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ブラッディ・アリス  作者: 武田コウ
16/17

白磁

 この世界にも雨は降るのだ。


 美しく荘厳な雰囲気を放つ赤の城。その一室で麗しきハートの女王は小窓から外を見てため息をついた。


 ザアザアと降り注ぐ大粒の雨が窓硝子に跳ね返り、雨音が部屋に響いている。


「くだらないわね、この世界も私自身も・・・」


 ああ、麗しき彼女の瞳には何が映っているのか。かつての優しい妻の姿、暴れる災厄の竜がまぶたの裏に焼き付いて離れないのだ。



――― ならばこの世界を私が殺してあげる



 くぐもった女の声が部屋に響き渡る。いつの間にか女王の背後には、一人の女が佇んでいた。


「白磁の仮面?」


 この世界において役割を与えられなかったモノ。世界から拒絶されたモノの象徴、その仮面をつけた女が、その虚無の穴でじっと女王を見つめている。


「だれ・・・なの?」


 女王には女をうまく認識できなかった。世界に拒絶されているから存在しないと同義なのだから、役割を持つ女王には女の背丈が声がその存在が認識できない。ただ白磁の仮面のみが脳に焼き付いている。



――― 安心してハートの女王、この世界を憎む者。もうじき世界は死ぬわ、むごたらしく。私が壊すわ、徹底的に。だからここで見ていてちょうだい。美しくも醜悪なこの世界の最後を。




「それは、何故なの? 何故アナタはこの世界を・・・・・・」



――― 私がアリスじゃ無いからよ。



 そう言って女の姿はゆっくりと消えた。


 否


 本当に消えた訳では無いだろう。女王がその存在を認識できなくなっただけだ。



――― アリスじゃない私にとって、アリスのための世界なんて吐き気がするわ



 ああ、自分自身ならまだしも、人のためにつくられた世界なんて醜悪に過ぎる。いい年をした大人のママゴト遊びを見ているかのようだ。


 だから壊すのだ(殺すのだ)


 他人の為のおもちゃなど、良いモノであるほど不快なのだから。





 「猫の無い笑いなんて洒落てるだろう?」


 笑い声がこだまする

 猫無き笑いが私を嘲る



 「くだらない」

 猫無き笑いも猫の笑い顔も

 どちらにも興味は無いのだから・・・・・・


         ―――そして今日も世界は死ぬようね




「ヤマネさん、おいしいマカロンはいかが」


 甲高い声で真っ赤なマカロンを差し出すは三月兎。そのマカロンを嬉しそうに受け取ったヤマネはすぐさまソレを自身の紅茶に浸した。


「こ、紅茶にはマカロンだね、や、やっぱり」


 どもりながらそう言ったヤマネは、マカロン入りの紅茶カップにティースプーンをつっこんでぐるぐるとかき混ぜた。


 ぐるぐる、ぐるぐるかきまざる。ドロドロとドロドロに溶けたマカロンが暖かな紅茶の海を気持ちよさそうに泳いでいる。ヤマネはそれを目を細めて嬉しそうに啜った。


「席替えの時間!」


 突如立ち上がった三月兎。その甲高い声に驚いたヤマネは飲みかけのティーカップを地面に落としてしまった。カップの割れる鋭い音が響き渡る。


「せ、席替えー」


 あたふたと慌てた様子のヤマネは、割れたカップも放っておいて洒落たテーブルの上に飛び乗った。


 ああ、コレは狂ったお茶会。コレこそが正しきワンダーランドの姿。お茶会の主は品の良いシルクハットをさらりと撫でて微笑むのだった。



 マッドパーティー

 時間殺しの呪いにかけられて


 ああ、いつまでもティータイム


 狂った兎は陽気に笑う

 時間を気にせずいつまでも

 この狂気を愛するだろう


 「愛しいアリスはまだ来ない」

 なあに慌てる事はない


        ―――なにせ時間は死ぬほどあるのだから




 濃いダージリンの香りが脳を刺激する。紅茶に真っ白な砂糖をさらさらと、ぐるぐるぐるぐるかき混ぜて、かき混ぜてカップをのぞき込む。ふわりと立ち上る湯気の暖かさが帽子屋の心を和ませた。


 ああ、帽子屋は満たされていた。全てが完璧で、故に少し気持ちが緩んだのだろう。手にしたカップの暖かさが彼の記憶を呼び起こすのだった。






 彼は非常に真面目な男だ。毎朝6時に起きて歯を磨き、カリカリに焼いたトーストにたっぷりのイチゴジャムを塗って朝食にする。濃いダージリンの紅茶があれば完璧だ。


 朝食を終えて家の裏にある仕事場に行くと、いつもと同じように帽子作りに取りかかる。なにせ彼は真面目な男なのだから、仕事をさぼったりなんかしない。


 より良い帽子を、よりしっかりとした作りを。帽子作りに集中してどれだけの時間がたっただろうか。ふと喉の渇きを感じ、彼は水差しに手を伸ばし・・・・・・突如手が震えた。お気に入りの水差しが床に落ちて粉々に砕け散る。


「くそっ、またか」


 帽子屋の震えと呼ばれる現象。長くこの職業についている仲間の間では有名な病である。


――― 帽子屋のように狂ってる ―――


 そんな言葉がある。腕のいい帽子屋ほど気が狂う事が多い。理由はわからない、もしかしたら彼にもその時がやってきたのか・・・・・・。


「あ、水差し・・・片付けないと・・・」


 震える手を押さえつつ、床に散らばった登記の破片を片付ける為に箒を取りに物置へ。



   オト ガ キコエル



 箒を手にした瞬間、猛烈な頭痛に襲われふらふらと床に倒れ込む。


 フェルトを固める為の水銀を入れた壺が、巻き込んで倒れてしまったようだ。床に広がる水銀、その表面には彼の顔が歪んで映り込んでいる。


 不健康な青白い肌。目の下にはくっきりとしたクマがあり、頬はげっそりとこけている。 不意に水銀に映り込んだ虚像がニヤリと笑った。


『なあ私よ、カラスと書き物机が似ているのは何故だかわかるかい?』


 水銀の虚像は訳の分からない事を言うと笑い出す。



 なあ知っているか?

 カラスと書き物机が何故にているか


 なあ知っているか?

 真面目な帽子屋が何故狂うのか


 その答えは見つからない

 その答えはまだ私の中にない


 なあ知っているか?

 水銀の向こうに見知らぬ世界がある事を


 

 水銀に映り込んだ虚像の発する声が、頭の奥深くで反響する。まるで脳みそを鷲掴みにされたかのような激痛が彼を襲う。


 オト ガ キコエル


 世界が軋んでいr・・・・・・

    そしてわたs・・・・・・

なぜおt・・・・・・



『さて私よ、君は何者なのかな?』



 わ・・・たし・・は・・・・・・





「・・・・・・何だ今のは」


 帽子屋は呆然紅茶のカップを見つめる。


 彼は知らない、知らないのだ。先ほどまでの記憶など帽子屋の中には無い。なのに、何故こんなにも胸騒ぎが・・・・・・。


「ありえない。私に過去の記憶などあるはずが無いんだ」


 帽子屋には時間殺しの呪いがかけられている。彼に過去は無い、未来も、今すらも。


「だから、あんな記憶は・・・・・・」


――― おやおや混乱しているようだねぇ帽子屋


 猫無き笑いが宙に浮かぶ。意地の悪い声で帽子屋を嘲るのだ。


「・・・チェシャ猫か、何のようだい?」


――― いんや、君に用があるのは俺じゃない。


    そう



    彼女がやってくるよ ―――



「彼女?」


 それは突然現れた。


 空は陰り、空気が冷え込んだ。吐いた空気が白く濁り、時間が凍結したかのように感じられる静寂の中、彼女はそこに居る。そこに、居る。


「君は・・・誰だ?」


 白磁の仮面、役割を与えられぬモノ。世界に拒絶された彼女を、役割を持つ帽子屋は正確に認識する事ができない。


「誰でも無いわ。アナタがそう言ったんでしょ? 帽子屋さん」


 腹に突き立てられたナイフ、鋭い痛みと供に崩れ落ちる。遠のいていく意識の中、帽子屋は思い出した。自身が何者で、何故ここにいるのかを。


「・・・・・・ハハ、そうか。思い出した。しょせんコレもだたの戯れ言だということをね・・・・・・」


 ああ、世界が濁っていく。創世主の思惑を超えて・・・・・或いは思惑通りに。このワンダーランドは破滅へと向かっているのだ。



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