第三話「救いのかたち」
森は、どこまでも同じ景色だった。
背の高い木々。湿った土。絡みつくような静寂。
「……はぁ……」
少女は膝に手をつき、荒い息を整えた。
制服は泥に汚れ、靴は片方が破れている。
見慣れたはずの世界は、どこにもなかった。
「なんで……こんな……」
思い出せるのは、ただ一つ。
帰り道。眩しい光。そして――
気がつけば、ここにいた。
歩いても、歩いても出口はない。
同じ場所をぐるぐる回っている気さえする。
喉が渇く。足が震える。
「……誰か……」
声は木々に吸い込まれ、返ってこない。
その時だった。
ふわり、と。
視界の端に、淡い光が灯った。
「……え?」
小さな光の玉。
揺れるように浮かび、ゆっくりと前へ進む。
まるで――導くように。
「……待って」
少女は、無意識にそれを追った。
光は振り返ることなく、一定の距離を保ちながら進む。
消えそうで、消えない。
不思議と、不安は薄れていった。
「……神様、なのかな」
誰にともなく呟く。
返事はない。
だが、光は確かにそこにあった。
森を抜けた先に、村があった。
痩せた土地。崩れかけた家々。
人の気配はあるが、活気はない。
「……ここ……」
少女は立ち尽くす。
光の玉は、ふわりと揺れて――消えた。
「あ……」
手を伸ばすが、届かない。
だが。
「……ありがとう」
そう口にしていた。
理由は分からない。
けれど、自分は“導かれた”のだと、確信していた。
少女は、村に受け入れられた。
異邦人。奇妙な服装。見知らぬ言葉。
それでも――
「その傷、見せて」
手をかざす。
微かな光。
裂けた皮膚が、ゆっくりと塞がっていく。
「……すごい……」
誰かが呟く。
それが、始まりだった。
彼女の力は、完全ではなかった。
知っているものしか治せない。
風邪。切り傷。簡単な病。
だが、それでも十分だった。
村は、少しずつ変わっていく。
彼女の知識もまた、役に立った。
火の使い方。水の管理。簡単な保存食。
どれも小さなこと。
だが、この村にはなかったもの。
「ありがとう……」
「あなたが来てくれて……」
言葉が、重なっていく。
最初は戸惑っていた少女も、やがて微笑むようになった。
「ううん、私ができることをしてるだけだから」
そう言いながら。
胸の奥に、温かいものが広がる。
やがて。
誰かが、彼女をそう呼んだ。
「……聖女様」
最初は、冗談のようだった。
だが、その呼び名は、少しずつ定着していく。
「聖女様、これはどうすれば……」
「聖女様、あの人が……」
少女は戸惑いながらも、応え続けた。
応えなければならないと、思った。
自分は“選ばれた”のだから。
影は、その頃からそこにいた。
家の隅。木の影。人の背後。
誰にも見えない。
ただ一人を除いて。
ある日、少女はそれに気づいた。
「……誰?」
暗がりの中、何かが揺れている。
形は定まらない。
影のようで、影ではない。
それは、彼女を見ていた。
怖いはずだった。
だが。
「……ああ」
少女は、なぜか納得したように頷いた。
「あなたも……神様の使い、なんだよね」
微笑む。
「あの時、助けてくれた……」
森で出会った光を思い出す。
あれと同じ。
きっと、そうだ。
「……見ててくれてるんだ」
安心が、胸に満ちる。
影は、何も答えない。
ただ、そこにある。
村は、豊かになっていった。
だが。
同時に、変わっていった。
「聖女様は、なんて?」
「聖女様に聞こう」
「聖女様が決めてくれる」
人々は、自分で考えなくなった。
判断を、手放した。
すべてを、委ねる。
少女は、応え続けた。
応えられる限り。
だが。
限界は、確実に近づいていた。
「……分からない」
思わず、口にする。
目の前の子供は、高熱にうなされている。
見たことのない症状。
知識が、ない。
「聖女様……?」
不安げな声。
期待。
重圧。
思いが、押し寄せる。
「……大丈夫」
少女は、笑った。
「大丈夫だよ」
根拠はない。
だが――
(私には、あの人がついてる)
視線の先、影が揺れる。
(神様が、見てる)
だから。
間違えるはずがない。
それから、歪みは加速した。
治せないものを、無理に治そうとする。
間違った判断を、正しいと信じる。
人々は従う。
疑わない。
やがて。
村に、疫病が広がった。
原因は不明。
対処法も、分からない。
少女は必死に考える。
知っている知識を繋ぎ合わせる。
だが――
足りない。
「聖女様……どうすれば……」
縋る声。
責任。
視線。
逃げ場は、ない。
(私が、やらなきゃ)
影を見る。
そこにいる。
ずっと。
(大丈夫)
そう、思い込む。
(私は、選ばれてる)
だが判断は、誤った。
感染は広がり、村は混乱に沈む。
人々はなお、彼女を頼る。
彼女もまた、応え続ける。
壊れながら。
最後の日。
空気は、重く淀んでいた。
生きている者の方が少ない。
少女は、立っていた。
力なく。
それでも。
「……大丈夫」
呟く。
誰に向けたものかも分からない。
視線を上げる。
空。
一瞬だけ。
淡い光が、揺れた気がした。
「……見てる……よね」
笑う。
崩れた笑み。
そして。
「……助けて」
初めての言葉。
影は、動かなかった。
やがて、村は沈黙した。
誰もいない。
音もない。
ただ、風だけが通り抜ける。
影は、その中心に立っていた。
観測は完了した。
歪みは消失した。
最も効率的な形で。
均衡は、保たれた。
遠く。
淡い光が、ゆらりと揺れる。
それもまた、結果を見ていた。
意味を見出すこともなく。
ただ、“変化”として。
やがて。
どちらも、そこから消えた。
何もなかったかのように。
村の跡だけを残して。
それでも。
均衡は、保たれている。




