十四 富士研修所 その四
怜治は、男の鳩尾に拳を叩きこむ。
男は咳き込みながら倒れた。
周囲の状況をざっと確認し、怜治は良蔵に視線を投げる。
すると、良蔵の側に居た男の一人が、ちょうどポケットから銃を取り出そうとしているところだった。
「良蔵! 危ない!」
怜治の鋭い声で気付いた良蔵は、男が銃を構え終わる前に突進する。
男の腕を取って銃口を空に向けた。
大空めがけて発砲された銃声が、パーンと乾いた音をたてて周囲に響き渡る。
その瞬間、夜の森で息をひそめていた鳥たちが、一斉に羽ばたいた。
「良蔵!」
「大丈夫だ」
良蔵は、答えながら銃を持つ男の足を払い、引き倒して地面に押し付ける。腕を捻りあげて、銃を奪い取った。
「ったく、物騒な連中だぜ」
怜治の表情に、焦燥感が浮かぶ。
「こんな武器を使ってくる相手となると、日向や冴月さんの事が心配です」
「やっぱり例の施設に、二人の姿はないのか?」
「今のところ見つかりません」
式神との精神感応を解いていない怜治は、男たちと戦っている最中にも施設の内部を探っていた。
施設の中はあらかた確認したが、日向と冴月の姿は何処にもない。
「今、隣の建物についても確認しはじめたところですが、こちらは人の気配がまったくありません。もぬけの殻のようです」
「そうか…」
良蔵が、男の腹部に拳を叩きこんで意識を失わせると、ようやく周囲が静かになった。
不意に怜治が目を細める。
「もう少し内部を確かめたいところでしたが、少々事情が変わったようです」
良蔵が片眉を跳ねあげた。
「どうした?」
「ヨアヒムと新井が、どこかに出かけるようです」
良蔵の表情が厳しいものに変わる。
「式神で追えるか?」
「やってみます」
怜治が頷くと、二人はすぐさま踵を返して車に乗り込んだ。
良蔵たちから少し離れた場所には、土岐と修也の姿が在った。
修也は息をひそめて岩陰に隠れ、土岐は気配を殺してそっと移動している。
土岐の放った式神が、林道わきに潜んでいた男の姿を発見しており、土岐は背後から男に忍び寄っていたのだ。
音もなく男に近づくと、後ろからすばやく首に腕を回して締め上げる。
「ぐぅっ!」
呻き声をあげつつ男は抵抗を試みるが、すぐに体から力が抜けた。
気絶したことを確かめてから、土岐は修也の元へと戻る。
その時、のことだ。
突如、夜の静けさを破るようにして、銃声が響き渡った。
反射的に、音のした方向を振り返ってから、二人は顔を見合わせる。
「今の…銃声か?」
修也の問いかけに、土岐は呆然とした表情でうなずいた。
「たぶんそうだと思います」
二人の表情が、しだいに硬いものへと変わっていく。
「銃を持ってるのか…。これは、心してかからないといけないな――――」
言って修也は立ち上がった。
その後ろに土岐が続き、二人は、少し離れた場所に停車してある車へと移動しはじめる。
しかし、不意に修也が足を止めた。そして、周囲に鋭い視線をめぐらす。
「守部先生、どうしたんですか?」
「何かがいる」
「何かが?」
土岐も周囲を見回した。
その刹那、すぐそばの茂みがガサリと動く。
二人が振り返ると同時に、茂みの中から人影が飛び出してきた。
人影は、土岐めがけて襲い掛かる。
「土岐!」
土岐は両肩を掴んで倒され、人影とともに地面を転がった。
やがて、土岐の上に人影が馬乗りになった状態で止まる。
その姿を見て修也は一瞬絶句した。
「…沙織…さん…?」
しかし、呆然としたのはほんの一瞬の事。
すぐに闇堕ちの状況を理解し、霊符を取り出して宙に放り投げた。刀印を結んで呪文を唱える。
「急急如律令」
霊符は白い鹿へと姿を変じ、沙織に向かって突進した。
白い鹿は沙織の背中に飛び込もうとしたが、見えない力に跳ね返される。
弾き飛ばされた鹿は、霊符へともどった。
「ぐぅぅっ!」
土岐は、苦しげな呻き声をあげる。
沙織は両手を土岐の首にかけ、絞め殺そうとしていた。
修也は、再度式神を沙織に向けて放つが結果は変わらない。
「くそっ!」
修也は、苦しむ土岐をなんとか助けようと、不自由な足を必死に動かして沙織に体当たりをした。
沙織の体が、かすかに揺らぐ。
その隙に乗じて、土岐が沙織の腕を引きはがした。同時に沙織の体を蹴り飛ばす。
「ゴホゴホッ ゲホッ」
土岐は、喘ぐように酸素を取り込んで咳き込んだ。
「土岐! 大丈夫か!?」
修也は、土岐を背後にかばうようにして沙織と対峙する。
「大丈夫…です。守部先生、危ないのでさがっていてください」
土岐は、喉元を押さえながら立ち上がった。修也の前に立とうとして止められる。
「バカ! 闇堕ちした鬼を、一人で祓えるわけがないだろう。しかもかなり進行した状態なんだぞ!」
沙織の体は前のめりに湾曲し、手には鋭い爪が伸びていた。開けっ放しの口の端からは、だらしなく涎が滴り落ちている。
「ドギィィィ…ゴ…ロズ…」
沙織の濁った眼差しは、土岐へと向けられていた。
修也は再び刀印を結んで式神を放つ。
「急急如律令」
しかし修也の式神は、片手で軽くあしらわれ、霊符は鋭い爪によって引き裂かれた。
沙織は大地を蹴り、修也たちに突進してくる。
構えを取る間もなく、修也は横にどかすようにして沙織に突き飛ばされた。修也の体は、軽々と吹き飛ぶ。
「守部先生!」
沙織は、間髪を入れず土岐に襲い掛かった。
「くっ!」
沙織の重い蹴りを、土岐は腕で受け止める。続いて繰り出される拳も、掌底で軌道を逸らしてかわした。
修也は、頭を振りながら立ち上がる。
沙織と土岐の攻防を見て、考えるように視線を細めた。
一瞬だけ逡巡したが、すぐに修也は覚悟を決める。
「禊も斎戒も済ませていない体に降ろすのは、かなり負担になるが仕方がない」
修也はパンと両手を打ち鳴らした。
背筋を伸ばして目を閉じ、凛とした声で祝詞を奏上する。
「あはりや、あそばすともうさぬ、あさくらに、福慈大神降りましませ」
すると修也の体が淡く輝き、一拍おいて爆発するような光が生まれた。
沙織が、怯んだ表情を浮かべて修也を振り返る。
修也は刀印を結んで五芒星を描いた。
「バン ウン タラク キリク アク」
まばゆい光を放つ五芒星が、沙織に向かって放たれる。
沙織にぶつかって爆発が起こると、沙織が絶叫した。
「ギィィヤァァァ!」
沙織の絶叫は、夜の闇を切り裂くようにして響き渡った。




