六時限目「獣面学生が今に至った理由とその他の調査結果について」
ベンソンがストイックどころじゃない生活を続ける理由とは
「……という事だったんだよ」
翌月曜の放課後、社会科準備室に集った私達――私、清木場創太郎、常木先生、そして尾原の三人――は、週末二日間の出来事を語らっていた。
「そうですか……彼にそんな過去が……」
「おう。親父さんは相当後悔していた。何がなんでも奴を救うぞ」
「はい。でもベンソン君は何で怒って家出なんかしたりしたんでしょうね? 私ならすぐにお父さんを許して仲良くしようって思うのに……」
などと尾原は言う。成る程、何ともまともな普通の言い分だ。だが生憎ベンソンは『まともな普通の奴』じゃねぇ。
「確かに君の言い分は正しい。普通なら誰もがそう思いそのままに動くだろう。だがベンソン君は中々の変わり者でね……」
「変わり者、ですか?」
「そうさ。まあこれは所詮仮説に過ぎないわけだが――」
常木先生は尾原に『仮説』を話して聞かせた。
「――というわけさ」
「な、なるほど……確かにベンソン君ならそんな風に考えるでしょうね。近いうちに聞いてみようかな……」
「この仮説が正解とも限らない以上、彼から直接真意を聞き出せるとすればそれは実にいいことだが……無理をしてはいけないよ。
下手をすれば相手を必要以上に刺激してしまえば余計手を差し伸べにくくなるし、何より彼自身に対しても失礼だからね」
「はい」
「……」
「あ、お帰りなさい。ご飯、できてるからね」
「……おぅ」
その日の夕方、私は何時も通りベンソン君のアパートで彼の為に食事の準備をしていた。
何時もは彼が帰って来る前に準備を終えて帰ってしまうことが殆どだけど、今日は珍しいことに早く帰って来れたらしくこうして直に言葉を交わすことができていた。
「早かったね、今日」
「……仕事、早く進み過ぎてな……」
「そっか……まあ、そういう日も必要だよ。さ、温かい内に食べて食べて。今日は豚の角煮だよ」
「……ぉう」
ベンソン君は口数が少なく、大声も出したがらない。
学校でも(喋り方や態度は普通になるものの)最低限のことしか口にしないし(聞けば仕事先でもそうらしい)、最初こうして世話をし始めた頃なんかは全くの無言だったから本当に苦労した。
けど近頃は口数も増えてきて、ほんの少しだけど雑談なんかにも応じてくれるようになってきている。
合鍵をくれた件も含めて、もしかしたら私に対しては心を開いてくれつつあるのかも……なんてことを思ったりもする。
(常木先生は無理をするなって言ってたけど、ここはいっそ多少無理してでも聞き出さなきゃ……何されてもいいように覚悟しとこう)
正直、彼にとってかなりデリケートな部分に触れるのは嫌だ。
自分が彼の立場だったら絶対に嫌がるだろうし、何よりこうして積極的に近付いているとはいっても彼の事なんて全然怖くないと言えば嘘になる。
でもそんな恐怖なんて、影から私を監視していたあの不気味な視線のそれに比べればちっぽけなものだ。
(そうだよ……あの日々に比べればこんなの、どうってことない……!)
意を決した私は、鶏汁(豚汁の豚肉を鶏肉にした料理)を啜りながら丼に大盛りのご飯を頬張るベンソン君に話し掛ける。
「あ、あの……ベンソン君……一つ、聞いてもいいかな?」
瞬間、ベンソン君の箸が止まる。
そして暫く(多分鶏汁の具やご飯を噛んで飲み込む為の)間を置いて――
「……何だ?」
彼は静かに答える。どうしよう、若干怖い。
「あ、あのね……ベンソン君って、今一人暮らししてるけど、その理由って聞いたことなかったなって……もし良かったら教えてくれたらって……」
「……」
(うわあああああああどうしようどうしようどうしようどうしよう言っちゃった言っちゃった言っちゃった言っちゃったあああああああああそしてベンソン君無言だ何も言ってこないよおおおおおもう何か機嫌損ねさせちゃったっていうか気分悪くさせちゃったっていうか怒らせちゃった感が半端ないいいいいいどうしよおおおおおお!)
私の心情は大体そんな感じだった。
こういう言い方はしちゃいけない気がするけどこれ読んでくれてる読者も同じような気分になったことが結構あるんじゃないかと思う。
大袈裟なのは百も承知だし彼に対して物凄く失礼なのだって千も承知だけど、この時私はそこそこ本気で致命傷を覚悟していた。けど――
「……俺ぁ、近所じゃ名の知れた金持ちの家に生まれてよ……親はどっちも厳しくて、傍目から見りゃ虐待じゃねえかと言われるような躾を受けてきた……。
最初は何度も泣いたし、親を恨んで歯向かったりもした……だが俺が何をしようと親は手加減も容赦もしてくれねえ……。
耐えかねた俺はある時聞いたんだ。『何でこんなことするんだ? 俺が嫌いなのか? 嫌いならいっそ殺して次の産めよ』ってなあ……」
その問いは当時彼が相当追い詰められていたことを物語っていた。
「……瞬間、俺は親父にぶん殴られていた……お袋はその後ろで泣いていた……何が何だかわからねえ俺に、親父は言った――『馬鹿言うな、お前を嫌ってなんかいるものか』ってよ。
『父さん達がお前に厳しくしているのは、お前を愛しているからだ。お前に強くなって欲しいからだ。
人間は金や物に溢れた中にいるとそれに頼って弱くなり、やがて悪い人間になる。
だがだからと言ってそれを捨ててもいけない。多くの金や物を持ってそれを正しく使える強さがお前には必要なんだ。それを解ってくれ』
……怒鳴りながら泣いていた親父を見た俺は、自分がとんでもねえ馬鹿なんだと気付いた。
……そして親に土下座して謝り、それからは親に逆らわず強く生きていこうと決意した。
……厳しい躾の中で強く生きていくことが、俺の誇りであり生き甲斐になったんだ」
そこからは常木先生と清木場先生がベンソン君のお父さんから聞いた話と大まかには同じ内容が続く。
ただ違うのは、そこで彼が怒って家を出ていった理由がはっきり分かるということ。その理由とは――
「……嘗て、親父は言った。
『愛しているから厳しくするんだ。愛していないなら放置するし、強くなる素質がないならいっそ甘やかしていた』とな。
……そしてお袋が死んだとき、親父は言った……『父さん達が間違っていた。これからは普通に育てさせてくれ』
……それはつまり、この15年間で俺に強くなる素質がねえと判断したってことだ。
……それはまあ、いい。
……だが同時にその言葉は、俺の誇りを、生き甲斐を……それまでの15年間っつう俺の人生全てを、或いは俺そのものを完全否定するものだった。
……それだけは……そ、れ、だ、け、は……幾ら親父でも、いや寧ろ親父だからこそ何より許せなかった。
……だから俺は家を出た……俺一人で親父の言う強さを手にし、俺が『素質のある強者』だということを証明するためにな。
……それが俺の、新しい誇りであり生き甲斐……アダム・ベンソンの存在意義だ……」
ベンソン君は一通り話し終えると『長々とくっ喋っちまって悪かったな。もう暗えし食器は俺が片しとくからお前は帰った方がいい』と言って後片付けを始めた。
本当は私も手伝いたかったけど、賀集達の問題が解決していない以上長居もできないと判断して帰らせて貰うことにした。
「……こんなもんか」
食器を片した俺、アダム・ベンソンは、内職もなかったので勉強の支度を始めた。
(……他人に過去を語るなんぞ、俺らしくもねえことだな……)
自分でも妙なことだと思う。元々一人で強くなると決めてた奴が他人を、それも女を家に入れるなんてな。
(あれがそこらの奴だったら家に入れるようなことはしなかった筈だ。
……だが尾原は……全くよくわからねえが、最初『こいつなら傍らに居ても問題ねえか』と思うぐれえだった。
……それが何だ、今じゃ密かに『傍らに居てくれるといい』と思い始めてる……ような、気がする。
……何でだ……何でそんな風に思ってんだ……奴は確かに美人だと言われてるしそれをわざわざ否定はしねえし、声は聞いてて何となくだが落ち着くし、作る飯だって滅茶苦茶美味え。
……だがそれだけだ……それだけの筈なんだ。
……早く帰らしたのも生活力をつける為だ、奴のことが心配なんてことはねえ、何かあっちゃ困るのもてめえの周りで何かコトが起こっちゃ面倒ってだけ。
……それだけの、筈なんだ……)」
その夜、何でだかまるで勉強が手につかなくなってしまった俺は人生で初めて自宅学習をサボり早めに寝てしまった。
しかも早く寝たってのに何故か翌朝は寝坊しやがったし、ギリギリ遅刻はせずに済んだがツイてねえ。
「というわけで、やっぱりというか何というか、常木先生の言う通りでした」
「そうか。これで仮説が確説になったわけだ。
平仮名にすれば一字一角の差に過ぎないが、漢字では実に九画の差だ。この差はでかい、実に意味のある前進さ。よくやってくれた、ありがとう尾原君」
昼休みの社会科準備室で私こと尾原寿々子は、昨日ベンソン君から聞いたことを常木先生と清木場先生に報告していた。
「さて、ベンソンの件は順調なようだが……問題は賀集一味か。常木先生、体育スポーツ科の方に送り込んでた『奴』はどうです?」
「勿論ちゃんと情報を持ってきてくれたよ」
え? 『奴』? 奴って何だろう?
清木場先生がくれたあのキーホルダーになるワニみたいなのを常木先生も持ってるのかな?
まあ清木場先生が持ってるんだし、常木先生が持ってたって不思議じゃないけど、どんなのなんだろう?
なんてことを私が思っていたその時、ふと視界の隅に宙へふよふよと浮かぶ何かが映り込んだ。
(ん? あれは……)
中に複雑な機械を組み込んだ小さい透明なお皿かお椀を引っくり返して沢山の細いコードを等間隔で取り付けたようなそれはまるで――
(クラゲ……?)
そう、まさに機械でできたようなクラゲ。それがキイキイとかキュイイとかいう音を、まるで鳴き声みたいに立てながら常木先生にふよふよと近付いていく。
「おおジェリームーン、今戻ったのかい。お疲れ様……」
常木先生は機械のクラゲを両手で優しく受け止め、つるつるしたカサの部分を優しく撫でている。それに合わせて細いコードがくねくね動く。
キイキイという鳴き声は何だか嬉しそうだ。一体何なんだろう?
「さて、それじゃ早速」
そう言って常木先生はノートパソコンを起動する。同時にジェリームーンと呼ばれたクラゲの細いコード、というか触手がパソコンの色々な所に繋がっていく。すると画面に何かのウインドウが開き、動画が立ち上がった。
「この動画は体育スポーツ科の校舎に潜り込んだジェリームーンが撮影したものだ。ジェリームーンには事前に賀集や奴の仲間とされる人物の動向を遠隔操作可能な極小カメラ、ポリプアイで探るよう指示を出してある」
「つまり賀集達が学校で何をしてるかわかるってことですね」
「そうだ。まあ仕様から校内など限られた範囲でしか動かせられんがな」
動画の下にあるバーが一杯になったのを確認した常木先生は、動画を再生した。ジェリームーンとかポリプアイとかよくわからないけど、もうその辺の詳しいことは動画見終わってから改めて聞けばいいや。
「まさかこんなことになっているとはねぇ……」
動画を見てわかったことは、主に二つ。
一つ、先週木曜日から賀集とその仲間の大多数が学校を無断で休んでいるということ。一部は休まず学校に来ているようだったけど、それは本当にごく一部らしい。
担任の先生はそれぞれの自宅に連絡を入れたらしいけど、電話に出た保護者は口を揃えて『風邪です』の一点張り。どう見たって普通じゃない。
二つ、学校に来ている賀集の仲間について。幾つかのポリプアイは休まず学校に来ている賀集の仲間を追いかけて動画に収めてくれていた。その中に幾つか、賀集達について触れている会話が見付かったのだ。
会話の内容を要約すると、やっぱり賀集達の欠席理由は風邪なんかじゃなく、何かとんでもない計画の準備をするために学校をサボっているらしい。
その計画が何なのかまではわからなかったけど、とにかくそいつらは変な力を手に入れた賀集のやり方についていけなくなってグループを抜けたとも言っていた(これからは真面目に授業を受けるとか、大学には行けなくてもせめてどこかで何かの仕事をして親孝行をしようとか、何かそんなことを言っていたような気がする)。
「ふむ、奴らいよいよ動くつもりか……まあ経済力があるとは言えたかが不良の集まりだ。さほど大したこともできまいが、一応警戒しておくに越したことはないな」
「ですね。あとは尾原から聞いたベンソンの本心を親父さんに報告して例のヤツの段取りを……」
「ああ、そうだね。平川先生への報告は済んでるし。まあ成功するかどうかは不確定だが長引けばベンソン君が過労死しかねん以上、これに賭けるしかない」
「段取り? 段取りって何のですか? それに平川先生と言えばベンソン君のクラスの担任の……あっ」
そこで私は察した。生徒にその親、そして担任教師と言ったらアレしかない。
「……三者面談、ですね?」
私の言葉に先生方は深く頷いた。
次回、三者面談当日に波乱の予感!?