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ヘタレ伯爵と戦乙女  作者: アストロ
と松葉杖の少年王
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六通目 友人への応援要請

一日も馬車に乗っていたので、身体が固まってしまった。開けたままの窓からは、次第に潮の香りがする。

ランスロッド領は港を抱く領だ。この領を統治してきたサーベレッジ家は元々海賊で、あまりの傍若無人っぷりに手を焼いた前の王朝が土地を与えて召し抱えたらしい。俺は一足先に馬車を降り、手を差しだす。


「メディシーナ、手を……」


奴ときたらまったく気付かず飛び降りていた。


「何か?」

「イイエ」


出したままの手を不格好に引っ込める。


「お待ちしておりました」


門の前には黒髪の男が立っていた。起伏のない顔立ちに、涼やかな切れ長の瞳。すらりと伸びた手足も含め黄みがかっている。


「呉か」


その名が示すように、彼はこの国の生まれではない。元は大陸遥か東方、大国の貴族の息子だった。しかし政敵の陰謀に嵌められ、親は殺され自身は奴隷となっていたところをこの館の主人に拾われた。


「執事業も、だいぶ板についてきたな」

「お陰様で。マリアベル殿はいかがお過ごしですか?」


新しい主に恩を感じているらしく、少しでも役に立とうとエリオットに頭を下げ異国の礼儀作法を身につけ、マリアベルに土下座して領地経営を学んだ。


「元気も元気。ちょっと食欲不振だが、俺を片手で釣り下げるくらいだぜ」


あの女執事に弟子入りしようとするなんて、その意志だけで尊敬する。


「あの方は、我が国で言うところの女傑です。そちらの方も身のこなしから見るに武人のようですね。つくづく女傑と縁のある方です」

「うわ、素直に喜べねぇ」


軽口を交わしながら呉の案内で屋敷に足を踏み入れた。窓が小さい石造りの狭い廊下を歩きながら、メディシーナはきょろきょろと視線を走らせている。館と言うより要塞と言うに相応しいこの建物。鑑賞に耐える美術品が飾られているわけじゃない。

珍しいのは物より人だ。揃いのお仕着せを身に纏う使用人たちの肌の色、顔のつくり、体つき。ササナ国の者にしたら見慣れぬものばかりだ。海路を開拓し、新大陸が発見されているとは言え、これ程の人種が集まっているのは、奴隷市場でもあり得ない。

とある貴族がここを訪れ、動物園のようだと言った。なるほど、堅牢な屋敷を檻と見立て、そう表現できるかもしれない。……彼らを下等な生き物だと見なしていることに目を瞑れば。

その発言の善悪をここで論じる気はない。ただ、これから会う人物を思えば、可愛い思想だ。

廊下の先、屋敷の主がいる金属製の扉。その前で俺たちは足を止めた。いや、止めさせられた。ぶかぶかのメイド服を着た少女が行く手を阻んでいた。


「あなた、帰れ」


タールを塗ったように黒光りした細い腕は小刻みに震えている。しかしその手はしっかりと箒を構えていた。


「あなた、マスター、連れていく。あなた、嫌い」


たどたどしいササナ語だが、真っ直ぐに向けられた嫌悪が胸に突き刺さる。


「ミト」


呉は恐らく彼女の名前を呼び、首を振った。少女は下唇を噛み、箒を下げると脱兎のごとく去った。


「失礼。彼女はまだ屋敷に来たばかりで礼儀を知りませんもので」


呉は丁寧に頭を下げた。その眼はじっと俺を見据えている。


「しかし彼女の言葉はこの屋敷で働く者たちの言葉でもあります。どうか心に留めて下さいますよう」


込み上げる筆舌したい苦さ。取りあえずわかったこと。この件で彼らの協力は期待できそうにない。


「ここの主人はキサマと違って人格者なのだな。使用人にここまで慕われて」


皮肉を吐かれるのは心外だが、誤解は訂正しておこう。


「いいや。あいつは人格が破綻しているんだ」

「は?」


呉が重い扉を開ける。

正面の執務席で気だるげに頬杖をついている男。ひゅっと息を呑む音がした。初対面の人間は、誰しもこの異様な風貌に目を奪われる。母親のオリエンタルな血が混じっているためか、浅黒い端麗な顔立ちは、その半分を覆う銀の仮面も相まってぞっとするほどミステリアスだ。

メディシーナはその雰囲気に呑まれかけたが、さすが騎士、踏みとどまって名乗りをあげた。


「お初にお目にかかる。こ奴の騎士、メディシーナ=フォン=グレイシーだ」


濡れた片方だけの黒瞳がわずかに見開く。ライオネルも美しい顔をしているが、あれは美術館の彫刻、宗教画の天使だ。人が触れられない、触れるべきでない近寄りがたさがある。一方こいつに匂い立つ色香は人を堕落させる悪魔そのもの。


「ああっ!なんと甘美な軟口蓋破裂音!まるで寝台で語る睦事のようだねっ!」


口を開かなければ。


「なんこうがいはれつおん?」

「軟口蓋さ! 君の口の奥、歯列の上部に柔らかい部分があるだろう? 解らないならを発音する寸前で息を吸ってご覧? 口内の一部がひんやりするのがわかるだろう? そこに発音する際に空気が当たり、音を変化させているのだよ。それはそうと君はリックと同じ地方出身だね?[^](日本語の“あ”の音) を発音し損ねたからすぐわかったよ!」


屈辱を顔に張り付け、翡翠の瞳が一睨みする。故郷の訛りを悟られたことでなく、俺と同じにカテゴライズされたことに腹が立ったらしい。


「訛りは気を付けているはずだが」

「わかる、わかるよ。貴族だけあって、発音は標準のそれに矯正されている。ブレは一つまみの調味料のように微細なものだ。だが私は聞き逃さない」


他の国もそうかもしれないが、ササナは発音を聞けばその人の地域、階級、職業がわかってしまう。しかしこの男ほどの専門家はいないだろう。女騎士の首がぎぎぎと動いた。


「リック、何だこの生き物は。何言っているのか皆目わからん」


ササナ人どころか人間でないと認識したようだ。


「ランスロッド領伯爵、テオドール=サーベレッジ。ご覧の通り語学のスペシャリストだ」

「気狂いの間違いだろ」


哀しいかな、否定できない。


「最上級の褒め言葉だね」

「こ奴、喜んでいる!?」


どんな敵にも向かっていく女騎士が大きく後退した。


「勿論、嬉しいよ。一分野を狂うほど極めると言うのは、専門家として最高の誉れだ」

「語学の何が良いのだ?」


首を傾げているが、俺も剣のどこが良いのか大いに疑問だ。


「音は人類最古の発明品の中で最も素晴らしいものだ。我々は意思伝達の手段として、文字より遥かに早く音声を用いてきた。両唇、歯茎、歯茎硬口蓋、硬口蓋、軟口蓋、口蓋垂、声門と言った音が作られる場所、すなわち調音点!口の中の様々な機関を使った破裂音、はじき音、摩擦音、破擦音、巻き舌音、鼻音、音を作る方法、調音法!まだまだあるけど、これらの組み合わせで音が生まれるわけだ。が、単に存在しているだけでなく、様々な人の思いを乗せるために発展してきた。特に、狭い地域で独自に進化を遂げたバリエーションの素晴らしさは恍惚すら覚える。隔絶された島で古来から生き残ってきた音も良いね。文化の中心地から伝播して行く語彙や音が悪いわけじゃないけどね、やはり出会ったことのない音に出会う喜びは……」

「あー、そろそろ本題に入っていいか?」


俺の経験上長くなるし、何より目を白黒させている某騎士の許容量がいっぱいだ。


「構わないよ。君の促音化したtが聞けるならね」

「音じゃなくて話を聞けよ」


俺は陛下の命が狙われていること、その下手人が王宮にいる疑いがあることを説明した。最近この手の話が多いので、大分簡潔にまとめられた。


「ライオネルの傍に信頼出来る人間を置きたい。お前の力を借りたいんだ。頼むよ」

「え、嫌だよ」


こんなに頭を下げているのに、友人の返答はすげない。


「手柄を立てれば、国王の覚えめでたく、出世するかもしれないぞ」

「気が進まないね。出世したら拘束される時間が増えて面倒だ。だいたい王宮なんて標準語の巣窟じゃないか。面白くもなんともない」


他人を蹴落としてまで出世する貴族としてあるまじき発言である。


「さすがご主人様。無欲な方です」


カートにお茶を乗せてきた呉がすかさず称賛する。関係ないが、呉の煎れる茶は東洋流に緑色だ。


「呉も収入が多い方が良いんじゃないか? テオの旅行代や奴隷を買う金も馬鹿にならんし」


こいつは稀少な音に出会うため、巡礼並の旅行は日常茶飯事だ。一年帰って来なかった時にはどうしてくれようと思った。


「問題ありません。ここ数年は十分な黒字経営です。今年は貿易の利潤も増えましたし」


マリアベルめ、鉄壁の領地経営術を仕込みやがって。


「ええい!いい加減にせんか!!」


ようやく我を取り戻した女騎士が激昂も露に叫ぶ。


「さっきから聞いていればくだらぬ話をしおって。国王陛下のお命が危いのだぞ!? 身を呈して駆けつけるが貴族の務めであろう? だいたいキサマの言う音がなんの役に立つと言うのだ!」

「そうだね、私がやっていることは一見役に立つとは思えないかもしれない」


全てを否定する言葉にテオドールは穏やか頷いた。


「例えば言語が正確に発音出来ない患者。問題のある音を発音する器官がわかっていれば、どこに異常があるかわかる。手術や特定の筋肉を鍛えるなど、その治療方もね。

そして外国語を学ぶ者。外国語と自国語の発音の違いを理解していれば、より母国語の話者に近い外国語を発音出来る」


テオドールは言語に傾倒しているだけあり、完璧な発音で幾つもの外国語を操る。俺がランク語をはじめ幾つかの言語を発音出来るのは奴の特訓の賜物であったりする。


「しかしそれらは全て些細な副産物だ」

「私が何人であるか。何と言う民族か。或いはもっと狭く、どこ出身か。要するに、どんなコミュニティに属しているか。それは年に数回に開かれる祭で決まるのか。特別な時にしか着ない民族衣装で取り戻せるのか。失われて久しい伝統工芸で認められるのか。

いいや、言語だよ。母の腕に抱かれたその日から、我々は言語の中で生きている。目に見えないかもしれないが、最も親しみ、最も身近で、最も使用頻度が高い文化だ。言語は時に抑圧された民族の、独立の起爆剤になる。自分が何者か、すぐ傍で教えてくれるからだ。それ故、世の支配者たちは専門の教育機関を作り、統一語を話す者たちを優遇し、訛りのある音を嘲笑い、言語を統制しようとする。一つの国や植民地をバラバラにし得る幾つもの“個”はいらないからね。

それでなくても言語は、他者とのコミュニケーション手段であるその性質上、失われる可能性を秘めている。弱者は生きていくために、強者の言語を使わなくてはいけない。地域が閉ざされていた今までは、それでも多くの言語が生き残ってきた。しかし航海の技術が発達し、地図が書き足され、多くの強者が船で海へ飛び出し、世界が繋がる傾向にある今、言語は危機に直面している。

自分の言語を使う度、鞭で打たれる人がいる。子供の将来のため、祖先の言葉を話さないようにする親がいる。やがて共通語ができ、世界の人々と通じ合う日が来るだろう。一方で、少数派や弱者の言語は滅びるだろう。珍しい言語を集め、研究し、残そうとしている私がやっていることは意味がないのかもしれない。

だが、いつか。弱者が“個”であっても虐げられることなく、誰もがそれぞれの差異を認め、祖先たちが捨てた言語の価値を見直される。

私は、そんな日が来ることを願ってやまない」


自分が自分であること。これは大変デリケートな問題だ。それを宗教に見出す人もいる。国家に見出す人もいる。祖先に見出す人もいる。社会的地位に見出す人もいる。勿論個々で答えが違って当然だ。

彼はそれを言語に見出した。テオドールには熱狂的な支持者がいる。例えば、見知らぬ異国に連れてこられ、人としての尊厳を奪われ、これでもかと踏みにじられた奴隷たち。テオドールは彼らを言語の面から価値付けし、個性を認め、彼らの誇りを取り戻してきた。この理論は誰にでも理解されるわけではない。現にメディシーナは明らかに幽体離脱している。


「よし、キサマの言うことはよくわかった」


何一つ理解できていないだろうが、そう言い捨てて踵を返す。


「リック、こいつに助力を乞うのは止めよう。私だけで充分だ」

「でもなぁ」


確かに言語馬鹿のこいつに頼むのは不安だが、素直に頷けない。


「こいつは腕は確かなんだ。そもそもあのアンリ(仮)がライオネルを狙ってるんだぞ?お前だけで四六時中警護するにも限界がある」


敗北を思い出したのか、メディシーナはぐっと歯を食いしばる。


「あの時は油断していただけだ。あんな女装男、次は必ず捕えてみせる」


「女に化けるだけでなく、ササナ貴族に成り済ますような人間だぞ? 一筋縄でいかないことはお前もよくわかっているだろう?面がわれているとは言え、今だって俺たちを出し抜いて、宮中に潜入しているかもしれない」

「……待ちたまえ、そいつ発音は?」


女装男の容姿や実力ではなく、発音を気にするのがテオドールと言う男である。


「発音は俺が聞いても違和感はないくらい、ササナでも上流階級のものだった。だが、ササナ貴族の流儀を知らないんだ」


テオドールが顎に手をあてた。なまじ美形なだけ絵になる。


「行こう」

「は?」

「陛下の警護をしていれば、そのアンリだとかに会えるんだろう? そんな面白い音を野放しにしておくわけにはいかない。ああ、彼は何者なんだろう。どんな音を発するんだろう」


淑女のドレスを暴くが如くうっとりとしている真正の、いや真性の変態がここにいる。


「ご主人様がそう仰るなら」


不満を見事に隠し、呉が一礼した。ほっと胸を撫で下ろす俺の隣で、メディシーナは盛大に虫唾を走らせていた。

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