第50話:スタンピード
インジェクターのテストランから数日が経過した王都は、未曾有のパニックと絶望に飲み込まれていた。
王都の外縁を囲む巨大な防壁。その向こう側の地平線を、文字通り黒い津波が埋め尽くしていた。
巨大なダンジョン・ボスに引き寄せられた無数の魔物たちが、大暴走して押し寄せてきたのだ。ズズン、ズズンと内臓を揺らすような地鳴りが響き、巻き上がった土煙で太陽の光すら遮られている。
「ひぃぃっ!助けてくれぇっ!」
「門を開けろ!内街へ、早く内街へ避難させろ!」
王都の市街地では、警鐘が狂ったように鳴り響いていた。荷馬車が横転し、人々は我先にと安全な内街へと逃げ惑い、子供の泣き声と怒号が入り混じった地獄絵図が広がっている。
そんな大混乱の空に、教団の飛行船が幾つも浮かび、拡声魔法を使って大々的なプロパガンダを流し続けていた。
「聞きなさい、迷える子羊たちよ!この災厄は、異端者レイ・カルツァの冒涜的な実験が神の怒りを買ったためである!」
教団はここぞとばかりに私の責任を煽り、民衆の恐怖を計算通りに私への憎悪へと誘導しようとしていた。
一方、防壁の上では、王国の正規軍と教団の聖騎士団が絶望的な防衛戦を強いられていた。
「撃てぇっ!一歩も通すな!」
指揮官の悲痛な叫びと共に、数百の魔導士たちが一斉に炎や雷の魔法を放つ。
だが、魔物の大群の奥でそびえ立つ山のようなバケモノ──エントロピーの掃除屋である巨大なダンジョン・ボスが一度咆哮を上げただけで、放たれた魔法の悉くが空間の歪みに飲み込まれ、霧散してしまった。
圧倒的な質量の差。人類の必死の抵抗は、巨大な災害の前では小石を投げる程度の意味しか持たなかった。
「だ、駄目だ……魔法が全く通じない!」
「逃げろ!壁が破られるぞ!」
戦意を喪失した兵士たちが武器を投げ捨て、次々と防壁から逃げ出していく。
その頃、第4廃校舎の研究室。
窓の外から聞こえる教団の扇動と、遠くで響く民衆の悲鳴を聞きながら、リックが忌々しそうに舌打ちをした。
「クソッ、教団の奴ら好き勝手言いやがって!レイ、マギフォンを使って俺たちも反論の情報を流そうぜ!」
「いや、情報戦で誤魔化す必要はない。教団の言う通り、ボスを急加速させたのは僕たちの排熱が原因だ。それは曲げようのない物理的な事実だからな」
逃げるという選択肢は、私の頭には微塵も存在しない。僕が蒔いた種だ。僕が刈り取る。
私は白衣を翻し、研究室の奥から分厚い布を被せた巨大な急造兵器を引っ張り出した。
布を取り払うと、全長三メートルに及ぶ、二本の分厚い金属レールが平行に並んだ無骨な機構が姿を現す。
「リック、悪いが君の失った剣を新調する予定だった分のミスリルは、こいつのレールにすべて使わせてもらった。新しい剣は当分我慢してくれ」
「はっ?俺の命を預ける剣より優先したってのか?……まぁいいさ、よっぽどすげぇモンなんだろうな。期待してるぜ」
リックは目を丸くした後、呆れたように笑って私の判断を全肯定した。
私は重力魔法を展開してその巨大な兵器の質量を相殺し、肩に担ぎ上げた。
「それに、これはただの尻拭いじゃない。あのボスの体内にある高密度のエネルギー結晶、ヴォイド・コア。あれこそが、オペレーション・グラビティ・ウェーブに必要な、テラワット級のメイン電源だ」
私にとってこの絶望的なスタンピードは、喉から手が出るほど欲しかった究極のパーツが、わざわざ向こうから王都まで出向いてきてくれた極上のデリバリーでしかなかった。
「最高じゃないか。喉から手が出るほど欲しい素材が、向こうから来てくれるんだ」
私の不敵な笑みを見て、ボブとアリスも力強く頷き、迎撃の覚悟を決めた。
王都の外縁部。聖騎士団の魔法による砲撃が全く通じず、分厚い城壁が黒い魔物の大群に飲み込まれそうになる絶体絶命の最前線。
逃げ惑う兵士たちと入れ替わるように、私たちチーム・カルツァは城壁の上へと降り立った。
「レイ様!魔物の群れの奥に、一際大きな影がいます!」
アリスが杖で指し示した先。眼下を埋め尽くす黒い魔物の海のさらに奥、土煙を上げてそびえ立つ山のようなバケモノの姿があった。
あれがダンジョン・ボスだ。
私は肩に担いだ巨大なミスリルレールを真っ直ぐに構え、その極上の実験材料を冷徹な目で見下ろした。
「さあ、物理学の授業を始めようか」
私の肩で、規格外の電磁投射砲が鈍い銀色の光を放った。
(続く)









