温泉とコイ
来島と別々に宿に戻ると、皆、起きていたみたいで恙なく、朝食の時間になった。
シンプルにご飯、卵、海苔、味噌汁、お新香、それに川魚っぽい魚。
しかし……。
「鯉濃だ~」
ワカが撃沈する。
一見普通に見える味噌汁はやたら濃いめの味で、中には川魚特有の生臭さがある。
「これが鯉濃か~」
聞いたことはあったが、食すのは初めてだ。
……うん、生臭い。
「これじゃあ、食べれない……」
ワカは生臭い魚が苦手なのだ。
そんな理由で刺し身やお寿司も駄目。
だから、この中で食べれるのはご飯やお新香ぐらいになってしまう。
「ご飯おかわりしろよ。ほ~らまだこんなに」
来島がお櫃を見せる。
そんな風に笑いながら言う彼の様子はいつもと変わらなくてホッとした。
だから、わたしも頑張っていつもどおりに振る舞う努力をしなくちゃね!
「おかずもなしに白米だけで食べられない!」
「オレの卵をやろうか?」
九十九がワカにそんなことを言う。
「笹さん、私が言いたいのはそういうことじゃなくてね」
「我が儘なヤツだな」
「ほっといてよ! 温泉で出るメニューとして川魚までは許せても、鯉濃は許せないの!! 鯉を煮込むな!!」
「料理法に文句言うなよ……」
九十九は呆れている。
平和に始まった朝食は、結局賑やかに幕を閉じた。
ワカは……、昨日の残り物を出してもらってなんとか納得してくれた。
さて、温泉旅行も二日目ともなると、特にすることもない。
初日で燃え尽きたようだ。
男たちと望さんは釣りに行ったが、鯉濃ショックが残っているワカの猛反対でわたしたち二人は残った。
「暇だね~」
卓球も昨日した。
テレビも学生は春休みだが、世間では平日ということもあってこの時間にはワイドショーぐらいで、特に面白いのはやっていない。
だからといって、露天風呂は明るいうちに入る気はしない。
ただただ部屋でゴロゴロとしていた。
これはこれで幸せだけどね。
「そういえば……、ワカには好きな人っていないの?」
「はぁ?」
来島との話が頭にあったせいか、なんとなくそんなことを口にしてしまった。
いや、彼のために探りを入れたいわけじゃない。
単純に興味!
好奇心!
……いや、なんか、それもあまり良くない感情だね。
「へ~、高田の方から恋バナを振るなんて珍し~。たまには良いけど。あ、笹さんとの惚気でもしたくなった?」
「それはない。いや……、ワカの口から『格好いい~』とか言うのはよく聞くけど、結局、鑑賞なんだよね? 実際、本命とかはどうなのかなって」
ワカは、「あの人かっこいい」、「あれは良い男」と言うのを口にするけれど、「あの男子が好き」とかそう言った話はしないのだ。
「本命ねえ……、恋愛感情を持ってる相手はいないかな」
「え? うそ?」
それは少し意外だった。
「いや、なんで嘘言わなきゃいけないの」
「なんか……、ワカって色々と恋愛感情とかに詳しいでしょ? もしかして、今、恋愛状態だからそういう気持ちって分かるモンじゃないの?」
少し前のわたしなら分からなかったかもしれないけれど、朝の経験からかそんな風に思えた。
それに、来島がワカに気持ちを伝えなていないのも、彼が恋心を育ててるってことだけじゃなくて、他に好きな人がいると実は、知っているからじゃないだろうか?
「ああ、そういうことか。あれは過去の経験からよ。今現在じゃないの」
「過去にはいたんだ」
それなら納得する。
「ま、そんなところ。高田の初恋は笹さんだったでしょ。その頃に、私にも恋愛感情に似たものを感じる相手はいたかな」
「恋愛感情じゃないの?」
「自分でもよく分からない。相手は5つも上だったしね。あっちから見れば7,8歳なんてお子様よ! 犯罪よ! 青少年保護条例に引っかかるのよ?」
「……それって……、相手も12,3歳ってことだから犯罪かどうかは謎だけどね」
中学生と小学生……。
いや、微妙かも。
「とにかく、7,8歳のガキに惚れた腫れたなんてしっかり分かる訳じゃないでしょ。クラスの子が○○くんかっこい~とか言う話を聞くとさ。その○○くんに対してそんな気もしてくるもんじゃない」
「う~ん。確かに、わたしの初恋は九十九だったけど……、ホントに好きだったのかは今となっては疑問があるかな。5.6年生くらいになって、周りの女の子たちが格好いいとか、仲が良くて羨ましいとか言われると九十九って特別かな……って気がしてきたもんだけど」
そういえば、その頃は九十九といると今よりもっとドキドキしていた気がする。
顔が熱くなって緊張して、それを誤魔化そうとわざとはしゃいだり……。
でも、それ以前、7,8歳の頃なんてそんなことを考えずに、一番好きな友達だった覚えがある。
「そうそう。恋愛は思い込みっていうけどさ~、特に小学生の頃って恋愛に憧れる時期じゃない。だから、手近な人物で格好いい方の異性を好きになることが多いんだろうね。世界が狭いから」
「あ~、漫画みたいな恋ってやつだね」
その感覚なら分からなくもない。
「中学生くらいになると、先輩って存在が格好良く見えるのよね~。部活とかで会う機会が増えるから。同じ歳の男たちよりも落ち着いてる~とかで」
「でも……、身近な同級生や先輩じゃなく、ワカは7,8歳の頃に5歳年上の男性に惹かれたのか~。」
「チッ、覚えていたか……」
いや、インパクトが強すぎて、逆に頭に残ると思うのだけど……。
「手近で済ませなかったんだね。大人だ」
「手近よ。幼なじみだもん。」
「幼なじみ?」
「そ。私が異性として興味を持った相手は幼なじみだったの。あの頃はまだわたしも世界が狭かったのね~」
そんな人がいたことは知らなかった。
今ほど仲が良くなかったせいもあるかもしれない。
高瀬は知ってるのだろうか?
知ってるだろうね、高瀬だから。
「どんな人だったの?」
「もう顔はあまり覚えていない。ただ、我が儘言っても大抵、あまり表情のない涼しい顔と言葉でさらりと流されたことだけはやたら強く残ってる……。悔しかったし……」
「相手も大人だ。ワカの我が儘攻撃を被害無しだなんて……」
わたしは思わず感心してしまう。
「どういう意味かな? それに7,8歳児の我が儘よ~? 可愛いもんじゃない」
「わたしも7歳からの貴女を知っているんですが?」
「チッ。ここにも一応、幼なじみがいたんだった」
ワカと付き合いは長いが、こんな恋愛関係の話はあまりした記憶がない。
そういう話は自分からするのは恥ずかしいような気がしていた。
「で、あの男の方は?」
「あの男?」
「同級生の階上。結局の所、高田はアレに恋愛感情はあったの?」
「ああ、階上くんね。どうだろう……? 顔は綺麗だったし、モテていた人だったから錯覚してたんじゃないかなって思う時があるよ」
あの人は……、とにかく顔が綺麗だったのだ。
まるで、作り物のように……。
そして、口数が少なく表情も大きく変化しないと言うのも、なんとなくポイントが高かった気がする。
「……あれほど、弓道場とかも見ていたくせに」
「なんて言うか……、好きな人のために見ている自分が好きだったのかもね。少女漫画みたいで」
「ああ、恋に恋してる状態ね」
「でも、ドキドキしたり緊張したり、顔が火照ったりもしてたから少しは恋、してたんじゃないかな。でも……」
「でも?」
「真理亜と付き合いだしたって聞いてもそんなにショックじゃなかったんだよ。これはホント。心のどこかでああ、あの2人ならそうなっても不思議はないなって思ってたんだろうね」
真理亜が階上くんのことを好きなのは知っていて、それなりに彼にアプローチをしているところも見ていたから。
「そうなの? でも、私は結構ショックだった。ああ、その程度の男だったんだってね。真理亜みたいに男に媚びているような娘のために私の友人は失恋したのかと思ったら腹が立って夜も眠られなかった」
真理亜に対しての言葉は酷いけれど、ワカがわたしを思ってくれたのはよく分かる。
「だから笹さんと付き合いだしたって聞いた時は、私の眠れぬ夜を返せって言いたかったわ」
「ごめん……」
それについては、本当に申し訳なく思っている。
いや、でも、仕方ないのですよ?
そのこと自体は、当人が一番、驚いたのだから。
「でも、高田にはそれで良かったのかもね。結果として彼氏が出来たんだし。笹さんなら、高田のことをきちんと守ってくれそうだからね」
そう言った、ワカの瞳はどこか遠くを見ている気がした。
もしかしたら、その初恋の人を思い出しているのかもしれない。
忘れたとか言ってもホントはちゃんと覚えているんだろう。
素直になれないワカのことだから。
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