七通目 変態言語学者の活躍
通る者の限られている薔薇宮殿の裏門で立ち尽くすこと数十分。ようやく待ち望んでいた二対の剣の家紋入りの馬車が到着した。
「ほら、行くぞ……って」
馬車から出てきた仮面の男はとっくに成人しているのに幼児の方がまだマシなだらしない身だしなみ。ボタンは掛け違えているし、襟は折れ曲がっている。タイはぶら下がっている程度だ。言語に関しては並ぶ者無しのスペシャリストだが、日常生活には支障きたしまくりである。
「あ~も、ちゃんと止めて」
見かねて手を伸ばす。従者にやらせないなら自分で管理しろ。
「君は面倒見がいいねぇ」
奴はタイを結ぶ間も大人しくされるがままだった。俺はお前のお母さんか。腹が立って強めに肩をどつく。
「お前見られる容姿しているんだから、着飾らないと勿体無いぞ。婚約者もまだいないんだろ?」
こいつには、口を開かなければと言う修飾語が付きまとう。黙っていれば国一番の貴公子より確実にもてると思う。異国の血を引いている点も、顔半分が仮面で隠れている点を差し引いても、いや、その欠けた美が下手なシンメトリーよりも壮絶な色気を醸し出している。
「音と添い遂げられるなら、私は生涯女を抱かなくていい」
この発言、真顔である。
「馬鹿言え、血筋が絶えたら家が滅ぶだろうが」
「家一つ滅ぶくらいどうでも良い。それより、一つの言語が失われる方が問題だ」
「お前の価値基準、全身全霊でわからねぇよ」
「言語の喪失イコール、多様な音韻の喪失なのだよ!?ああ、何故人類は時代を経て進化するのに音韻は退化していくのだろうねぇ」
それは恋い焦がれる乙女のような憂いに満ちた眼差しだった。
この変態をこれからライオネルに紹介し、メディシーナと共に身辺を警護する近衛兵に推薦する。
こいつは間違いなくそこら辺の騎士より強いが、引きこもりの一歩手前なので功績も何もあったもんじゃない。俺の口利きで取り立てることで、依怙贔屓だとライオネルが謗られるのは辛い。それに値する理由をでっちあげなければ。
「くそっ、犯人探しだけでも頭痛てぇのに」
「おや、君は魔法使いなのだろう?魔法でなんとか出来ないのかい?」
「俺は失せ物探しってか、占い全般が苦手なんだよ」
「どうせ手がかりもないならやってみればいいじゃないか、ダメもとで」
「ダメもと言うな」
とは言え、一理ある。
「ちょっと持っていてくれ」
ライオネルが作ってくれたリストをテオドールに広げさせ、水晶の振り子を腕から垂らした。今から行うのはダウジングの一種であり、プロはこの振り子で水脈や埋蔵金の位置を地図で示したりする。因みに道具は学園時代、練習で使っていたものだ。
「Inis dom an t-ainm ar an namhaid!(敵の名を示せ)」
「あっ、あっ、ああっ、その音、イきそうだよ」
「……頼むから、ちょっと黙っていてくれないか?」
「おや、私としたことが音を害すなんて!」
静かになった変態の横で、揺れるペンデュラムが描く円は徐々に小さくなり、一番上の文字列、“誕生日の招待客リスト”で止まった。
「あれ?おかしいな」
これ、容疑者名じゃない。リストのタイトルだ。
「実力通りだろ」
さらっと吐かれた言葉が胸に突き刺さる。
「ひょっとして、この中に犯人はいないのか?敵って言葉の定義も曖昧だし」
負け惜しみではない。客観的に分析した上での……
「うん、そうだね、そうかもしれないね」
奴の視線が生温かい。
「ええいっ、Muin do dhuine a fhios ag an naimhde a Shoilse(陛下の敵の名を知る者を示せ)!」
半ばやけくその呪文により、ペンデュラムは羊皮紙を滑り、ある人名の上で止まった。
「失礼ですが……何をなさっておいでですか?」
羊皮紙を覗きこむ男二人に声をかけたのは宮中を巡回する近衛騎士。赤い衣服に黒帽子の彼らは口を利かない規則になっているが、あまりに挙動不審だったので様子を探りに来たようだ。
「あっはは、この中に俺の運命の人はいるかな? みたいな」
誤魔化すための悲しすぎる嘘。
「何だい君、私にそんなこと手伝わせていたのかい。腕も疲れたし止めて良いかい」
無関係ですと言いたげにテオドールは早々に友人を切り捨て、一線を引く。仕方なしに引き釣る笑顔を騎士に向ける。
「良かったら君の運命の相手も占ってやろうか?」
「いえ、遠慮させて頂きます」
なんなのこの公開処刑。恥の厚塗りに胃がキリキリ痛い。
「ところで君、何地方出身だい?」
助け船を出すほど気の利く人間ではないはずだが、テオドールが騎士に話かける。
「はい? カシュローン ヌアですが」
カシュローン ヌアとは古くからある北部の都市だ。
「嘘つきたまえよ。今時生粋のササナ人でもこんな完璧な発音しないよ」
言語学者は腕を組み、一歩前へ。
「何を仰って……」
「大方、外国の機関で語学を習ったんだろ。それもかなり高等な。違うと言うなら今から許可するから故郷の訛りで話してくれたまえ。あそこの[r]は特徴的だから、すぐわかる」
「……」
沈黙、後。瞬きの間に突き出された騎士の凶刃、それよりも早く引き抜かれた言語学者の半月刀が受け止める。テオドールはもう片方で双子剣を振るう。騎士は後退しようとしたが、自身の剣に阻まれた。相手の剣の背、描かれた複雑な曲線が刃を挟み、引き抜くことができなかったのだ。テオドールの刃の本質は斬ることではない。絡めとることである。避けきれなかった白刃は、騎士の胸元を浅く切る。
「くっ!」
「いいね、その苦しげな破擦音! 人間追い詰められると、無駄な雑音が削ぎ落ちる。どんな洗練された音楽よりも鋭く、甘美だ。さあ、もっともっと聞かせてくれたまえ! 息を引き取る最後の瞬間まで!」
この男、学問は語学を選んだが家柄は武門、父は海軍司令官で母は異国の暗殺者。正に殺しのサラブレッド。騎士は剣を放棄して後退した。その腕を、今度は蹴りが襲う。爪先に仕掛けられた刃は、皮膚を深く抉った。
ダンスでもするように。その場でターンした躍り手の対の刃が円舞する。辛うじて剣の鞘で受け止めた騎士の額には油汗が浮かび、瞳は逃げ道を探してさ迷う。テオドールは俺の知る限り最高峰の殺し屋だが、騎士では無い。彼の攻撃の恐ろしさはその手数の多さと自由度。身体の各所に仕掛けられた暗器、型に嵌まらない剣舞。特に別の生き物のような手足は二刀流ならぬ四刀流と言えよう。
その彼が突然攻撃の手を緩め、騎士と距離を開ける。降ってわいたチャンスに騎士は瞠目し。形振り構わず背を向け、逃避しようと足を踏み出し。そのまま地面に崩れ落ちた。茫然とする俺を尻目に、
「刃に毒が塗ってある。逃げ惑ったから毒の回りも早い」
テオドールはハンカチで刃の血を拭う。自分の頬についた血は気付きもしない。
「死んだのか?」
「いいや、まだ彼の音を聞き足りないからね。尋問の時は呼んでくれたまえ」
「一言二言会話を交わしただけで、出身がわかるものなのか?」
「違和感はあったけどね。もっと長い言葉を発音してもらえないと断言できないよ。今回ははったりをかけたら、たまたまひっかかっただけだ」
「お前、予想より遥かに使えるな」
言葉を交わす機会があればその人物の出身を特定出来るのか。語学馬鹿も役に立つ時と場合があるらしい。
「宮殿で働く騎士やメイドの発音を聞く気ない?」
「私を使ってスパイの連中を炙り出すつもりかい?まあ舞踏会に出席するよりは有意義だから協力してやらんでもないよ」
スキップをしかねない機嫌のよさで、テオドールは一歩踏み出す。
「音韻を聞く快楽は自慰行為に勝る」
「黙れ、歩く猥褻罪」
だがこの奇行は、どうにかならないものか。
‡ ‡ ‡
あの時、余計なことを思い付いた自分を締めたい。何度目かになる欠伸を、咳払いで誤魔化す。俺の頭は今にも机と愛の誓いを交わしそうだ。騎士が襲いかかってきたその日の内に俺はライオネルに連絡をとり、城で働く騎士たちの抜き打ち検査を行う段取りをした。騎士の偉い様やらお歳を召した方やら反対はあったらしいが、例の騎士が外国が放ったスパイであることが判明し、事態を重く見た陛下の鶴の一声で決行されることになった。
検査と言っても、俺の役目は専ら世間話を振って相手を喋らせること。そうすればテオドールがどこの出身か言い当てる。考えてみれば凄いことだが、感心も半減する。何しろ、しんどい。主な原因は、横で鼻歌をうたう奴とか、奴とか、奴のせいだが。発音が正確な由緒正しい家柄や、高位のご令息相手になるとつまらなそうにそっぽを向く。逆に発音が珍しい場合は興奮するため、変態を宥め、ドン引きする面接相手を取り成すのに俺の全神経を注いだのだ。
「ところで君、あのエウスカル地方の彼はどうだい?」
「ああ、あいつか」
あの時、隣にいた大の男はぼろぼろ涙を流した。
「お……おお……」
正に言葉にならないレベルの感涙。
陛下の近衛騎士だと言う男から、故郷に伝わる古い歌を披露してもらったところ、奴のテンションが明らかにおかしくなった。ランク訛りに似ているがどこの訛りか不明の男の言葉は、所々わかるようで全くわからない。
「聞いたかい、今の高音化した後部舌背音を、そして、iの後に変化した硬口蓋側面接近音を!? 舌端音と舌尖音が音韻的に区別されているのは知っていたが、声門摩擦音、前舌円唇母音、有気閉鎖音を含めたこの多彩さ!! なんて麗しい! なんて美しい! 多くの国で失われてしまったはずの音が今も使われているなんてっ!」
あまり直視したくない光景だ。切実に他人のふりをしたい。俺はプロフィールを記した書類に目を通しながらぼやく。
「興奮しすぎだろ。確かにカレチ地域出身は珍しいけどな」
カレチ地方とはササナ国が大陸に持っていた領土だが、王位継承戦争のごたごたで失われた。
「何言ってんだい、ローデリック」
ふ、とテオドールが真顔に戻った。
「この孤立した言語は山脈に囲まれたエウスカル地方に決まっているだろう?」
エウスカル地方とは、敵対するウルテリオルの国境付近にある地域である。
「こいつを牢屋に打ち込め!!」
思わず立ち上がって叫んだ。あんな状況なら誰だってスパイか刺客だと思うだろう。しかし真実は違ったようだ。
「取り調べによると、自国で高官の娘をたぶらかして追われる身となり、カレチにいた親戚を頼って身分を用意してもらい、ササナに渡った。んで、腕は良かったから出世したらしい」
何年も前の話だが、ウルテリオルではお尋ね者になっていたようだと裏付けもとれた。
「そうだろうね。彼、発音を誤魔化す気がまるで なかったもの。スパイならあまりにお粗末だ」
気付いてたなら言えよ。それにしても。
「どんな基準で登用してんだか。管理が杜撰すぎる」
出身を詐称している連中はそれなりにいた。大抵が平民かそれに近い身分で、辺境の地方貴族の名前を借りたらしい。
「王位継承のゴタゴタで人員が不足したからねぇ」
「これは本気で城内に出入りする全ての人間を面接する必要があるかもな」
「私的には構わないけど。本来なら語学で区別する以前に雇う段階で判断すべきだろう?」
「お前の言う通りだな。だがあまり厳しくすると 身元保証できる高位の貴族ばかりで、有能な者が集まらない」
「それで有能な敵を召し抱えてたら本末転倒だろうに」
「返す言葉もないね」
「ライオネル!」
いつの間にやら小さな陛下が部屋の扉に凭れていた。
「即位当時は全てが目まぐるしく、人事は部下に任せっきりで僕自身も把握しきれてなかった……なんて、言い訳かな。そのせいで余計な手間をかけさせちゃったね」
勿体ない言葉だ。単純なもので、ライオネルに労われると疲労も吹き飛ぶ。
「二人の働きは聞いてるよ、お疲れ様。果物を用意させたけど、食べる?」
「食べる!!」
うちの陛下は気遣いのスペシャリストである。早速メイドが持ってきたクランベリーを頬張った。
「そうだ、彼やメディシーナを近衛騎士に推薦する件だけど」
「おお。どうなった?」
「夏までの期間つきだけど、登用が決まったよ。今回の騒動で騎士の人員が不足したからね。反対もあったけど、女性を登用した時の問題点も明確にしたかったし、試験的にってことで押し通した」
ひとまず一安心だ。四月の雨は五月に花を咲かせる(≒塞翁が馬)ってやつか。
「うむ、敬意を払うに値する音だ」
黙っていたテオドールが偉そうに頷く。
「音で主従関係を決めるのは、世界中を探しても間違いなくてめぇだけだ」
「何を言う、血筋で位につくのも似たようなものではないか。見えないもの。うやむやなもの。音は形があるだけまだましだ」
組んでいた腕をほどき、ライオネルに向き直る。
「陛下は常人より舌が長いのですね?」
ぽろりと、指からクランベリーが落ちた。
「わかるの?」
「Sの音がやや不明瞭だ。陛下のSは厳密にはササナ語のSではない。しかし陛下はその音を口内の器官を巧みに使い、キングスササニッシュ(標準ササナ語)に近づけておられる。それは並大抵の努力ではない」
うちの陛下は頑張りやさんである。なでなでしようと手を伸ばしかけて、いやもう十四歳だし、とぷるぷる押しとどめた。
「私が敬意を払うのは、持って生まれた血筋や地位より、そうあろうとすることだ」
あれ? テオドールが良いこと言っているように聞こえるぞ。
「君は?」
ライオネルは政治家の顔に切り替えた。忙しい国王が、単なる労いだけでここに訪れたのではないのだろう。
「サーベレッジは元は侵略してきた海賊で、ササナ系の国王になっても代々武官を勤めている。先代のサーベレッジ伯爵は、カレドニアを破った優秀な司令官だった。彼がいなければ、ササナはカレドニアの属国になっていたかもしれない」
「君の働き次第では、さらなる昇進も考えている。君はサーベレッジ家の栄光に名を連ねようとは思わない?」
「いいえ。私は父を継ごうとは思いません」
「何故? 前サーベレッジ伯爵、この国を救った英雄だ。彼に憧れ、軍に入る若者も……」
「陛下」
奴の顔にはいつもの皮肉げでもふてぶてしさでもなく、苦笑が浮かんでいる。
「子供の顔を見たがらない父親を、慕うことができますか?」
ライオネルは絶句した。人生経験が少なく心優しい国王陛下はかける言葉が見つけられなかったのだろう。
故サーベレッジ大佐、彼は確かに英雄だ。しかし優秀な司令官、優秀な臣下が、優秀な父親であるとは限らない。初めて会ったとき、こいつは仮面で顔全体を覆っていた。
――醜いから父が厭うのだよ。
そう言って、仮面の下できっと今と同じ類いの笑みを浮かべていただろう。仮面に隠された、顔の左半分には火傷の痕がある。母親を殺した仇に傷つけられたらしい。
ライオネルは結局、何も言うことが出来ずに退室していった。とてつもなく後味が悪い。
「なっちまえば良かったじゃねぇか、武官に。お前の好きな変わった音を話す奴らを側に置けるんだぞ?」
「あのね、部下が違う言葉を話したら指揮系統が混乱するだろう?」
「……」
「なんだいリック、押黙って」
「いや、お前にしてはまともなこと言うな、と思って」
「失敬な。そう言うことは父に叩き込まれたからね」
──あっ
一瞬、日差しの中に剣を打ち合う親子の姿が見えた。
何か、暖かい何かが胸に込み上げる。サーベレッジ伯爵は、息子を疎んでいたんじゃなくて。屈折して、果てしなく不器用だけど。確かに愛情を持っていたんじゃないかって。
何の根拠も無い憶測だけど。
だって、こいつの剣は一朝一夕で身に付くものではない。こいつの兵法の心構えは表面的なものではない。サーベレッジ家を継ぐに必須の知識と技能をこいつは身に付けているのだから。




