19章 切なき人魚の呪い
「待てぇっ!!」
場面転換して早々、船着場と街を繋ぐ門の見張りをしていた僕は、定期船から走り出て来た男性へ槍を水平に構えた。小脇に抱えた大きなバッグに、叫びながら追い掛けて来るサングラスの男。置き引きかはたまた引っ手繰りか、とにかく白昼堂々の犯罪行為には違いない。
「どけっ!」「はっ!!」
柄で足を払い、転ばせた所で素早くバッグを回収。息を急かせ追い付いてきた持ち主に差し出す。
「どうぞ。中身が壊れてないといいのですが」
「あ、ありがとう……あっ、手前!?」
「待てっ!!」
戒めの力が抜けた一瞬の隙に、槍の下から脱出する犯人。しまった!普段なら持ち場には同僚が一人いるが、さっきトイレに立ったまま戻ってない。逃げられる!ところが、
バシッ!!「あう!!」
窃盗犯の顔面に、門のすぐ横道から突如現れた冷凍カジキマグロの腹が直撃。仰向けに気絶する大人を見やり、持ち主の十四、五歳の少年が食材を肩へ背負い直す。
「あべし、あべし!」
「まだ死んでないよ、ふー。―――ほら、騒いでないで早く戻るよ。女将さんが待ってる」
尚も喚く黄色いオウムを頭上に、年下の彼は会釈して商店街方面へと去って行った。
人へ変化したマリアが家に現れたのは、丁度その後。窃盗犯を警察に引き渡し、無事本日の業務を終えて帰宅したタイミングだった。
「―――これは呪いよ。あなた達はこれから、一族同士で共食いをするの。私の大事なラベルグを……あの人を殺した報いをたっぷり受けなさい」
彼女はそう宣言し、バルコニーに背中を向けたまま海面へ落下。
バシャンッ!!「待って、マリア!!」
居合わせた両親、それに姉弟は余りのショックに呆然としている。そんな彼等を置いて、僕は一人玄関を飛び出した。
長い坂道を駆け降り、近場の砂浜へ。マリアの墜落現場まで泳ごうと、靴を脱ぎかけたその時だった。
「どうしたの、アス?そんなに慌てて」「っ!!?マリア!!」
悠々と泳いで来た人魚は、今正に飛び込もうとした所から顔を出しそう尋ねた。
「そりゃ吃驚もしますよ!あの高さだから、落ちて怪我をしたかと……!」
「馬鹿ね。私は海の者、あれぐらい平気よ。―――でも、心配してくれてありがとう甥っ子君」
「どういたしまして……ところで、どうして突然あんな嘘を?」
「嘘?」
鼻を不快そうに鳴らす。
「偽りなんて無いわ、全て本当の事よ。私は昔、あなたの一族に呪いを掛けたの。虐殺したヤーシェの血を受け入れた者達は、発動と同時に自らの意志と関係無く殺し合うの。そうして全ての鎖が一つに集まりし時、ラベルグは永遠を得、この海の主となり蘇る。そして私も、巫女として共に永い時を生きる存在になる」
打ち明けられた余りの真実に、頭が真っ白になった。
「マリア……何を、言っているんです?それは……ラベルグ伯父さんを生き返らせるために、僕等を殺すって事、ですよね?」
「勿論全員じゃないわ」
ザァ……ザァ……夕闇を帯びた砂浜へ、細波が静かに打ち寄せる。
「まず当たり前だけど彼の直系の血縁者、つまりあなたは死なない。あと、さっきの年を取った女性のヤベル」母の事か。「彼女からも血の気配を感じなかったわ。だから呪いの範囲外」
そうか。人魚を食べてしまったのは、あくまで父の親類縁者。母は全くの部外者だ。
だけど信じたくない。叔母が笑顔の下で、こんな恐ろしい計画をずっと隠していただなんて……。
「じゃあ、父さんや二人は……」
「死ぬわ。多分、他の親戚も殆どいなくなっちゃうんじゃないかしら?寂しくなるわね」
冷酷に告げた人魚の頬に、海水でない一筋が伝う。
「ごめんなさい、アス……でも私、どうしてももう一度ラベルグに会いたいのよ……!」
僕は服を着たまま彼女の元へ歩み寄り、差し出した右手で涙を拭き取った。
「―――ずっと耐えていたんですね、マリアは。伯父さんが死んでから、たった一人でずっと……」
僕もこれから家族を失うと思うと、辛さで胸が一杯になる。けれど、この広い海で気の遠くなるような孤独と生きてきた叔母を、一体誰が責められるだろう?
「あなたの事、一生赦しはしません」
「今私を殺せば、呪いは止められる」両腕をだらりと左右に下ろし、無防備を示す。「アスに殺されるなら本望だわ」
白く細い首へ伸ばしかけた腕を、だが三十センチ手前で引き戻した。
「―――僕にマリアを止める資格なんて無いよ。その代わり、最後まで見届けさせてもらう。僕等一族の、犯した罪に対する罰を……」
そう宣言した僕の手を、マリアは不意に取った。
「きっと見ていられなくなるわ……あなたは優し過ぎるもの。ねえ、呪いが成就するまで私と一緒に来ない?見たがっていたヤーシェの遺跡を色々案内するわ。興味―――誰!?」
振り返った先には、顔面蒼白の父が立っていた。運動不足の脚で余程急いだのだろう。今にも心臓発作を起こしそうな程荒い息を吐き、胸を押さえ猫背になる。
「父さん!?」
「今の話、本当か……!?本当に兄さんが……!!」
「ええ。但し、あなた達ほぼ全員の命と引き換えにね」
腰に手を当て、挑発的に言う。
「どう?今の内に懺悔するなら聞いてあげるけど」
理不尽に激怒するかと思いきや、父はスーツが砂塗れになるのも気にせず膝を着き、叔母に跪いた。
「頼む!兄さんを生き返らせてくれ!!この通りだ……!」「!?父さん!!自分が何を言っているか分かっているの!?」
息子の絶叫に、しかし彼は静かに首を横へ振った。
「これでいいんだよ、アス……私はずっと、どうしたら兄さんに償えるか考え続けていた。こうしてお前を育てたのも……だが奪った物を返せるなら、これ以上本望な事は無い」
「でも!?」
「そう悲しい顔をしないでおくれ……お前にとっても、傍にいるのは本物の父親の方がいいんだよ。これからはあいつとそこの彼女と、四人で仲良くやっていくといい。後の手続きは私が全部しておくから……」
長年の憑き物が落ち、幸福な表情を浮かべた父は、立ち上がって静かにズボンの砂を掃う。
「マリアと言ったか、人魚―――どうか、この子を宜しく頼む」
「言われなくてもそうするわ」
「そうか、ありがとう。ではな」
通りを意気揚々と戻って行く父を見送りながら、変な男ね、自ら命を放棄するなんて、呆れたように呟くマリア。
「気持ちは分からなくもないけれど、でも……ねえ、やっぱり一緒に行きましょう?昨日、とても恐ろしい夢を見たの」
懇願に、だが首は横へ振れた。
「嫌です。父さんはああ言っていたけれど、自分だけ安全な所にいるなんてとても出来ない」
「違うわ。―――あなたが『蛇』に全身絡み付かれて、子供みたいに泣き叫んでいたの。あれがただの夢とはどうしても思えなくて……!」
巫女の勘に突き動かされてか、彼女は何時に無く必死に説明する。
「あんなの、私の呪いじゃないわ!そうよ!今にきっと、呪いよりずっと恐ろしい事が起きてしまう……こんな酷い叔母さんでも、あなたを守りたいの!ラベルグに会わせる前に死なせる訳にはいかないのよ!!」
「何を……所詮は御伽噺の敵役でしょう?封印の場所にしたって、本当にそんな怪物がいたかどうかも分からないんですよね?」
肩を叩き、興奮を宥めようとする。
「きっと呪いの負担で変な夢を見たんです。心配のし過ぎは身体に毒ですよ」
「だけど……!」
尚も不安がる叔母へ、僕はある提案をした。
「ならマリア。もし『蛇』の気配を身近に感じたら、僕は真っ先にあなたへ相談します」
「悠長な事を。いい?『蛇』は親しい者に化けるの。危険だと思ったら、すぐにこの海へ飛び込んできて。私もこれからヤーシェの居住地へ行って、退治に役立つ物が無いか探してみるわ」
出された案を一蹴しつつも、人魚はそう確約してくれた。




