【第05話】セントヴェナとの別れ
レイヴァン川へと向かう。
森を抜ける道は細く、昼だというのに薄暗かった。
湿った土の匂いと、遠くで鳴く獣の声だけが続く。
その静寂を裂いたのは、乾いた一撃の音だった。
しなやかな鞭が空気を裂き、魔物の首を絡め取る。
引き絞られた衝撃とともに、魔物の体が地面へ叩きつけられた。
動かなくなったそれを見下ろし、セレナは軽く息を吐く。
「お前、鞭使えたのか。見たところリズより手慣れてるな」
「リズさんが聞いたら悲しみますよ。私も一通りの武器は扱えるんです。器用貧乏ってやつですけどね」
「俺と同じだな」
「あなたに言われると嫌味にしか聞こえませんけどね」
軽口を叩きながら、セレナはもう一体へ鞭を振るう。
鋭い軌道が空気を切り裂き、魔物は声を上げる間もなく崩れ落ちた。
今回、川へ向かう人数は絞っていた。目立てば終わりだ。
同行しているのはレイたちと、フェイウィック。そして数名の護衛騎士のみ。
「わざわざすまないな、フェイウィック」
歩きながらエミルが言うと、老騎士は深く頭を下げた。
「とんでもないことでございます。おそらく……セントヴェナ国内に、王子の味方はほとんどおりません。爺ができるのは、ここまでです」
エミルは、その言葉をゆっくりと飲み込むように、わずかに目を伏せた。
「……せめて、リリィだけでも」
足を止め、振り返る。
「爺。リリィのことだが、城へ連れて帰ってくれないか。僕のせいにしていい。何か理由をつけて」
「王子……!」
リリィが息を呑む。
だがフェイウィックは、ゆっくりと首を横に振った。
「申し訳ありません。爺に、そこまでの力はありません」
短い沈黙。
「……そうか」
それ以上、エミルは言わなかった。代わりにフェイウィックがリリィへ向き直る。
「お前も侍女とはいえ、セントヴェナの兵士。最後まで王子にお仕えするように」
「……はっ」
リリィはうつむき、静かに応えた。
その横で、レイが小声で呟く。
「よかったじゃないか。城に戻っても、無事じゃ済まなかったかもしれない。こっちのほうが案外、生き残る確率は高いかもな」
リリィは何も答えなかった。答えられなかったのか、答えたくなかったのか。レイには分からなかった。
やがて、視界が開けた。
森が途切れ、その先に巨大な流れが現れる。
レイヴァン川。濁流というほどではないが、幅は広い。
中央には木造の橋が架けられている。
対岸はすでに、イシュタリアの影響圏に近い土地だった。
「ここまでですな」
フェイウィックが歩みを止めた。
「ではな、爺。世話になった」
「……お気をつけて」
それ以上の言葉はなかった。老騎士の目が、じっとエミルの背中を見送っている。
一行は橋を渡る。
川面は静かで、不気味なほど波がない。風も止んでいた。
足音だけが、木の橋板に吸い込まれていく。
渡り終えた──その瞬間。
空気が揺らいだ。
「……来るぞ」
レイが呟いた直後、上空から影が落ちた。
白い羽根を背に広げた青年が、ゆっくりと舞い降りる。
二十代前半。その瞳は異様に澄んでいた。
まるですべてを見透かすかのように。底が見えない。
「会いたかったよ、万能勇者!」
無邪気な笑み。だが声はどこか歪んでいた。
「イシュタリアへようこそ!」
「待ち伏せされてたな。都合が良すぎる」
レイが剣に手をかける。
その横で──エミルは、渡ってきた橋をじっと見つめていた。
「あの国には……僕の味方はいなかったのか」
小さな声だった。
「爺でさえも……僕の味方ではなかった……」
川の向こうは、もう遠い。
フェイウィックの姿は、霞の向こうに消えていた。
戻る道は──なかった。




