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第3章【探偵を求めて三千里◆3】

 体感風力は車と変わらない。次第に風圧は強くなり、最寄駅から発進して程なく加速段階に入ったのだろう、時速が100キロ超に達するまで時間は掛からなかった。屋根のパンタグラフらしき突起部分に引っ掛かっていなかったら、今頃は弾き飛ばされて対抗列車に砕かれるなり、連結器に挟まれてロールごと圧し折られるなり、陸の紙屑になっていたかもしれない。間歇的に横殴りの乱気流に見舞われながらも、僕は必死に意識を保っていた。また気を失って、気が付いたら見知らぬ天井にこんにちは、なんて不本意な急展開はご免被りたい。(あーあ)ただ、何が奇蹟で何が悪運なのか?混乱する頭の中で、いっそ諦めて風に遊ばれたほうが楽になれるのではないかと誰かが訴えている。マオの心配は杞憂に帰し、僕の自分探しも暗礁に乗り上げて先行きは絶望的。ともすれば前進どころか首都圏から離れている可能性だって充分にあった。


(これって方角は北か、北東に進んでる?)


 太陽の位置。

 自分の位置。転がる視点。風圧。

 カーブで強烈なGが圧し掛かる。


 今までの経験則では、走行車両に轢かれても衝撃で死ぬことはなかった。電車から飛び降りても、運が良ければ助かる見込みもなくはない。問題は車道にはない凹凸の大地、例えば線路の枕木に投げ出されたらどうなるか?枕木と枕木の間に落ちたら、そこから這い上がる自信はなかった。スタンドバイペーパー、平らに敷き詰められた砕石バラストの絨毯を転がっているうちに、点検整備中の保線作業員に回収されたらまだしも、次の列車に追いつかれた日には、置石対策の排障器スカートで真っ二つに両断されるのが結末だ。水に流され、火事に追われ、車に轢かれ、幼児に弄ばれ、そろそろ受身の人生には終止符を打ちたいところ。現状、野良猫に裂かれた爪痕のおかげで引っ掛かりができているとはいえ、虫食い穴のスプロール化がどこまで保つか分からないし。通過駅に差し掛かって減速した隙に、プラットホームに渡ろうか。停車駅にしっかり到着するのを待って降りるべきか。途中下車のリスクと終着駅のリスクを勘案する前に、まず次の駅がどこかを見極めねば。


 と、思案している最中車体が大きく揺れた。


 体が一瞬、宙に浮く。列車は減速していく。


 体が横に逸れる。(まずいっ)どこかのホームに滑り込んだ走行列車のスキール音。数秒置いてガタンッ車体が完全に制止した勢いで、僕は灰色に照る金属屋根を転がり、落ちて行った。空圧制御エアブレーキのプシュッという破裂音がやけに耳朶に響いてくる。寸でのところで腹筋に力を込め、踏み止まった。ぞろぞろ、ゴミのように吐き出される降車客たち。先端部分が突起に引っ掛かっていなければゴミのように踏み潰されていたに違いない。日本人の美徳、次に乗り込む乗車客たちは仲間同士で喋ったり携帯電話を操作したり、誰ひとりとして頭上を見やる者はいなかった。


 安堵して、ふと視線を手元に戻す。


 僕が踏ん張っている側面の壁、なんとその正面には方向幕があり、赤地に白抜きで≪急行≫と、これでもかと大きく公明正大に表示されているではないか。つくづく惜しい。願わくは≪急行●行き≫と灯っているであろう指定地には、悲しいかな僕自身のロール本体が被って見届けられなかった。ベルが鳴ってドアが閉まり、発進する直前まで粘ったけれど、屋根に這い上がってしまえば死角になってお手上げなのだ。無念。


(まあいい、次がある)

 余裕とは裏腹に、臨界点は突然だった。


 亀裂の広がりが自重に耐え切れなくり、とうとうパンタグラフに絡めた支点を失い、僕は吹き飛ばされた。呆気ない。車両と車両の連結空間は越えたものの、次の車両もその次の車両も転がっているのか飛んでいるのか引っ張られているのか自覚する間もなく自由が利かずに灰色の屋根を彷徨って、そして冷却装置の室外機と思しき凸部に体当たり。(死ぬ、頭痛え)止まるには止まった。カープではなく直線だったので紙一重、恐らく最後列に近い位置にきたのは止むを得ないが、首の皮一枚で繋がった。(あ、あかんわ)似非関西弁が零れるほどの満身創痍。車酔いと似たような症状はジェットコースターにも起こるという。マオ宅よろしく裏向きに突っ伏して景色はまったく窺えない。さりとてもはや1ミリも回る気力がなくなってだから僕は。


(やば……まずい)


 ガタン、ゴトン。

 等間隔のレール構を転がる鉄道車輪のガタンゴトン。

 体中疲弊しきり10分ほど瞑目していると、気を失うように眠ってしまったらしい。記憶が飛ぶ以前と比べて太陽の高さに変化はないので、仮に北上していたとしても青森や北海道くだりまで寝過ごしたとは考えづらい。


 ふと風が止んだ。


 またどこかの駅に到着したのか。

 目を開けると視界が開けている。(これは)前回パンタグラフに引っ掛かっていた高さ、眺望に酷似していた。なるほど散り散りになった紙片、僕の片割れはまだ先頭車両にいるらしい。本体の僕は廃熱ファンのせいで五月蝿くて聞き取りにくかったが、集中すると聴力も共有できた。なので。


(……って、ちょっと待て)

 酩酊状態の頭が弾け飛んだのは自然な流れだった。

 たった今、唐突に≪乗り換え≫≪新宿≫というキーワードが飛び込んできたものだから耳を疑うのも無理はない。加えて断崖絶壁の如き不遇の現状、いつ急カーブの遠心力に振り落とされるか怯えている暇があったら行動しなくてどうする。


 鳴り響くベル。

≪駆け込み乗車はおやめください≫


(ええい、ままよ!)


 僕は助走もそこそこに、階下から排出される人混みの切れ目を縫ってホームに飛び降りた。そこは両側が線路に接している島式ホーム。文字通り目と鼻の距離だったにも関わらず、僕は途中まで転がって急停止した。(しまった)致命的にして絶対的な問題を失念していたのである。


(これで落ちたら、這い上がれないよな一生)

 ラッシュ時に電車とホームのあいだに転落事故が起きるケースがあるように、僕にとっても10センチほどの隙間は命取りになりかねない超えられない溝ではないか。


 と、躊躇していたのも束の間。

 僕の体に衝撃が走った。


「すみません乗ります!」

 中高生らしき制服男子が一心不乱に駆けて来、足許のゴミ(僕)を蹴散らし、電車に飛び込んだのだった。サッカー部にでも入っているのか強烈なダストシュート、否、ロングシュートが快刀乱麻に決まり、弧を描くまでもなく直線軌道のゴールイン。驚きこそしたものの、ほねが折れたりからだがだらんと伸びたりはせず。僕は昇降口のデッキに転がっていた。


≪ドアが閉まりますー≫

 指差しさ確認しながら駅務員が呼子笛ホイッスルを吹き鳴らし、ガタンッと軽い衝撃を伴って電車は定刻どおりに発進。それからサッカー少年はというと、衆目を集めた照れ臭さを隠すためか、ゴミ(僕)の存在を無視するには大きすぎ、拾うには拾って、しかしホームに投げ返す暇を失ったものだから、畢竟、最終的には網棚に放って、何事もなかったようにつり革を掴んでいた。(ううん、これはこれで)この絶景かな絶景かな、マオ宅のトイレと変わらない懐かしさ。帰りはまた前途多難な予感。結果オーライと素直に喜べないところは今に始まった流されやすい人生ではないけれど。


≪お待たせ致しました。東京メトロ千代田線をご利用いただきましてありがとうございます。この電車は表参道、霞ヶ関、大手町、西日暮里、北千住方面、JR常磐線直通我孫子行きです≫


 さておき、本日の真相が明らかになった。

 電車内のアナウンスを通じて、何もかも。


≪次は代々木公園、代々木公園です≫


(……知ってるぞ)

(知りすぎている)

(嘘だろ、ほんと)


 僕は東京か、首都圏内に住んでいたのはほぼ間違いない。


 東京メトロ、それから山手線の各主要駅の記憶。そして、先ほどまで乗っていたのは小田急線だ。代々木上原との乗り換え、つまり要するに、敷衍して導くならば、何を隠そう、目指す新宿は最初の電車で間に合っていたと。運命を自ら切り開いたら、まさかかえってややこしい運命になってしまった。決まったレールに乗っていたらもう少し楽な人生だったかもしれないのに。笑えてくる。おかげですっかり醒めた。いっそ清々しく爽快なぐらいに。


 ガタンゴトン。

 ガタンゴトン。


(切り替えよう)

 ガタンゴトン、ガタン、ゴトン。

(まずは、情報収集に務めなきゃ)


 眼下には整髪料の香る少年の頭。

 中年男性の禿頭やバーコード頭。


 さらに根元から薄ら黒髪に戻りかけている茶髪の旋毛つむじ、鮮やかな極彩色を放つ付け鬘、七三に分けたポマードの照り返し、気品漂う老夫婦の白髪交じり、全体的にはスーツ姿のビジネスマンが多めに目立つが、どちらにせよ電車の揺れに合わせて踊るマッチ棒の如き頭たちによって僕の眺望は占められていた。(まさか僕が電車の網棚に収まる日が来ようとはな)人間は考える葦である、とは倫理の教科書で馴染み深いパスカル語録のひとつ。僕に言わせれば人間は考える頭でしかないのだ。


≪足許にご注意ください。電車とホームの間が広くなっております。出口は右側です≫


 森閑たる車内。

 乗客は数多し。

 今はまだ降りるべきではない。

 最悪、終電まで付き合うはめになっても。無賃乗車の僕には痛くも痒くもない。今日中に着けば御の字。万難を排し、乗客が途絶える始発までここにいても構わないのだから。それよりも予想以上に早くコトが進んだので、考えていなかった。


≪難波の馬券師が語った衝撃の3連単的中劇の舞台裏≫

≪SA旅客機墜落事故、生還したタローとタブレット≫

≪アイドルに脅迫状か?ファンからの殺害予告に騒然≫

≪元助手が告白!噂の探偵、超絶美人説の真相に迫る≫


 それは中吊り広告の一面。

 東スポや写真週刊誌のゴシップ記事には信用性の欠片もないとはいえ、100%が出任せではないかもしれない。


 オカルト探偵『美都里』についての伝説的噂。

 新宿の新3億円事件で注目を集めた、時代の寵児と持て囃されている彼女の素性を追う記事は多かった。まるで都市伝説のような尾鰭が付いた噂話。『ポテトチップス爆弾事件』や『迷宮入りの連続通り魔殺人』『白金の貴婦人誘拐』など世間を騒がせたS級事件を解決した影の立役者だったとか、あるいは他に、指名手配中の凶悪犯を捕らえた懸賞金ハンターの異名を持つなど枚挙に暇がないのだけれど、有象無象の記事、特集の中でも僕が縋ろうとしている藁には秘密があった。それこそ超自然的な異能、彼女にはモノの記憶を読み取る力があるのだと。新3億円事件を解決したのも、強盗犯が換金ロンダリングした通し番号の一部が発見されたとき、紙幣自体にこびりついていた犯人の顔を読み取ったからだという。


(嘘か本当かなんてどうでもいい。僅かに可能性があるなら。何より、僕みたいなオカルトの前例がある身の上としては、当てにするには充分すぎる情報じゃないか?)


 新宿に辿り着いた後の行動予定。

 ただ、ひたすら有名無実でないことを祈りつつ、僕を認識できるかもしれない希望の名探偵を捜し出す。しかしどうやって?(もちろん決まっている)トイレットペーパーになった僕自身が非現実の権化なのだから逆も然り。


 所在が分からない以上、自ら赴くよりも招く他ない。世間を賑わす有名探偵を呼び寄せる。できるだけ目立って、できるだけ不可能性を帯びた無理難題な怪奇事件、オカルト探偵好みの芸術性を秘めていたら尚良し。


(例えば、そう)

 トイレットペーパー絞殺事件。

 公衆トイレ密室連続殺人事件。

 障害者便所オストメイト・トイレ、謎の大量臓器流出事件。

 壁の落書き(死者の伝言付き)汚物遺棄事件。

 洋式便器ミッシング便座カバー大量盗難事件。

 新幹線和式便器器物損壊時刻表トリック事件。

 給水弁フラッシュバルブで捕まえて花畑事件。

 温水洗浄便座クローズド・サイホン式一極集中、嵐の山荘ミイラ死体事件。


(ううん)


(待てよ)


 トイレから離れようか。それと訂正、やはり人に迷惑を掛けるのは筋違いだろう。仮に、探偵『美都里』が清廉潔白な正義感の強い性格だったとき、犯人が僕だと看破しても、その後いくら情に訴えたところで凶悪犯罪者乙の誹りを免れない。僕の要望に耳を貸してくれるはずがない。


(手軽で派手な犯罪とか?)

(じゃあ、ミステリーサークルはどうだ)


 トイレットペーパーの我が身を利用し、学校のグラウンドや駅の屋根にでも登って一筆、垂れ下がってみるか?殺害予告とか探偵への挑戦状とか。否、想像しただけで稚拙すぎる。どうせデパートの横断幕になるだけ。


(でも、そうだな『挑戦状』というのは、アリかも)

 完全犯罪など机上の空論、ノーベル犯罪賞があったら受賞候補になるだろう。まして、人を殺めず、人を傷つけず、人知れずやってのけるにはアクセルジャンプ級の難易度を要する。アルセーヌ・ルパンや鼠小僧次郎吉だって荷が重かろう。しかし僕は覚悟の問題を説いている。(そうだ)完全犯罪をやってのけるぐらいの意気込みで掛からないと足を掬われる。探偵に挑戦状をプレゼントするにしても、相手にされなければ意味がない。


≪足許にご注意ください。電車とホームの間が広くなっております。出口は右側です≫


(あ、チャンス) 

 いつのまにか場所は西日暮里駅に着いていた。ゼロではないにしても、座席はガラガラ周囲は疎ら、ドア付近に人がいなかったのが僕の丸い背中を後押しした。


(この高さなら、行けるか)


 思い立ったが吉日。

 ドアが開いた瞬間、息を止めて飛び降りた。

 網棚の高さからの位置エネルギーに賭けて。


 昇降デッキを蹴るように跳ね返り、(よし)ホームと電車の隙間を超えたのは早かった。外の乗車客たちはポカンとしている。僕は彼らに踏まれないよう焦らず素早く淡々と、黄色い点字ブロックを転がりながら、当然階段は逆立ちしても絶対無理なので、隣接のエスカレーターに滑り込んだ。東京は右側通行。隠れるように左側で息を潜め、終了間際、接続溝に挟まって巻き込まれないよう一気に駆け上る。


(いざ新宿へ)


(この『閃き』を忘れないうちに)

 カランコロン、空缶の転がる音。


(ううん) 


 今の僕にとっての桃源郷はスラム街であって、ポイ捨て罰金制を掲げる環境美化推進都市など言語道断。公園や広間場、どこにいつ清掃職員が待ち構えているか分かったものではないし、東京都内となれば尚更だ。ゴミ(僕)にとっての危険度は人口密度に比例している。自動車洪水火事幼児、プラス野良猫。そして最後はやっぱり人間。無辜の通行人たちだ。


 踏まれたら最期。


 僕の生命判断は蟻や蚤と一緒。落ちても死なないが、踏まれたら即死である。お年寄りや体の不自由な人々が、横断歩道ひとつ渡るのも大変なのが身に染みて分かる。(今日中に着くか?)まだ空は青かった。歩道を転がるより、電車利用を続けるか迷う。西日暮里なら山手線のほうが近い。乗り換えなしの1本道だったと記憶している。(作戦には準備が要るし、ここは慎重にだよな)最悪、始発時刻まで現状維持。下手に動くより、木陰に隠れて人混みをやり過ごすほうが賢明だ。




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