【第01話】2部序章
湿った石壁が、かすかに水を吸う音を立てていた。
ぼんず国の地下牢。その最奥に、二つの影があった。
鎖で吊るされた男──トラヴィス。
そして、鋼の眼をした壮年の男──タケル王。
「……てめえ、案外根性あるな」
タケル王の声は低く、どこか笑っていた。
足元には血の跡。何度目の尋問かも、もう数えていない。
トラヴィスは、乾いた唇をゆっくりと動かした。
「本当に俺がトラヴィスだと思っているのか。おめでたいな」
「偽物だろうが本物だろうが関係ねぇ」
タケル王は腰の剣を抜き、刃に光を走らせた。
「今回の騒動を起こしたのはお前だ。話すのが嫌なら──そこで死ぬんだな」
沈黙。
どこからともなく、冷たい風が吹き抜けた。
その瞬間だった。
──ゴゴゴゴゴッ……
地が唸る。壁が鳴き、鉄格子が軋み、天井の砂がぱらぱらと落ちてくる。
タケル王は思わず壁に手をついた。
「なんだ……地震か?」
吊るされたトラヴィスの口元が、ゆっくりと吊り上がった。
血に濡れた歯を見せて、囁くように。
「……始まったぞ」
「なにがだ」
返事はなかった。
ただ、トラヴィスの口元がさらに歪んでいく。血が顎を伝う。
「始まったぞ!」
その瞬間、空気が変わった。
冷たく、重く、何かが"底"から押し上がってくるような圧。
石壁のきしむ音が、どこか遠くの叫び声に溶けていく。
タケル王は思わず息を止めた。耳の奥で、低い唸りが鳴り続けている。
地鳴りか──それとも別の何かか。
地鳴りは、ぼんずだけに留まらなかった。
エルレンにあるリズの宿屋でも、机の上の皿が震え、壁の飾りが音を立てて揺れた。
「……地震か?」
カイルが顔を上げ、外をうかがう。
窓の向こうでは、夜空に淡い光が奔り、雲の影が波のようにうねっていた。
ただの地震にしては、空がおかしい。
ユイは黙って天井を見つめ、静かに表情を引き締めた。
「これは……」
その声には、わずかな恐れと、確信が混じっていた。
リズが不安げにカイルへ向き直る。
「ねえ、レイ知らない?」
一瞬、沈黙。
外の風が止み、宿の灯りがふっと揺らいだ。
まるでこの世界そのものが、息を潜めたかのように。
誰も答えなかった。
そして──遠くで、何かが軋む音がした。
世界の継ぎ目が、ほつれ始めるような音だった。




