現 1
「風見さん、聞こえますか」
女性の声がすぐそばで聞こえた。ほのかの声ではなかった。そっと小さく目を開けると、涼は真っ白な場所に横たわっていた。やがてここが病室だと気が付いた。横には白衣を着た男が座っている。すぐに医師だとわかった。女性は看護師だ。
「自分のことがわかりますか」
もう一度看護師は聞いた。小さく頷くと頭の奥がきんきんと痛んだ。
「やっと戻って来られましたね」
医師が安心したように涼の顔を見つめた。
「えっ?」
声を出すとさらに頭の痛みは強くなった。
「戻って来られた?」
何の話かわからない。医師はしっかりと頷いた。
「よかった。このまま戻って来なかったらと心配していたんですよ」
「いや……だから……」
涼が言いかけると医師は答えた。
「現実にです。あなたは夢の中にいたんですよ」
「夢の中?」
医師はもう一度頷くと詳しく話し始めた。
「ずっと夢の中で過ごしていたんですよ。今まで見てきたことは全てあなたが作った夢です」
「俺が作った?」
医師はじっと涼の顔を見つめていた。視線で何か伝えようとしているようだったが涼には何も届かなかった。
夢の中にいた?しかも、涼が夢を作るなど……。ふとあることに気が付き、すぐに医師に言った。
「あの、ほのかは……清谷ほのかって女の子がいるんですけど、どこにいるかわかりますか?」
すると医師はきっぱりと言い切った。
「清谷ほのかさんはもう亡くなりましたよ」
「亡くなった……?」
衝撃で体が震えた。この医師は何を言っているのだろうと思っていた。
「いつ……いつですか……」
「高校の入学式の帰り道です。歩道橋から落ちたんです」
医師は残念そうに俯いた。
「お……落ち……」
何も言葉が見つからない。ただ体ががくがくと震えているだけだ。
「本当に酷い……。まだ一五歳だったそうですね。しかも入学式の帰り道とは……」
医師の話は涼を置いてどんどん先に進む。涼は焦った。
「待ってください。どうしてほのかが死ぬんですか?そんな……一五歳で」
言いながら、この話をどこかで聞いたことがあると感じた。
「それに、俺はほのかと一緒に高校に通ってたんですよ」
「だからそれがあなたの作った夢なんです」
医師の声が涼の心に鋭いナイフのように突き刺さった。
「清谷さんは、あなたの目の前で歩道橋から落ちて死んでしまった。あなたは清谷さんを助けられなかった」
「でも俺、柵には絶対手をかけるなって……」
医師は真剣な眼差しで涼を見た。
「柵に手をかけていなくても、足元に雪が残っていたらどうなると思いますか」
涼は何もかも思い出した。そうだ。慣れない革靴でほのかは何度も足を滑らせた。ほのかは歩き方がうまくなく、滑り止めを付けていても必ず転んでしまう。そしてそのほのかを涼がいつも助けている。だがあの時は違った。涼も体がよろけてしまい、ほのかの方を見ることができなかった。柵が何本か下に落ちていく。そして、突然変な音が聞こえた。今まで聞いたことのない鈍い音だ。ゆっくりと目を開けると、なぜかほのかの姿がない。無意識に涼は足元を見た。歩道橋の下の固い道路にほのかがうつぶせになって倒れていた。まるで糸が切れた操り人形のようだ。涼はその場に座り込んだ。ほのかとの楽しい高校生活が一瞬で奪われた。愕然として何も考えられない……。白く覆われていたものが一気に明らかになった。
「落ちるのは柵だけだったのに、雪のせいで……」
暗い表情で医師は呟いた。
ほのかが死んだ……。入学式の帰り道で……。ぼんやりしている涼に医師は言った。
「あまりのショックに耐え切れず、あなたは夢の世界を作り、夢の中に行ったんです。清谷さんが生きている世界に」
信じられなかった。涼は幻のほのかと幸せな日々を過ごしていた。いないはずのほのかと愛を誓いこれからの未来に胸躍らせた。ほのかが死んだなんて本当に夢にも思わなかった。
体から力が抜けていく。起き上がれる気力などない。
「風見さん、しっかりしてください」
医師は励ますように言ったが無意味だった。
「もう夢の中に行ってはいけません。もう空白の時間は終わりなんです」
言われなくても行かないと涼は心の中で言った。ほのかが死んでしまったという事実を知ってしまったからもうあの世界には戻れない。
「嘘だ……。ほのか……が……死んだ……なんて……」
かすれた声で涼が呟くと、医師が強く手を握りしめた。
「悲しいことですが、事実を受け入れなくてはいけません。……もう清谷さんはいないんです……」
辛そうな表情で言った。涼は虚ろな目で医師の顔を見つめた。




