27章 果て無き旅へ
翌朝。
昨夜の約束通り、タダのフレッシュオレンジジュースとピザトーストの朝食を食べながら、童顔の武芸者は傷の具合を尋ねた。
「もう大丈夫だ。君の応急処置が良かったお陰だな、ありがとう」
「いえ。それよりも、本当に警察は後でいいんですか?怪我もしていますし、流石に捜査してもらえるのでは」
「それじゃ駄目だ。決定的な証拠が無い限り、奴等は金で揉み消しに掛かるだろう」
断言。
「しかし、危険です。また襲われたら」
「今度はちゃんとこいつを持って行くさ」
ベルトに提げたホルダー内の拳銃をポン、と叩く。
「『彼』にも協力を仰ぐしな。心配無い」
「それも問題です。あなたの話が本当なら、彼は……」
不安げな主人の横では、暢気なオウムが皿のパン屑を啄ばんでいる。中々口達者で、昨夜宿に入る時も「いらっしゃい!安いよ安いよ!」と言って従業員を吃驚させていた。
不安げな声に、だがゆっくり首を横に振る記者。
「俺だって裏切られる可能性は承知の上だ。だが、このまま被害者達が泣き寝入りするのを、あの正義感の強い子はきっと赦さない。俺はそう信じている」
固い信頼に、あなたがそこまで言うのなら……、武芸者は渋々頷いた。
「でも、くれぐれも気を付けて下さい。僕の勘が正しければ、奴等は―――他人の命を奪う事を、恐らく躊躇いもしないでしょう」
果たしてどんな人生を歩めば、あんな暗い目をするようになってしまうのか。
目の前の彼には誤魔化したが、二人はまず間違い無く手に掛けた事がある筈だ。自分と同じ、血に飢えた人殺しの臭いがプンプンするのだから……。
「だろうな」
「済みません。あと一日早ければ同行出来たのですが……」
良い感じにチョイ悪親父化した親友を、そして未だに想い続ける初恋の恩師を思い出しながら、少年は謝罪した。
「昨日助けてもらったので充分だよ。下手したら鮫の餌だったんだ、朝飯ぐらいじゃ礼にもならないな。何か、他に欲しい物はあるか?」
「なら旅、いえ」
本音を言えば嵩張らない金銭だが、怪我人にたかるのは気が引けた。
「……そうだ。“赤の星”にある、ラブレ中央学園を御存知ですか?僕の母校なんですけど、良ければ幾らか寄付して頂けると嬉しいです」
「ああ、随分若い理事長がいるって言う名門校の。へえ。君、意外とお坊ちゃんなんだな」
「昔の話ですよ。―――あなたを救出出来たのも、三割ぐらいは『あいつ』の功績ですから。少しは恩を返しておきたいだけです」
そう言って、今年三十九歳の中退生は運ばれて来たブラックコーヒーを啜った。
その一時間後。
裏口から客の不在を確認した武芸者は、音を立てずにドアを開き中へ。だが、こっそり与えられた部屋へ戻ろうとした時、後ろから声を掛けられる。
「!?女将さん、済みません、突然出て行ってしまって……」
頭を下げる。
「そんな、謝らなくていいのよ。お客さんに事情は聞いたから」
「え?」
「進路の事で親御さんと大喧嘩して、もう何ヶ月も家出中なんでしょう?親戚の小父様が全部教えてくれたわ。自分に見つかったから、今日にも荷物を取りに来てここを立つだろうって」
全てお見通しか。流石は人生最高の親友だ。
「ええ……今まで黙っていて、本当に済みませんでした。ところで、彼は?」
「朝食を終えて、海岸へ釣りに行ったわ。いつもフラッと来たと思ったら、二、三日のんびりしてフラッと帰るの、あの人」
そう話しつつ自室へ。卓上の皮袋に手荷物を纏めるため口を開くと、そこに見慣れない封筒を発見した。中身は十数枚の紙幣と硬貨、そして一枚の便箋。
「―――あいつらしいな」
読んだ紙片を四つ折りにし、封筒ごと元通りに仕舞って、もう一度笑う。
三十分後。着替えと最終点検を終え、二人と一羽は玄関にいた。と、女主人が後ろ手に隠していた風呂敷包みを差し出す。
「はい、お弁当よ。ハイネ君、前に私の鮭お握りが好きって言っていたでしょう?あと、少ないけれどバイト代も入れてあるわ」
ニッコリ。
「今日まで本当に御苦労様。二人がいてくれて凄く助かったわ」
「こんなにですか?そんな、悪いですよ」ポリポリ。「……しょうがありませんね。じゃあ、今度はきちんと客として来させてもらいます」
「貧乏はーね!おととい来やがれ!!」
「ふーちゃんってば、もう」
苦笑。
「また何時でも訪ねて来てね。格安料金で泊めてあげるから」
玄関ドアを開けて外へ出ると、冷たい潮風が頬を撫でた。空は快晴。旅人の出立にはもってこいの天気だ。
船着場へ続く通りを歩みかけ、ふと振り返った。見送る中年女性は、寂しそうに目尻へ涙を浮かべている。彼は一瞬考えた後、頭上のオウムを掴んだ。
「ギエッ!暴力反対!?」
「違うってば。―――ふー、これからは君が女将さんを助けるんだ。受付番ぐらいは出来るだろ?」
「簡単!楽勝!ふーちゃんってば天才!!」
吠える鳥に対し、困惑する宿の主人。
「え、でも……いいの?」
「ええ、こいつは女将さんに懐いていますしね。大丈夫、旅の相棒ならまた気長に捜しますよ」
解放された鳥は歓喜の声を上げて飛び立ち、早速新たな飼い主の肩へ。
「本当にありがとう。大事にするわね……」
満面の笑顔の隣で、元パートナーも片翼を上げて別れを告げる。
「はーね、掘られろ!」「こら!縁起でもない事言うな、この馬鹿オウムめ!!」
そうやって一頻り笑い合った後。『クローバーの家』に残された一人と一羽は、手を振りながら武芸者、ハイネ・レヴィアタを見送った。纏った鮮やかな蒼い長袍が見えなくなるまで、何時までもずっと……。




