少年は温泉宿で少女と語る
「何がどうなったのか、オレにはさっぱりなんだが」
そう言いながら、オレは頭を抱えるしかない。
「それはこっちの台詞。いきなり厄介事っぽいのに巻き込まれたんだから、事情を話してもらわないと私だって割に合わないわよ」
そう言って、彼女……若宮恵奈はオレを見た。
当事者である高田は呑気な顔で眠っている。
だが、先程よりは微かに表情がある分だけ気は楽だ。
因みに、彼女たちはバスタオルの下にはしっかり水着を着ていたらしい。
準備が良いとは思うけど、なんか納得いかねえのはオレだけか?
風呂で着るな! ……ってか、なんで肩紐が見えてなかったんだ、オレ!!
暗かったからだよ、ちくしょー!!
さらに、そんなオレを横目でニマニマと笑いながら、着替えをさせる若宮の顔にも酷く腹は立った。
魔界人だから着替えをさせることは簡単だが、それでもそれを利用してからかうのは本当にやめてくれ。
「あの男の顔は見たか?」
そんな自分の荒れ狂う感情を抑えて、若宮に問いかける。
「笹さんが言っているのがあの紅い髪の男のことなら、見た。紅い髪が誰かを彷彿させるから嫌だけど、少し色味は違うからまだ良い。全身黒ずくめって趣味の悪さ。アレは多分、『ミラージュ』のヤツじゃない?」
「知っているのか?」
意外にも若宮は、ミラージュのことを知っていたらしい。
「それぐらいの知識はあるつもりだけど? 黒い衣装に、黒い炎。それに人間界でも手段を選ばない辺り、『黒き魂の国』と呼ばれるだけあるわ」
「……なるほど、若宮も魔界人だったか」
炎に包まれても無事だというだけで、十分分かることではあるが、当人の口から確認はしておきたかった。
「まあね。あれだけの炎、普通の人間じゃ対処できないんじゃない? 私は事情があって家出中の身ですけど」
「家出?」
ちょっと待て?
それはそれで、厄介ごとの気配がするぞ?
「こっちの事情はいいでしょ? 必要が有れば必要なとこだけ話すから、とりあえずはそちらの事情。卒業式といい、巻き込まれたのは二度目なんだからね」
「あの時、お前も起きてたのか……」
あの場にいた魔界人なら眠っていなかったはずだと高田は言った。
それは一定以上の強さがある防護魔気のおかげなのだろう。
「防御膜が強力だからね、私の場合。おかげで、完全に魔封じしていても、怪しまれない程度に魔力が滲んでいるはずだけど」
「高田が言ってたが、あの時、椅子を投げたってのはお前か?」
彼女は、何故かそれをひどく気にしていた。
ほとんどの魔界人が眠ったふりをしている中、見つかる可能性もあった行動をしてまで自分を助けようとしてくれた、と。
「ううん。あれには確かに驚いたけど、私じゃない。別のヤツよ。私は、自分の身を守ることが最優先だからあんな無謀なことはしないわ」
「まだ魔界人がいるのかよ……」
その事実に、頭が痛くなってくる。
「そういうことね。で? なんで高田がアイツにストーキングされてるわけ? 卒業式にいたのもアイツだったでしょ?」
「それがオレにも分からないんだ」
「はぁ?」
「こいつの誕生日からだったかな……。突然高田に襲いかかってきやがった。その時、たまたま一緒にオレも巻き込まれたんだが」
「ふ~ん……。たまたま、誕生日に、……ねぇ」
なんとなく含みのある言い回しをされた気がするが、それに気づかないふりをして続ける。
「ヤツらの目的はホントによく分からねえんだ」
「まあ、ミラージュ自体、謎が多い国だからね。私だってそこの住人をこの目で見ることがあるとも思っていなかったし。私が家出する頃は、魔界でも存在も不確かだと言われていたんだし」
「高田は、あの通りのヤツだろ? 緊迫感も何もないんだ。あの日だってオレがわざわざ前もって通信珠を渡していたのに、忘れていやがったんだと」
思い出すだけで腹が立ってくる。
「……笹さん、ちょっと聞きたいんだけど」
「何だよ」
当たり障りのない疑問であることを祈る。
「高田も魔界人なのは、この前、卒業式の時、初めて知ったけど……、もしかして、高田自身は魔力の封印を自分の意思で解除できないの?」
やっぱりこの女は勘が良い。
「そうだよ。ついでに、魔界人であることも忘れてるということだ」
「ああ、だからか……」
何かを納得されたようだ。
「高田は幼い頃から母子で命を狙われていたらしい。それで人間界に骨を埋める覚悟で、魔界に関する情報、つまり記憶や魔力を自ら完全封印したと聞いた」
「どんな悪事を働いたの?」
……こいつらの友情はどこかおかしいと思うのはオレだけだろうか?
「……お前じゃないんだから。高田は妻子ある人の子どもだったんだよ」
「え? つまり高田のお母さんは不義密通してたってこと?」
「言い方を変えるとそうなる」
「はあ~。人に歴史あり。親にロマンスありだね。高田のお母さんってそんな感じが全然ないのに。子持ちであることが信じられないような雰囲気と性格だし」
若宮は頬に手を当てながら、溜息を吐いた。
「だから、その相手の奥さんから命を狙われる理由はあるってことだ」
「その人がミラージュ関係者?」
「いや、違うはずだが……?」
「じゃあ、その人が自らの手を汚さないようにミラージュ関係者に依頼したか、もしくは……、ミラージュ関係者を装ったかってとこか。」
「え?」
関係者に依頼したのは考えたが、関係者を装うことは考えもしなかった。
確かにミラージュが謎の国と言われているのを良いことに、罪を押し付けられることができる。
それは、ある意味、合理的な手法ではないか?
「『え? 』って……。もしもし、笹さ~ん? 脳味噌寝てませんか~? まさか……、それらの可能性も考えてなかったとか?」
「兄貴はどうか知らんが……、オレは全く」
「笹さんも十分緊迫感がないと思うよ。考えられる可能性全てを予測して先手を討つのが護衛の役割でしょうが。笹さんは卒業式の時といい、今回といい、どちらも後手後手なのよ。敵が来てから護るってそれじゃあ、護衛じゃなくて防衛だわ」
痛い所を突かれた。
だが、ある程度は仕方ないじゃないか。
「敵の目的が分からない以上、制限されているここで動くには限度があるんだよ」
「だったら、もっと頭を使いなさいな。彼氏と称して送り迎えをするより、姿を消してストーキングするなり、周りを洗脳して四六時中傍にいることに違和感をなくすなり、季節外れの転校生するなりもっと高田の傍にいる方法はいくらでもあったはずよ?」
「それは……」
あまりにも正論すぎて、ぐうの音も出ない。
「あの時だって高田の身体についた傷は治せたかもしれないけど、心の傷までは無理だったはずよ。笹さん以上に能力制御されて、記憶すらもなかったなら、あの時は震えるほど怖かったはずだよ。だって、高田はただの人間同然だったもの」
若宮は怒っていた。
いつもの余裕めいた態度ではなく、ただただオレへの怒りを真っ直ぐにぶつけてくる。
だが、そんな高田を見捨てて、保身のために寝たふりをしていた女に言われるのはどこか納得できないものがある。
「だけど……、それでも笹さんは、ちゃんと高田を護ってはいるのよね」
ふっと若宮は表情を緩めた。
「あんなヤツと何度か対峙したのでしょう? 正直、私にはできないことだと思う。だって、あの男はどう見たって異常だわ。確かに魔界人だけど、高田に対する態度を見た限りでは、同じ人間としての倫理とかも違いすぎると思った。できれば関わりたくない種類の人間ね」
「若宮……」
その表情がやや青ざめて見えたのは……気のせいか?
「でも、笹さんが高田を傷つけている事実には変わりないのよね~。私ならもっと巧く護るわ」
「じゃあ、お前が護ってみるか?」
オレが思わずそう言い返すと、若宮は見たことがないほど冷たい視線を向ける。
目線だけで人が殺せるかと思った。
「……笹さん? 本気で言ってるなら殴るよ? 魔力を込めたこの拳が貴方をぶちのめせと光って唸る!」
「頼むから、それは押さえてくれ」
そんな形で、魔力を込めた拳を振るわれても困る。
「大体、高田の護衛は笹さんの任務でしょ? どなたの御落胤かは分からないけど、高田の父親はそれなりに身分が高い御方というのはよく分かったわ」
「へ?」
まさか、それすらも察したのか?
「護衛を二人もつけるか……。余程お金がある人ね」
若宮がブツブツ考え込んでいる。なるほど、そう言う意味か。
確かに普通に考えれば、護衛が付く時点でそれなりの身分ではある。
「いや、金銭の問題じゃなくて、オレたち兄弟にとって命の恩人なんだよ。だから、その人の命令なら従う」
確かに給料はもらっているが、ほぼ生活費だけだ。
兄貴の方はどうか分からんけど。
「ふ~ん? じゃあ、その人が死ねと言ったら?」
「笑って死ぬ覚悟くらいしてるよ。まあ、そんなこと言う人じゃないけどな」
もともと拾った命だ。
そこまで惜しいものでもない。
それに……、それぐらいは既に誓っている。
「武士じゃないんだからなんでそういうこと簡単に言えるんだか。まったく、残される方の身も考えてもらいたいものね」
若宮は……、少しだけいつもと違う表情を見せた。
でもそれも一瞬だけ。
後はいつもの若宮の顔だった。
「でも、やっぱり二人が付き合いだしたのはそ~ゆ~理由からか」
「そ。一番魔法も使わず合理的ではあるだろ?」
「穴も多いけどね」
「うるさい。あそこまで無差別な相手とは思ってなかっただけだ」
「そ~ゆ~のを『穴』っていうのよ、笹さん」
「やかましい」
そう言うと、暫く若宮は黙った。
急に静かになるとこっちも対応に困る。
しかし、顔をあげて、突然、こう口にした。
「笹さん、頼むから高田を泣かさないでね」
「どういう意味だよ?」
「良いから! 約束して。高田を泣かすことだけはしないで」
「分かった……。約束するよ」
意味はよく分からないが、そう返事をすると、若宮は安心したように笑った。
こいつはやっぱり根が良いヤツなんだ。
「特に……、今回みたいに無防備な状態の高田を見て、愛しさのあまり、抱きしめるまではともかく、ソレ以上の邪な考えを抱くと……」
「うわああああああ!! あ、アレはっ!!」
そうだった。
忘れかけていたが、それもあった。
よりによってそんな所をこの女に見られていたなんて……。
「笹さんも、健康的な男の子ってことよね~。おね~さん、安心したわ」
「やかましい!!」
……前言を撤回したくなる。
こいつは悪魔だ。
「だ・か・ら、泣かさないでね、笹さん」
「…………はい」
余裕の笑みを浮かべる若宮の前でオレは頭を垂れるしかなかった。
……悔しい。
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