57章 淡き恋心への鎮魂歌
与えられたヒントを元に、僕等は出口の物置から玄関へ向かおうとしていた。そうだ。せめてもの追跡妨害に、秘密の出入口を塞いでしまおう。
疲弊した小晶さんをドアの前で休憩させつつ、僕は書籍の詰まった二つの木箱を移動させた。―――良し、これで簡単には出て来られない筈だ。尤も、地下水路から回り込んでこられる可能性は十二分にあるが……。
「お待たせしました。さ、行きましょう」こくっ。
敵の気配に警戒しつつ、廊下を歩いて正面玄関へ。その道中、これから取る行動について再確認した。
この世界は僕の夢。そして以前別な夢を歩き回った時、まだ仮面を被っていたセミアさんが言っていた―――人の夢は一冊の物語だ、と。そして更に彼女は叫んだ、物語を燃やして進むなんて!?そんな乱暴な手段を考え付くのは、僕等の身近にたった一人しかいない。
(望んだ訳じゃないけど、『妄執』も所詮は物語の登場人物。なら火を点けて、灰になるまで全部燃やしてしまえばいい―――!)
丁度ズボンのポケットには、朝の支度に使うマッチ箱が入っている。後必要なのは、奴等を灰燼に化すだけの火力。その答えも、さっき小母さんが命懸けで教えてくれた。
(あの夜、教会には大量の花火が保管されていた。主の僕が望むなら、必ず現れている筈だ!!)
幼い頃よく屋敷の庭へ出、家族揃って眺めた閃光。まさかそれで愛する姉弟を殺す日がやってこようとは、一体誰が想像しただろうか。
開け放たれた玄関を抜け、夜のプルーブルーへ。あぁ……僕が死んだあの日と寸分違わぬ月だ。予想通り、この夢世界では百年前から時間が完全に停止しているらしい。月が沈む事も、日が昇る事も無く、おぞましい運命に縛り付けられた人々と化物だけを住民にして……。
「―――あの、小晶さん」「?」「いえ……済みません、何でもないんです。早く行きましょう」
片想いの人の腕を取り、月光に輝く無人の坂道を下り始める。何千回と通った街路も、そうしているとまるで初めて歩くように感じた。
(そう言えば前は、この道一面に棺が置いてあったな……)
今思えば、あれは全て『蛇達』の犠牲者だったんだ。彼等を解放するためにも、早く元凶を焼き尽くさないと。
「?あれは、まさか……!!」
坂の終点に母校の懐かしいセーラー服を見つけ、歩調が早まる。
「委員長!?」「クアス君」
振り返った彼女は眼鏡の奥からはにかみ、両手を背中に回して恥ずかしそうに俯いた。
「良かった、無事で!『蛇』は、まだここには?」
「大丈夫。それより、その人は誰?」
繋いだ手の先を見、訝しげに尋ねる。
(?名前を知らないなら分かるけど、顔は見た事ある筈なのに。いや、棺で眠っていた委員長と今の彼女が同一人物とは限らないのか)
「彼はえっと……僕の、とても大事な人です。小晶さん、こちらは僕の同級生の―――どうかしましたか?」
これまで大人しかった希望の象徴は、明らかに少女を警戒していた。弱いながらも、掴まれた腕に力を籠めているのが何よりの証拠だ。
「?この人も私と同じ対人恐怖症?」
「いえ、記憶ではそうでもなかった筈ですが……」
パーティーでの様子を思い出しつつ返答する。しかしこのまま立ち話している訳にもいかず、僕は先を急ぐ事にした。
「済みません、僕達急いでいるんです。委員長は全てが終わるまで、『蛇達』に見つからない所に隠れていて下さい」
「ううん、私も付いて行くわ。これでも牽制ぐらいは出来るから」
J氏の拳銃を手に言う彼女を、危険です、僕はやんわり止めた。
「それに、もうこれ以上あなたを巻き込むなんて出来ません」
「二人だけの方がもっと危ないよ。ほら、行こう!」
そう言って、強引に槍を持つ方の手を取られる。祖父達はそうでもなかったのに、その掌は酷く冷たかった。
「仕方ないですね―――っと!?」
一歩踏み出しかけた瞬間、左腕を強く引かれ、危うくバランスを崩しかけた。
最愛の奇跡使いは、今や明確に無言の警告を出していた―――行ってはいけない、と。
「何してるのクアス君!?追い付かれて食べられたいの?」
「……委員長、一つ訊いてもいいですか?」
思い出した。御伽噺の『蛇』は、親しい人に化けて騎士を惑わすのだ。
「何?」
「僕の乳母から貰ったプレゼント、まだちゃんと大切にしていますか?」
「ええ、当たり前じゃない。どうしてそんな事訊くの?」
僕は小さく嘆息した後、強引に手を振り払った。
「っ!クアス君!?」「あの時貰ったのは現金だ!しかも当日中に、二人で綺麗サッパリ使ってしまった!!」
出店でのランチの後、僕等は彼女の提案でカジュアルショップへ行った。残金で僕の私服を買うためだ。
『クアス君は格好良いんだから、もっとオシャレに気を遣わなきゃ』
学校では地味な委員長が、そう言いつつ意外なファッションセンスを発揮して選んでくれたのだ。そのコーディネートは姉以外の家族に好評で、しばらくそればかり着ていた記憶がある。
「走りますよ、小晶さん!!」
頷く間も無く駆け降りる背後から、本性を現した『雌蛇』の這いずる音が聞こえてきた。
「待て!!!」「ケッ、姉貴のドジ!!」
住宅の角で待ち伏せしていた『雄蛇』を一薙ぎで払い、スピードを落とさないまま斜面の終わりへ。しかしどうする?教会までまだ数キロある。走るにしても、僕はともかく小晶さんの体力が、
ガチャン!「ぎゃああっっ!!」
硝子の割れる音と、怪物の悲鳴。思わず振り返った先には、
「―――ごめんね、クアス君。本当はもっと早く助けたかったんだけど」
「仕方ないさお嬢ちゃん。俺達はあのバケモノ共よりずっと弱い。こうやって出て来られたって、何時まで姿を保てるか」
手にした硝子瓶を掲げ、武器を取り戻したJ氏を隣に、永遠に十七歳の同級生は怪物と対峙する。
「駄目だ、二人共!?そいつ等は」
「分かっているよ。こうして概念上の人魚の聖水を具現化したって、気休めにしかならない」
「でもな―――どんなに絶望的でも、俺達は最後まで戦わなきゃいけないんだ。君を助けるために、な」
不運な記者はフッ、と笑う。
「全く、つくづくとんでもねえヤマに首突っ込んじまったよ。哀れに思うなら早く成仏させてくれ」
「ええ、任せて下さい。この街の衛兵として、皆さんを必ず在るべき場所へ送って差し上げます」
祖父や乳母同様、説得は無駄らしい。死者達を信頼し、この場を託すしかないようだ。
「―――クアス君、一つだけお願いしてもいい?」
歩み出しかけた僕に、顔を真っ赤にした勇敢な同級生はそう声を掛ける。
「あの……一回だけ、名前で呼んでくれないかな?えっと、知ってるよね、私の本名」
「え、ええ。じゃあ―――」
聖水で受けた火傷を早くも回復させた『蛇達』が、復讐心を滾らせて二人に突進し始める。拳銃が火を噴き、毒牙を砕かれた『雄蛇』の頭が仰け反った。
「Jさん!それに―――レナさん!!どうか無茶はしないで下さいね!!」
転身して戦場を離脱する僕の耳へ、二人の会話が微かに聞こえてくる。
「気分はどうだ、お嬢ちゃん?」
「最高に決まってるじゃないですか。これで仮令、消滅したって悔いはありません」
見なくても容易に想像出来る。きっと彼女は満面の笑みを浮かべ、襲い来る圧倒的脅威をその近眼で捉えているのだろう。
「さあ―――戦闘開始です!!」




