高 2
高校生になると自立をするために一人暮らしを始める人がいる。涼も一人暮らしをしてみたいと言ってみた。
「一人で何もかもしなきゃいけないんだよ?家事なんか一切したことないのに」
洋子は心配する口調で言った。
「別に自宅から通えるんだから、そんなことわざわざしなくたっていいだろう」
雄一は完全に反対だった。
仕方なくほのかに話すと、目を大きくして言った。
「じゃあ、あたしも一緒にいればいいんじゃない?一人がだめなら二人だったら許してくれるかもしれないよ」
「そうかな」
涼はだめ元でもう一度聞いた。
「ほのかちゃんが一緒にいても……。むしろそっちの方が不安じゃない」
「でも、ほのかはいいって言ってるし」
「ほのかちゃんを護れるの?」
洋子の一言に一瞬口を閉ざした。自分には、ほのかを護る力があるか考えた。だがすぐにしっかりと頷いた。
「大丈夫だ。絶対にほのかを護る。命にかけても護るよ。ほのかを酷い目に遭わせたりしない」
誓うように言った。二人はまだ迷っていたが、何とか許可してくれた。
学校だけでなく家でもほのかのそばにいられるのが最高に幸せだった。一日中ほのかを独り占めできる。こんな日が訪れるとは……。涼は天にも昇る想いだった。
ずっと願っていたことが叶った。本当に神様はいるのだ。もう何も恐れることはない。二人で一緒にいられれば何だってうまくいくはずだ。
ほのかは料理が苦手だった。今まで母親に家事をやってもらっていたので何もわからないと言った。涼は喜んで手伝った。どんなにほのかが失敗したり間違えたりしても、絶対に怒ったりしなかった。何もできない方が子供っぽくて可愛らしく思える。
「またお魚焦がしちゃった」
「いいんだよ。いつも頑張って作ってくれてありがとう」
涼がそう言うと、ほのかは幸せそうに微笑んだ。
ほのかを見つめ、涼はまるでほのかと結婚しているような気分でいた。このまま高校を卒業し、同じ大学に行き、ほのかは彼女ではなく妻になる。そして二人は親になる。家庭を作りもっともっと幸せになれる。この世で一番美しいのはほのかだけだと信じていた。どんなに絶世の美女が現れてもほのかを見捨てたりしない。
高校からの帰りに、涼はほのかにお茶を飲みに行こうと誘った。
「もちろん俺の奢りだから」
すぐにほのかは明るい笑顔を見せた。
「いいの?」
「いいよ。だって俺たちは恋人同士なんだから」
嬉しそうにほのかは頷いた。
おしゃれな喫茶店に入った。ほのかは紅茶、涼はコーヒーを頼んでから、ほのかのおしゃべりに付き合うことにした。話をする時は大抵ほのかの方だ。涼は完全に聞き役をしている。これも彼氏の使命だと涼は思っていた。愛するほのかの気分を損ねることだけは絶対にしてはいけない。ほのかはいろいろな話をする。学校のこと、友人のこと、最近知ったことなどだ。こんなことを言ってはいけないが、はっきりいって涼にとってどうでもいい内容だった。相槌を打ったり「へえ」「すごいな」という簡単な言葉を返すだけだ。しかしその日は違った。
「涼、あの約束忘れてないよね?」
「あの約束?」
涼が目を丸くすると、ほのかはむっとした。
「高校生になったら、二人でスキーに行こうねっていう約束だよ」
「えっ?」
「忘れちゃったの?」
「いや……」
しかしその後に続く言葉が見つからない。ほのかは腕を組み睨むような目をした。
「だめじゃない。あたし、行くの楽しみにしてるんだから」
だがスキーに二人で行こうなんて言葉は一度も聞いていない。
「そんな約束したっけ?」
「したよ!」
怒鳴るようにほのかは声を大きくした。
「ごめんごめん」
笑いながら謝るとほのかはため息を吐いた。
「絶対忘れないって言ってたのに」
「人間なんだから忘れちゃうことだってあるだろ」
「だけど絶対行くからって言ってたよね」
「仕方ないだろ。誰だって約束忘れたりするんだから」
涼も少し声を大きくすると、すねたようにほのかは横を向いた。
涼は記憶を遡ってみた。スキーに行く約束なんていつしたのか。というかなぜ突然スキーの話なんかしたんだろう。ほのかが雪が好きなのは知っているが、スキーもやりたいということは聞かなかった。そしてどうやら涼も一緒に行かなきゃいけないようだ。涼は口には出さなかったが乗り気ではなかった。だがほのかがそう言うのだから従わなくてはいけないとも思った。愛する恋人に反論するなんて絶対にしてはいけないことだ。これも彼氏の使命だ。
いろいろと考えているうちに、目の前が白いもやのようなものに覆われていくような気がした。一気に頭の中がぼんやりする。
「涼?」
ほのかに声をかけられ、はっと我に返った。目の前にあった白いもやが一瞬で消え去った。
「どうしたの?いきなりぼうっとしちゃって」
心配そうに聞いてくる。すぐに涼は言った。
「大丈夫だよ。なんか寝不足だったみたいだ」
すると「よかった」と息を吐いた。
家に帰ってからもスキーの約束について考えた。どれだけ思い出そうとしても無理だ。
「前もスキーのこと忘れてたもんね」
ほのかがまたおかしなことを言ったせいでさらにわかりづらくなる。前とはいつだ。結局その日は何も答えが出ないままだった。
ベッドの中で、涼はうつらうつらしていた。現実なのか夢なのかよくわからない。目の前が真っ白で何も見えない。雪の中にいるように空気がひんやりと冷たい。そして涼は一人きりでその白い空間に立ち尽くしている。
「ここはどこだ……」
そういい終わる前に、すぐ近くで何か変な音がした。今まで生きてきて一度も聞いたことがない音だった。どくどくと鼓動が速くなった。音がした方にゆっくりと目を向けた。
涼は勢いよく起き上がった。なぜか体が冷や汗でびっしょりしている。悪い夢だったようだ。
「……ほのか……」
無意識に小さく呟いた。体ががたがたと震える。不安と恐怖が襲いかかり、一睡もできなかった。
朝になり、自室から出るとほのかは驚いた。
「バケツの水ひっくり返したみたい」
ふざけて笑っていたが、涼はそんな余裕はなかった。嫌な予感が胸に溢れていた。あれは夢ではない。どこかで実際に見たことがある映像だと思っていた。




