20章 考察・2
「―――と言う訳で、『奴』の可能性は限り無く低いと思うぞ」「そうか、御苦労」
戻った部下からの報告を聞きつつ、副聖王は商店街の水道工事の申請書に判を押す。この街の行政は全て政府館が担っているので、他の街で言う役所は存在しない。余分に手間は掛かるが、お陰で人件費のコストが浮いているのだから文句は言えないだろう。
伊達モノクルを嵌めた不死省所属政府員、ラキス・フォナーは報告を終え、徐にソファから立ち上がる。
「もう質問が無いなら、俺は行くぞ。向こうの仕事がまだ残っているんだ」
「本当に不審な点は何も無かったんだね?」
質問しつつ、例の玄孫の書類を入れた抽斗を開ける。現在、その上には資料室から借り出した“人魚連続失踪事件・追記”が押し込んであった。
(『奴』の勤務態度は極めて良好だ。だが辞表は例の事件の一月前、大学受験までまだ間がある二月に提出されている。しかし元家庭教師の証言だと、その時点で既に受験予定の二学部共、合格ラインを充分突破出来る実力だった。そんな人間が、好き好んでやっていた仕事を半年も前に辞めるだろうか?)
不可解なのはそれだけではない。周辺関係者の証言を幾ら見ても、凡そ『奴』には動機が無いのだ。そもそも『奴』は死の直前、こう言ってなかったか?―――自分は人魚の血筋だ、と。
(海の家の老人の証言でも、魚のように自在に海を泳ぐ事が出来たとある。だとすると、ますます有り得ない)
未だあの蒼き海に住んでいるであろう、金髪の人魚を脳裏に思い浮かべる。
(『奴』の相貌から考えても、だ……幾ら復讐とは言え、彼女が大切な肉親にまで死の呪いを掛けたとは思えない。即ち―――毒を以って毒を制す必要など初めから無かった。しかしそれなら、僕等が殺した『あいつ』は一体……)
「ああ、全然」
「成程。どうやら僕の思い違いだったみたいだね。ところでその袖どうしたんだい?汚れてるよ」
「へっ!?ありゃ、何時の間に」
白い布地に付着した緑色の染みを指摘され、狙撃手は誤魔化し笑いを浮かべる。瞬間、百年来の付き合いの上司がダンッ!拳を机に叩き付けた。
「おい、ラキス―――お前、先に誠へ喋ったな?」
腕組みし、眉間に皺を寄せて詰問体勢を取る副聖王。
「そ、そんな訳無いだろエル?幾ら俺だってそれぐらいの分別は付いて」
「ほう。つまり“黒の燐光”の力で命令されれば、意志に関係無くベラベラ喋っても致し方無いと」
「ぐっ!」
「図星か。―――いいか、今度こそ漏れの無い報告をしろ。すっとぼけたらどうなるか、分かっているだろうな?」
「うぐぐぐ……」
脂汗を掻き、死後刻み直された遺伝子と勤務査定の間で葛藤し始める。永遠とも思える一瞬を終わらせたのは、少し沈んだ中性的な声だった。
「―――倒れたんだって、私の写った写真を見て」「!!?」
現れた聖王代理兼不死王は、静かに首を横へ振る。
「いいんです、ラキスさん。丁度相談しに来た所ですから」
「けど坊ちゃん!?」
「大丈夫です。だから、もう行って下さい」
部下を下がらせた蒼白い麗人は執務室へ入り、生者とは異なる心臓を押さえた。
「今度の休みに私、プルーブルーへ行ってくるよ。マリアさん達、きっと凄く心配しているだろうから……」
「今の奴は記憶喪失の上、重度の水恐怖症だ。あそこへ連れ戻す事は出来ないぞ」
「ううん。ラキスさんの話だと、彼はそれとなく自分の過去について質問したみたい。恐らく」
「記憶が……戻りかけている、と?なら尚更行くな。奴は傷害犯だし何より、過去に君を……」
一世紀前の惨劇を思い出し、無意識に顔を背ける。
「―――駄目だ、駄目だ!人魚達に報告だけして、君はもうこの件から手を引くんだ!!」
幾ら最低とは言え、彼にもしもの事があったら実兄に申し訳が立たない。
普段冷静な友人の変貌に驚きつつ、彼は小さく首肯した。
「……分かっているよ。今私が会いに行っても、治癒を妨げるだけだろうから……」
「ああ。クオルにはうちの曾孫と、アルバイトの宝 那美が出入りしている。今度、治療進度について尋ねておくよ」
提案しながらも、一抹の不安が過ぎるのを抑えられない。この優し過ぎる友人が、こっそり『奴』を訪問しないかが……。
氣を通じ、こちらの感情を察したのだろう。怯える彼に、折角来たんだ、コーヒーでもどうだい?部屋の主はそう提案した。




