八通目 名君の条件
さて、これで陛下の身辺警護の問題は片付いたわけだが、肝心の陛下の命を狙う者は見つかってはいない。二人には警護の傍ら件の人物の特定を頼んでいるが、メディシーナは激鈍で、テオドールは言語馬鹿なので、そんな芸当、犬に空を飛ばせる方がまだ実現可能だ。
ロンディニウムを流れるプロワニダ川の河畔、寺院宮殿。戦略的要所でもあるこの宮殿は、数年前の大火が発生する前までは王の居住地であったが、今は政治の中心地となっている。中庭は、緑が繁茂し、色とりどりのメイフラワーで溢れている。アザミが咲くまで、あまり猶予はない。
古典様式の葉脈のように複雑なアーチを描く回廊を一人進む。薔薇宮殿はデビュタント等の舞踏会を控え、人の通りも多くなっていた。役人たちが使うこの宮殿は、ジェントリの姿も見かける。平民を登用することに反対する声もあるが、優秀な人材は地位、門地に関わらず登用すると言うのがうちの陛下の信条だ。これから会う人物も、そうして登用された一人。
財務省(Exchequer)の名前の由来となったチェス盤状(chequer)の机。その上でカレドニア人にしては小柄な彼は、俺が入室しても顔を上げることなく、パイプロールを見比べながら珠算機を弾いていた。
「面談の予約をしていたハーネットだ」
「はじめましてハーネット伯、このまま話すご無礼をお許し下さい。何しろ今山場、と言うより常に山場ですから」
あの時、ペンデュラムが示した名。ジョック=ハミルトン。人形のように表情に乏しく、一定の感覚で指を動かしながら、時折思い出したように瞬きをしている。年は三十に届たばかりの若き財務大臣で、夢でも珠算機を弾いていると言われるほど仕事中毒者である。祖国を事実上滅ぼされた彼は、カレドニア貴族の中で一番の出世頭だ。例の毒が混入された日、この男はライオネルに面会していた。さらに彼はユニコーンと縁のある人物でもある。ササナを象徴する生き物が獅子であるように、カレドニアのそれはユニコーンなのだ。
「忙しいところ時間を作ってくれて感謝する。我が領の財政のことで相談があって参った」
「貴領の監査資料には目を通しております。他の領と比べるとギリギリながら赤字や粉飾決算の無い極めて健全な経済状況と理解しておりますが、何か問題でも?」
財務省はササナの財政を司ると同時に、貴族たちの監査も行っている。軍備の拡張や汚職は、まず金の流れに現れるからだ。
「実は我が領では孤児院紛いのことをしている」
「ええ、存じ上げております。資料にも食費等生活必需品の購入欄が御座いましたので」
「なら話は早い。その子供たちが自立出来るよう、子供たちの希望に合わせた職業訓練を行うことを考えているのだが、ご存知の通り崖っぷちな我が領には新たな事業を起こす余裕が無い。何か良い知恵はないだろうか?」
「職業訓練とは、具体的にどの範囲の職業を対象にし、どのような訓練を想定しているのです? 例えば靴職人等は、手工業ギルドを通さなければ販売も出来ません。貴方の孤児院で教育するより、職人に預けた方が効率的ではないですか?」
おおう、早速不備を指摘された。だがこれについてはマリアベルと事前に相談済みだ。
「勿論、必要によっては、ギルド等に預ける。その場合に必要な費用の提供や身元保証人になるつもりでいる。それはそれとして、屋敷で行う職業訓練は、領で生産する焼き菓子の製造、開発、使用人としての礼儀作法等を一先ず考えている。その他の職種に関しては順次増やして行く予定だ」
視線が向いていないのをいいことに止まらない手を観察する。ユニコーンからの密書は黒ダイヤを嵌めた女手によるものだった。彼の場合、日に焼けてない指は白く、女手に見えないこともないが、爪は短く指先の皮は厚くなっている。
「まあ、妥当でしょう。ただ前者の場合は公的資金では援助出来ませんよ」
指先にばかり集中していたので、反応が遅れた。
「そうなのか?」
「私的な事業ですから、当然でしょう。自領で育て、自領で雇うと言うのは確かに問題が少ないやり方です。しかし慈善事業と言う側面を除けば、企業が社員を育成しているに過ぎません。卿が特定の企業を助成する前例を作っては後々問題になります。しかも貴方は、ササナ国王と個人的に親しい間柄です。最近新たな騎士を雇い何かと批判の多い国王のお立場を、更に悪くしたいですか?」
そう言われれば引き下がるしかない。騎士を雇わせたのも俺が原因だし。
「後者に関しても同様です」
「待て、使用人に関しては他領にも就職させるつもりだぞ」
「それは難しいでしょう。孤児と言うのが身元保証的な意味で問題あります」
つまり、どこの馬の骨とも知れんやつは家で雇いたくない!と言うことか。
「雇うのは良いとこジェントリではないでしょうか。王宮ではご覧の通り貴族の子女が殆どですし、名だたる貴族もそれに倣うでしょう。ハーネット家で使用人の身元と品質を保証するおつもりなら、初めから他領で就職させるのではなく、手近なところから少しずつ信頼を積み重ねていかなければなりません。特にあなたは使用人に逃げられたことで有名です。余程の覚悟をしてください。幸運なことに、この方面には先駆者がいます。身寄りのない子供に作法を叩き込み、一流の使用人に育てているキャメロン伯に講師や資金の協力を仰いでは如何ですか? 学友だと伺っておりますよ?」
キャメロン伯爵とはエリオットのことだ。知らず苦い顔になる。協力以前に接触を断たれている。どう協力すれば良いのやら。黙りこくった俺に何かを察したのか。
「貴領で生産されている焼き菓子はここ一カ月で急速に売り上げが伸びました。このまま順調に利益が上がれば、今すぐには無理でも、二年後、三年後にはご自分の資金で運営できるのではないですか?」
意外な知らせに喜びが湧き上がる。新しいアイデアとマリアベルは順調に結果を出しているらしい。だが今はそれどころではなく。
「待ってくれ。うちの事業は、ええっと、社会教育のうんちゃらかんちゃらに該当するはずじゃないのか?」
「正しくは社会教育の管理費及び振興費です。社会教育とは、青少年から成人に行われる教育のことです。その内容は国民の自発的学習、職業能力の開発及び向上、社会福祉と多岐に渡りますが、この振興費に該当するのは二番目の項目です。あなたの事業は確かに職業訓練と言う項目を満たしていますが、児童も対象としているため、つまり初等教育と一緒になっているため該当しません。ある程度のところで一端教育課程を区切り、近隣の住民に募集をかけて若干人員を変更しつつ、社会教育を施しては如何ですか?」
思わず頷いていた。
「なるほど、それは理に叶った方法だな。希望者に就労の機会を拡げることができる」
「ただ、今言った事柄をすぐ実行するのは無理でしょう。目下重要なのは、今年の予算です。あなたが行っている子供たちに読み書きを教える等の初等的教育は、一般市民に対する教育振興に該当するはずです。もしこの振興費があれば、初等教育に使っている予算を職業訓練費に充てることができます。今年の振興費は国教会が勝ち取ることになっていますが、議会での提案もまだですし、王に直談判に行っては如何ですか? さて、私が言えるのは以上です」
邪魔だからすぐ帰れと言いたげに、ハミルトンは忙しなく目を動かしている。無愛想だが大変参考になった。礼を言って席を立ちかけ。
「え、ちょいストップ」
相談に熱が入り過ぎて忘れていた。このまま面会が終わっては、何のために来たかわからない。
「まだ何か?」
「その、ササナはカレドニアと気候が違うが、体調はどうかなーなんて」
冷汗を浮かべながら言うと、あからさまに溜め息をつかれた。
「もっとマシな話の運びをされたらどうです。先程のお話もそう。私が述べた程度の助言、貴方の有能な執事殿がとっくにご指摘でしょう。あなたはわざわざ理由を作って面識の無い私に会いに来られた」
財務大臣が始めて目を上げた。
「時間が勿体ないので、単刀直入にお伺いします。陛下の命が狙われた件で私を疑っておいでですね」
思わず息を止めてしまった俺を一瞥し、興味を無くしたように職務を再開する。
「やはり、そうですか」
本能的に悟った。勝てない。農村でぽやぽや育った俺と異国の貴族社会で凌ぎを削る彼とでは、常時の戦闘力が違いすぎる。だがここで尻尾を巻いて逃げ帰るわけにはいかないと、どうにか背筋を伸ばす。
「疑われるような理由があるのか?」
「寧ろ疑われない理由がありますか? 私はカレドニア貴族です。口さがないやっかみや、言われない非難を受けてきました。今更暗殺の濡れ衣を着せられたところで、別に驚きません」
後悔が過る。ハミルトンは平気な顔をしている。疑われることに平気でいられるほど、慣れてしまったのだろう。俺は厳密には占いのためで、陥れるわけではないけれど。カレドニア貴族と言う先入観はあった。ろくな根拠も持たずに疑いの眼差しを向けたこと、出来れば無かったことにしたい。
沈黙の中、珠算機を弾く乾いた音だけが空間を満たす。
「なあ、教えてくれ。あんたはそこまでの思いをしながら、何故財務大臣を辞めない?」
立場や思惑も忘れた素朴な問いかけ。ハミルトンは手を休めず口を開く。
「我が国の人口はササナだけで約350万人。国内には大食漢や病人、子供や老人もいますが、仮に国内の全員が健康な成人であるとしましょう。成人が生き延びるには小麦換算で一人あたり年間396ポンド(180kg)の食糧が要ります」
「はい?」
「つまり国内で396ポンドかける350万人で13億8600万ポンドの小麦が必要になる計算になります。小麦の収穫量は現在の技術で7倍程度ですから、7分の1を来年の種まきのためにとって置くとすると、16億1700万ポンドの収穫が必要になります」
俺を置いてきぼりに、計算は止まらない。
「これがぎりぎり国内で自給自足できているとして、今年は冷夏や病害の影響で収穫量が5パーセント落ちました。 国民全体を生かすには、8085万ポンドを輸入する、或いは5%の人口を見捨てる決断をしなければなりません。手持ちの外貨を考慮しつつ4851万ポンド輸入して2%を見捨てる等の匙加減も可能でしょう。この場合、見捨てる人間は生産性のない老人や治る見込みのない病人などです。仮に国民全体が普段食べている量を5パーセント減らして分け合うと言う“人道的な”支援も考えらます。すると餓死者や栄養失調になる人間が拡がり、普段の業務で力が出し切れず来年以降の収穫量に影響が出てくるかもしれません。まあ、実際の計算はそこまで単純ではないですが」
これら矢継ぎ早の計算を、ハミルトンは職務の片手間で行っている。本来彼は、珠算機が無くても暗算で出来ている。ただ確認のために弾いているに過ぎない。
「この考え方は自国では非人間的だと言われました。どれだけ食べれば人は生きられるのか、どれだけを見捨てなければ全体が生き延びないか。これらは家畜に使う計算であって、人間に使うものではない。魔女裁判にかけられかけたこともあります。しかし、私のような考え方をする者がいなければ、政治はできません。政治は、公式のように明確な答えが出るわけではありません。沢山の要望や提案から、最も適しているであろう解を選ぶのです。そのためには現状を把握していなければなりません。数字は物事を現す一つの尺度です。時に明確に、時に冷徹に現実を暴きます。私は計算しかできない愚か者ですが、ササナ国王はこんな私が必要だと仰って下さいました」
カレドニアを自国と、ライオネルをササナ国王と呼ぶ彼には、ササナに対し複雑な思いがあるだろう。それでもこの国を良くしたいから、自身の思いを封印し、差別と偏見を覚悟し、異国の財務大臣となったのだ。
「時間をとらせた。その……悪かった。疑って」
頭を下げる。下げなければいけない気がした。俺にこいつの思いはわからない。理解するには大き過ぎる。
だが曲がりなりにも領地を預かっている。住民に義務や責任を負っている。理想は大事だけど、それでどうにかなるものではないと理解している。だから彼の片鱗なら理解できる。俺の行いは、国を良くしたい、そのために力を尽くしている彼を貶めたのだ。
「貴方は、お父上と違って貴族らしくない人ですね。すぐ謝罪する。手の内を晒す。嘘がつけない。騙されやすい」
信じられないと瞬き多めに、明け透けに言い放つ。と言うかこいつ、親父と面識があるのか。
「悪かったな。でも、ライオネルが認めている人間に、悪い奴はいないと思うんだ」
メディシーナの剣の公式ではないが、俺も大概単純に出来ているらしい。
「貴方は私を信用すべきではない。私は貴方の読み通り母国を滅ぼされたカレドニア貴族です。本当はササナ国王の暗殺に一枚噛んでいるかもしれません」
こんなことを言い出した彼に違和感を覚える。無罪なら俺の謝罪を受け入れれば良い。黒幕なら余計に疑いを抱かせるのを慎むはずだ。あまりも平和な思考の俺に苛立ったのか。愚鈍な俺の反応を嘲笑っているのか。わからないけど。
「でもあんたは、この国のために動いているんだろ? ならライオネルに敵対するわけがないじゃないか。うちの陛下は誰よりこの国のことを考えているんだから」
無表情な財務大臣は初めて唇を緩ませた。
「王が貴方をお傍に置く理由がわかるような気がします。私からも一つお尋ねして宜しいですか?」
「どうぞ」
「貴方にとってササナ国王は何ですか?」
「弟みたいなものだ」
「ふむ。質問が悪かったですね。王が貴方を兄の如く慕っておることは、この私にも理解できます。貴方は誰より王のお傍にいて、素顔を知っていると言ってもよい。その貴方にとって王は、どのような主君ですか?」
書類に視線を落としているが、気配を伺っているのがひしひし感じられる。有り触れた質問であるはずなのに、何故か第六感が失敗できないと告げていた。
「唯一無二の主君だ。あいつ以外の王は考えられない。利発とか聡明とか天才とか、褒める言葉は沢山あるけど、本当はただの子供なんだ。あいつは絶対言わないだろうけど、たまには職務を放り出して休みたいだろうし、王室を出て遊びたいだろうし、好きな子だっているかもしれない。そんな子供に重い王冠を被せて玉座に縛り付けて、残酷な気もするけれど」
頭の片隅で考える。何でこんなことを聞くのだろう。主君としてのライオネルは俺よりこいつの方が知っているはずだ。
「なあ、あんた名君の条件とは何だと思う? 戦上手。人を上手く使う。決断力がある。人望がある。先進的なものの見方をする。確かにそれらは一つの条件だが、絶対条件ではない」
民が健やかに暮らしてると知って、笑みを浮かべたライオネルを、血筋や地位よりそうあろうとすることだと言ったテオドールの言葉を思い浮かべた。
「主君とは、民のことを考えるものだ。民のために動くものだ。そんな当たり前のことを当たり前のようにできる王がどれほどいるだろう。あいつは主君としては半人前かもしれないが、名君としての心構えがある。ぐちゃぐちゃ言ったけど、王位なんかなくたって、俺はあいつに出来るだけのことをしてやるつもりでいる。ただ、あいつの創る国に期待をしている。出来ればすぐそばで、手助けをしたいんだ。
あんたは違うのか?」
語るのに夢中で気づかなかったが、驚いたことにハミルトンは手を止めていた。鉄面皮に感情は浮かんでいないのに、何故か迷っている気がした。
「もしかして何か知っているのか?」
腹芸の出来ない俺には率直に尋ねるしかない。
「ご丁寧な回答ありがとうございました」
案の定、はぐらかされた。
「申し訳ありませんが、五分三十秒後にこちらで会議を行うつもりです。機会がありましたらまたお会いしましょう」
迷いを立ちきるように、ハミルトンの指先は職務に戻る。俺は後ろ髪引かれる思いで部屋を後にした。
初夏の陽を受けんと緑は燦々と輝いている。日の位置は変わってないのに、酷く時間が経った気がする。行きに通った庭園。捜査も振り出しに戻ったのだと、足を止める。
絶対何かを隠しているのに。泥沼に落ちた宝石を探すように掴みどころがない。
――貴族らしくない人ですね
その通りだ。自信が急速に萎んで行く。今回のことでよくわかった。メディシーナやテオドールには出来ないと言ったが、俺にも無理だ。
人の心は表からじゃわからない。
友人が、別の場所で自分の陰口を言っているのかもしれない。
仲間が、腹の底で自分を陥れようと企んでいるかもしれない。
恋人が、裏で自分を騙して嘲笑っているかもしれない。
家族が、心の中で自分を殺してやろうとしているかもしれない。
絶対に違うなんて言いきれない。他人なんて理解できっこないんだから。腹の探り合い、駆け引き、心理戦が得意な知り合いが一人いるが、うんともすんとも言って来ないあいつも何を秘めているのだろう。十年近くも付き合って気心も知れたはずなのに、他人のようにわからない。友でなく、客としてなら助言をくれるだろうか。結局俺たちは友情や愛情と言ったあやふやなものが信じられないから、金や契約など目に見える利害関係に頼ろうとするのかもしれない。
意を決し、指輪を一回まわす。
「予想より早かったな。予算の目処はついたんだろうな」
女執事の声に、背筋が凍る思いをした。
「えーっと、その、あの」
「あ?」
「すいません、まだです」
指輪では見えないだろうけど、頭を下げている。せめてもの言い訳に、ハミルトンに教えてもらった内容を話した。
「んなこと知っている。市民に対する教育振興費は、こちらよりずっと規模も実績もある教会が毎年取っていくんだ。対象年齢さえ誤魔化せれば、まだライバルもいないし、規模も緩い社会教育の方が予算がつくと考えたんだ。なのに正直に現状を話す馬鹿がどこにいる。おまけに監査のプロに」
「そうなの?」
「メモに書いたはずだが」
「すいません」
メモを開いてみる。確かに書いてある。あ、そう言えば新しい法律云々もあったが忘れていた。
「で、役立たずのくせにのこのこ連絡してきたてめぇの用件は何だ?」
言葉の随所に毒が滴っている。なけなしの勇気を、雑巾を絞るように固く固く振り絞った。
「あの、大変申し上げ難いのですが、情報屋に払うお金を用意していただきたいなー、なんて」
「予算なしで資金繰りに厳しいのに、大金を用意しろと」
「えへ」
ライオネルの真似をしてみたが、空気が真冬並みになった。
「……そういや」
マリアベルは不自然に爽かだ。
「救世主教の坊主って頭頂に髪が無いよな」
それは円形脱毛型に髪の毛引き抜くぞと言う脅迫ですか?
「マジで勘弁して下さい。それはそうと、何でハゲに固執するんだ?」
「あたしさ、ハゲって何にも勝るアイデンティティだと思うんだ」
いきなり何を言い出すのかと思えば、マリアベルは珍しくイキイキしている。
「身体的特徴って、からかいや悪口の対象になるじゃん。ブスとか寸胴とか。ところがハゲはハゲなんだよ。例えばハゲでデブはハゲって言われるんだ。チビだろうが、出っ歯だろうが、頭髪が薄ければハゲなんだよ。すなわち、ハゲになると言うことは己のアイデンティティを奪われると言うこと!」
全くわかりたくないが、わかってしまった。つまりあなた様は今まで「てめぇのアイデンティティ奪ったるぜ」的な危険思想を発信していらしたのですね。
「そのような発言は世間のために控え目にお願いします」
「何で? いい考えじゃん。ハゲイコール自己の剥奪と言う図式をもっと広めるべきだと思うぜ。例えば痴漢した男は毛根死滅の刑とか」
「何の罪もないのに、生まれつき頭が薄くなるように設計されている方々が気の毒だろ」
「ああ、お前将来……だしな」
今何つった。いや、言わなくていい。
「とにかくこの話は終わりだ」
「わかった。じゃあな」
「待て、金の件はどうなった?」
「用意出来るわけないだろ、この穀潰しが」
「それは困る」
「困るなら自分で何とかしやがれ。生憎あたしは自分の仕事の算段で手一杯だ」
マリアベルに自領の留守を任せた負い目もあるので、引き下がるしかない。しかし金は必要だ。
「うーーー」
「唸るな、うざい。金は無いが、てめぇは魔術師だろうが。貴重な薬草、不思議な道具を持っている。売ればそれなりの値段になるんじゃね?」
なるほど、一理ある。ラッキーなことに、あいつが興味を持ちそうなブツが手元にある。マリアベルに礼を言ったが返事がない。通話は切れていた。照れ屋とかではなく、単純に忙しいのだろう。苦労をかけていると、やや反省。折角寺院宮殿にいるので、執務をしているであろうライオネルの顔を見ていこう。ついでに予算をつけてもらえば、マリアベルもちょっとは楽になるだろう。
……なんて考えていた時期が俺にもありました。




