十一 富士研修所 その一
冴月は、バイクに跨り細い林道を走っていた。
バイクのヘッドライト以外に全く明かりのない林道は、薄気味悪さすら感じるほど侘しい雰囲気を漂わせている。
時折、夜行性の獣たちが林道を横切っては、騒々しいバイクをもの珍しそうに眺めていた。
冴月は、背中に布に包んだ木箱を背負っている。
表情はフルフェイスのヘルメットの下に隠れて見えなかったが、荒っぽい運転が冴月の焦燥を物語っていた。
カーブにさしかかると、地面すれすれまでバイクを傾がせ、タイヤを軋ませながら走る。
小枝の上で、様子をうかがっていたリスが驚き、体を飛び上がらせるようにして逃げ出した。
林道の脇に身をひそめていた男は、そんな冴月の姿を確認すると携帯を操作しはじめる。眼差しは、油断なく冴月を追っていた。
『例の鬼が今通過しました。一人です。五分後にはそちらに到着します』
要点だけを短く告げる声が、暗闇の中に響いていた。
連絡を受けた新井は、携帯を切ってヨアヒムの在室する部屋の扉を叩く。
中から応答があると、恭しく扉を押し開いた。
『ヨアヒム様、約束通り物部冴月がやってきました。単身で乗り込んできたようです』
ヨアヒムは、足を組んだまま座った椅子を回転させ、新井を振り返る。
『ようやく来たか』
『はい、五分後に到着の予定です』
ヨアヒムは、ゆったりとした動作で机の上で肘をつき、口元で両手を組んだ。鋭い眼光は、側に控えていたエッカルトを射るように向けられる。
『あの小娘は依然取り逃したままで、エリザからの連絡もないそうだな』
エッカルトはかすか顎を引いた。
『はい』
ヨアヒムは冷たい眼差しをエッカルトに向ける。
『勝手に小娘の追跡をやめさせた罪は重いぞ』
『承知しております。相手はまだ子供、やり方はいくらでもあります。もし抵抗したとしても相手は一人。数の論理で押し切ればよいだけのことです』
ヨアヒムはつまらなそうに鼻を鳴らした。
『たかが子供一人相手に力づくか。美しくないな』
そう言ってから新井を見る。
『遺漏のないようにフォローをしてやれ』
『かしこまりました』
新井は、慇懃な動作で頭を下げた。
冴月は、目的地に到着すると、エンジンを切ってバイクを降りる。ヘルメットを脱いでミラーにかけた。
木箱は、布に包んで袈裟懸けに背負ったままで、下ろす気配はない。
冴月は、エントランスの前まで移動して止まった。
すると、まるで計ったかのように内側からドアが押し開かれる。現れたのは新井だった。
「ようこそおいで下さいました」
新井が慇懃に冴月をもてなす。
「どうぞ」
中に入るように勧めるが、冴月はすぐには動かなかった。
「日向は何処だ?」
射るような眼差しを新井に向けて、冴月は問いかける。
その問いかけに答えたのは、エッカルトだった。
「やれやれ、せっかちな男だ。そう急くものではない。立ち話で済むような要件でもあるまい。まずは中に入ったらどうだ?」
エッカルトは奥から悠然と現れ、作ったような微笑みを口元に浮かべながら冴月を中へといざなう。
冴月は、警戒を張り巡らした鋭い眼差しをエッカルトに向けた。
「日向は何処だと聞いている」
エッカルトは、嘲るような表情を浮かべる。
「お前は、どちらに主導権があるのかも理解できていないようだな。非力な小娘一人、生かすも殺すも我々次第だ」
その言葉に、冴月は奥歯をギリリと噛みしめた。そして、無言のまま歩き出す。
黙って扉をくぐる冴月の姿を見て、エッカルトはにやりと笑った。
冴月は、応接室に通される。
「では、約束の品を見せてもらおう」
エッカルトが、冴月の背負う木箱の中身を見せるように促すが、冴月は動かなかった。
エッカルトは軽く腕を組んで、わざとらしく肩をすくめて見せる。
「同じ話を、また繰り返さなければわからないのか?」
冴月は微動だにしなかった。
「日向はどこに居る。日向の無事を確認してからでなければ、お前の話には応じられない」
エッカルトは大仰なため息を吐き、入口に控えていた男に声をかける。
「連れてこい」
男は、無言のまま退出した。
エッカルトは再び冴月に視線を戻す。
「座ったらどうだ?」
冴月は無言だ。
「そう警戒するな。女はじきに連れてくる。どうだ、それまで少し話をしないか?」
言ってソファーに腰かける。
しかし冴月は無言を貫き、動く気配も微塵もなかった。
「頑なだな」
エッカルトは喉を鳴らしてククと笑う。
「そんなに女が大事か?」
「…」
「単身で敵陣に乗り込み、あまつさえ草薙剣と引き換えにするほどに」
それでも冴月は、何も答えなかった。
「ヨアヒム様の読みは当たったな。お前なら、たとえ仲間を裏切ってでも女を選ぶとおっしゃっていた。その通りの結果になった。お前は期待通りの仕事をしてくれたよ」
エッカルトは笑みを深める。
「そんなお前に、我々からもささやかな心づけをしたいと思うのだが――――」
「必要ない」
冴月はぴしゃりとはねのけた。
エッカルトは目を細める。
「そう急くものではない。話は最後まで聞いてみるものだ。それとも、今のお前には話を聞くだけのゆとりすらないのか?」
エッカルトは余裕たっぷりに、挑発するように冴月を見やった。
相変わらず冴月は微動だにせず、表情も全く変えずにエッカルトを見る。
「必要がないからそう言っている。お前と無駄話をするつもりはない」
「これは手厳しいな。随分と嫌われたものだ」
エッカルトは片手で目元を覆い、わざとらしくクツクツと笑い声をあげた。
冴月は、鋭く細めた目をエッカルトに向ける。
何かを感じ取った冴月は、静かに口を開いた。
「先程からのお前の話は実にくだらない」
エッカルトの頬が、ピクリと反応する。
それを冴月は見逃さなかった。
「俺には、単なる時間の引き伸ばしにしか感じられない」
エッカルトは笑いをおさめ、覆っていた手をどかして冷たい目を冴月に向ける。
冴月は、エッカルトのその態度から確信した。
「ここに日向はいないのだな」
言って冴月は構えを取る。
エッカルトはゆっくりとした動作で立ち上がった。
「なるほど、察しは悪くないようだ。しかし、お前はもう少し賢くなるべきだったな。おとなしく話しに応じていれば、こんな手荒な真似をする必要もなかったものを」
エッカルトの言葉を合図に、男たちが部屋になだれ込む。
最後に新井が入ってきた。
「任せろなどと大言を吐いておきながら、結局はこれですか。ヨアヒム様の言う通り、美意識にかけるやり方ですね」
新井は、呆れ気味に小さく息を吐く。一度言葉を切ってから冴月を見据えた。
「とはいえ、これ以上の失態を重ねるわけにはいきません。草薙剣を渡していただきましょう」
冴月を囲んだ男たちは、一斉に襲い掛かった。




