十九 本音
日向は、冴月に寄りかかったまま、じっと宙の一点を見つめていた。
二人の間に言葉はなく、沈黙ばかりが支配する。
不意に、日向が口を開いた。
「冴月様、僕の我が儘を聞いてくれてありがとうございます。僕、明日はちゃんと鹿嶋に帰りますから」
ポツリと呟くように告げられた日向の言葉に、冴月は頷く。
「そうしたほうがいい」
冴月の返事に、日向は少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
すると、冴月の手が日向の頭を撫でる。
元気づけるような冴月の手に、日向は再び寂しそうに笑った。その眼差しに、切ない色が宿る。
だが、その感情を押し殺すようにして、日向は口を開いた。
「冴月様、今、この東京では何が起こっているのでしょうね…僕、不安になります」
冴月は、無言のまま日向の頭を撫で続ける。
「あの外国人たちは、何かはっきりとした目的を持って塞を破壊しているようです。それに、卜部先生が言っていた賢者の石の存在も気になります」
日向は、硬い表情をして、膝の上で一度強く拳を握りしめた。
しかし、すぐに力を抜いて、諦めたようなため息を吐き出す。
「まあ、僕が考えても仕方のないことかもしれませんけど…。僕は、梯子を外されてしまったようですから…」
そう言って、自嘲気味に笑った。
力なくつぶやいた日向を、冴月は黙って見降ろす。その表情に宿る感情は、複雑なものだった。
日向は、冴月を見上げる。
「冴月様、僕、心配なんです。僕の知らないところで、冴月様や土岐までもが怪我をしたらと思うと…本当は居ても立っても居られないんです」
「日向…」
「わかっています。僕が東京に居ちゃいけないってことは…。無理やりここに残っても、冴月様にご迷惑をおかけするだけだってことも、ちゃんとわかってるんです。でも、僕、本当はここに居たい。みんなと一緒に居たいんです」
日向は、切々と訴える。
冴月は眉根を寄せて日向を見た。
日向は、そんな冴月を見て切なそうに微笑む。
「困らせるようなことを言って、申し訳ありません。でも、冴月様には僕の気持ちを知っておいていただきたかったんです。だから…お願いですから、無茶はなさらないでください。僕不安なんです」
冴月は困ったようなため息を吐き出した。
「お前にそんなことを言われる日が来るとはな…。無茶はお前の専売特許だろう」
言いながら、冴月は日向の頭をくしゃりと撫でた。
「大丈夫だ、土岐にも怪我をさせたりはしない。もっと俺たちを信用しろ」
冴月の眼差しは、優しげに細められている。
「冴月様…」
日向は、泣きだしそうな表情で冴月を見上げた。
「大丈夫だから、そんなにも心配するな」
冴月は、困ったように微笑む。
しかし日向は、小さく首を横に振った。
「どうして…」
「日向?」
冴月は、怪訝な表情で日向をのぞきこむ。
日向は、苦しげな表情で、胸の内を吐き出すようにして口を開いた。
「どうして僕は、半陰陽なんかに生まれついてしまったんでしょう。僕はこの体のおかげで、自分の歩く道すら自分で決められない。僕には、他人の決めた道を歩くことしか許されないんです」
「日向…」
「冴月様、僕は、いったい何のためにこの世に生まれたのでしょうか? 僕は、道具なんかじゃありません。僕は…普通の人間と何も変わらないんです。ただ特殊な体に生まれついてしまった。それだけのことなんです。けれどもこの体のせいで、僕の人生は、いつも僕の思い通りにはならない」
冴月は、表情を硬く変えた。
「もしかして、ここ最近元気がなかった理由はそれが原因か?」
冴月の言葉に、日向はしまったとばかりに息をのむ。
「いいえ…いいえ違います」
日向は、不自然に視線を逸らして首を横に振った。
しかし、冴月の疑念は、日向の態度で確信に変わったようだ。
冴月は、厳しい表情で日向を見据える。
「そうか…そういうことか。諏訪から何か接触があったんだな。いったい、どんな話をされた?」
冴月は、まっすぐに日向を見据える。嘘は許さないと言う強い意志が宿る眼差しだった。
だが日向は、冴月を見ない。
「違います。諏訪と連絡なんてとっていません。冴月様の…勘違いです」
日向はうつむき、ぎゅっと目を瞑った。
冴月は、すっと目を細める。
「ならばこっちを向け、日向」
冴月の低い声に、日向はびくりと肩を揺らした。
冴月が手をのばして、日向の小さな顎を捕える。手に力を入れ、日向の顔を無理やり上向かせた。
「俺を見てから、もう一度同じことを言え、日向」
怒りのこもった冴月の声に、日向はゆっくりと両目を開ける。口元を引き結び、眉根を寄せたまま、じっと冴月を見上げた。
二人の視線が交わる。
目が合うと、日向はくしゃりと表情をゆがめた。
いまにも泣き出しそうな日向を見て、冴月が一度目を見開く。やがてため息を吐き出した。
「そんな顔をするな…」
困ったようにそう言って、とらえていた日向の顎を外す。
冴月の手が離れると、すぐに日向はうつむき、苦しそうな表情を浮かべた。
「いったい何を言われたんだ日向…」
今度は、いつもの穏やかな声で冴月が問いかける。
しかし、日向はうつむいたまま首を横に振った。
「日向」
それでも日向は、首を横に振り続ける。
冴月は、困り果てた表情を浮かべた。
そんな冴月の両腕を、不意に日向が掴んだ。
「お願いです冴月様…どうかそれ以上は聞かないでください…」
冴月は、硬い表情に変わる。
「何故だ…。日向、いったい何があった」
冴月は、日向の顔を見ようとする。がしかし、日向が顔を背けた。
「日向」
わずかに苛立ったような声で、冴月が名前を呼ぶ。
その時のことだ。
不意に、静かだった廊下に足音が響いた。
日向と冴月は、同時に顔をあげ、足音のする方へと顔を向ける。
近寄ってくる人物を見て、日向は大きく目を見開いた。
「叔父様!」
日向は、弾かれたように椅子から立ち上がる。そして、小走りに叔父と呼んだ人物に駆け寄った。
廊下に現れた人物は、日向の母親の弟である最首亮だった。
年は三十五歳。小柄で線が細く、どこか中性的な面差しをした男性だ。目元が、日向によく似ていた。
亮は、口元に柔らかな微笑みを浮かべて日向を見る。
「日向、久しぶりだね。元気そうで何より…と言いたいところだけど…」
そこまで言ってから、そっと手をのばし、日向の目じりを指先で拭った。
亮の微笑みが、不穏な色を宿す。
「日向、どうしたの? 冴月君に、何か意地悪でもされた?」
亮は、かすかに首を傾げながら日向を見てから、艶めいた微笑みを浮かべて冴月を見る。
口元には笑みが浮かんでいるというのに、何故か得体の知れない寒気を覚える眼差しだった。
冴月はその目を見返すが、口を閉じたまま何も答えない。その表情には、やや辟易したような色が浮かんでいた。無表情が定番の冴月にしては、めずらしいことだった。
日向は、慌てて首を横に振る。
「叔父様、違います! 冴月様は、何も悪くありません!」
亮は日向を見下ろした。
「本当に?」
「本当です!」
日向は、必死な面持ちで亮に訴える。
亮は、少しだけ考えるそぶりを見せてから、日向の体を引き寄せた。
その腕の中に抱きしめてから口を開く。
「意地悪をされたら、いつでも僕に言うんだよ? きっちりと、お灸をすえてあげるからね」
日向の頭を自分の胸に押し付け、視界を遮ってから、亮はぞっとするような鋭い眼差しを冴月に向ける。
相変わらず口元は、笑みの形をしているのだが、その表情の全てが挑戦的だった。敵意と呼んで差支えないほどの何かが、そこには潜んでいる。
日向は、腕の中から亮を見上げた。
「叔父様、冴月様が意地悪なんてするはずがありません! 僕は、いつも冴月様に良くしていただいています」
亮は、日向と目が合うと、がらりと表情を変える。邪気のない表情に戻った。
「ふーん、そう…。なんだか妬けるね。日向の一番は、いつも冴月君なんだから…。僕だって日向のためなら色々と頑張ってるんだけどな」
亮は、どこか拗ねたような表情を日向に見せる。
すると日向は、慌てて弁解をはじめた。
「はい、叔父様にも、いつもよくしていただいています! 僕、いつも感謝しているんです。僕が鹿嶋で自由に暮らせているのは、叔父様と冴月様のおかげですから」
亮は、一度目をまたたいてから、ふっとほほ笑む。
「七十点だな。そこは、『叔父様のおかげ』って言ってくれないと」
日向は戸惑ったように亮を見上げた。
「でも、冴月様のおかげでもあるんです。冴月様が、直に宗家に頼んでくださったから――――」
しかしそこまで言うと、言いかける日向の唇の上に、突然亮が指先を置いた。
日向は言葉を止められ、不思議そうに亮を見上げる。
亮は、またしても不服そうな表情を浮かべていた。
「日向、僕の前であんまり冴月君の事を褒めないでくれる?」
「え? どうしてですか?」
「そんなの、ムカつくからに決まってるでしょ」
爽やかな笑顔で告げられ、日向は、聞き間違いかと驚いた顔で目をまたたく。
亮は、柔らかな微笑みを浮かべたまま日向の頭を胸に引き寄せ、その両耳を自らの手で塞いだ。
日向は、わけもわからず、怪訝な表情を浮かべる。
すると亮は、突き刺さるような視線を冴月に向け、凶悪な笑みを浮かべて口を開いた。
「あまり図に乗るなよ小僧、日向を泣かせたら殺すからな」
ドスの利いた声で告げると、日向の耳から両手を放す。
日向は、不思議そうに亮を見上げた。
「どうしたんですか、叔父様」
「ん? なんでもないよ?」
亮は、綺麗な笑顔で日向に微笑みかける。
冴月は、疲れたようなため息を、小さく吐き出した。




