血まみれのアリス
雪のように白く透ける少女の柔肌。さらさらと風になびく絹のような金髪に、キリリと活発につり上がった形の良いアーモンド型の目。ぷっくりと柔らかな唇は赤く・・・・・・紅く、見る者を魅了するように濡れていた。
それはまさしくアリスだったのだ。
「ああ、やっと見つけた。見つけたわ」
私は手にしたナイフの重みを確かめながら一歩、また一歩と始まりの少女へと歩み寄る。そんな殺意を迸らせた私を見ながら、彼女はうっすらと微笑んだ。
「いらっしゃいユリア。よく来たわね」
澄んだ、少女の無邪気な瞳が私を見つめる。まるで怖い事など何も無いと、自分を害する出来事など起こりえないと言わんばかりに暴力的なまでの無警戒さでアリスは私に対面していた。
「・・・・・・アナタを殺しに来たわ」
私の言葉に、アリスは可愛らしく首をかしげる。
「それはなぜ?」
何故だって? 語るまでもない答えは至ってシンプルだ。
「アナタがアリスで、私がアリスじゃないからよ」
そう、私はアリスじゃなかった。私はちっとも特別なんかじゃなかったし、自分の為に創られた世界なんて幻想だ。つまるところ、ただの八つ当たりである。
「・・・無駄よユリア」
アリスが何か言っているようだが私には関係の無い事だ。ゆっくりと手に握られたナイフを振り上げて口を歪に歪めた。
「アナタに非は無いわ。ただ私の勝手な都合で理不尽な理由でくだらない衝動で、ただただ無慈悲に死んでちょうだい」
そうしてナイフを振り下ろす。
純粋な殺意を秘めた肉厚の刃は、熱したナイフでバターを切るように抵抗なくアリスの首を切り裂いた。
傷口から勢いよく吹き出した深紅の血が、真っ白な肌を紅く染めていく。徐々に血の気が引いていく顔で、それでもアリスは何事も無いかのように微笑んだ。
「だからユリア、無駄なのよ」
そして世界は暗転する
◇
「アリスちゃん、よく寝てたわね」
慈しむような、どこまでも優しい女性の声で包まれてアリスは目を覚ました。視界いっぱいに大好きなお姉ちゃんの笑顔が広がっている。
「おはようお姉ちゃん。わたし、とっても不思議な夢を見ていたわ」
「そう、不思議な夢を見たのね」
そう言ってお姉ちゃんは優しくアリスの目元をぬぐってくれた。ぬぐわれて初めてアリスは自分が泣いていた事を知る。
「お姉ちゃん、わたし、泣いてるみたい」
「そのようね、不思議な夢って怖い夢だったの?」
そうだろうか? アリスは怖い夢で涙したのだろうか。
「いいえ、きっと違うわ。怖い夢じゃない・・・でも」
――― とっても悲しい夢よ―――
ああ、はっきりと覚えては無いけれどアリスは悲しかった。なぜなら救いなど無かったのだ。それはきっと初めから間違えていて、間違えている事などみんな分かっていたのに・・・それでも止める事など出来なかった。ただ、誰かの書いたシナリオ通りに役を演じる役者のように機械的に、滑稽に。
「泣かないで可愛いアリス。それはただの夢よ」
「ええそうかも。でも夢の世界にだって涙はあるのよ」
◇
暗い。
そして少し寒い。
世界に光なんて無くて、ただ無機質で自動的な闇だけが満ちている。凍えるほどでは無い肌寒さを感じて自身を抱きしめる。その腕さえ見えないのだ。
でも、少しほっとしている自分がいた。何も見えなければ、他人の幸福を見て、ねたむ事もきっとない。
――― ところがどっこい、世界には一筋の光が差したのでしたっと
突如聞こえた快活な声と供に、完全な闇に一筋の光が生まれた。遠くから見えたその光はゆらゆらと揺れて、ゆっくりとこちらに向かってくるのだった。
「やあ、元気かい神崎さん」
旧式のランタンを片手に、その人物はなれなれしく話しかけてきた。飾りの無いシンプルなメイド服に身を包んだ細身の少女・・・その顔には白磁の仮面がつけられいる。
顔は仮面でわからないが、その声には嫌に聞き覚えがある・・・。
「もしかして、有栖さん?」
「その通り、よくわかったね。でも名字は好きじゃ無いんだ。だから下の名前で呼んでよ。私は望、有栖 望。アリスを望み、そして何も得られなかった落伍者だ」
闇に飲まれた世界で、柔らかなランタンの明かりが二人を照らす。白磁の仮面をつけた少女二人、まるでこの世に二人しかいないようだった。
「有栖・・・いえ、望さん。あなたは何者なの」
仮面で表情は見えないが、彼女はどうやら微笑んだようだとわかった。
「神崎さんと一緒だよ。この世界において役割を与えられなかったモノ。つまり誰でもない。まあ、しいていうならばルイス・キャロルのなり損ない、かな」
ルイス・キャロルのなりそこない?
「そ、アナタはアリス・リデルのなりそこない。そして私はルイス・キャロルのなりそこないなのよ。私は物書きでね、趣味の範囲を出ないけど小説を書いているんだ」
有栖望は語り出した。自身の起源というものを。
私はただ誰かの為の世界をつくりたかった
一人の為に、物語を紡ぎたかったんだ
その願いはバラの葉についた朝露ほどささやかで
そして私の世界を揺るがすほど強大なものだった
私は
私にとってのアリスを欲していた
無垢で可愛くて、無限の可能性を秘めた少女
でも私の前にアリスは現れなかった
アリスがいてこそのキャロルであり。
つまるところキャロルにとってのアリスとは創作という力そのものなのだから
「詳しい説明は省くけど、まあ私もなり損ねたの。そして無様にしがみついているのよ、この世界にね」
「・・・この世界って何なの」
私の質問に、望みは首をかしげる。
「さあね、私には分からない。でも検討ぐらいはつくわ。そんなに大した物じゃあないわよ、ここ」
そしてぐるりとランタンで周囲を照らす。
「何も無いでしょ。これがここの正体。つまり何でもないのよ、この世界は。たぶん不思議の国のアリスが好きな奴が、ソレっぽい世界を適当に創ったんじゃない? だってこの世界、ずいぶんと荒が目立つもの。どうやって創ったかなんて聞かないでよね。私に知るよしもないし、今私は根拠の無い推測を無責任にしゃべっているだけなんだから」
ずいぶんと強引な推測だと思う、けどその話は妙に納得できるモノであったのだ。
「アリス不在のワンダーランドなんて滑稽よね。きっと此処を創った奴もなり損ないなのよ、もしくは恐ろしく悪趣味な奴かのどちらかね」
「でもアリスは生まれたわ」
「そう、そこだけがこの世界にとって異質だった。アレは明らかにこの世界にとって予期せぬ来訪者であった筈なのに、ちゃんと役割が与えられていた。・・・・・・まあ、生まれた理由についてだいたいの予想は立ててるけどね」
そして望は静かに私を指さした。
「アレを生み出したのはアナタよ神崎さん」
ああ
知っていた
だってアリスはあまりにも私にとって理想のアリスだったし
そして私が夢で見ていた世界は彼女のモノだったという事も理解していた
私は自らアリスを生み出し
そして殺したのだ。
「笑えないわね、結局私は自分自身にも嫉妬していたというわけ?」
「ああ、そして殺した。君はその嫉妬で自らの可能性を閉ざしてしまったんだ。自分の姿を見てごらんよ」
視線を下に向けると、アリスの返り血で真っ赤に染まった自身の服が目に映る。
「血に染まった醜い大人に、誰が物語を紡いでくれるというの?」
そうか
私は
アリスには、なれないんだ。
◇
◇
◇
◇
――――― 終わってしまった世界の裏側 ―――――
「だから、無駄なのよユリア」
「だってもう生まれてしまったもの」
「生まれてしまったアリスを殺すことなど出来ないの」
「だって世界は、わたしのためにあるのでしょう?」
ああ、愛しいアリスよ
君はその可愛らしい唇を歪に曲げて笑うのだ。
終わってしまった世界で
偽物の世界で
それでも自分はアリスだと
そう言って歩みを進めた。
物語を語ろうか
あるいは君はこの世界から出られないかもしれない
まあ、それは些細なことだ
さあ、始めよう
それは残酷で救いのない話
ぞっとするほど美しく
気が狂うほど閉じた世界
――― そして世界は死ぬだろう




