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14章 乳母夫婦との再会



 場面が替わっても、まだ僕は委員長だった。何故僕の記憶には、こんなにも彼女の物が沢山あるのだろう?

 まだまだ残暑とも呼べない九月の、特に日射しの強い昼前。向日葵柄の白いワンピースを着た彼女はハンドバッグ片手に街を歩き、キョロキョロと何かを探す。

 数分後。十字路の所で、彼女はそれを無事発見した。まだ若干ぶかぶかの衛兵の制服を着、槍片手に老夫婦と談笑する僕を。


「お仕事の見学に来たよ、アス君」「あ、委員長。こんにちは」


(今年は副委員長なんだけどね。ま、いっか)

 今更名前で呼ばれるのも恥ずかしいし。

「おや、アス君の友達かい?可愛らしい娘さんだね」

 還暦前後の男性は裕福らしく、アロハシャツに某有名高級腕時計をさり気無く嵌めている。

「ちょっと会わない内に隅に置けなくなったわね。そうだ」

 松葉杖を突いた奥さん、乳母はそう言って革財布から数枚の紙幣を取り出した。

「今日案内してくれたお礼。これで彼女と食事にでも行って来なさい」

「そんな、悪いですよ小母さん。ちゃんと給金も出ているし、チップなんて受け取れません」

「じゃあお嬢さん、どうぞ」

 予想済みだったらしく、クルッ。彼女はこちらの手を掴み、素早くお金を握らせた。その掌を開き、想像以上の大金に目を見開く。普段の二ヵ月分の小遣いを与えられ、真面目な女子は軽いパニックに陥る。

「は、初めて会った方からこんなに貰えません!」

「いいからいいから」

 返そうとしたが、強引に突き返された。相手の脚が不自由と言うのも一因になり、渋々財布へ収める。

「あ、ありがとうございます……えっと、アス君。この人達は親戚とか?」

「彼女が僕の乳母だったんです。今日から観光に来ると聞いていたので、こうして案内を」

 そう説明すると目を伏せ、小母さん、今日は脚の具合が良くないみたいですけど僕、歩かせ過ぎてしまいましたか……?申し訳なさそうに尋ねた。

「いいえ。ごめんなさい、心配させて。久し振りに浴びる潮風のせいかしら、来た時から少し痛むだけ。さっき薬も飲んだし、もう大丈夫よ」

「しかし日が大分照りつけてきたな。もう今日はホテルに帰って涼む事にするよ。言っていた店へは明日案内しておくれ」

「いいですよ。―――はい、では明日の十二時にまたここで」

 紳士の依頼を快諾する同級生に、委員長は学校では見なかった逞しさを感じた。

 ふと目線を下ろすと、丁度老婦人のスカートが風ではためいた。ストッキング越しに覗いた左脚には―――太腿からふくらはぎの下まで続く、長く大きな傷痕。


「っ!!?」「お嬢さん?―――ああ、吃驚させちゃってごめんなさい」


 乱れた衣服を整え、膝をそっと撫でながら謝る。

「いえ、私こそ済みません……もしかして、その傷が原因で脚をお悪く?」

「ええ。運悪く神経が切れてしまってね。リハビリでこうして歩けるようにはなったけれど、まだ時々しくしく痛むの」

「小母さんの事故は、僕の家で起こったんです。硝子の割れた窓枠に倒れ込んで、それで……」

 まるで自分が怪我したかのように拳を握り締め、心の苦痛に耐える僕。

「自分を責めないで下さい。アス坊ちゃまが見つけて泣いてくれなかったら、私はまず間違い無く出血多量で死んでいました。覚えていないでしょうけれど、奥様にせがんで何度もお見舞いに来てくれたんですよ?―――だから、坊ちゃまやお屋敷に恨みなんてちっともありません」

 誇らしげに言い切った乳母は、杖を突いていない手で夫の腕を掴む。 

「そろそろ行きましょう、あなた。若い二人の邪魔しちゃ悪いわ」

「え!?」

「あ、ちょっと!?」

「それもそうだな。じゃあねアス君、明日も宜しく頼む」

「え、ええ。お気を付けて」

 僕等は乳母夫婦を見送り、揃って困ったように互いを見合う。

「済みません、委員長。小母さん、来る度に小遣いを渡さないと気が済まないらしくて。どうか気兼ねせず使ってあげて下さい」

「ありがとう。でも……あ、そうだアス君。お昼はもう食べたの?」

「?まだですけど」

 彼女は与えられたばかりの紙幣を取り出す。

「折角貰ったんですもの。今日は私が、頑張ってるアス君に奢ってあげる。いつもランチは何処で食べているの?」

「昼は海岸沿いの見回りも兼ねているので、大体出店ですね。魚介の鉄板焼きとか、ラーメンとか」

「え?―――ふふっ、何だか意外ね。アス君がそう言うの食べるの」

「?そうですか?他の皆さんも大体そんな感じですよ。でも本当にいいんですか?これだけあれば海沿いのレストランも充分行けますよ」

 僕が言っているのは、街の女学生達憧れのイタリアンらしかった。しかし、委員長はキッパリと首を横に振る。

「いいの。何でも食べていいんだから、早く案内して」

「あ、はい……委員長って意外とワイルドなんだなあ……」

 不思議そうに呟く僕を呼び、彼女は緊張しながら空いた左手にそっと手を添えた。



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