「そんななよっちいチビ、みーたんには釣り合わねえよ」
しかし、水箏は凍えるような声で、冷たく言い放った。
「うっさい、消えろ」
「みーたん!」
そんなやり取りを見守っていた修也は、ため息を吐き出し、二人の間に割って入る。
「まあまあ、それくらいにしておけよ火織、あまりしつこくすると本当に嫌われるぞ」
「だってセンセエ…」
火織は情けない声を出した。
「水箏に嫌われたくないんだろ? だったらもうやめとけよ」
修也に諭され、火織はいったん口を閉じる。
しかし――――。
「あのね、しゅーちゃん先生、そんなの全く関係ないから。私はこいつのこと、未来永劫、一生嫌いなままだから」
「みーたん、酷い!」
せっかく収まりかけた話が、水箏の言葉で再燃しはじめ、修也は頭痛を覚えたように額を押さえた。
車のドアをロックされたまま、締め出しを食らっている火織は、ふてくされたように車のボディに寄りかかっていた。
修也は、困った様子で火織を見つめる。
「火織、お前東京に呼ばれてきたんだろ。だったらこんなところにいる場合じゃないだろ。早く東京支部に戻れ」
修也は、先程からずっと同じ説得を試みていたが、しかし当の火織は、ポケットに手を突っ込んだまま無言だった。
「火織」
火織は口を引き結び、仏頂面でそっぽを向いている。
修也は、疲れたようなため息を吐き出した。
すると火織が、低い声で口を開く。
「だってよ、本当は俺、東京に来るつもりなんかなかったんだ。せっかくの夏休みに、鬼の仕事でひっぱりまわされるなんて最悪だろ。俺は高校最後の夏休みを、自由に満喫するつもりだったんだ。けどよ、守長がうるさくて…」
火織はまだ年若いが、鬼としての能力は折り紙つきだった。
しかし、いかんせん思考が未熟で、こうして年長の鬼たちの言葉にも、気分によっては従わない。奔放で気ままな性格をしていた。
「俺が東京行きをOKしたのは、東京にみーたんが居るっていうからだったのによ。支部に着いたら、入れ違いで鹿嶋に戻ったって言うから、俺頭にきて…。だから追いかけてきたんだよ」
火織は、ぶすくれた表情のままそう告げる。
「じゃあ、もう目的は果たしたんだから、支部に戻りなさいよ」
水箏が口をはさんだ。
すると火織が、勢いよく水箏を振り返る。
「果たせてねえよ! まだみーたんをぎゅーってしてねえ」
その言葉に、水箏が怯えたように日向に縋りついた。
「そんなこと、一生させないわよ。キモいからいい加減にやめて」
日向の陰に隠れる水箏を見て、火織は増々不貞腐れる。
「決めた。俺、ぜってえ東京支部には行かねえから」
言いながら車から背中を離した。
火織は歩きだし、自分のバイクへと戻りはじめる。
「火織、どこへ行くつもりだ?」
修也の言葉に、火織が振り返った。
火織は東の方角を指さす。
「鹿嶋に決まってるだろ」
そう言ってから、火織はヘルメットを被った。
そのセリフに驚いたのは水箏だ。
「ちょっと、やめてよ! ついてくる気!? いい加減にして! 東京に戻りなさいよ!」
窓を開けて叫ぶが、火織はひらひらと手を振った。
「やだ。じゃあみーたん、俺は先に行ってるからよ! また後でな!」
火織はバイクにまたがり、キーを回してエンジンをかける。
「何言ってんの、なんでついてくんのよ! いやよ! 東京に行きなさいよ!」
水箏が叫ぶが、火織は全く聞かなかった。
火織は、一際エンジンを回転させると、そのまま勢いよく走りだす。
その背中を、水箏が呆気にとられた様子で見つめた。
やがて、我に返った水箏は叫んだ。
「アホ火織! 東京に戻れバカ~」
後には、火織をののしる水箏の声ばかりがこだましていた。




