52章 終わり無き悪夢
奇妙な夢を見た。
どうやらそれは、姉のこれまでの生涯のようだった。幼い頃から独占欲の強い、彼女の焦燥が嫌でも伝わってくる。
―――どうして私を一人の女として見てくれないの!?こんなに美しく気品があって、何よりあなたを宇宙一愛しているのに!!?
焼け付くような怒りに、乳母が、祖父が、委員長やJ氏、そして―――両親や、その他大勢の人々が為す術無く殺められていく。
(止めろ!止めてくれ……頼むから、もう皆を苦しめるな!!)
―――大いなる神の子よ。
次の場面はあの古い教会。祭壇の前にはシスターがいた。白い法衣を纏い、胸には漆黒の薔薇が一輪。
―――あなた、誰?
―――私は主の信仰を伝える者。稀なる真の愛を持つ者よ。あなたの境遇には、主も大いに嘆いています。
―――……何ですって?
万能の神が、自分を憐れむ?この女、ペテン師か?
―――あなたが愛したのは、この海を住処とする清廉な人魚の系譜。しかし何たる不幸の巡り合わせ。半分しか血の繋がりが無いにも関わらず、彼とあなたは戸籍上の姉弟。あなたが幾ら無尽蔵の愛を与えようと、未来永劫返される事は―――無い。
―――……そうよ、その通りだわ。
愛しても愛しても、絶対に唯一無二にはなれないハンデ。これを理不尽と言わずして、何と表現すればいい?
―――ですが安心して下さい。愛を持つ者に、主は寛容で慈悲深い。
―――なら神は、どうしてあの女の頭を砕いてくれなかったの!?いいえ、そもそも最初からあんな奴存在していなければ!!
委員長をそんな風に罵るな!登校しなくなった後も僕を色々気遣ってくれた、頑張り屋で優しい彼女を……!!
―――それは、あなたに課せられた試練だからです。
―――試練?無宗教の私に、神は試練を与えたのですか?
無意識の内に固い警戒心を解き解されていた姉は、真摯に尋ね返す。
―――ええ。何故ならあなたは、明晰な魂の持ち主。そこに真摯な信仰心が加われば、同じ場に在るだけで誰もが心揺さぶられる存在になるでしょう―――勿論、恋焦がれる彼も。穢れ無き者と分かれば自ら走り寄って来る筈です。
(こんな大嘘を吐いた所で、シスターには一分の得も無いわ。とすれば、全ては真実……)
御使いは祭壇にあった聖書を取り、姉へと差し出した。受け取ろうとした紅色のマニキュアの指が、不意に男の逞しいそれへと変わる。
―――出会いの記念にこれを贈りましょう。刻印された一文字一文字が、あなたの潔白な魂に受けた傷を癒してくれる事を願って。
―――サンキュー、シスター。
(駄目だ、二人共!!)
僕は音にならない声で叫んだ。
(その歪んだ強い想いが、この悪魔を呼んでしまったんだ。そのままだと、何もかも滅茶苦茶になってしまう。僕を想うなら、どうか人に戻って……!)
そこで、はたと目が覚めた。
「ここは……」
「牢屋に逆戻りね」
聞き間違いではなく、はっきりと頭蓋の中から姉の声がした。起き上がりかけ、又もや失神しそうになる。
「ねえ、さん………!!?」
服は胸部よりを下を脱がされていた。そして腹に埋まり、上半身を生やした『雌蛇』は手中の巻貝を見せる。
「ほら、波の音がするわ。さっき取って来たのよ。アスが欲しがっていたから」
「それ、ずっと小さい頃の話じゃないか……それより、どうしてそんな姿に……?」
答える代わりに、更にズブズブと僕の体内へ沈んでいく。内臓を押し潰されそうな苦痛が一瞬起こった後、水の染みだけ残して物理的には完全に消滅した。
ドクンッ!心臓が破裂しそうな程強く鼓動した。『雌蛇』が、いる……!!!「あ、あぁっ……!!」
圧迫感と嫌悪に喘ぐ僕を、体液と化して脳内へ昇って来た姉は嗤った。
「『蛇』はまだ過渡期だったのよ。『器』と一体になって、初めて完全体となる。こんな風にね」
姉の魂が粘ついて僕の物に張り付き、そのまま飲み込まれていく。同時に人格がどんどん意識の底へ追いやられ、厭と声を上げようにも唇は開きさえしなかった。
「やっぱりアスは優しい子だわ。だけど、その甘さが命取り」
そう言って、僕が発した事の無い嘲笑を放つ姉。
「へえ―――こんなになっても、まだあんな子が気になるの?」
止めろ!僕の心を読むな!!
「あらあらムキになって。いいじゃない、もうすぐ永遠に一緒にいられるんだから」
!?どう言う意味だ!!?
「それは勿論、あら」
コツ、コツ、コツ。聞き慣れた靴音にあーあー、『雌蛇』は声色を調整した。
「あれ兄貴、姉貴は?」
「……融けたよ、僕の中に」
「へ?」
吃驚する弟の背中に腕を回し、娼婦のように口付ける。唾液を吸った拍子に粘着質な水音が響く。
「お、おい!?」
「彼に嫉妬していたんだ、姉さん。その事で喧嘩になって、気付いたら委員長みたいに……!」
「そ、そうか……『蛇』は?」
「分からない。そのまま一緒に融けたか、体内の『蛇』と紛れたのかも……どうしよう……僕、姉さんを殺してしまった……!!」
つー……偽りの涙が頬を伝う。騙されるな!姉さんはお前の目の前にいる!!
「―――大丈夫、兄貴には俺がいるだろ?」
邪魔者が消え、弟は心底嬉しそうに言う。
「姉貴の事は残念だけど、自分を責めても仕方ないさ。それよりも、これからどうするかの方が問題だ」
子供をあやすようなキス。
「その事なんだけど……」
絡み付く腕を離し、僕は先に牢を出た。後を付いて来る彼がガジャリ、何か硬い物を踏み潰す。
ホールへ行き、本棚から魔術書を取る。姉と同化したせいか、開いたページがすらすら読めた。
「喧嘩の前にシスターが来て、二人で話し合っていたんだ。―――今夜、例の聖族達がここへやって来る。しかも何故かあの人も一緒に、ね。ただ、パーティーに来ていた聖族だけは遅れるらしい。だからこれを使って彼に化け、奴等を油断させる」
「兄貴、魔術なんて使えるのか?」
「この術はインクで紋様を描く方式だ。僕に魔力が無くても、道具さえあれば問題無いよ。持続時間は大分短くなるけど」
そう説明しつつ、棚の一番下から黒すぐりジャムのような中身の瓶を取る。
「だから、お前にも協力して欲しいんだ。何も知らない振りで奴等と合流し、この部屋まで連れて来る。二人で不意を突けば、相手が何人だろうと関係無い」
「?何でわざわざ誘き寄せるんだよ?上で始末しちまえばいいじゃん」
「駄目だ、それだと逃げられる。ここなら地下水路は別として、人間が出入り可能なのはあの階段一つ。どちらかが塞いでおけば、敵は袋の鼠だ」
融解で思考まで混じり合っているのだろうか?姉が僕の口を借りて話す計画は、僕等衛兵が街で犯罪者を捕まえる方法に近かった。
「凄いな兄貴!姉貴の雑な作戦よりよっぽど実現出来そうだ!!」
脳内の姉が嘲り笑っているとも知らず、弟は目を輝かせた。
(餓鬼ね、相変わらず。今までの作戦が上手くいかなかったのは、全部あんたのせいでしょ?ホント馬鹿でヘタレの変態野郎。アスだってそう思うわよね?)
「でももしかしたら、連中はこちらの策に気付くかもしれない。そうなったら僕が何とかするよ」
「嬉しい、守ってくれるの?」
ニンマリ。
「俺、頑張って兄貴の役に立つよ」
「ああ、頼む」
騙されているとも知らないで、いい気なものね。軽蔑の言葉が頭に響いたのを最後に、僕の意識は再び途絶えた。




