34 7月30日 ファンタムレディ
「手嶋さん、A社のリサーチと前回の企画稟議、すべてアップしていますので、ご確認お願いします」
「はい。わかりました」
私は報告してきた男性社員に一瞥もくれず、自分のデスクに向かっていた。
〈氷の女〉そう呼ばれているらしい。
無愛想でコミュニケーショはほぼとらない。時折、オンライン会議で見せる視線も凍えるように冷たい。
そうだろう。コミュニケーションなんて、PC上でできる。実際、先ほどの報告も社内チャットですでに伝わっている。なんだって、直接報告しにくるのだ。
「手嶋リサ」はアメリカのシリコンバレーで2年、大きなプロジェクトに参加し、日本に戻ってきた。
父がアメリカ人であったが、生まれ育って気づいた時には、母と二人きりだった。自分がアメリカ人だとは考えたこともない。
私は幹部候補として、昨年に入社してからは、個室を与えられている。
幹部といっても、人事、勤怠管理などを受け持つ、いわゆる管理職は拒否している。
専門職としての採用で、CTOに次ぐ立場だ。
アメリカは良くも悪くも個人主義だ。
結果さえ出せれば年齢や出自に関係なくキャリアアップできた。だが、そのぶん、嫉妬も多い。政治的な立ち回りも身につけなければ、実績をアピールする機会を失う。他人に気を使っている暇はない。
日本の企業にいた時にも似たようなことがあった。
だが、あの頃はまったく自分をアピールできなかった。
自分が間違っているとさえ思った。
だが実際には違う。
実力は見せつけなければならない。競争相手は叩きのめさなければならない。「敵」を倒すのに必要なのは正義ではなく、力だ。
己を磨き続け、誰もが近寄りがたいほどの完璧さを身につける。弱みのなど一切見せない人間になること。それが私の目的だった。
ノックする音が聞こえる。
だからさぁ……。思いながらも応答する。
「手嶋部長、失礼します」
「急ぎでないなら、チャットでアポを取ってちょうだい」
「急ぎです。かつ、ログに残せない案件です」
それは……。私は少し動揺したのかもしれない。何も答えなかった。
「新田室長がお呼びです。すぐに室長室に来るようにと」
「わかったわ」
部下が退出してから、私は大きなため息をついた。
気持ちを整える。
新田室長は会長付の特別ポストだ。独自のチームを編成していて、基本的に仕事上でも関わりのない社員が多い。私のような幹部でもほぼ会議のような場所で顔を合わすこともない。ただし、社員の誰もがこのモリガン・エインヘリヤル・システムズの権力者だという認識がある。だから「よっぽど」のことなのだろうことは容易に想像がついてしまう。
私は新田のオフィスルームのドアをノックする。
日本の企業にはドアが多すぎる。くだらない。
「入りたまえ」
新田の声がする。
「失礼します」
新田はすでに桜雪ソファに腰掛けていた。私の姿を認めると、手招きする。まるで子ども扱いだ。
「すまないね。突然呼び出して」
「いえ」
相変わらず気持ち悪い笑みを浮かべている。見ているだけで反吐が出そうだ。
「実はね、たいへん切迫した問題なのだよ」
「と、言いますと?」
「……まあ、率直に言ってしまえば、情報漏洩の疑いがある」
「私の部署でですか?」
「それはない。君の部署はよくやっている。なんというが、ほぼ君のおかげともいえる」
「光栄です」
「謙遜するなよ」
「新田さんの管轄ではないので、それほどご存じとは知りませんでした」
「私は、すべて見ているよ。社内の全てをね。それが私の役割なのだから」
「……」
「知っての通り、情報の管理は業務内容に関わらず私が管理している。我が社が扱う情報はほぼあらゆる産業に関わっていると言っても過言ではない」
「存じております」
「そんな企業が情報管理においてミスがあったなど、あってはならないんですよ」
「もちろんです」
「だが、起きてしまった疑いがある。これは由々しきことだ」
「いったい、どんな情報でしょうか?」
「それがね、われわれ特別戦略開発室の情報なんだよ」
特別戦略開発室は新田がボスの部署だ。会長直属で、実際になにを扱っているのかはよくわかっていない。だが……。
「具体的には?」
「それはまず置いておくとして」
新田は寄りかかっていたソファから、身を乗り出し、両手を組んで手嶋を凝視した。
「この件、君に調査してもらいたいんだ」
「……私に、なぜでしょう?」
「私が君を買っているからさ。まだ入社して1年程度だが、専門技術はここの誰よりも群を抜いている。いや、それでは言葉が足りないくらいだ」
「恐れ入ります」
「ふふ、氷の女なんて渾名されているのに、コミュニケーション能力もしっかりあるじゃないか」
「このくらいは、当たり前じゃないでしょうか。それでも私に足りないところはあると認識していますが」
「まあ、そこが君のすごいところさ。オタクのハッカーもどきはどいつもこいつもコミュ障だからね……まあ、そんなやつは大企業ではつとまらんけどね。おっとこれは失言だ。内緒で頼むよ」
「ええ……それで、具体的には何を調査すれば」
「特戦室から情報が外に流れた可能性は非常に高い。データログは一切痕跡なしだ。しかし、流失していなければ、ありえないことが現実には起きている」
「そのデータは我が社のみで秘蔵されているものですか? クライアントに関係するものですか?」
「前者だ。利用目的はわれわれが定めているし、ルーム内で決裁が得られない限り、決して社会には出ない。それどころかこのオフィスも出ないね。だからこそ価値があるのだよ」
「初めておうかがいしました。内容はうかがっても?」
「それはできない。最重要機密だ。君には簡単に言うと、ルームのメンバー以外で、ルームのデータにアクセスしていた者を見つけ出してほしい」
「社内でクラッキングをしろと?」
「そうだ。社内決済は通っている」
「なぜ私なのですか?」
「さきほど言ったばかりだ。われわれは出し抜かれた。君の天才的な技能を借りたい。早期に見つけ出せれば、君はさらに大きな収入が得られるだろう」
「難しそうですが……」
私は一瞬、躊躇したが、
「お引き受けいたします」
強い決意で答えた。
※ ※ ※
私は父がアメリカ人、母が日本人。
エリザベスというクリスチャンネームがあったが、早くに両親が離婚して日本に来るときになってから、母は私を「リズ、ベス、ベティ、リサ」といろいろな略名で呼んでいた。その中で、私が唯一反応したらしい「リサ」が家庭内では一般的だった。だけど、母の実家は田舎だった。本州ですらない、東京の島で、ハーフというのは悪目立ちした。髪は黒く、目も青くない、だけど、「外国からきた外国人」と島民が全員認識しているようだった。
学校の先生も珍しがってはしゃいでいるようだった。いじめられていたわけではない。だけどその特別感が私を苦しめた。私はすぐに学校に行かなくなった。
母はまったく咎めない。元々、島の閉塞感を嫌って若くして都会に出て、父と知り合ってアメリカに渡った。島育ちにしては奔放だけど、私を守ってくれているようには思えなかった。母は、母の生き方を全うしているだけだった。
私も自分の生き方を見つけなくてはいけない。そう思った。母はWeb関係の仕事をしていて、私もPCには昔から慣れ親しんでいた。不登校になった小学生4年生からすごく興味をもって、いじるようになったら、私専用のPCを買ってくれた。日がなPCを触っていた。
高校もほぼ完全な通信で単位が認定されるところに入った。ほぼ人と合わない。会ったとしてもその時だけの付き合いだと思えばなんとかなった。
高校卒業後には進学せず、自作のプログラミングで世界が広がってくる高揚感から抜け出せず、そのまま家に引き篭もった。だけどその時、母が倒れ、まもなく亡くなった。
私は働かざるを得なくなった。
プログラミングのスキルを活かすならアメリカに行くしかないと思った。顔も覚えていない父がアメリカ人だからというのはどこかにあったのだと思う。ともかく島にいてはどうにもならない。私は世間知らずだ。YouTubeをいくら見ていても、この世界のものとは思えてすらいなかった。
私は東京に出た。
いくつかバイトをして、それからまもなく就職した。
※ ※ ※
アメリカで私は見違えるように人生が楽しめた。
成功を続けられている限りは、全員が味方のように思えた。あらゆるアドバイスをくれたし、友人のようにしてくれた。
でも人は怖い。実際には過度な出世は人の恨みを買う。アメリカほど極端ではなかったが、日本でも似たようなことを味わった。
結局私はどこまでいっても人との距離を置いた。〈氷の女〉そう呼ばれるのは、感情を表に出さないから? 意味がわからない。人付き合いをしないから協調性がない? その協調とは〈お前の都合〉以外ないだろ。冗談じゃない。社会的なモラルとやらはいつだって私を守ってくれなかった。
仕事もできないやつが、いちいちうるさい。
それでも私は日本に帰ってきた。
ある日、大手のエージェントオフィサーから連絡があった。
待遇は同等、仕事内容はとある資産家のデジタル資産を管理すること、それからある企業に勤めてほしいということだった。こんな変わったオファーはいままでに聞いたことがない。だが、私のクライアントである日系企業のオーナーからの推薦があったということだった。
いかにも日本人。縁故が最大の交渉材料になると思っている。欧米人も縁故は大事だ。だが、それでビジネスは捨てない。
「資産家に雇われるのはわかりますが、別途企業に務めると言うのは理解できません。お断りをします」
私は即座に断った。
「では端的に伝える。モリガン・エインヘリヤル・システムズ株式会社という日本企業で、〈内偵〉をしてほしい。つまりスパイだ」
エージェントは立て続けにメールをしてくる。
聞き覚えのある会社。いや、忘れられない、忘れようはずもない。
「違法な労働をオファーされたのは初めてです」
「君の安全は保証する。もちろん完璧ではない。だが、われわれの組織には長年のノウハウがある」
「あなたはリクルーターではないと?」
「単なるリクルーターではないよ。今回は、雇い主、セイシロウ・マサキに協力することにした」
「誰です?」
「日本の資産家でも指折りの人物であり、私の友人だ」
「モリガン社に潜入して何を調査すれば?」
この質問をした頃から、私はこのオファー受ける前提になっていた。
※ ※ ※
私は新田から、社内調査を命じられた。その犯人は当然わかっている。
もちろん、私自身だからだ。
余裕がなくなってきた。
新田は私の仕業であることに気づいていると考えるべきだろう。
そして、私が〈私〉であることにも気づいているのだろうか……。
私が潜入を始めてから1年。ミッションはほぼ完了しているといっていい。
だけど、11日前の7月19日、雇い主である真崎征四郎がこの世を去ってしまった。
予定が狂ったこともあるが、この使命にどう決着をつければいいのかわからなくなってしまった。
もちろん、アユカワヒメへの資産相続の手続きはずっと前にプログラム的には完了している。
それとは別に受けていたミッションについては、真崎が死んだあとにどう扱えばいいかわからない。
正直に言うと、私にとってはどうでもいい。
雇用主がそれについて指示を残していないのだから、この仕事は精算すべきだ。
私は、私自身を守らなければならない。
――本当にそれでいいのか?
真崎との連絡窓口であった代理人の向田龍という男からは、モリガン社からは離れて構わないという話があった。ただし、相続人であるアユカワヒメの無事が確認できてからということになった。
「追加料金ものじゃない?」
「情報をのぞいて、知らせる。何がいままでと違う。延長線だ」
向田は言った。
モリガン社は新興宗教の御柱会の一部に「技術」をサービスしている代わりに、信徒からの情報提供を受けている。その多くは警察からだ。私はその情報も「抜いて」いた。それが真崎との契約だったからだ。
7月20日から数日、アユカワヒメ誘拐未遂事件を知り、それに関わる奇妙な中年たちの結びつきを知ることになる。
そして、その中に、あの人がいた。




