十二 富士研修所 その二
林道を一台の車が通り過ぎる。ほんの十数分前、冴月が通ったばかりの林道だ。運転しているのは良蔵で、助手席には怜治が乗っている。
バイクで東京を出た二人は、途中で車を手配し、乗り換えていた。
二人の表情は硬く、無言のままブラウエ・ゾンネ研修センターを目指している。
沈黙を先に破ったのは良蔵だった。
「東京を出るのにだいぶ手間取ったせいで、遅くなっちまったな」
「そうですね。東京が宿主たちであふれかえっていたせいで、想像していたよりも到着がかなり遅れてしまいました」
「地震の被害も酷かったしな」
怜治は、憂いを帯びた表情で視線を伏せる。
「確かに酷いものでした…」
「冴月は今どのあたりだろうな。もう研修所に着いちまったかな」
怜治は首を振った。
「わかりません。あの状態では、冴月さんも簡単には東京を脱出できなかったとは思うのですが…。時間は全く読めません」
「だよなあ…」
良蔵がため息を吐くと、再び車内に沈黙が落ちる。
しばらくして、良蔵はカーナビの画面を一瞥した。
「そろそろか?」
何がとは聞かず、良蔵がたずねる。
すると、怜治は頷いた。
「そうですね」
良蔵が車を止め、怜治が一人車を降り立つ。
そしてポケットから霊符を取り出し、宙に放り投げた。
「急急如律令」
刀印を結んで呪文を唱えると、霊符がイタチへと変じる。
イタチは軽やかに大地を蹴って、森の中へと消えていった。
狭い部屋の中で、冴月は男たちに応戦していた。
一斉に飛び掛かってきた男たちに向かって、目の前の机を蹴りあげる。
男たちが足を取られてもたついたところを狙って、冴月は顔をめがけて蹴りを入れた。
男の一人が、吹き飛んで壁にぶつかる。
背後から襲いかかってきた男には、ひじ打ちを繰り出して撃退した。
冴月は狭い部屋を利用し、数のハンデを効率的に解消していたが、徐々に壁際に追い詰められていく。
エッカルトの顔には、余裕の表情が浮かんでいた。それは、勝利を確信した者の表情だ。
新井もエッカルトの側で、徐々に包囲を狭められていく冴月を無表情に見つめていたが、しかし、突然携帯が鳴り出し、応答するべく部屋を出ていく。
電話は、林道に配置していた男からだった。
部屋の外で、新井は、男から良蔵と怜治の到着の報告を受けていた。
一方部屋の中では、変わらず多勢に無勢の冴月が押され、とうとう逃げ場をなくす。
エッカルトがほくそ笑み、冴月は観念するしかないかに見えた。
しかし、その時冴月は意外な行動に出る。
突如身を翻し、両腕を交差させて頭部を庇いながら、背後にあった窓に体当たりを食らわせたのだ。
冴月は、窓を突き破り、外へと飛び出る。
エッカルトが目を見開いた。
慌てた様子で叫ぶ。
「追え! 逃がすな!」
冴月は、壁際に追い詰められるふりをして、気取られないよう密かに窓を目指していたのだ。
まんまと罠にはまったエッカルトは慌てふためき、自身も冴月が割った窓から外へと飛び出す。
騒ぎを聞きつけて部屋に戻った新井は、冴月が逃げ出した状況を悟ると舌打ちをした。
側に居た男たちに、冴月の追跡や良蔵たちへの対応を指示すると、自分はヨアヒムのいる部屋を目指した。
怜治の放った式神は、音もなく大地を駆け、やがて研修センターに到着する。
式神のつぶらな目は、まるでハチの巣をつついたような、騒然とした状態の研修センターの様子を映し出した。
辺りには怒号が飛び交い、男たちが次々と中からとびだしてくる。
怜治は、式神の目を通して、その様子をうかがっていた。
「研修所で何かあったようです。冴月さんが、何か仕掛けたのかもしれません」
怜治の言葉に、良蔵は焦燥の色を浮かべる。
良蔵も車から降りて、怜治の横に並んだ。
「冴月は無事なのか?」
「わかりません。もう少し探ってみます」
怜治は、機を見て式神を建物の中へと侵入させる。
式神は、内部に入るとするすると壁をのぼり、天井の梁へと移動した。軽やかに梁から梁へと飛び移り、奥を目指す。
やがてある一室から人の声を拾い、式神は立ち止まった。
声の拾える位置に移動すると、中の様子をうかがう。
『物部冴月が逃げ出しました。今、後を追わせています』
ヨアヒムは鼻を鳴らした。
『どこまでも役に立たない奴らだな。これでは、たとえ人格に問題があろうとも、エリザの方がましというものだ』
新井はかすかに顎を引いたが、その件については何も言葉にはしない。代わりに別件の報告をはじめた。
『エリザと才神日向につきましては、別働隊に後を追わせています。どうやら氷穴に転落したようで、そこで消息が途絶えています。両名の落ちた氷穴は、垂直に開いた縦穴であるため、捜索班は下降に手間取っているようです。まだ最下部まで到達できていないと報告がありました。念のため付近にある別の洞穴からも捜索班を投入してありますが、エリザたちが落ちた場所が未発見であった氷穴であるため、他の洞穴と繋がっているかどうかは不明です。また、先程林道付近に配置してある警備の者から、二名の鬼が敷地内に侵入したとの報告がありました。そちらにも人員を向かわせてあります』
ヨアヒムは鷹揚にうなずいてみせる。
『草薙剣がまだ手に入っていないとなると、逃げた女の身柄が必要になる可能性がある。これ以上の失敗は許されない。必ず生かしたまま連れてこい』
『かしこまりました』
ヨアヒムは立ち上がり、窓際に移動した。
『この局面に来て、なかなか思い通りに事が運ばないな…。石神たちも存外しぶとい。そろそろ封印が破れてもいい頃合いなのだがな…』
『きっと石神も必死なのでしょう。ですが十の塞の神宝を欠いた状態が長く続けば、その分封印が破れる危険は増すというもの。多少時間が遅れたとしても、我々の計画に間違いはありません』
新井が言い切る。
『だといいがな…』
ヨアヒムの表情は晴れなかった。
目の前に聳え立つ富士を一瞥してから、ヨアヒムは新井を振り返る。
『まだ草薙剣は手に入れていないが、先に隧道の確認をしに行く。至急準備をしろ』
『かしこまりました』




