第一章 追放、そして最強の仲間と氷の公爵との出会い
婚約破棄ですか?浮気と横領の証拠は揃っておりますので、運用益は全額引き揚げさせていただきますね
きらびやかな魔導シャンデリアが眩い光を放つ、ルナミス帝国主催の夜会。
豪奢な大広間には、百年前の建国者である異世界からの転生者・佐藤太郎が残した「近代化」の恩恵が随所に散りばめられている。流れる音楽は魔導スピーカーからの洗練されたクラシックであり、貴族たちが手にしているのは繊細なガラス製のグラスに注がれた最高級のサケスキーだ。
そんな洗練された夜会の喧騒が、突如として水を打ったように静まり返った。
「ミレイユ・アークライト! 貴様のような血も涙もない、計算ばかりの冷酷な女との婚約は、今この場をもって破棄させてもらう!」
大広間の中央で声高に叫んだのは、私の婚約者である伯爵令息、セドリック・ヴァン・ルージュだ。
彼の腕には、涙で瞳を潤ませながらしなだれかかる、庇護欲をそそる小柄な男爵令嬢クロエの姿がある。
「セドリック様……私のために、そこまでしてくださるなんて……っ。でも、ミレイユ様に申し訳ありませんわ……っ」
「案ずるな、クロエ。君のような純真で心優しい乙女を、この悪逆非道な女から私が守ってやるとも」
セドリックはクロエの肩を抱き寄せ、勝ち誇ったような、それでいてどこか見下すような視線を私に向けてきた。
周囲を取り囲む貴族たちが、ヒソヒソと扇子の裏で囁き合う。
(悪逆非道、ねえ……)
私はドレスの裾をわずかに引き、完璧な姿勢を保ったまま冷ややかな視線を彼らに向けた。
私の名前はミレイユ・アークライト、22歳。没落寸前だったアークライト伯爵家の令嬢だ。
だが、私には誰にも言っていない秘密がある。
前世の私は、日本という国のメガバンクで働く銀行員だった。それも、社内の不正や隠蔽を絶対に許さない**「鬼の内部監査」**として名を馳せた、ゴリゴリの社畜キャリアウーマンである。
連日の激務、鳴り止まない電話、エナジードリンクを胃に流し込みながら、不正を働く役員たちと会議室で死闘を繰り広げる日々。その結果、見事に過労死を果たし、気づけばこのアナステシア世界のルナミス帝国に転生していたのだ。
セドリックとの婚約は、完全な政略結婚――前世の感覚で言えば「企業合併」のようなものだった。
彼のルージュ伯爵家は、名門ではあるが見栄っ張りな浪費家揃いで、領地経営は常に火の車。そこで、少しばかり計算が得意と噂になっていた私に白羽の矢が立ったのだ。
私はこの婚約を「ビジネス」と割り切り、前世の知識である複式簿記や徹底したコストカット、最新の魔導技術への投資術をフル活用して、彼の領地をわずか二年で黒字化させてきた。
毎晩遅くまで帳簿と睨み合い、タローマン製のデスクライトの明かりの下で魔導デバイスの画面を叩き続ける日々。
すべては、アークライト家への資金援助という「契約」を全うするためだ。
だというのに、当の雇い主たる婚約者は、私が血と汗の結晶で稼ぎ出した利益を使って別の女を囲い、挙句の果てに「冷酷で可愛げがない」と公衆の面前で契約解除(婚約破棄)を突きつけてきたわけだ。
「ミレイユ! クロエへの数々の嫌がらせ、もはや弁解の余地はないぞ! 彼女のドレスをわざと泥で汚し、階段から突き落とそうとしただろう!」
セドリックが芝居がかった身振りで糾弾する。
普通なら、ここで身に覚えのない罪に泣き崩れるか、必死に弁明して許しを乞う場面なのだろう。
だが、メガバンクの内部監査を舐めないでいただきたい。
「……弁解、ですか?」
私は扇子をパチンと閉じ、ヒールの音を響かせて一歩前へ出た。
その瞬間、私の中に眠るユニークスキル**【絶対監査】**が静かに発動した。
このスキルは、対象の帳簿、書類、領地の状態、果ては人の魔力や闘気の流れを視認するだけで、一切の不正や隠し財産、無駄を1円(この世界でいう1同粒)単位で瞬時に見抜く恐るべき能力だ。
私の網膜にだけ、セドリックとクロエの周囲に浮かび上がる「真実のデータ」と「金の流れ」が、半透明のデジタルウィンドウとして無数に展開される。
「セドリック様。一つ、事実関係を訂正させていただいてもよろしいでしょうか」
「なんだ、今更許しを乞うつもりか? 見苦しいぞ!」
「いいえ。私がいつ、クロエ様のドレスを汚したというのでしょうか。そのドレス……ルナミスデパートの特注品、春の新作で金貨50枚の品ですね。ご購入されたのは先月の15日、お支払いはルージュ伯爵家の『次期魔導戦車開発のための国庫補助金』から不正に引き出されたものですわね」
「なっ……!?」
セドリックの顔色が、サァッと一瞬で青ざめた。
「さらに、クロエ様が身につけておられるその見事な魔導石のネックレス。金貨30枚。こちらは『領地水害復旧費』の名目で計上された裏金から支払われています。階段から突き落とすも何も、私、あなた方が領民の血税を横領して逢瀬を重ねていたルナミス・グランドホテルのスイートルームの宿泊費(一泊金貨5枚)を、帳簿のどこに補填して誤魔化すべきか頭を悩ませていて、お二人に構う暇など一秒たりともありませんでしたの」
「き、貴様! でたらめを言うな! 証拠もないくせに!」
激昂したセドリックが怒鳴り声を上げるが、その声は明らかに震えていた。
「でたらめかどうかは、こちらの魔導通信デバイスの記録をご覧になれば一目瞭然ですわ」
私はハンドバッグから、小型の魔導通信デバイスを取り出し、空中にホログラムの帳簿データを大きく投影した。
そこには、セドリックが行った公金横領の証拠、クロエへの貢ぎ物の領収書のサイン、そして『ミレイユの奴は今日も帳簿とにらめっこだ。馬鹿な女だよ、俺たちがこうしてルナミスパーラーで豪遊しているとも知らずに』という、二人の恥ずかしい愛の通信メッセージ履歴までが、完璧な時系列で美しくリストアップされていた。
周囲の貴族たちのヒソヒソ話が、ピタリと止む。
そして直後、明確なセドリックへの軽蔑と嘲笑の眼差しへと変わった。
国庫補助金の横領は、ルナミス帝国では重罪に値する。それを公衆の面前で、しかもこれほど完璧な証拠と共に暴露されたのだ。
「ひっ……!? セ、セドリック様ぁ!」
クロエが顔を真っ赤にして、今度は隠れるようにセドリックの背後に回る。
「ち、違う! これはミレイユ、お前が俺を陥れるために偽造したデータだ!」
「偽造かどうかは、帝国の査察部と財務局に調べていただければすぐに判明することです。すでにこちらのデータは、私の名代として財務局の窓口へ送信済みですので」
「な、なんだと!?」
「さて、セドリック様。婚約破棄の件、謹んでお受けいたしますわ」
私はドレスのスカートを優雅につまみ、完璧な淑女の礼をとった。
「あ、ああ! 当然だ! とっとと俺の目の前から消えろ! お前のような陰湿な女、顔も見たくない!」
「ええ、喜んで。ですがその前に、一つだけ『事務連絡』がございます」
私は満面の笑みを浮かべ、彼にとって最も残酷で、私にとって最も重要な宣告を下した。
「本日の婚約破棄宣言に伴い、私がこれまでルージュ伯爵家に投入した自己資金、および私が構築した領地経営システム、そしてそれによって生み出された『運用益』は、事前の婚約契約書・第14条の特約に基づき、全額即時引き揚げさせていただきます」
「……は?」
セドリックが、まるで意味が理解できないというように間抜けな声を漏らす。
「現在のルージュ伯爵家の黒字は、すべて私のシステムと資金運用によるものです。本日の深夜0時をもって、私の資金と利益はすべてアークライト家に戻ります。同時に、あなたが横領した金貨約300枚分の負債が、そのままルージュ伯爵家の借入金として重くのしかかることになりますわ」
「な、何を言っている……お前がいなくなっても、領地は回る! お前が作った魔導管理システムがあるじゃないか!」
「お忘れですか? あのシステムは私の魔力と【絶対監査】のスキルを基盤にした独自の暗号化が施されています。私がアクセス権を解除すれば、ただのガラクタですわ。それに、有能な文官たちはすべて私が直々に面接し、ヘッドハンティングした者たち。彼らも明日には一斉に辞表を提出し、私の後を追う手はずとなっております」
私の言葉に、セドリックの膝がガクンと崩れた。
「ま、待て! それでは領地はどうなる!? 明日からの資金繰りは!」
「さあ? 完全にショートするでしょうね。早ければ三日で不渡りを出し、一週間後には破産手続きが開始される計算です。領民からの暴動にはくれぐれもお気をつけくださいませ。あとは、クロエ様との愛の力で乗り切ってくださいね」
「ミレイユ! ま、待ってくれ! 今のは言葉の綾だ! 婚約破棄は取り消す! お前がいないと、俺は……っ!」
先ほどまでの傲慢さはどこへやら、セドリックが見苦しく手を伸ばしてすがろうとしてくる。
私はその手を、扇子でピシャリと冷酷に叩き落とした。
「私のような『冷酷で可愛げのない女』にすがるなど、伯爵令息としてのプライドが許しませんわよね? 申し訳ありませんが、私にとってあなたはすでに**『費用対効果の合わない不良債権』**です。これ以上の取引は致しかねます」
「不良債権……っ!?」
「それではごきげんよう。短い間でしたが、反面教師として大変勉強になりましたわ」
私は呆然と床にへたり込むセドリックと、事の重大さに気づいて泣き喚くクロエを置き去りにして、大広間の扉へ向かって颯爽と歩き出した。
周囲の貴族たちが、まるでモーセの十戒の海のようにサッと道を空け、畏敬の念すら込もった視線で私を見送る。
背中からセドリックの絶望に満ちた叫び声が聞こえた気がしたが、私の心はこれまでにないほど晴れやかだった。
(ああ、終わった! これでブラック企業顔負けのサービス残業から完全に解放されたわ!)
夜会の会場を一歩出ると、帝都の冷たい夜風が火照った頬を心地よく撫でた。
大きく深呼吸をして、ハイヒールを鳴らす。
「さて、と」
私は夜空に浮かぶ丸い月を見上げた。
これからは、他人の領地やダメ男のためじゃなく、自分のために生きよう。
そうだ、久しぶりに『あの村』へ行こう。
ルナミス帝国とレオンハート獣人王国、アバロン魔皇国の緩衝地帯である辺境の地、【ポポロ村】。
そこには、私が大好きなのどかな風景と、特産の美味しい野菜、そして何より――私を「ミレちゃん」と呼んで溺愛してくれる、物理最強で最高の親友がいる。
「キャルルに連絡しなきゃ。とびっきりの甘いお菓子と、最高級のポポロ・コーヒーの豆を手土産に持っていこう」
元・鬼の内部監査OLの、真の自由で快適なスローライフ(予定)が、今ここから始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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